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身長175cm 体重72kg 本名=テリー・ポック(日本ではテリー・ポーチとして紹介)
ボディ・ビルダーとしてアメリカで活躍し、数々のタイトルを獲得。
1980年(昭和55年) ・・・ ボディ・ビル=ミス・ワイオミング賞
1987年(昭和62年) ・・・ ボディビル アイアンマン/アイアンウーマンコンテスト 優勝
1987年〜1988年 ・・・ ボディビル ノースウエスト選手権 優勝
1988年(昭和63年) ・・・ ボディビル 全米選手権 3位
新日本プロレスの練習生から世界に羽ばたいた ” ブライアン・アダムス ” は1987年当時、オレゴン州をマーケットとするPNWに参戦していましたが、ボディ・ビルで活躍するテリーにプロレス入りを勧めた事がきっかけで、1988年、スコッティ・ザ・ボディの従者役としてデビュー。 翌1989年からは女子マネージャーとして活動した後、1990年に念願のプロレスデビューとなります。
ブレッド・レイガンズ道場で基礎を学び、1989年に男子レスラーのトーア・バーグが設立したLPWAに専属として入団。 このLPWAとは、当時、北米の女子プロレス団体では最大手を誇り、女子プロレス団体ながら男子レスラーも参加するミックス・ファイトの他、興行はTVテーピング(収録)として行われるといった異色団体。
同じくボディ・ビル出身のレジー・ベネットも参戦しており、タッグとして売り出されます。
LPWAはジャパン女子プロレスと提携関係があった事から、1990年7月に初来日。
女子レスラーには珍しい筋肉美を売りにしたパワー・ファイトを売りに活躍・・・ のはずでしたが、ジャパン女子プロレスの崩壊により帰国する事に。
その後はLPWAの主力選手として活躍。1992年2月、” ジョージアの女番長 ” の異名をもつレディXを破り、第3代 LPWA世界女子王者に君臨。 レイラニ・カイ、ジュディ・マーチン、スー・グリーンといった強豪と競い合います。
そんなテリーが突如日本に押しかけ参戦。
本人談=「女子プロレスでトップを取りたい。そのためには、世界で一番メジャーで、女子が真剣にプロレスを追求できる唯一の団体である全日本女子プロレスに来る必要があった」
「日本は女子プロレスのメッカで、選手達はプライドを持っている。だからこそここに来たかったし、しばらく日本に住んで試合をしていきたいと思っている」 が理由。
1992年6月21日 後楽園ホールにてデビュー。(三田英津子とタッグ。デビー・マレンコ&下田美馬と対戦)
オクラホマ・スタンピート、ラリアット、パワー・スラムの他、滞空時間の長いブレーン・バスターやリフト・アップ等、これまでの女子プロレスには見られなかったパワー殺法でファンを魅了。 またレイガンズ道場により基礎ができており、筋肉質ながら俊敏さもあり、得意技の一つがフランケンシュタイナー。
同年6月27日 大宮スケートセンター大会では、アジャコング率いる ” ジャングル・ジャック ” の一員として6人タッグに出場。(あくまで一員という設定だったらしい) 当時、第一人者であったブル中野と怪力比べを行ったりと存在感を示すと、同年7月5日 後楽園ホール大会では、デビー・マレンコとタッグ= ” アメリカン・タッグ ” を結成。 当時の主力選手だった井上京子が、「テリーはなんでもできる」「ボディ・ビルダー譲りの健康管理に頭が下がる」「これで受け身を(しっかり)覚えたら敵なしになる」とコメントする等、外人選手のホープに。
7月15日 井上京子のWWWAオールパシフィック(白ベルト)に挑戦。 井上がスタミナ切れする程追い詰めますが、最後はナイアガラ・ドライバーの前に敗戦。 この試合でリフトアップをした際、膝靭帯を故障。せっかく日本でチャンスをつかみながら怪我治療の為に帰国となりました。
