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1981年(昭和56年)に映画上映された 「セーラー服と機関銃」 は、当時17歳だった ”薬師丸ひろこ” の純粋な演技とヤクザとのかかわりが社会的反響を呼び大ヒット。 赤川次郎の長編小説が映画化されたこの作品は、これまでの日本映画にないジャンルとして注目を集めました。
ストーリーは・・ 「交通事故で父親を亡くした星泉(薬師丸ひろこ)は、遠縁にあたる弱小暴力団 「目高組」 を継ぎ4代目に就任。 4人の子分と対立するヤクザ組織と戦う・・」 というもの。
機関銃をぶっ放した後、「か・い・か・ん」 というセリフが受け、当時の流行語にもなった程。
しかし・・・ この映画、実際に映画館で観ましたが、今思うと、一体何がよかったのか?? 疑問だらけです。
薬師丸ひろこにしろ、そんなに可愛い女優とも思えなかったし・・・(失礼) まあ、好みは人それぞれですから。
時は流れ・・・ 今年(H26年)の紅白歌合戦に、薬師丸ひろこが出場するというニュースを見ました。
NHKが紅白出場者を選ぶ基準は大きく3つあり、①その年の活躍ぶり ②話題性 ③イメージ だとか。 何故、今になって薬師丸?って気がしますが、本番3日前の29日に、中森明菜の中継参加が決まる等、1980年代にタイムスリップさせるようなNHKですからね(笑) 逆に言えば、今の歌手には、視聴率を稼げるようなスターが存在しないってことなのでしょうか?
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昭和レトロ・コレクション
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戦前のプロ野球は 「職業野球」 と言われ卑しい職業と非難されていました。 当時の日本人の思想は、「汗を流して地道に仕事に取り組むべし」 であり、「野球のような娯楽で生計を立てるとはもってのほか」 というわけです。
その為、プロ野球チーム結成時には、六大学のスター選手がプロ入りを拒む事も多々あり、人気は学生野球の方が上。 まさにプロ野球は前途多難な状況でした。
ところが・・・ 戦後間もなく復興を遂げたプロ野球では、娯楽に飢えた人々が連日球場に殺到。 プロ野球は人々に夢と希望を与えるスポーツとして、庶民娯楽の王道となっていきます。
当然ながら、この現状に便乗して、甘い汁を吸おうとする企業が続出。 これまで職業野球と馬鹿にして見向きもしなかった企業の参入は、2リーグ制を提唱する故・正力の追い風となる反面、プロとは名ばかりの素人集団を招き入れ、選手の質は急速に低下していきます。
1950年(昭和25年)は、セントラル・リーグとパシフィック・リーグが誕生した記念の年。
この付録でも、当時のスター選手が大々的に紹介され、2リーグ誕生を盛り上げています。
表紙は物干し竿バットで有名な藤村富美男と、火の玉小僧と呼ばれた荒巻淳。
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1966年(昭和41年)、当時の「小学3年生」と「小学4年生」で連載がスタートした 「パーマン」。
リニューアルされ、今でも度々再放送されている為か、けっこう最近の漫画のようにも思えますが、実に48年も前の作品 (H26年時点) なんですね。
どこにでもいるミツ夫少年が、突然あらわれた宇宙人(スーパーマン)より、不思議な力のマスクとマント (当時はバッチなし) をもらった事により、パーマンに変身。 猿の2号(ブービー)、美少女歌手のスミレこと3号(パー子)、大阪のしっかり者4号(パーやん) と力を合わせて、難問題や事件を解決していくストーリー。
名前の 「パーマン」 とは、まだ半人前の為、スーパーマンから 「スー」をとったもの。 連載第一作目では、マスクの形は、トサカが二つ付いた戦隊物?のようなデザインでしたが、これでは親しみが持てないとの理由で、今のシンプルなデザインに変更したというエピソードがあります。 (この変更の際、藤子Fはマスクのツバを跳ね返えさせたデザインとしますが、これは子供たちにキャラの親近感を持たせる為、幼児の上唇を模したものだとの事)
当時の唄を聞くと 「時速は91キロだい!」「力は6600倍」との事。 しかし仲間と触れ合った(合体)状態だと、時速は182キロ・・ 273キロ・・ 4人では364キロ とパワーアップ。 これは作品メッセージでもある 「仲間と助け合う心」 を反映した設定の為だとか。
