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H31年2月2日(土) 晴れ
本日は業務多忙にて出勤しました。 その分、日曜〜月曜が休暇ですので問題はないのですが。
急遽退院して在宅生活となる方が数名おり、その資料作成に追われ、正面玄関が閉まる21:00まで残業。
帰宅したのが21:40過ぎ。 気温が下がっており、小鯉の様子を見に行きましたが、全て元気な様で一安心。
先々週、小鯉がバタバタと死んだのは何故か? ネットで調べたところ、意外にも簡単な理由であった事が判明。
★ 冬の屋外飼育では、水温が6℃をきった時は、餌を与えてはならない。 ★ (ネットのコメントを参照)
「加温してある池、あるいはハウス池なら大丈夫でしょうが、経験のある人は外の野晒しの池で餌やりません。
冬に餌やらないのは、例え消化不良のフンをしなくても、水温が低下すると、鯉自身の体温も低下し、体内の新陳代謝機能も低下するからです。鯉は胃がないので消化は腸でします。 水温が低下してくると代謝機能が低下し、腸内の消化酵素が出にくくなってきて、消化不良を起こしやすくなります。それでも餌やりするとどうなるか? 鯉の内臓に大変な負担がかかり、春先に松かさとかになりやすくなります。
松かさになる原因の一つに冬季の餌やりが言われていて、人と同じで臓器が痛むと色々な病気にかかり易くなり、呆気なく死にます。 鯉は餌を全くやらなくても池の藻をはんだりしているのでお腹が空けば自然とそうします。 鯉が我先にと挙って餌を食べる姿は飼い主にとっても一つの醍醐味ではありますが、大切な愛魚の為に冬は餌やりをされないほうがよろしいかと思います。」 今年初めての小鯉冬越えだけに、まさか餌やりが大量死の原因だったとは・・ 無知というヤツは恐ろしい。
これを反省に、次回の冬は見事乗り越えてみたいと思います。
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H31年2月1日(金) 雨
早いもので2月になってしまいました!今日も気温が下がり、厚着をしても寒さを感じる程。
外気温が低いのですから、水槽の水温も下がり、朝確認した限りでは1℃〜2℃くらいでしょうか。(電子ではない為、多少の誤差が生じます・・) まだ目覚めきれない小鯉たちは、かたまった状態。 いかにも冬って感じです。 どの個体も異常はなく元気なのは助かります。 餌断ち効果が出ているように思えます。
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1980年代後半、ダンプ松本率いる 「極悪同盟」 の一員として暴れた ” 影かほる ” ・・・。
その体型とメイクした姿がダンプそっくりで、時には影武者としても活躍。 こういった脇役も、当時の女子プロレス・フィーバーを後押ししていたように思います。
当時はクラッシュ・ギャルズの人気が凄まじく、クラッシュに憧れたという全国の猛者達が、全日本女子プロレスに入団希望で殺到。 多い日には1日100通もの入団応募が届き、格闘技経験がある有望人材ですら、何度もオーディションに受からず涙・・ であったと言いますから、どれだけ日本列島が女子プロフィーバーに陥っていたのか・・・。
その結果、1980年代末に誕生した ” ジャパン女子プロレス ” が受け皿となり、後のスター選手を多数輩出した裏には、こういった激しい入団競争がありました。
影かほるは、1963年5月23日生まれ。 東京都出身。 身長160cm 体重85kg。
叔父は全日本女子プロレス創始者である松永高司であり、母は女子プロ草創期に活躍した古葉礼子(高司の妹) という女子プロ一族。 その為、幼い頃から女子プロレスに親しみ、中学の時にはセコンドに入った程。
あまり知られていない事ですが、全国区人気者だったマッハ文朱が女子プロ入りするまでのスター選手(チャンピオン)は、大半が松永ファミリー・・ つまり身内にあたります。
(ジャンボ宮本・・・ 松永兄弟が従兄弟にあたる。 初代・赤城まり子・・・ 松永兄弟と親戚にあたる。 その他、奄美百合子、遠藤恵子、京愛子、山口洋子、岡田京子、赤城マリ子等も身内となります。 奄美は長男の妻ですが、長男のみ経営に関わっていません。)
当然、影も縁故採用・・・ かと思えば、そんなに甘いものではなく、1979年(昭和54年)にオーディションを受けるも失敗。 ダンプ松本に誘われ入団と言いますから、約5年近く、浪人状態であった事が伺えます。
(松本香がダンプ松本を名乗ったのが1984年であり、極悪同盟でヒールブレイクしました)
影は1985年8月18日にデビューしましたが、この日は大阪城ホールで、ダンプ松本VS長与千種の ” 髪切りデスマッチ ” が行われた日。
「無制限一本勝負」 であり、両者リング下で20カウントが終了しても、セコンドがリング内に引き上げて試合を続行させるという徹底したルールのもと、リングに上がったダンプ松本の横には、黒覆面に黒ジャンバーで身を包んだ、同じような体型の選手が登場。 長与コールで紙テープだらけになる中、黒マスクを脱いだレスラーはダンプ松本本人。 つまり・・ 入場してコールを受けるまでのダンプは偽物。 実況アナウンサーまでが 「これは驚きました。私は覆面のマネージャーかと思っていました!」 というそっくりぶり。 まさに 「影」 そのもの。
日本中が注目した一戦は、凶器攻撃で流血した長与がTKO負け(タオル投入)となり丸坊主。
泣きわめく長与ファンは、本気でダンプを恨み、一層の女子プロレスフィーバーとなっていきます。
この伝説的な大試合に一役買った影は名を売り、以後、極悪同盟軍団の一員として活動。 一時は覆面レスラーの 「ダイナマイト・キング」 を名乗った事も・・・。
1988年(昭和63年)12月をもって引退。 日本初の女性リングアナウンサーに転身。
更には後輩レスラーのマネージャー等、芸能関係にも携わっています。
ダンプ松本の凄さは、徹底した悪役魂であり、ブレイク中は一切の妥協無し。 リングを降りても徹底しており、呑み屋でファンにサインをねだられても、「暇じゃねえ!」と追い返し、度々騒動になりかかった程だとか。
(実際のダンプは優しく真面目。 当時の事を振り返り ” 心の中では 「応援有難う。 サインしてあげられなくてごめんね」と泣いていました ” と語っています)
その影響もあってか、影かほるに対しても、根っからの悪だと思うファンが多かったようですが、実際は明るくて、皆に好かれた好人物。 人は見た目で判断してはいけない・・・ という事でしょうね。
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