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昭和レトロに思いをよせ・・ 古き良き時代を振り返り・・

伝説の女子プロレスラーサイン集

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高校時代はクロスカントリーをしていたという奥津は、JWP創設期における生え抜き一期生。
身長155cm 体重58kg 小太り体型ながら、身体が柔らかくスピーディー。 
やや垂れ目の丸顔は愛くるしいと評判となり、当初はアイドルレスラー路線かと思われました。
しかし負けん気が強く、レスリングセンスが抜群。 コーナーに飛ばされると、そのままトップまで駆け昇り、振り向き様にボディ・アタックを決める等、女子プロならではの空中技を披露。 そんな奥津に団体も大売り出し。
折し1992年当時の女子プロレス界は、各団体が生き残りをかけての団体交流戦が頻繁に行われていた事から、新人の奥津は、JWP売り出しレスラー一押しの実力派として注目されます。

全日本女子プロレスとの対抗戦では前座(トップバッター)として、実力若手の渡辺智子と対戦。
水色の水着姿からは、その辺のコギャルっぽさが目立つ有様。 ところが試合早々、渡辺の頬にビンタ3連発。 
更に片足タイプのドロップキック・・ と気の強さを発揮・・ まではよかったのですが、そこは実力若手の渡辺。 数倍返しと言わんばかりの蹴り・投げでペースをつかむと、後はいたぶらんばかりのボストンクラブ攻撃。 更に変形のインディアン・デスロックから両腕を固めて身動きを完全に封じる等、一方的な展開・・。 
実力者らしく背骨に集中的な攻撃は、奥津の背骨が折れてしまいそうな勢い。 誰もがあっけなく試合終了を思った時、奥津はジャーマン・スープレックス3連発という荒業で息を吹き返すと、リング下にトペを慣行。 
最後は善戦空しく、変形バックドロップの前にフォール負けを喫するも、ファンや関係者に実力候補の若手としてアピールに成功します。

1993年は躍進の年。
3月21日、外山寿美代を破り、JWP新人王決定戦である ” 蒼星杯(ブルースター) ” で優勝。
12月6日、全日本女子・両国国技館において、チャパリータASARI を破り、全日本ジュニア王座に君臨。

この全日本ジュニア王座とは、1980年(昭和55年)、20歳未満の有望・売り出しレスラー対象として設立。
後に入門者の高齢化によって、デビュー2年未満に変更されるも、長与千種、立野記代、中野恵子(ブル中野)、
小倉由美、宇野久子(北斗晶) ・・・ といった有名どころが王者となった全女のシンボルタイトル。

1995年3月26日、横浜アリーナ大会にて宿敵・チャパリータASARIに敗れ、王座転落しますが、1年数ケ月もの長期王者として君臨は稀。
タイトルを失った1995年6月16日、三つ巴戦を制し、初代JWP王者に。
ルックスと実力のそろった選手として人気が高く、ついにはワニブックスより、写真集 「Candy」 が出版された程。

そんな人気者ながら腰痛や年齢等もあり、1997年8月17日 後楽園ホール大会後、引退・・・。 (福岡晶戦)
デビューからわずか5年での引退を惜しむ関係者やファンが多く、翌年にはアルシオンの旗揚げに参加。
時には覆面を被り、「タイガー・ドリーム」 と名乗ったことも。
2001年1月5日 後楽園ホールで二度目の引退を行うまで、約8年にわたり、女子プロレスを牽引しました。
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ブル中野・・・。 ニックネーム ”女帝”  身長170cm 体重118kg(全盛期)
「アントニオ猪木のように、悪を懲らしめる正義のレスラー」を目標に15歳で女子プロ入り。 ところがダンプ松本に誘われ役回りは悪役。 「どうせ悪役するのなら、怪獣みたいになってやる!」 と男性ホルモン注射にまで手を出すプロ根性。 それが自身に合っていたのか・・・ スケールのデカさで女子プロ界を牽引し、ダンプ引退後は ” 獄門党 ” を結成。 ちなみに10代にして月給約70〜80万、年収は1000万前後・・ WWE移籍で世界女子王者時代は1試合で数百万・・ 年収は億を稼いだと言いますから、いかに当時のブル中野が売れっ子だったかわかります。
 ( 番組=「しくじり先生」 に出演 本人談 )