何分にも48年前という漫画だけに、時代、時代によって生まれる設定や言葉のタブーも多く、その毎に内容を変更。 例えば、パーマンの正体を仲間以外に知られた時は、連載開始=「死」 途中から=「脳細胞破壊銃でクルクルパーに」 現在では=「動物に変身」 と設定を変更。 またスーパーマンでは商録に引っかかるとして、「バードマン」 に名前を変更。 こうして振り返ると、昔はけっこう過激で差別用語が多かったですね。 しかし今の時代のように、なんでも差別・・ 人権侵害・・ というのも行き過ぎのように感じますが・・・。
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キャンディーズ、ピンクレディー、岩崎宏美、中森明菜、堀ちえみ・・・ ヒット曲に恵まれた昭和の歌手は多くても、ベストアルバムを作った時に、そのヒット曲の多さに驚かされる歌手はごく一部。 個人的には 「山口百恵」 と 「松田聖子」 がツートップだと思っています。 (自作する中島みゆき等は別)
ごく一般的な少女が、同い年なのにTVで活躍する森昌子に憧れて、1972年 オーディション番組として人気だった 「スター誕生」 に出場。 見事、準優勝に輝いた時から、百恵シンデレラ・ストーリーは始まります。
当時、まだ14歳。 のちに自伝では、家庭は荒れており、私生児(両親が婚姻関係にない家庭) だったと暴露していますが、このようなウブな少女に対し、所属事務所はセックスをイメージさせるような過激な歌を続々と要望。「青い性路線」なんて言われ、1974年 「ひと夏の経験」 では、流石に百恵も驚いたのか、「この歌(歌詞)を私に歌えと言うのですか?」 とスタッフに聞いた程。 まだ破廉恥なんて言葉が生きていた時代に、大胆な歌詞で、少女から大人の女に変貌していく路線は大当たり。 女優としても成功をおさめ、歌も成長と共に、大人びた歌詞とかわっていき、「花の中三トリオ」の中で、山口百恵だけが生き残っていきます。 (後の二人は、さほどヒット曲に恵まれず、TV出演はあっても歌手としては・・・) スター誕生の際、審査委員の阿久悠からは、「あなたは青春ドラマの子役ならいいけれど、歌手になるのは諦めた方がいい」 とダメだしを食らった歌唱力。確かにデビュー曲の 「としごろ」なんてカラオケ大会で歌うその辺の子供程度の歌唱力。 それが引退頃には抜群の歌唱力になったのですから、これまた少女から大人の女への進化と言うべきなのでしょうか(笑)
1980年、まだ人気があるにもかかわらず21歳で引退し、三浦友和と結婚。 引退コンサートでステージにマイクを置き立ち去る演出は見事でした。
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冒険王の別冊誌として人気のあった少年誌 「漫画王」 昭和31年4月号 付録は、日本プロ野球草創期に活躍した大投手・沢村栄治物語。 他にも、このシリーズには稲尾和久物語等もありますので、この頃、漫画王では、プロ野球名選手伝記漫画を連続して付録にもちいていたのでしょうね。
「身長174cm。顔まで足をあげるダイナミックなフォームから、160kmの速球を投げて大リーガーをキリキリまいさせた大投手」 として、今なお伝説が受け継がれる沢村ですが、実際のスピードは140km前後との説も。
ライバルだったスタルヒンは「第一次アメリカ遠征時では、僕より彼の方が速かったが、その後は彼と並んで投げようとすると、藤本監督(当時)から、”球の遅さを気にするから並んで投げるな” と言われました」 と話すように、プロ入りした時の沢村は、すでに酷使と疲労で別人。 また当時の野球レベル、体格、フォームからして、「沢村の速球は140kmあたり。 最速で145kmあたり」 との分析結果を発表した専門家もおり、160kmは 「伝説」による誇張の節が強いです。
(後年、千葉茂と青田昇をバッティングセンターに連れて行き、記憶にある沢村とスタルヒンの速球を思い出してもらうという企画があったが、千葉曰く二人とも155kmとの事。しかし千葉の入団は昭和13年であり、すでに沢村は肩を故障していたことから、この話も誇張されている節がある。 また、当時のフィルムから球速を割り出そうとする企画もあったが、現存フィルムが殆どなく、正確な割り出しは不可能との事)
まあ、今となっては伝説は伝説として・・・。 どちらにしても沢村栄治の活躍なしでは、今のプロ野球はなかったかもしれません。 沢村は昭和19年に3度目の招集を受け、輸送艦ごと海のモクズとなりました。 後に父親は、大学に進学すれば兵役を免れたのに・・ と巨人入りさせた事を後悔していたとか。 (本当は慶応大に進学予定だった) 背番号14は巨人の永久欠番となっています。
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