ちなみに、女性の筋力は男性の約65%しかないと言われます。男女の筋力差は、筋肉の質ではなく量の違いによるもの。男性ホルモンには筋肉の繊維を太くする働きがあるので、このような差が生じます。その為この働きを利用し、男性ホルモンの投与によって筋肉を増やそうと考えるスポーツ選手もいるようですが、このような行為は本人の健康面からも、競技の公平性の面からも、厳しく禁止されています。
全日本女子プロレスは、テリーに片手45kgのダンベルを用意したとか。俗説では一般成人男性がバーベルを持ち上げる事ができる平均重量は40〜50kg程度との事。 女子離れしたテリーの筋肉の強さ(怪力)が伝わってきます。
★参照資料 ネット男女筋肉量検索から抜粋★
BMI24.9以下(肥満型体形でない)の成人の筋肉量
全身:男性24.0kg、女性14.0kg 片腕:男性1.5kg、女性0.9kg 片脚:男性5.5kg、女性3.5kg 平均的男性の筋肉量は女性の1.6〜1.7倍のくらいです。男性を100%とすれば女性は65%くらいと見るのが妥当です。そして、筋力は筋肉量にほぼ比例しています。 男女とも脚の筋肉量は腕の4倍弱で、力の強さもこれに比例していると考えて差し支えありません。 |
伝説の女子プロレスラーサイン集
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小柄ながら愛くるしい顔立ちで、「アステカの妖精」 と言われた ” エステル・モレノ ” も、2月20日で50歳となります。(1969年生まれ・H31・2・17現在)
メキシコシティ出身。 本名はマリア・エステル・モレノ・レオン。 父は元プロレスラーで、アレナ・アステカ・ブドーカンのプロモーターであったアルフォンソ・モレノ。 モレノ4姉妹の次女で、上からロッシー、エステル、シンティア、アルダ。 シンティアとアルダの間に弟がおり、オリエンタルのリングネームでレスラー。 ドクトル・ワグナー・ジュニアの元妻はロッシー。 エステルも赤鬼仮面グロンダと結婚する等、まさにプロレス一家。
身長153cm 58kg と小柄。 得意技は空中殺法。(ムーンサルト・プレス、ラ・ケブラーダ)
1986年(昭和61年)に、新設されたジャパン女子プロレスに留学生として来日。
このジャパン女子プロレスは、「プロレス版 おニャン子クラブ」 を当初のコンセプトとして設立されたものだけに、格闘技経験者とは別に、ルックス面や観客ウケの良さそうな原石に視線が集まり、アジアを中心とした海外まで幅広い候補生が存在したようです。
エステル・モレノの場合は、天才的な空中殺法が評価を受けたそうで、クラン浜田の娘であるソチ浜田(留学)と共に、ジャパン女子に参戦。 同時に実姉のロッシー・モレノも参戦しています。
全日本女子プロレスのクラッシュ・ギャルズが、風林火山をイメージ(悪役やライバルたちと抗争する)した格闘派であった事から、初代タイガー・マスクによる空中殺法ブームを女子プロレスでも実現させようとするアイディアがあり、実力派の小柄なモレノに白羽の矢・・・ となったようです。
ジャパン女子プロレスの運営には、芸能会社 ” ボンド企画 ” が関わり、秋元康がアドバイザーとして関与。新日本プロレスとも提携を果たし、鬼軍曹として名高い山本小鉄をコーチに招聘する等、体制は盤石。
東京都八王子に道場をかまえ、後はブレークするのを待つだけ・・・。
1986年(昭和61年)8月17日 後楽園ホールで旗揚げ戦。
アントニオ猪木までが駆け付ける盛り上がりの中、エステル・モレノは、この日がデビューとなる尾崎魔弓とタッグを組み、剣舞子&レイナ・ガルコスと対戦。 日本で初めてムーンサルト・アタックを披露した他、本場メキシコ仕込みの空中殺法が注目されるようになり、留学期間の2年間、ジャパン女子プロレスの中堅として活躍します。
(第1回 グランプリ87では、技能賞&特別賞を受賞)
とにかく陽気なキャラであり、人数倍?ものお喋り。帰国後は、UWA→EMLL(現・CMLL)に活躍の場を移し、1990年からは全日本女子プロレスに参戦。
