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2014年〜2015年にかけ、阪神に在籍した呉昇桓。 長いタイガースの歴史の中で、初となる韓国出身の選手でもあります。
身長は178cmと、目立って大柄ではありませんが、体重は90kgを超え、右のオーバースローから快速球でねじ伏せるタイプ。 平均の球速は146〜150km 日本での最高球速は154km 韓国では157kmをマーク。
1秒間の回転数は47に達し、これは有名な投手たちと比べても突出しています。
(回転数が多いと、球は終始球速を失わない為、打者には伸び上がるようなボールに見え打てません。科学的にはオーバースローでホップする事はないそうですが、打者にはホップしたように見える魔球となります)
ちなみに世界最速投手であるチャップマンは42.45回転、ダルビッシュが41.41回転、藤川球児が45.46回転、松坂大輔が41.68回転。 けっして速球派ではない上原は45回転もするそうで、140km少々でも高い奪三振率を誇ったのは、この回転数の良さによるもの。 ひと昔前なら、江川や北別府がこの手の投手でした。
あまりの球威から韓国では「石直球」と形容され、デビューした2005年、中継ぎ・リリーフとして61試合に登板。
99イニング 10勝 1敗 11ホールド 16セーブ 防御率1.18 と新人離れした大活躍。
規定投球回数には達しないものの勝率909、奪三振数は115 と安定感抜群。
翌2006年は韓国リーグ記録となるシーズン47セーブをマーク。 2007年〜2008年を含め、3年連続セーブ王に輝き、その間は毎年60試合に登板。 防御率も毎年1点台前半という圧巻の投球で人気を得ます。
また「石仏」と揶揄される程、表情が変わらない投手で、冷静沈着さも武器。
投手の表情は、「調子のバロメーター」と言われ、動揺している顔や疲れが見え隠れする顔、更にはバッテリーと呼吸が合っていない顔を、常に敵ベンチは観察して作戦を練ってきます。 無表情は大きな武器となります。
2009〜2010年は故障で調子を落とすも、2011年には自己タイ+韓国リーグ記録タイになる47セーブ。
2012年も37セーブで2年連続5度目のセーブ王に輝き復活。
メジャーと阪神が争奪戦を繰り広げた結果、2014年より阪神に移籍が決まります。背番号=22。
(親日家であった事、メジャーの場合は海外リーグで実績があってもマイナー経由も選択肢される事も、阪神が獲得できた理由だと言われています。)
阪神でも1イニング限定(時に2イニングもあった)リリーフとして起用されると、韓国リーグ並みの大活躍。
2014年 ・・ 64試合 66.2イニング 2勝 4敗 5ホールド 39セーブ 奪三振81 防御率1.76
2015年 ・・ 63試合 69.1イニング 2勝 3敗 7ホールド 41セーブ 奪三振66 防御率2.73
2年連続でセ・リーグ セーブ王に輝いています。
ところが・・ 2015年オフ、親交のあった林昌勇が違法賭博容疑をかけられた際、「呉も違法賭博に関与した」 との疑惑がもちあがった事から阪神は自由契約選手扱いに・・・。 2016年1月、カージナルス入りが決定。
メジャー1年目の2016年は、リリーフとして韓国・日本同様の大活躍。
76試合 79.2イニング 6勝 3敗 14ホールド 19セーブ 103奪三振 防御率1.92 の成績を残します。
この年の契約金は2億9400万だったそうで、あまりの活躍ぶりに 「2016年のメジャー選手の中で、最もお買い得だった選手」 と言われた程。
2017年はWBC韓国代表(4大会連続4回目)として活躍するも、シーズンは不調。オフにはFAとなり、一時はレンジャース入りが濃厚でありながら右肩異常を理由に契約が白紙。 これらの情報に過敏なメジャーだけに、移籍先に難航が予想される中、ブルージェイズ入りを果たしています。
=通算成績=
(韓国) 28勝 13敗 11ホールド 277セーブ 625奪三振 防御率1.69
新人王 最多セーブ王5回 韓国シリーズMVP2回 韓国リーグ通算最多セーブ記録
WBC韓国代表4回