そんな絶対悪役王=ブル中野の ” 獄門党 ” 一員であったバイソン木村が、アジャコングと組んで反旗を起こしたのは何故か?? 当初はマンネリを防ぐ為、フロントが仕向けたいつもの手段程度に思っていましたが、H26年にベースボールマガジン社が発行した 「女子プロレス60年史」 におけるアジャコング談によって、その真相が明らかになりました。

アジャ=「デビュー当時はクラッシュ・ギャルズの全盛期。全日本女子プロへの入門希望者は半端なく、もの凄い倍率だったので、合格者は夕方のニュースにも出た程。 だから学校に行くとチョー有名人になっていて(笑) 卒業する時は ”おらが村の英雄” 扱いで送り出されました。 初日から想像以上のキツさに驚き、母親に ”帰りたい” って泣き付いたら ”帰っておいで・・” と言われて。 みんなに期待され送り出された手前、逆に恥ずかしくなって ”やっぱ、頑張る!” になっちゃって・・(笑) どこに行っても会場は満員御礼。 それが数年続いた後、長与さん、飛鳥さんが続々引退・・。 すると嘘のように会場は閑古鳥。 っとなると会社(全日本女子プロ)は次のスター探しを始めますが、何故か私たち昭和61年組にはスポットが当たらず、後輩の豊田真奈美とかにいっちゃったんです。」

アジャ=「そんな中、立野記代さんが辞められ、中野さんが本当のトップになって。中野さんは ”ベビーフェイスが上がるには対抗馬の悪役が強くなきゃいけない” と凄く頑張っていて、” ああ・・中野さんは凄いな ” と感心しっぱなし。 中野さんは真摯にプロレスと向き合っていたし。 私は中野さんの付き人もやっていたから、” その内またクラッシュのような存在人が出るだろう ” って甘く考えていたんです。 」

アジャ=「ところが、私より危機感を感じたのがバイソン木村だったんですよね。 彼女は同期ながら入門時、4つ年上の19歳だったので、5〜6年で定年なんですよ。(当時、全日本女子プロは25歳定年制だった) その分危機感が強い上、同じくクラッシュに憧れ入門しながら、彼女は元々が悪役志望だったから喜んでヒールをやっていた。 だから憧れた世界で何もできない歯がゆさがあっただろうし・・。 中野さんの対抗馬が出てこないなら、自分が対抗馬になろうと動きだしたんです。」

アジャ=「私からすると ” バイソンは何トチ狂ってんだ?” の思い。 そうこうしているうちにバイソンが中野さんに喧嘩売り出しちゃって。 中野さんからも ” バイソンはどうしたんだ? ” と聞かれた程。 だからバイソンに聞いてみたら ” このままじゃ、いつまでも下のままだから ” って言うし。そこそこのポジションにいるし、別にいいんじゃないの?って聞いても ” 納得いかない ” と言うし・・ バイソンの反旗は相当に意志が強かったですね・・・」

アジャ=「バイソンはどんどん反抗的になり、獄門党の中はギスギス。 私は中野さんの付き人だし、面倒な事に巻き込まれたくなかったし。 そしたらバイソンが会社(全日本女子プロ)と正式に話して、別(獄門党以外)でやりたいと。 そこでボロッと ” アジャと二人で頑張ります ” って言うのを聞いて、なんで私?? って。 すると会社側も、” そうか、じゃあ頑張れ ” となるし・・。 私は波風立てたくない主義なのに巻き込まれた状態。 会社側が中野さんに、”バイソンがこう言っている” って話した時、中野さんは ” そうですか。でもアジャは出しません ” って言ってくれましたが、バイソンはリングの上で ” これからはアジャとやっていきます! ”宣言。 だから中野さんとの抗争が始まったのも、完全な事故なんです。 当時の中野さんはヒールのトップというより女子プロのトップ。 そこに二人で喧嘩を売るって事は周り全員を敵に回すわけです。 でもバイソンとは考え方が別次元。 私はバイソンみたいにトップ目指してとか、お客さんを増やしてではなく、やるか・やられるかだったからしょうがないけど・・」

