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昭和レトロに思いをよせ・・ 古き良き時代を振り返り・・

伝説のプロ野球選手サイン集(外人

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死球・・ 怪我・・ 死球・・ 怪我・・ とにかく死球と怪我の多い選手であり、毎年一定以上の活躍を見せながら解雇の繰り返しを受けた悲運の優良外国人選手でもありました。

1970年、当時阪神所属の田淵幸一は頭部に死球を受け昏倒。 脳挫傷の重傷を負ったように、一歩間違えば硬球は凶器そのもの。 
現在の野球規定で定められた硬球は、重さ141.7g〜148.8g、円周22.9cm〜23.5cmでありますが、150kmを投げる投手が珍しくない野球界において、死球を受けた際、その衝撃の凄さは想像を絶するものがあります。

仮に、150kmの速度で上記の重さの硬球が起こす衝撃を計算すると・・・
運動エネルギーの計算式 E(エネルギー)=M(質量)2V(速度の自乗)2 の結果、1.26mの高さから、約10kgの鉛の塊を落とすパワーに相当します。 

上を向いて寝そべって、その顔面に1.26mの高さから10kgの鉛を落としたらどうなるか・・ 陥没骨折どころか、へたをすれば頭蓋骨粉砕骨折も考えられる程の衝撃。 当然、指や手の甲なら一発で粉砕確実であり、死球を受ける毎に清原が怒り狂った事も、ある意味納得。 死球=選手生命 と言えると思います。

グレッグ・ラロッカは2004年、”内野全てを守れる中距離打者” として広島が格安で契約。 
日本野球界では外人枠の関係で、主力(レギュラー)+予備外人の雇用形態の為、当初は全く期待されない予備助っ人扱いでしたが、いざシーズンに入ると打棒が大爆発。 
122試合に出場し、143安打 28二塁打 40本塁打 101打点 打率328 という好成績を残します。
脚も平均以上に速く、11盗塁をマーク。 この数字は、現在のような投高打低時代なら、三冠王間違いなしという程の高水準であり、当然広島側は年棒アップの上残留契約となるのですが、2005年は好調スタートしながら守備でのアクシデントで指を骨折。 18本塁打 打率303 と一定の数字を残しながら解雇の憂き目に・・。

2006年はヤクルトでプレー。 3打席連続本塁打や1イニング2本塁打を放つ大活躍でヤクルトファンを喜ばせる反面、8月までに20死球を受ける中、左膝を負傷し手術に・・・。
結果、18本塁打 打率285 をマークするも二度目の解雇。

2007年はオリックスでプレー。 これは主力のタフィ・ローズの長打力を生かす為、その前後に信頼してアベレージを稼げる中距離打者を置きたいオリックス側の狙いがあったもの。 (かつて長嶋引退後に王の長打力を生かす為、アベレージヒッターの張本を獲得した巨人と同じ発想)
その為、主に3番を打ち、ローズの前に出塁する役目を担う反面、「ローズが後ろにいるからリラックスして打席に入れる」 と言うように、自身も長打力を発揮し、5月終了時点で17本塁打をマーク。 しかし・・ シーズン通算28死球を浴びた結果、トータルでは27本塁打 打率286 どまり。 このシーズン28死球は日本記録でもあります。

このように故障が多く、死球が多くのラロッカは、実力を出し切れないまま2010年までプレーし引退。
7年の日本球界在籍において3球団を渡り歩き、シーズン最多死球をマークする事、実に3度。 
日本に理解あり、ファンサービスも良く、焼き肉大好きの優良助っ人だっただけに、もう少し怪我が少なければ、球史に残るような助っ人になっていたかもしれません。

