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アルシオンのライセンスナンバー3である二上美紀子=GAMI。
大阪府八尾市出身。 身長164cm 体重70kg超。 トレーナーは新日本プロレスの、故・山本小鉄。
1989年(平成元年)にジャパン女子プロレス入り。 1990年11月1日 大阪府立体育館・第二競技場大会において、滝あゆみ戦でデビュー。
1992年、ジャパン女子プロレスが休止状態となった事から、新設されたLLPW所属となるも、1997年、大向美智子とアルシオンに移籍。 これが引き抜きだったとして、LLPWとアルシオンの間にしこりを残す事に・・・。
この頃から経営の中心的な役割を担う逸材として注目され、アルシオンでは ” チャンピオンシップ実行委員長 ” に就任しました。
2006年、” THE WOMAN ” をプロデュースして現場監督を務めると、2007年7月には桜花由美と新団体=プロレスリングWAVEを設立。
2010年、出身地である大阪で、OSAKA女子プロレスを設立し、現場監督に就任。
2011年、プロレスリングWAVEの新会社となる ” ZABUN ” の社長に就任。
2012年、OSAKA女子プロレスの運営をZABUNに移し、引き続き現場監督に就任。
2013年、社長業に専念する為、同年をもって引退。
老舗であった全日本女子プロレスですら倒産する、過酷な女子プロレス界において、やり手社長として剛腕を発揮する等、女子プロレスの灯を守った第一人者でもあります。
ニックネームは ” 無限の技をもつ女 ” ・・・。 オリジナル技は100以上と豪語するテクニシャン?
また女子において、男子プロレスの技をアレンジしないで使いこなせる珍しい女子レスラー。
★ 男子プロレス技より・・・
① アディオス・アミーガ ・・・ フィッシャーマン・バスターと同型技だが、技名に自身名をかけた?技。
② ドラゴン・スープレックス・ホールド ・・・ どうしても決まらない時に使う隠し技。
③ ラ・ガミストラル ・・・ ラ・マヒストラルとは入り方に違い。この技に自身名をかけた技。
④ ケンタッキー・ボム ・・・ ストレッチ・ボムと同型技。
⑤ ラリアット ・・・ 女子の中では重量があり、尻もち状態の相手を狙う事が多い。
⑥ その他、多数・・・。
★ オリジナル技より・・・
① 目突き攻撃 ・・・ 「目突き!」と大声で仕掛け、真剣白刃取りをされ、”やぶれたり” のセリフで反撃される パターンが多い。
② メガホン攻撃 ・・・ 主にVメガホンを使用する。
③ ガミドーラ ・・・ 藤本つかさの ” ツカドーラ ” のパクリ技。
④ マーライオン ・・・ 口に水を含み、倒れている相手に吹きかける。
⑤ 拝み渡り ・・・ 大抵の試合で披露する、お約束アクション。
⑥その他、多数・・・。
2013年11月4日 ダンプ松本との髪切りマッチで敗れ、丸坊主にされた他、2017年にはケンドー・カシンによって丸坊主(実際は一部だが、その後にそり切れなかった髪も断髪)に・・・。
身体を張って、客を楽しませようとする姿・・・ 流石、社長です!