これがバイソン&アジャコングのコンビ 「ジャングルジャック」 結成までの真相です。
プロレス団体に流行りの集団抗争・・ 一見、抗争(話題作り)による客寄せパンダかと思いきや、実は生き残りを賭けた真剣一本勝負だった事が判明。 「どうせやるならトップを目指して這い上がりたい」 バイソン木村のプロ根性に脱帽です。(ベースボールマガジン社 女子プロレス60年史 及びその他資料を参照)
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体重100kg・・・ 細身で小型化している男子プロレス界では、「100kgの壁」 という裏言葉が存在しているそうで、過激で運動量豊富なプロレスだけに、身体を大きくするのも一苦労なのだとか。 高田延彦や山崎一夫あたりは、体質的に太らないそうで、格闘センスは抜群ながら体格の差に泣かされる事もしばしば・・・。 前田日明、橋本真也のメガトンキックも、他者を圧倒できる体重があればこそ。
これは女子プロレス界も同じ。 身長や筋力だけでは補えない体格差を埋めるのが体重。 但し女子プロレスの場合は女性ホルモンの影響もあり、筋肉の増加で増えた体重の上に 「 お肉 」 が過剰につき、おデブちゃんレスラーに変身してしまう事も・・・。

ある資料で女子プロレス体重女王を調べたところ、現役では下記のレスラーがピックアップ。(2018年3月現在)
1位=さちこYOKOZUNA  身長170cm 体重168kg
2位=伊藤 薫         身長160cm 体重110kg
3位=アジャ・コング      身長165cm 体重108kg
4位=井上 京子        身長166cm 体重100kg

しかし過去(引退)のレスラーを見渡すとその上を行く 「おデブ系」 は多数。
イーグル沢井もその一人。 公式発表では 身長170cm 体重120kg という超ボディ。
女子の世界で判断すれば、身長も体重もずば抜け。 男子プロレスに例えたら晩年のブッチャーが当てはまるかもしれません。 (身長186cm 体重150kg なので、身長・体重が似たり寄ったり)

1986年(昭和61年)8月17日に旗揚げした 「ジャパン女子プロレス」 入門一期生。
長身ながら主な下地(格闘や運動歴)がなかった事や、まだ10代でもあり、可愛さ路線系か判断がつかなかった事もあり、デビューは9月5日の後楽園ホール大会にて。
カラフルで片足だけロングタイツという衣装は珍しく、フロントとしては実力派ではなく、アイドル派としての人気を期待していた模様。 しかし・・・ 太りやすい体質だったようで期待はずれ。 結果、ヒール(悪役)に方向転換されてしまいます。

しかし人生とはわからぬもの。 ヒールとなり 「GUREN隊」 のメンバーとなった事で存在感を発揮。
メンバーの中核として、ダイナマイト関西とライバル関係を構築しブレーク。 
1992年、ジャパン女子プロレス崩壊後はLLPW所属となり、平成GUREN隊(後のG−MAX)を結成。 
団体や軍団が続々誕生する中、猛毒隊・裁恐軍と合体し、「平成裁恐猛毒GUREN隊」 となる等、業界トップクラスのヒールに成長。 FMW女子部をはじめ、団体を問わず暴れまくります。
 