 = 通算成績 =
(メジャー)    23安打    0本塁打    6打点   1盗塁  打率261
(日本)     600安打  123本塁打  372打点  15盗塁  打率290
最高出塁率1回  ベストナイン2回  オールスター出場2回  シーズン最多死球3回
シーズン死球28回(日本記録)  シーズン長打率1回
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プロ野球発足80年目に当たる今年、書店には記念企画誌が満載で、中には 「最強の助っ人」 といった雑誌まで発売されています。 
助っ人最強伝は時代と共に変化しますので、実績だけで順位をつける事はできませんが、ファンに与えたインパクトによっての順位は可能だと思います。
そういった意味で考えれば、バース、ローズ(横浜と近鉄と二人いました)、ラミレス、デストラーデ、ペタジーニ、ブーマー、マニエル、ブライアント あたりは定番の最強助っ人と言えると思いますが、私個人としましては短い期間の活躍ながら、ナイジェル・ウィルソンも印象に残った助っ人選手でありました。

メジャーでは芽が出ずわずか2本塁打というウィルソンが、代理人を務めたブーマーの推薦で日本にきたのが1997年。 日本ハムに入団します。
メジャーでの実績がない事から、当初は期待薄での扱いでしたが、同年6月21日、王貞治以来となる1試合4本塁打を達成し大ブレーク。 三振が多く、打率は274と低いものの、37本塁打を放って本塁打王のタイトルを獲得します。 

翌年の1998年も打棒爆発。 33本塁打 124打点 で二冠王。 相変わらず三振が多く、打率は255と低いのですが、チャンスに強い事からベストナインにも選出されました。
(この来日して初年度から2年連続本塁打王は、助っ人史上初の快挙)

1999年は膝の故障でシーズンを棒に振りますが、2000年に復活。
本塁打37 打点89 打率298 の好成績で二度目のベストナインに選出される大活躍。
結局、膝の故障が再発し、以後大きな活躍もないまま引退となりますが、幾つもの記録を残し、日本球史に名を刻みました。

(メジャー)    3安打    3本塁打    5打点    打率0.86
(日本)    444安打  119本塁打  337打点    打率265
本塁打王2回  打点王1回  ベストナイン2回  シーズン最多死球1回  
一試合最多本塁打4本(プロ野球タイ記録)  1試合最多塁打17(パ・リーグ記録)
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最速155kmの速球は伸びがあり、高速2種のスライダーを制球よく投げ分ける・・。 まさに速球派としての理想を描いたような投手が宣銅烈です。
とにかく韓国時代の成績は並外れたもの。 日本球界の投手に例えるなら金田正一クラス。
1985年にヘテに入団すると、111イニングを投げ防御率1.70の好成績。 翌年は39試合 22先発に登板。 19完投 8完封 262.2イニング の大車輪投球の結果は、24勝 6敗 6セーブ 214奪三振 防御率0.99 という驚異的な数字。 以後も毎年のように防御率1点台をキープ。 20勝以上を計3回マークするように、投球回数も多く、故障に強いタフな大投手として伝説化していきます。
韓国時代の晩年は抑えに転向。 計11年において、通算の防御率1.20は韓国プロ野球最高。

韓国には日本人以上のパワーヒッターが多く存在する割に、メジャーリーグからの評価が低い背景として、球場の狭さがあるのですが、このような悪条件の中で、毎年のように、これだけの数字を残す等、現代野球では考えられません。 「韓国の至宝」 と言われただけの事はあります。

そんな韓国プロ野球最高の名投手が日本に来たのは1996年の事。 
前年暮れに日本プロ野球進出意向を発表するや、当然のように巨人が飛びつきます。 他にも興味を示す球団多数の中、この大物投手をゲットしたのは中日ドラゴンズ。 用意された背番号「20」は中日のエースナンバーだけに、いかに熱烈なラブコールだったのかわかります。

今では珍しくもなくなりましたが、実は宣銅烈こそが韓国プロ野球から日本プロ野球に移籍してきた第一号。
あまりに韓国時代の活躍が凄すぎる事から、日本でも奇跡的な活躍をするだろうと日韓のファンが期待する中、移籍初年度は開幕から抑えに失敗する等、終わってみれば38試合 54イニング 5勝 1敗 3セーブ 防御率5.50 と散々。 「中日は高い買い物をした」 「韓国球界のレベルの低さがはっきりした」 等、バッシングの嵐を受ける事に・・・。 