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伝説の女子プロレスラーサイン集
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女子プロレスの人気が ”お茶の間” に定着したのは、昭和50年、マッハ文朱の登場からだと言われています。 容姿良く大柄で運動神経抜群。 もともと歌手希望であったマッハによって、女子プロレスは歌とコラボ。 女性ならではの華々しい世界が注目されるようになります。
そして・・ マッハ引退後、ビューティ・ペアが誕生すると女子プロレス人気が大爆発。 当時の女子中高生にとって、世間に縛られず自己表現を曝け出す女子レスラーの生き方は、ある意味、憧れだったのでは・・と推測します。 それまでショー的要素の強かった女子プロレスですが、池下ユミ、ナンシー久美、ジャガー横田、デビル雅美 と実力者が増えるに従いレベルが向上。
1980年代となりクラッシュ・ギャルズで再び大ブームとなった後は、ブル中野、北斗晶、アジャ・コング、神取忍、豊田真奈美、ダイナマイト関西・・ を始め、多数の実力者による戦国時代が到来。
そんな歴史ある女子プロレス界において 「天才」 なる異名をとったのが、日向あずみ(久住智子)です。
1975年(昭和50年) 千葉県松戸市生まれ。 身長160cm 体重58kg(現役) と小柄ながら、誰もが ” レスリングの天才 ” と認めるセンスの良さで一世風靡しました。
1994年12月4日 JWP=後楽園ホール大会でデビュー。 当時は本名の、「久住(くずみ)智子」 を名乗り、人気レスラーだったキューティー鈴木の付き人。 目立たぬ地味なファイトが続きます。
当時のJWPは 「実力派」 と 「アイドル派」 による売りが収益に結びついていましたが、美形であり実力派でもある日向はどっちつかず。 そのあたりがネックとなり、団体も売り出しに苦慮したように思います。
日向の活躍が始まったのが1996年から。
1月14日 後楽園ホールにおいて、GAEA JAPANと合同のタッグ・トーナメントにおいて優勝すると、8月にはトーナメントを勝ち抜き、第5代 JWP認定ジュニア王者に君臨。
5月18日、まだデビューして1〜2年ながら、全日本女子プロレス主催の 「第1回 ジュニア・オールスター」 に出場し、田村欣子の全日本ジュニア王座に挑戦する等、活躍の場を広げていきます。
=主な獲得したタイトル=
第5代 JWP認定ジュニア王座
第5代 8代 9代 12代 JWP認定無差別級王座
第38代 WWWAオールパシフィック王座
第11代 NWA女子パシフィック王座&NEO認定シングル王座
第11代 13代 16代 18代 20代 33代 JWP認定タッグ王座
第6代 デイリースポーツ認定女子タッグ王座
第7第 インターナショナル・リボン・タッグ王座
JWP認定無差別級王座に4回、通算防衛15度は歴代1位。 田村欣子とは同時期にデビューだった事もあり、常にライバル関係。 そんな宿命もあって、JWP以外の団体(特に田村のNEO)にも参戦を繰り返し、NEO女子プロレスの看板タイトルであるNWA女子パシフィック王座&NEO認定シングル王座を獲得した事から、NEO殿堂にも選ばれています。
受け(相手の技)の達人で、相手の持ち味を引き出しながら試合展開を進め、突如としてキレたようにファイトスタイルを変換。 特にニー・アタック系の技に破壊力があり、2007年10月5日 里村明衣子戦では、顔面にランニングニー・パットを放ち、右眼窩底骨折で病院送りに・・・。 (里村は長期欠場。計3回の手術を受ける事に)
シングル、タッグ、更には男女混合でのタッグ試合等、計15年にもわたりトップレスラーとして活動しますが、2008年、膝の悪化から手術に踏み切り、5ケ月もの長期離脱。 復帰後も名勝負を繰り広げるも、2009年7月6日、年末の後楽園大会で引退宣言。
日向談=「2008年4月に、JWP無差別級王座を春山香代子に奪われました。このタイトルに4度目の栄冠となった時、” 次に王座から転落したら引退しよう ” と思っていました。 引退試合では対戦したい相手とかではなく、お客さんの心に残る試合ができればいいと思います。 下の子(後輩)は、自分がいなくても立派にメインを務めてくれるし、安心して辞められる事ができます・・・」
しかし、団体代表だったコマンド・ボリショイは、「日向がいなくなって、JWPが平気なわけがない。この穴をどうやって埋めていくか・・ それ以上のものをどうやって生み出していくか・・ 全選手に危機感をもってもらいたい」とコメント。 JWPにとっていかに日向の存在が大きかったかわかります。
2009年12月27日、後楽園ホール大会をもって引退。 この大会では師匠のキューティー鈴木の他、ザ・グレート・カブキも登場。
引退後はプロレス界から離れるわけではなく後進指導を行う傍ら、ライバルであった田村欣子と同じアロマスクールに通い、マッサージ師になっているとの事。 田村の出張アロマにも同行する事があるそうで、もしラッキーにも同行に当たった方は、2000年代の最強女子レスラーのタッグからアロマを受ける事に。 リラックスのはずのアロマが、興奮のアロマに変わるかもしれません(笑)
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ブロ友さんに頂きました。 貴重な色紙を有難うございます(喜) 大切に保管させて頂きます。
(左)小倉由美 (右)永友 香奈子 現役時代は可愛く、がっしりとした体型。 馬力型であだ名はゴンゴン。
女子プロレスの世界は、まさに弱肉強食の世界。
何故、女子プロは、男子よりも過激な競争が繰り広げられるのか?