必殺技は体重を生かした 「ボム系」 で、数種類のボム技を使いわけ破壊力十分。 
平成裁恐猛毒GUREN隊の解散後は、風間ルミ、井上貴子と 「BLACK JOKER」を結成。 更に立野記代とタッグ=「ビッグ・レディ」 を結成。 1990年代〜2005年頃における女子プロレスを代表するレスラーとして活躍しました。

2007年5月20日 後楽園ホール大会 ・・・ GUREN隊メンバーだった尾崎魔弓と組み、ジャパン女子プロレス一期生仲間であるダイナマイト関西&ハーレー斎藤と対戦。 この試合をもって引退。
1967年生まれの50歳。(H30・3現在) 現在は東京都新宿区にある創作料理店にて働いているとの事。
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2016年12月15日・・ 食道癌を患い闘病生活を続けてきたハーレー斎藤が永眠。 享年48歳。

=神取忍談=
「ハーレーは癌という病魔と闘って力尽きました。 悔しいの一言。 30年間、同じ道を歩いてきた最高の仲間だった。 プロレスが大好きでセンスも抜群。 みんなに勇気を与えてくれた闘いは誇りです。 そして、本当にご苦労様でした・・・」

=大向美智子談=
「大好きなハーレーさん。 LLPW時代にお世話になった先輩。 優しくて大人でかっこよくて、明るくて、いつもニココニコしてお酒が強くて、みんなを見守りサポートしてくださる存在でした・・・」

身長166cm 体重67kg(全盛期) という恵まれた体格。 金髪に染めた短髪で、ボーイッシュ・スタイルから繰り出される打撃技は強烈無比。 空手をベースとした試合展開で暴れる名脇役として人気があり、その実力は ” 女子プロレス最強の男 ” の異名をもつ神取忍も認めた程。

1986年(昭和61年)にジャッキー佐藤が旗揚げした 「ジャパン女子プロレス」 に入門。
スポーツ歴はソフトボールと空手。 体格と格闘センスに富み、トレーナーにはナンシー久美がつくという英才教育により、1986年8月17日 後楽園ホールにてデビュー。 デビュー戦、いきなりナンシー久美とタッグを組み、モンスター・リッパー&オーケー・カルホーン という怪物コンビと対戦。 いかに期待されていたかがわかります。

リングネームは当初 「ハレー斎藤」 ・・。 これは団体が旗揚げした頃、ハレー彗星が接近する事で世の中が話題となっていた事から、自身も話題のあるレスラーになりたいと念じてつけたもの。
しかし後年は、ハーレー・ダビットソンのような、迫力あるレスラーになりたいと思い立ち、「ハーレー斎藤」 に変名。 ニールキックといった得意の空手殺法の他、フィッシャーマンズ・バスター(獣神ライガーの必殺技としても有名)や高速ブレーン・バスターといった、体格の良さを利用した投げ技を武器に、ジャパン女子プロレス崩壊後は、LLPWのリングで活躍しました。
(時には覆面をかぶり、” 天界二十八部衆カルラ ” を名乗り試合をする事も・・・)

ところが・・ 2010年に行われた 「立野記代 引退試合」 出場後に体調異変。 子宮筋腫が発覚し長期にわたりセミリタイヤ状態に。 結局復帰の目途が立たず、2012年12月29日 LLPW−X 赤坂BLITZ大会 をもって引退。 翌日の東京スポーツ紙において、「本当は辞めたくない」 との本音も・・・。

全日本女子プロレスが全盛だった頃は、「女子プロ25歳定年制」 というシステムがあり、結婚適齢期内に引退して、早く第二の人生を・・ が女子プロレスの裏掟でした。
でも今は、「自分が納得するまで現役にこだわりたい。 結婚よりもプロレス愛・・」 という女子レスラーが増えました。 48歳没までプロレスを愛したハーレー斎藤の生き方・・ リングネームらしくかっこ良さを感じます。 