しかし・・ そんな雑音に左右されず、オフには日本野球流に対応できるよう取り組むあたりは流石超一流。
強引に抑え込もうとして痛打を浴びた経験を生かし、抜群の制球力と、左右に散らばる投球術により復活。 
2年目は43試合に登板し、1勝 1敗 38セーブ 防御率1.28 でセ・リーグの最多セーブをマーク。
3年目は42試合に登板し、3勝 0敗 29セーブ 防御率1.48 勝率1.000 と好投。

4年目の1999年も中日の抑え柱として39試合に登板。 1勝 2敗 28セーブ 防御率2.61 の成績を残します。 この宣銅烈の活躍ぶりにはメジャーも興味を示すようになり、レッド・ソックスからオファーを受けるまでになりますが、シーズン途中に3試合連続で救援失敗した事もあり、この年限りでの引退を表明。
「まだやれる」 との周囲の声が高まる中、体力の限界等、まるで江川卓のような引退でもありました。

「日本野球に追い付き、追い越せ」 の洗掘者でもあります。 但し宣銅烈の素晴らしいところは、「日本球界の良い面は良い面として評価する」 姿勢。 なんでもかんでも比べあい、噛みつき合うような事はなく、大投手ながら謙虚にかつ冷静に物事を分析する姿勢に共感します。 宣銅烈のような人物が韓国の指導者として大成したら・・ 韓国野球は大躍進するかもしれません。

= 通算成績 =
(韓国) 146勝  40敗  0ホールド  132セーブ  1698奪三振  防御率1.20
MVP3回  投手三冠王3回  最多勝4回  最優秀防御率8回  奪三振王5回  最多セーブ2回
ゴールデングラブ賞7回  シーズン最多完封4回(内、1986年の8完封は韓国記録) 
シーズン最多完投1回  シーズン最高防御率0.78(韓国記録) シーズン最高WHIP0.54(韓国記録)
通算最多完封数29(韓国記録)  通算最高防御率1.20(韓国記録) 通算最高WHIP0.80(韓国記録)

(日本)  10勝  4敗  0ホールド  98セーブ  228奪三振  防御率2.70
最多セーブ1回(但しセーブポイント合算ではなくタイトルはなし) 月間MVP1回  JA全農GoGo賞1回  
オールスター出場1回
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1979年(昭和54年)の日本シリーズは広島 対 近鉄。 もつれにもつれた第7戦、9回裏近鉄の攻撃。 広島1点リードしてマウンドには江夏豊。 ほぼ広島優勝かと思われる場面において、先頭打者の羽田は初球を安打。 そして次打席にたった選手こそ、アーノルドです。(結果は四球で出塁) 当時、近鉄の主砲はマニエルだけに、アーノルドの事を覚えているファンも少なくなったかと思いますが、地味ながら近鉄リーグ制覇に貢献した助っ人でした。

身長180cm 体重78kg。 当時の外国人選手に求められた 「一発屋」 という雰囲気はなく、どちらかといえば安打狙いの中距離打者。 しかし実力は秘めたるものがあり、名門・フランシスコ・ジャイアンツに6年連続で在籍しメジャー入り。 通算103安打 4本塁打ながら、内野ならどこでも守れる器用性が評価され、控えの内野手として重宝されました。

1978年(昭和53年)に近鉄入団。 助っ人として目立った活躍には至りませんが、狭い日本の球場を生かした打撃を見せて、15本塁打 72打点を挙げまずは合格点。 1980年までの3年間、近鉄でプレーしますが、1イニングに2二塁打を放ったり、パ・プレーオフにおいて最優秀選手賞を受賞(1980年)する等、地味ながら活躍しています。 反面、日本野球に馴染む時間がかかる事もあり、メジャーではあまり出ないようなサイン等を理解できず、見逃したり勘違いする事も・・・。 当時は鬼の西本幸雄監督。 さぞ怖かったことでしょうね。

1978年 ・・・ 123試合  110安打  15本塁打  72打点  5盗塁  打率274
1979年 ・・・ 116試合  114安打  17本塁打  65打点  6盗塁  打率289
1980年 ・・・  91試合   64安打  11本塁打  37打点  1盗塁  打率252