① 女性ならではの上下関係があり、先輩・後輩の関係が厳しい。
② 体格的に似通っており、あとは実力の差が大きい。
③ 見た目(美貌)で人気度に差がつく。 女ならではの嫉妬心?
④ 生意気な態度や発言をする者に対する見せしめ。
⑤ 自身の売り込み、存在へのアピール度が、男性よりも強い。
⑥ 当時の全日本女子プロレスには25歳定年制があり、現役で活躍する期間が短かった為。
⑦ 男性以上にライバル意識が強い(特に同期や1〜2歳下に対して・・)
⑧ 金銭的な問題。(所属レスラーのうち出場できるレスラーが限られている。当時の全女は基本給+試合数+ 内容や人気度で給与が決まっていた。 試合に使ってもらわなければ基本給のみ。生活ができない環境。)
⑨ 将来的(引退後)な事。 私生活の事。
⑩ タイトルの獲得意欲。 またタッグマッチが多く、チームや軍団抗争が過熱。
⑪ その他・・・
1987年(昭和62年)4月15日=大田区体育館。
小倉由美は永堀一恵とタッグを組み、WWWA世界女子タッグ王者の、宇野久子(北斗晶)&堀田祐美子 と対戦。 得意技のニー・ラリアット(ロープの反動でかえってくる相手の喉に、ジャンプして膝下を当てる技)で宇野を追い込む奮闘ぶり。 更に宇野を永堀が逆さに抱え上げ、コーナーセカンドで待機する小倉に渡すと、禁断のツームストン・パイルドライバーを・・・。 この一撃で宇野は頚椎を骨折し長期離脱。 小倉は 「北斗の首を折ったレスラー」 として、良くも悪くも言われ続ける事になります。
一説では生意気な北斗に対し、先輩の小倉が見せしめで行った・・といった悪意的な評価もあるようですが、実際は過激な技が生んだ悲劇というのが真相。 裏事情には遺恨やライバル心があったのかもしれませんが、小倉には、ここまで北斗を痛めつける気はなく、病院に運ばれる北斗に涙の謝罪をしたり、復帰後の北斗に衣装をプレゼントしたりと交流しています。 北斗もそのあたりは理解しており、小倉の引退試合に駆け付け、涙を流しながら花束を贈呈・・・。
この事件が今もなお、女子プロ・悪伝説として行き付いている理由は、試合前に小倉が、内容(セカンドからのツームストン)を伏せた状態で、秘密の大技を出すといった発言をしたからだと言われています。 つまり、狙ってやった(首折りを)といった悪印象をもたれる原因となってしまった事は、小倉にとっても不幸・・・。
見た目の可愛らしさから、どうしても小倉は ” アイドル派 ” と思われがちですが、あだ名は 「ゴンゴン」 と言うように馬力型。 身長こそ160cmと小柄ですが、スピーディな動きで相手を翻弄。 決め技はジャーマン・スープレックス。 その勝気な性格も、「何か遺恨があったのでは?」 と勘繰られる要因に・・・。これまた不幸。
シングルよりはタッグマッチの達人で、永堀一恵とのタッグは ” レッド・タイフーンズ ” 、小松美加とのタッグは ”カルガリー・タイフーンズ” と呼ばれ、いすれもWWWA世界女子タッグ王者となっています。
入団早々からTVドラマにも出演したというルックスの良さもあり、23歳の絶頂期に引退。 結婚の為の引退だったようですが、なんと!引退したのに婚約破棄になるという不幸・・・。
こんな理由での現役復帰・・ とは流石に言えず、覆面レスラー ” ハイパー・キャット ” として復帰するも長続きするはずもなく、一年後には消え、しばらくは忘れ去られた存在に・・・。
しかし、努力と苦労は報われる? 35歳の時、二歳年上で、人気天ぷら店の二代目店主と結婚。
今では3人の子持ちだとか。 全女時代から面倒見が良いと評判だった小倉由美。 可愛らしい顔立ちでしたが、今は超美人の奥様に変身。 店の繁盛貢献間違いなし。 全女の伝説的な人気レスラー。