(日本) 4勝 7敗 12ホールド 80セーブ 147奪三振 防御率2.25
最多セーブ王2回 オールスター出場1回 クライマックスシリーズMVP1回
(メジャー) 7勝 9敗 21ホールド 39セーブ 157奪三振 防御率2.85
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伝説のプロ野球選手サイン集(外人
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「守備でメジャーに昇格した」 と自負する守備力は、捕球から投げるまでの時間、わずか0.46秒。
グラブトスを得意とし、内野ならどこでも守れる万能選手。
183cm 95kg と均等のとれた体格ながら、長打よりは確実性のアベレージ・タイプ。
2000年8月、ボストン・レッドソックスとアマチュアFAで契約。
このアマチュアFAとは、MLBドラフト対象にかからない選手を、FA扱いで獲得できるという制度。
MLBドラフトではアメリカ・カナダ・プエルトリコに移住(国籍ではありません)し、高校、短大、大学といった各種学校及び独立リーグ等の選手が対象であり、尚且つどのプロリーグからもドラフト指名を受けていない事が条件。 (例えば、仮に清宮が日本のドラフト指名を受ける前であれば、清宮は日本のプロリーグからドラフト指名されてはおらず、更に日本はMLBドラフト対象国ではない事から、アマチュアFAとして、メジャーと契約ができる事になります。 つまり、日本の高校生、大学生、社会人は全てアマチュアFA対象者となるわけです。)
2002年、パドレスに移籍するも芽が出ずマイナー暮らし。
反面、豊かな才能は母国・メキシコで評価され、2006年 第一回WBC メキシコ代表に選出。
2007年12月、パイレーツと契約しますが、好調・不調の波が大きくまたもマイナー中心でプレー。 2008年9月2日、念願のスタメン起用されメジャー・デビューを果たしますが、これといった結果を残せず翌年暮れにはツインズに移籍。
2011年、ドジャースに移籍。 2012年は準レギュラーの座を得て、78試合 283打数 84安打 6本塁打 打率297 と活躍。 2013年、第3回 WBC メキシコ代表入りを果たしますが、シーズンに入ると不調となり、7月にヤンキースに移籍するも、すぐに膝を痛め解雇・・・。
メジャーで伸び悩む中、2013年暮れに獲得表明したのが日本プロ野球のロッテ。
2014年、ショート、サードと内野ポジションをこなし、随所で華麗な守備を魅せる一方、全ポジション通じての失策はパ・リーグ1位(ソフトバンク・今宮と並び)の15失策。
453打数 108安打 打率238 ながら、チームトップとなる16本塁打。 攻守ともに合格とも不合格とも言えない内容で残留。
2015年は133試合 501打数 128安打 16本塁打 73打点 打率255 と安定感が増し、守備でもゴールデングラブ賞を受賞する活躍。
しかしオフでは契約交渉で折り合いつかず、11月27日をもって退団に・・・。
すると毎度ながら獲得に動くのが巨人。 日本での実績優先のフロント体質は変わらず。 それも2年契約 総額は4億8千万円 背番号は本人希望を受け入れ、投手伝統の11を与える超好待遇。
このあたりから推察するに、メジャーに復帰してもレギュラーの芽がないクルーズが、強気一辺倒、妥協してまでロッテに残留しなかった背景に、巨人が動いていた事がわかります。
2016年、年棒にあった働きをしたのかと言えば、4月28日 阪神戦で自打球で左足首を負傷し戦列を離れ、一度復帰するも回復が見込めず、再度、登録を抹消。 正式な復帰は8月9日から。
81試合 298打数 75安打 11本塁打 打率280 の成績でシーズンを終え、翌年は戦力構想から外れた形で、7月に楽天に金銭トレード。(高額なお荷物外人となっていたが、ちょうど楽天内野陣に怪我人が続出したことで、両球団が合意に)
守備では穴を埋める活躍ながら、打率は低迷。オフに戦力外通知・・・。
内野守備の評価は高くても、打力の弱さが目立ち、助っ人というにはもう一つ。