1980年は控えに回る事が増え、オフに退団しアメリカ球界に復帰。
引退後は日本にくる外人選手の代理人をつとめています。 (タフィ・ローズ等)

= 通算成績 =
(メジャー)  103安打  4本塁打   51打点  打率237
(日本)   288安打  43本塁打  174打点  打率274
パ・リーグ プレーオフ最優秀選手賞1回  1イニング2二塁打(タイ記録)
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給料が手取り20万円、賞与が4倍の場合、20万×12=240万円 20万×4=80万円 計320万円。
これに税金や社会保障費、臨時収入等を加えると、おおまかな計算で、年収380万〜400万円となります。
仮に年収400万が40年続いたとして、合計1億6千万円。 当然、昇給もありますので、それらを加味したとしても、一般的なサラリーマンなら一生働いても、2億円少々。 一流企業の方でも2億5千万円〜3億5千万円が限度。 そう考えると、年棒5億円(うち約4割が税金なので、実際は手取り3億円)もらう選手は、一年間で一流企業に一生働く方の給与を稼ぐ事になります。
他のスポーツと比べても、いかにプロ野球選手が恵まれているか・・・ 数字が物語ります。

しかし、こういった高額年棒をもらえる選手は一握り。毎年、それ相応の結果を出しながら年棒アップさせていくのですが、たった1〜2年、平均以上に活躍すれば、3億も4億もいただけるのが外国人選手。
メジャーでは結果を残せない者たちが、日本に来てはメジャー選手以上の高額年棒を稼ぎまくるあたり、なんか矛盾と怒り?を覚えます。 

そういった一人がグライシンガー。190cmの長身から150kmの速球と角度ある変化球を投げ、2007年にヤクルトに入団すると、いきなり16勝で最多勝を獲得。
するとオフには各球団が争奪戦を開始。 阪神が2年6億円を表示すれば、ヤクルトは2年7億円を提示。
そうなるとだまっていないのが巨人で、2年5億円を提示。 結局は本人の意思で、金額面は安くても優勝争いの出来るチームを希望し、2008年は巨人でプレー。
ヤクルト入団時に4000万円だった男が、一年目に16勝しただけで6倍(5億の約半分)ですから、アメリカン・ドリームではなく、ジャパン・ドリームです。

まあ、年棒アップ後に、全く働かない外人選手が多い中、グライシンガーは2008年も17勝を挙げて、2年連続で最多勝を獲得していますから、非凡なものはあったという事でしょうけど。
2009年も13勝を挙げますが、シーズン中に痛めた右肘痛によって、以後、成績は低迷。
2010年は0勝2敗と結果が残せない中、巨人は過去の栄光にしがみつき、オフには8000万円で契約続行。
当然ながら1勝5敗と最悪の結果となり解雇。

ところが2011年はロッテと契約。 かつて2年5億円の男が、3120万円+出来高 という契約の中、復活の12勝を挙げる活躍。 しかし翌年は5勝・・・ 2014年は勝星なく解雇・・・。

以前、シェーン・マックは巨人と2年8億円の契約で来日しましたが、打率280前後 本塁打20本前後 と、ずば抜けた活躍とは言い難いものでした。 ホーナーの場合は、2年目に対し、ヤクルトは3年15億円を提示。 結果は 「日本は嫌い。地球の裏の、野球とは言えないものをしたくない」 と一蹴されましたが、日本球団は、来日1年目に数字を残すと、メジャーも驚くような高額年棒を提示する悪きクセがあるようです。

 = 通算成績 =
 メジャー  ・・・  10勝  16敗  0セーブ  防御率5.51
 韓国    ・・・  20勝  18敗  0セーブ  防御率3.28
 日本    ・・・  64勝  42敗  0セーブ  防御率3.16
 最多勝2回  最優秀投手賞1回  ベストナイン1回  最優秀バッテリー賞1回(阿部)
 月間MVP2回  オールスター出場1回

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