明るく、元気なゴンゴンとして末永くお幸せに・・・。
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(左)みなみ鈴香 (中)白鳥智香子 (右)前川久美子 比較しても抜群の体格ながら運動神経抜群。
ウルトラマンA(エース)は1972年(昭和47年)〜1973年にかけ放送された特撮番組。
ウルトラシリーズ第4作として制作され、テーマはウルトラ兄弟による 「兄弟愛」 だとか。 その為、それまでのウルトラシリーズと違い、エースがピンチになると、度々ウルトラ兄弟が助けに現れ、ついにはウルトラの父までも登場。 またサブテーマであった、「男の勇気と女の優しさを融合したヒーロー」 から、北斗星司と南夕子が合体して変身。
子供たちからの人気は絶大で、この男女合体シーンを真似しようと、全国各地で子供たちの怪我が続出。 ついには放送途中から南夕子が降板となり、北斗一人が悪と戦う設定に変わった程・・・。 (表向きの降板理由は、このようになっていますが、北斗役の高峰圭二と南役の星光子の不仲説や、スタッフによる星光子いじめが原因との説もあります。 当初、南夕子役は関かおりでしたが、撮影開始三日後に所属劇団のリハーサル中に足を骨折。 急遽、代役となったのが星光子でした。 子役あがりで演技派の高峰と、劇団あがりでクールな星。 演技力の違いでぶつかる事も。 その為か撮影中も度々星いじめがあったそうで、降板となった事もスタッフからの事前連絡はなく、台本を読んで知ったと星は語っています。)
昭和50年代となり、再放送によって第二次・ウルトラ人気が大爆発。 この時、北斗星司(高峰圭二)に憧れ、のちにリングネームにしてしまったのが宇野久子こと北斗晶。 ちなみに晶の由来は、大好きだった前田日明からとったものですが、その前田も子供の頃、初代ウルトラマンがゼットンに倒されるシーンを見てショックを受け、ゼットンを倒す為に少林寺拳法を習い始めたというウルトラファン。
そんな北斗晶とタッグを組み、海狼組(マリン・ウルフ)として活躍した鈴木美香は、北斗のリングネームに合わせて、自らのリングネームを ” みなみ鈴香 ” にしてしまった強兵(つわもの)。
千葉県南房総市出身。 クラッシュ・ギャルズ人気が大爆発した1985年(昭和60年)7月12日、全日本女子プロレス・長野市民体育館大会にてデビュー。 身長173cmの大型新人として注目されますが、体重は60kg前後と軽く、表舞台で活躍を始めるのは、1988年(昭和63年)、宇野久子とのタッグ=海狼組(マリン・ウルフ)結成から。 この時、宇野久子が北斗晶に変名した為、南夕子をもじって、みなみ鈴香に変名。
1989年6月18日 後楽園ホール大会において海狼組はクラッシュ・ギャルズからWWWA世界タッグ王座を奪取。 世代交代の一戦と言われました。
タイトルは一ケ月後の7月19日、堀田&西脇 に奪われますが、1990年2月9日 大阪府立体育館大会で、アジャ・コング&グリズリー岩本を破り再奪取に成功。
王者の入れ替えが激しい同タイトルを約一年も保持した事により、女子プロ歴代の名タッグとして名を残す活躍ぶり。 「剛の北斗 柔のみなみ」 と例えられたように、均一なバランスとルックス、多彩な技を使いこなすテクニシャンレスラーとして人気があり、コンビ解消後はシングル戦線でも大活躍。
アジャ・コング、豊田真奈美、北斗晶といった強豪から、伝統ある白ベルトことWWWAオールパシフィック王座を3度にわたり奪取しています。
1990年代の女子プロレス界は、実力派レスラーの宝庫であった為、地味で売り込みが下手な鈴香に対し、「華のないレスラー」とか「弱い」といった印象をもつファンが多かったのも確か。