この手の外人選手が日本では高額・好待遇扱いの為、最近ではメジャーで夢見るよりも、日本行きを望む選手が増えているそうです。 メジャー級の1・5流選手の日本熱望が増える事は、日本プロ野球にとって吉なのか、凶なのか・・・。 疑問が残ります。
=通算成績=
(メジャー)
143安打 7本塁打 57打点 4盗塁 打率234
(日本)
322安打 43本塁打 176打点 1盗塁 打率244
ゴールデングラブ賞1回 オールスター出場1回
第1回WBC(2006年) 第3回WBC(2013年) 第4回WBC(20017年) =メキシコ代表
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「巨人の4番は日本の4番」 という言葉も昔の話・・・。
古くは川上哲治。 戦後、焼け野が原の日本において、復興の象徴と言われたのがプロ野球。 赤バット・川上の活躍はラジオで中継され、憧れる子供たちは銭湯に行くと、「16」 の服箱ナンバーを奪い合った程。
昭和33年、六大学のスターであった長嶋茂雄が入団。 更に遅れて高校野球のスター、王貞治が入団。
昭和30年代中盤〜王が引退する昭和55年まで、ONが巨人の4番として活躍しました。
王の引退後は原辰徳。 その後は他球団から落合、清原といった大物が4番をつとめ、松井秀喜に・・・。
ところが近年、巨人には生え抜きの大物日本人が育たず、4番もコロコロと入れ替え状態。
結果、2016年に入団したギャレット・ジョーンズは、来日一年目の開幕戦、「巨人・第85代 4番」 として出場。
助っ人ながら外人選手が来日早々に4番に座るのは、80年を越える巨人軍の歴史において初。 これを” 快挙 ” ととるべきか、巨人軍の駒(選手)が不足している・・ ととるべきか・・。
ギャレット・ジョーンズは1999年、MLBドラフトにおいてブレーブスより14巡目(全体444位)指名を受け入団。
身長196cm 体重100kg超 という恵まれた体格から、長打力を見込まれての指名でしたが、荒けずりなプレースタイルは評価されず、2002年には解雇され、ツインズに移籍。
メジャーデビューしたのは2007年5月15日でのインディアンズ戦にて。
2009年、僅か82試合に出場し、92安打 21本塁打 打率293をマークした事で大ブレーク。
2010年〜2013年の4年間は、毎年140試合以上に出場。 毎年20本前後の本塁打を放ち、2013年にはPNCパーク球場において、パイレーツ選手初となる場外弾を放ち、メジャー屈指の長距離砲として、マーリンズ、ヤンキースと渡り歩きます。
2015年12月、巨人軍との契約が合意。 背番号=5
2016年4月のオープン戦から4番に座り、公式戦では123試合に出場。 109安打 24本塁打 68打点 打率258。 内野・外野の守備の他、メジャー時代は投手として出場した経験もある程、ポジションの幅が広い事で重宝されますが、守備力自体は雑さもあり、試合の後半になると守備固め要員とチェンジされる事もしばしば。
メジャーで名をはせた選手であるにもかかわらず、練習熱心で真面目。 そのあたりが評価され、2017年も巨人に残留となりました。
しかし・・ 固定した考えで補強をしないのも巨人。 結果、長打力はあるが三振が多く守備難のあるギャレットの扱いはパッとせず、終始2軍暮らし・・・。
2017年オフ、自由契約となり日本を去りました。
=通算成績=
(メジャー) 734安打 122本塁打 400打点 28盗塁 打率251
ルーキー・オブ・ザ・マンス1回
(日本) 109安打 24本塁打 68打点 0盗塁 打率258
スカパー・サヨナラ賞1回
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韓国プロ野球(韓国野球委員会=KBOリーグ)が始まったのは1982年(昭和57年)のこと。
発足当時は6球団1リーグ制。 現在は10チーム1リーグ制。 野球が韓国に伝わったのは、1905年(明治38年)と言いますから、野球全体の歴史は古く、以後、かなり普及はしていて、プロ開始までの下地はできていたようです。 ただ、韓国野球は、アメリカとも日本とも言えない、独自の進化?を遂げたようで、ちょっと異質な面があるのも確か。 その為、韓国リーグでの活躍が、そのまま他国野球に適応できるかは微妙なところ。