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格闘技の原点をたどると、「蹴る」「殴る」「投げる」の三大要素が主と言われますが、すべてにおいて ” 間合い ” の必要性があり、極論で言えば一撃必殺・・・。 特に蹴る、殴る の打撃技の場合、相手へのダメージは強烈ながら、あたらなければ意味がなくスタミナのロス。 そのあたりからなのか・・・ 1980年以降、「関節技」 こそが最強の格闘技だという声が高まっています。

今や総合格闘技において名をはせるグレイシー柔術。 その創始者であるエリオ・グレイシーは、1951年(昭和26年)10月23日 リオデシャネイロにあるマラカナン・スタジアムにおいて、日本の柔道王・木村政彦と対戦。
ブラジル柔術最強王と日本の柔道王の対決はブラジル全土の注目を浴び、当時のブラジル大統領を含む3万人超の大観衆が集まったといいます。 試合は ”10分 3ラウンド制” で行われ、2ラウンド 3分過ぎに木村の大外刈りがさく裂。 倒れたエリオに乗りかかり、必殺の ”腕絡み” を仕掛けTKO勝ち。(タオルが投入) 
一説ではエリオの腕は骨折していたそうで、以後、グレイシー柔術では、この腕絡みの事を ” キムラ・ロック ” と呼ぶようになりました。

相手と絡み合う事で、身動きがとれない状態を作り、逆関節に決める・・・ ルール無用の殺し合いならともかく、ルールに基づく総合格闘技としての関節技最強説は説得力があり、魅了される格闘家が後を絶たない状態。

吉田万里子も、関節技の凄味に魅了された一人。
身長163cm 体重60kg と均等のとれた体格。 1988年(昭和63年)に全日本女子プロレスに入団。
1992年にメキシコ遠征した事がきっかけで空中殺法を学び、” 魅せる技 ” を主体とした組み立てで人気を呼びこみます。 
当時の必殺技は、「三角跳びプランチャ」 のような跳び技。 「マリポーサ殺法」 と言われた高度な空中殺法により、好感度No1の評価を受け、全日本女子プロレスの看板的存在に成長。
ところが、人気絶頂期の1992年10月、頚椎損傷により1年10ケ月の長期欠場。 そんな失意の中、UWFインターの試合を観て、関節技の魅力に染まったというのですから人生とはわからぬもの。
「関節技の鬼」 の異名をもつ藤原喜明の弟子となり、自身のプロレスの方向性を見直す事に。
1997年2月6日、駒沢オリンピック公園総合運動場体育館においてレディ・アパッチェを破り、第6代・CMLL世界女子王座につきますが、全女フロントとの考え方の違い等もあり、同年9月をもって全日本女子プロレスを退団。 アルシオン入団とともに、華麗で高度なテクニック派と称された空中殺法を封印し、本格的なサブミッション・レスラーとして活動します。

アルシオンではアジャ・コングや浜田文子といった強豪を撃破し、初代クイーン・オブ・アリシオンに就く等、団体のエースとして活躍。 2003年5月23日 アルシオンARTIST−1において、ブラジリアン柔術の黒帯で、多くの勝ち星を1分以内に決め、「秒殺女王」 の異名をもつ、藤井惠と対戦。
メイン 3分 5R制 で行われた異種格闘技戦は、好勝負の結果、エビ固めで勝利。
(ちなみに藤井惠は柔道三段。 サンボでは1998年〜2005年まで全日本8連覇。世界大会でも銀メダル4回。 ブラジリアン柔術でも全日本2連覇。 南北アメリカ大陸の国々が参加し、4年に一度開催されるパンアメリカン大会でも二度の優勝という女猛者。 文句のつけようもない強豪でした)

2017年11月19日 新宿FACEで引退興行。 
1999年3月31日 アルシオン福岡大会の際、デビュー1ケ月の門恵美子と対戦。 後頭部を強打した門が昏睡状態となり死去。 そんな辛くて苦難な時期を乗り越え、現役期間29年はプロ根性に徹した勲章のようなもの。 強いだけではなく、人柄が良く、吉田万里子を慕う後輩レスラーは多いとの事。

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