時にはマスクを被り、「チキータ・アステカ」 なるリングネームで、売り出し中のチャパリータASARIと、空中殺法で渡り合う等、その手の第一人者として活躍。
1991年には妹のシンティアを連れての参戦。 同年4月21日、姉妹タッグで、ラス・カチョーラス・オリエンタレス(猛武闘賊。通称・ラスカチョ)こと三田英津子&下田美馬を破り、第11代 全日本タッグを奪取。
タイトルは同年8月2日 井上貴子&吉田万里子 に奪われますが、モレノ姉妹の存在感を、ファンにアピールする事に成功。 怪我による長期離脱もある中、1993年4月2日、「ALL STAR DREAM SLAM」横浜アリーナ大会において、前田薫のタッグパートナーをつとめた金ラメ入りの虎マスクを被ったウルティマ・ティグリータ(究極の虎・・の意味らしい)の正体は、エステル・モレノではないか?という説があります。
日本では、JDスター女子プロレス、アルシオン、JWPといった団体にも参戦。
長年にわたり日本の女子プロレスを引っ張った外人レスラーとして、今でも人気があります。
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全日本女子プロレスのオーディションにおいて、「バット折り」をした事から合格。
ついたリングネームも 「バット吉永」 ・・。 身長160cm 体重75kg 兵庫県尼崎市出身。
極真空手を習っていた事もあって、格闘技に対する下地は十分。
1989年(平成元年)10月8日 後楽園ホール 伊藤薫相手にデビューしますが、その強烈な蹴りは周囲を圧倒。 昭和が終わり平成の世となると、世間は総合格闘技に注目。 かつてのプロレスは男女ともに下火となっていきます。 そういった事情もあってか、全日本女子プロレスも格闘技路線を導入。 その第一人者として選ばれたのが、バット吉永でした。
1991年、全日本女子プロレスは格闘技を売り込む為、WWWA世界格闘技王座を新設。
1991年3月17日、初代王者をかけて対戦したのは、バット吉永と伊藤薫。 接戦の結果、バット吉永が勝利し、初代王者に君臨します。
但し、総合格闘技路線ではありましたが、総合格闘技自体は行っておらず、ルールもキックやパンチが主体。
その為、プロレスの他、キック・ボクシングやシュート系に共通点が深く、挑戦者選びもキック系から選抜。
1992年11月26日 当時、女子格闘技の第一人者で、シュート・ボクシング女王(第3代 SBクイーン王者)であった神風杏子と、グローブ格闘マッチで対決。
動きに勝る神風のパンチを集中砲火の如く受けるも、頑丈な身体で耐えしのぎ、2R、一瞬の隙をついて右裏拳がヒット。 神風は後方に吹っ飛ぶように崩れ落ちKO負け。 これにより初防衛を果たします。
本業の女子プロレスでは、ブル中野が率いる「獄門党」に所属。 その強さはブルも認めるところで、用心棒的な役割をしていたようです。
その後も、グローブ格闘マッチでは他者を圧倒。 WWWA世界格闘技王座を守り抜きますが、当時はまだこういった格闘技系に対する世間の理解が得られておらず、女子格闘技自体への関心薄。
また本人も地味な存在で、格闘王者でありながらブレーク無し。 結果、頚椎を痛めて引退する1994年10月9日まで、初代王者を守りましたが、同年代の人気レスラーと比べると、一歩遅れ(人気面)をとっていたように感じます。
引退して二年越しに現役復活しますが、あくまで格闘技限定での復帰。
2代目・WWWA世界格闘技王者となった石本文子と対戦しますが敗戦。 ちなみにWWWA世界格闘技王座を巡るタイトル・マッチは以後組まれる事無く、WWWA世界格闘技王座は封印されてしまいました。
(全日本女子プロレスが格闘技路線から撤退ていった事が、封印の理由でもあります・・・)
さて、リングネームとなった 「バット折り」 とは、どのくらい凄いものなのか・・・?