=韓国プロ野球の特徴= (ネットで調べ、皆さんの意見を参照)
①極端な程の、打高投低である。
(内角のストライクゾーンが狭い上、ベテランに対する内角攻めをタブーとする為、打者は狙い球を絞りやすい)
②投手のコントロール難が多く見られ、失投が多く、打者が有利である。
③プレーの質はアメリカ寄りの大味野球。 アメリカ人程のパワーはない為、中途半端さが目立つ。
④繊細な攻撃や細かなプレーが苦手。
⑤すぐに感情むき出しにする為、監督の指示や作戦が伝わりにくい。(時にはサイン無視といった行為有り)
⑥球場が狭い。 更に観客席数(収容人数)は、日本では地方球場並みか、それ以下である。
(一番多く収容できる球場で27000名程度。NCダイノスの本拠地、馬山総合運動球場は11000名程度。)
⑦その他、マナーの悪さ、大口をたたく選手が多い、何でも自国一番と思い込んでいる・・等々。
中にはメジャーでも活躍する選手も存在していますので、韓国プロ野球の質は、けっして劣っているとは思えませんが、上記の意見を総合的にとらえた場合、やはり自国内に限定された独自野球の感は歪めません。
2007年、「韓国のイチロー」 の異名をもつ、李炳圭(イ・ビョンギュ)が中日に入団。
身長185cm 体重80kg 外野手 背番号は7。
彼の韓国プロ球史は栄光の数々。 1999年、131試合で192安打 43二塁打を放ちブレーク。 10年間で最多安打王に4回、首位打者1回、得点王1回、打率3割以上が6回、ゴールデングラブ賞6回、最優秀新人賞、オールスターMVP1回 ・・・。
中日としては、「走・攻・守」 万能選手 と言われた李に対し、前年で退団したアレックス・オチョア以上の活躍を期待し、オープン戦でテストした結果、一番適した打順として5番を任せる待遇で接しますが、シーズンに入ると打力低迷で250〜260あたりを行ったり来たり。 韓国時代、最高でシーズン31盗塁した俊足のはずが、盗塁は0。 強肩で広範囲に守れると言われた守備も、捕殺0。 韓国時代は30本をマークした長打力面も9本と不発。 更に・・ 選球眼よく、安打製造機と呼ばれたはずが三振100を数え、出塁率は295。
2007年 ・・ 132試合 125安打 23二塁打 9本塁打 46打点 0盗塁 23四球 打率262
2008年 ・・ 105試合 106安打 16二塁打 16本塁打 65打点 1盗塁 23四球 打率254
2009年 ・・ 28試合 22安打 3二塁打 3本塁打 8打点 0盗塁 5四球 打率218
結局3年間、中日に在籍しますが、これといった活躍を見せぬまま、2010年からは韓国プロ野球に復帰。
すると対照的な程の復活を遂げ、2011年〜2013年にかけ打率3割をマーク。 2011年には16本塁打をマーク。 2013年には自身2度目となる首位打者を獲得。(打率348)
2013年7月のネクセン戦において、韓国プロ野球最高年齢となる38歳8ケ月でのサイクル安打を達成。
2013年、通算7度目となるゴールデングラブ賞を受賞。
2014年5月6日のハンファ戦、韓国プロ野球史上4人目となる通算2000本安打を達成。
過去の活躍が評価され、LGツインズの背番号「9」 は永久欠番となりました。
ここで・・問題となったのが、日本の名球会は、日本+メジャーの合算は認められるのに、何故、同じくプロリーグである韓国での成績は、合算として認められないのか・・という点。
韓国側としては、国際大会でも日本に勝つ機会も増え、いまや同等以上のレベルだと主張。
日本側(特に古い御意見番たち)としては、まだ韓国プロ野球は、日本の敵ではないとの考え方。
ちなみにイチローが2006年・WBCにおいて、「(韓国を叩いて)向こう30年、日本には手をだせないと思わせたい」 と勝利への意気込みを語った事で、キレる韓国人が続出。 「予選で日本は韓国に2敗している。日本はルールによって勝ち上がっただけ」「韓国の方が実力は上」 「逆に韓国こそ日本に対して、以後30年は手が出せないと思わせてやる」 「日本を破るには一週間で十分だ」 と怒り狂い、大暴動報道が行われた事は有名です。