あまり感情を表に出さず、縁の下の力持ち(脇役)的な立ち位置を理解していた ” 大人のレスラー ” であり、専門家や玄人ファンに言わせば、「技の達人」「受け身の達人」 との事。 また体格の良さを活かした豪快技も多く、跳び技、空中殺法、スープレックス、バックブリーカーは破壊力抜群。 目立たないだけで、その実力はトップクラスだったとの高評価を受けています。
引退後に結婚し、武蔵小山で焼き肉店を経営していたようですが、2016年に閉店し、地元に帰ったとの事。
身体の大きな御近所さん・・ 実は名レスラー・みなみ鈴香だった・・ って知る人も多いでしょうね(笑)
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埼玉県草加市にある草加神召キリスト教会・・。
同キリスト教会はカトリック系ではなく、プロテスタント系なのだとか。 私は神も仏も信じていない無宗派だけに、同じキリスト宗派が常に対立するのか、その真意が理解できませんが、某資料をもとに各宗派の特徴を抜粋すると、下記のような考え方の違いになるようです。
=カトリック=
教会は聖書を聖典(信者が従うべき基準)とした場所であり、聖書よりも教会は権威ある場所との考え方。
(イエス・キリストと十字架) (聖母マリアをキリスト同様に神として崇める)(教会は豪華な飾りが多い)
個人の罪を詫びて許しをもらい、永遠の命がもらえるよう、個人の為に祈る・・・。
=プロテスタント=
聖書は神の言葉なので、神の次に権威があり、従わなければならないとの考え方。
(十字架のみ)(聖母マリアは神ではなく人間として扱う)(シンプルな造りの教会が多い)
神に感謝をしながら、遺族を慰めるのが目的。個人ではなく、神にささげる為に祈る・・・。
こちらの伝道師として活動するのが、元FMWに所属していた人気女子プロレスラー ” 里 美和” というのですから驚きです。
鹿児島県名瀬市(現・奄美市)出身。 身長156cm と小柄な体格ながら、FMWの生え抜きとして入団。
1989年(平成元年)10月6日、名古屋市露橋スポーツセンターでデビュー。 当時はアイドル派とも言われました。
1990年には団体の看板レスラーに成長し、同年4月1日 後楽園ホール大会において、女子プロレス軍団対応戦に出場。 松田久美子と組み、天田麗文&工藤めぐみ と対戦。 すでにFMWはプロレス次元を超えた過激派団体として存在感を示しており、里 美和の知名度も高まっていきます。
5月19日 後楽園ホール大会では、森松由紀と組み、天田麗文&工藤めぐみ と、時間無制限ヘアーカットマッチを実行。
8月4日には、FMWの聖地ことレールシティ汐留(浜松)において、全欧女子王者のマグニフィセント・ミミと60分1本勝負でのタイトル戦。 身長173cmのミミの前に敗れはしますが、その勢いもあり、翌1991年10月14日、同団体の看板タイトルであるWWA世界女子王座を、コンバット豊田から奪取し、第4代チャンピオンに君臨。
必殺技は、スコーピオン・クラッチ。 この技は東京ドームで長州が安生に勝った時の、変形サソリ固めと同じタイプ。
一時は猛毒隊に加入し、ペイント姿でヒールファイトに徹する等、女子プロレス界を牽引しました。
1997年12月、後楽園ホールにて引退。
まだ余力ある中での引退・・ 更に1998年4月には、国際福音神学校に入学し、2001年に卒業。
キリスト教の伝道者の道を・・・。 女子プロレスラーの引退後は・・・ 人それぞれ個性があります。
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