空手経験をもつ女性のコメントを中心に、幾つもの資料で調べた限りでは、「かなり難しい」そうで、闇雲に蹴るのではなく、持ち手周辺の細くなったあたりをタイミングよく狙った場合のみ折れるのだとか。 その為、スピードや軸足の強さも関わってくるそうで、黒帯クラスでなければ折れないという声もありました。
(空手の演武用に作られた、” 試し割バット ” があるそうですが、こちらも簡単には折れないそうです。)
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穂積詩子と言えば、夫は元力士の維新力。(最高位・・西十両筆頭)
実兄が国際プロレス時代からプロレス界で働いていた影響もあり、維新力自身、大のプロレスファン。
長州力の「維新軍団」から文字をとり、「維新力」と名乗った程。 (相撲引退後、レスラーとしても活躍)
現在も夫婦で、「どりんくばー 維新力の店」 を切り盛り中。 夫婦仲は良いと思われます。
武蔵野市吉祥寺南町1−5−10 武蔵フォーラムⅠ 6F
0422-45-4933 19:00〜2:00 定休日:日曜・祝祭日
穂積詩子は、身長158cm 体重53kg というスリムな体型のアイドル・レスラー。
高校卒業後、ジャパン女子プロレスに第2期生として入団。 1989年(平成元年)1月10日、後楽園ホール大会において小金井幸子戦でデビュー。
スリムで柔軟な身体と童顔な顔立ちは、昭和から平成に移った時世にマッチし、フレッシュな若者っぽさを演出。 前座の人気レスラーとして定着します。
しかし・・ 1990年代に入ると、クラッシュ・ギャルズによって巻き起こった女子プロレス人気は低迷。
本家・全日本女子プロレスでさえも四苦八苦状態の中、団体の骨組みが不安定なジャパン女子プロレスでは経営が成り立たず、フロントと所属レスラーの対立や内部トラブルもあって、1991年10月、穂積詩子は半田美希・北村真美と共に、退団・・・。
一度は落ち着いたかに見えた中、アメリカ遠征を申し出た風間ルミが解雇された事で、ジャパン女子プロレスは解散の道へ・・・。
所属レスラーは子会社のJWPプロジェクトを母体に、再出発を予定しますが、ハーレー斉藤・大沢ゆかり(=ジェンヌゆかり)・斉藤緑(=キャロル美鳥)・二上美紀子(=GAMI)、遠藤美月は、先に退団した穂積詩子、半田美希、北村真美(=レオ北村) と共に新団体を結成。 後に風間ルミ、神取忍が合流し、LLPWを設立します。
当初LLPWは格闘技志向をアピール。 背景には、格闘技出身者が多かった事があげられます。
(風間=シュートボクシング、神取=柔道、ハーレー斉藤=空手、大沢=修斗・・・)
しかし旧UWFの例もあるように、強さだけを売りでは客は来ず、団体交流戦を経て話題作りにも専念。
1993年6月15日、大田区体育館大会において、穂積詩子はバブル絶頂期に流行った 「ジュリアナ東京」 をモチーフにした ” ジュリアナ詩子 ” に変身。 得意技は卍固めやバックドロップ・ホールド。
派手なボディコンにジュリアナ扇子をもち、ジュリアナルックで踊る姿は、一般メディアからも注目されました。
(その他、暴走族スタイルの紅夜叉、宝塚キャラのジェンヌゆかり、怪奇派レスラーのアイガー、ぶりっ子からヒールに変身したキャロル美鳥等、続々とキャラクターレスラーが登場。 但し各レスラー共に実力派であり、単なる話題だけの客寄せキャラではありませんでした。)
1994年6月9日、後楽園ホール大会をもって引退。 (対戦相手は半田美希)
引退の理由は、維新力との結婚。 二人の馴れ初めは 「プロレスを通じて知り合った」 との事。
現在、2人の子宝にも恵まれているとか。 プロレス引退後、あまり幸せになれない方も多い中、穂積詩子は成功者と言えますね。
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1980年代後半、ダンプ松本率いる 「極悪同盟」 の一員として暴れた ” 影かほる ” ・・・。