=通算成績=
(韓国) ・・・ 2043安打 161本塁打 972打点 147盗塁 打率311
最優秀新人賞 首位打者2回 最多安打王4回 最多二塁打1回 得点王1回 ゴールデングラブ賞7回
KBOオールスターMVP1回 サイクル安打1回 永久欠番(LGツインズ=9) 2000本安打達成
シーズン最多出場2回
(日本) ・・・ 253安打 28本塁打 119打点 1盗塁 打率254
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「色(肌)は黒いのに、名はホワイト」 として話題になったロイ・ホワイト。
1980年(昭和55年)、巨人軍では王貞治が引退。 長距離砲の補強時期でもあり、ヤンキース一筋15年の超大物助っ人、ロイ・ホワイトを獲得します。
これまでもメジャー級助っ人は幾多も来日していましたが、ロイ・ホワイトは大物中の大物。
移籍の多いメジャーにおいて、同球団一筋という事でもわかるように、名門ヤンキースの主軸選手として活躍。
1970年、1973年とシーズン全試合出場(162試合)した他、1969年〜1970年にはMLBオールスターゲームに出場。 1969年と1971年には犠飛王、1972年には四球王、1976年には得点王にも輝き、ヤンキースの4番打者として一世風靡しました。 (ミッキー・マントルが3番、ロイ・ホワイトが4番の時期も・・)
1968年(昭和43年)〜1977年(昭和52年)まで、10年連続130安打以上(最高は180安打)という安打製造機であった他、計8回のシーズン二桁本塁打(最高22本)を放つ長打力を備え、13年連続二桁盗塁(最高31盗塁)という俊足。 肩も強く、ポジションは外野手という万能選手。
人柄も良く、「問題が起こったら、相手を責めないで鏡を見よう」 が口癖。
父は芸術家の白人、母は黒人。 生まれた時は、まだ黒人がメジャーに一人もいなかった時代。
しかし・・ 老い年波には勝てず・・ 1978年からは低迷しており、巨人としては 「実力を買った」 というよりは、「実績を買った」 という感じ・・・。 (今でも巨人はこの傾向があり、実績を重視しては失敗を繰り返しています)
1980年、巨人に入団。 すでに年齢は36歳。 巨人の4番は王貞治。 王はシーズン第一号がプロ通算1000本塁打(公式戦+オープン戦+日本シリーズ) となり、前半戦終わって打率287 本塁打21本(トップは山本浩二の24本)と、まずまずの好調ぶりでしたが、後半戦に入りスランプに陥り失速。 ロイ・ホワイトは4番に昇進。 (巨人軍=第44代 4番打者) 史上初のヤンキースと巨人の4番経験者となります。
この年の通算成績は、128試合に出場し、133安打 29本塁打 75打点 13盗塁 打率284 とまずまず。
1981年、王貞治が引退。 残留しクリーンアップで活躍。 強打者として内角攻めにあい、セ・リーグ最多の10死球を浴びて成績が伸びず、127試合 115安打 13本塁打 55打点 盗塁18 打率273 と低迷。
日本シリーズ(日本ハム戦)では第2戦に間柴から、ライトスタンドに逆転2ランを放つ活躍を見せ残留が決定。
1982年は二年目の原辰徳が大活躍。 シーズン33本塁打を放ち、新4番として座り、ロイ・ホワイトはサポートにつとめる事に。 この年、規定打席に達する事無く、107試合に出場し、100安打 12本塁打 42打点 3盗塁 打率296 の成績を残し、オフに退団。(そのまま引退)
= 通算成績 =
(メジャー) 1803安打 160本塁打 758打点 233盗塁 打率271
得点王1回 四球王1回 オールスター出場2回 シーズン最多出場2回 シーズン最多犠飛2回
シーズン最多打席数2回 シーズン最多打数1回
(日本) 348安打 54本塁打 172打点 34盗塁 打率283
シーズン最多死球1回
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