その体型とメイクした姿がダンプそっくりで、時には影武者としても活躍。 こういった脇役も、当時の女子プロレス・フィーバーを後押ししていたように思います。
当時はクラッシュ・ギャルズの人気が凄まじく、クラッシュに憧れたという全国の猛者達が、全日本女子プロレスに入団希望で殺到。 多い日には1日100通もの入団応募が届き、格闘技経験がある有望人材ですら、何度もオーディションに受からず涙・・ であったと言いますから、どれだけ日本列島が女子プロフィーバーに陥っていたのか・・・。
その結果、1980年代末に誕生した ” ジャパン女子プロレス ” が受け皿となり、後のスター選手を多数輩出した裏には、こういった激しい入団競争がありました。
影かほるは、1963年5月23日生まれ。 東京都出身。 身長160cm 体重85kg。
叔父は全日本女子プロレス創始者である松永高司であり、母は女子プロ草創期に活躍した古葉礼子(高司の妹) という女子プロ一族。 その為、幼い頃から女子プロレスに親しみ、中学の時にはセコンドに入った程。
あまり知られていない事ですが、全国区人気者だったマッハ文朱が女子プロ入りするまでのスター選手(チャンピオン)は、大半が松永ファミリー・・ つまり身内にあたります。
(ジャンボ宮本・・・ 松永兄弟が従兄弟にあたる。 初代・赤城まり子・・・ 松永兄弟と親戚にあたる。 その他、奄美百合子、遠藤恵子、京愛子、山口洋子、岡田京子、赤城マリ子等も身内となります。 奄美は長男の妻ですが、長男のみ経営に関わっていません。)
当然、影も縁故採用・・・ かと思えば、そんなに甘いものではなく、1979年(昭和54年)にオーディションを受けるも失敗。 ダンプ松本に誘われ入団と言いますから、約5年近く、浪人状態であった事が伺えます。
(松本香がダンプ松本を名乗ったのが1984年であり、極悪同盟でヒールブレイクしました)
影は1985年8月18日にデビューしましたが、この日は大阪城ホールで、ダンプ松本VS長与千種の ” 髪切りデスマッチ ” が行われた日。
「無制限一本勝負」 であり、両者リング下で20カウントが終了しても、セコンドがリング内に引き上げて試合を続行させるという徹底したルールのもと、リングに上がったダンプ松本の横には、黒覆面に黒ジャンバーで身を包んだ、同じような体型の選手が登場。 長与コールで紙テープだらけになる中、黒マスクを脱いだレスラーはダンプ松本本人。 つまり・・ 入場してコールを受けるまでのダンプは偽物。 実況アナウンサーまでが 「これは驚きました。私は覆面のマネージャーかと思っていました!」 というそっくりぶり。 まさに 「影」 そのもの。
日本中が注目した一戦は、凶器攻撃で流血した長与がTKO負け(タオル投入)となり丸坊主。
泣きわめく長与ファンは、本気でダンプを恨み、一層の女子プロレスフィーバーとなっていきます。
この伝説的な大試合に一役買った影は名を売り、以後、極悪同盟軍団の一員として活動。 一時は覆面レスラーの 「ダイナマイト・キング」 を名乗った事も・・・。
1988年(昭和63年)12月をもって引退。 日本初の女性リングアナウンサーに転身。
更には後輩レスラーのマネージャー等、芸能関係にも携わっています。
ダンプ松本の凄さは、徹底した悪役魂であり、ブレイク中は一切の妥協無し。 リングを降りても徹底しており、呑み屋でファンにサインをねだられても、「暇じゃねえ!」と追い返し、度々騒動になりかかった程だとか。
(実際のダンプは優しく真面目。 当時の事を振り返り ” 心の中では 「応援有難う。 サインしてあげられなくてごめんね」と泣いていました ” と語っています)
その影響もあってか、影かほるに対しても、根っからの悪だと思うファンが多かったようですが、実際は明るくて、皆に好かれた好人物。 人は見た目で判断してはいけない・・・ という事でしょうね。
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