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昭和レトロに思いをよせ・・ 古き良き時代を振り返り・・

伝説のプロ野球選手サイン集(外人

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入れ替え厳しいメジャーの世界において、マイナーとを行ききしながらも10年もの実績は高評価。 
小型(身長175cm)の俊足アベレージヒッターであり、右打ちの外人(助っ人)打者には、一発長打を求めやすい日本野球事情に向いているのか・・・? 2012年に西武入団となった時、ファンから疑問の声もあったヘルマンですが、開幕当初から起用は1番と持ち味を出すお膳立てもあり、2012年=41盗塁(13失敗) 2013年=40盗塁(20失敗) と俊足を発揮。 更に選球眼が良く、2012年=57四球 2013年=85四球。 故障も少なく2年連続で144試合のフル出場。 真面目で勤勉な性格もあって評判も良く、西武側としては合格点といったところでしょうか。

1996年にアスレチックスとマイナー契約。 1998年にはルーキー級で55試合 打率307 盗塁40 出塁率404を記録。 2000年のマイナー成績は合計(1A+2A)133試合 83盗塁 出塁率357 と結果を残し、以後、メジャー昇格・降格を繰り返しながら、転々と球団を渡り歩き、2012年、西武入りとなります。

内野・外野ともにこなせる守備の多様性や、怪我に強く故障が少ないという隠れた名選手。 
メジャー屈指の俊足巧打者でありながら、409試合に出場したメジャー試合の通算本塁打数は、わずかに8本と非力なのが難点。 西武入団時の年齢が30半ばであった事から、同じようなアベレージ・ヒッターの多い日本野球において、活躍の場があるのか注目されます。

結果的には2年連続40盗塁以上と持ち味を発揮し、盗塁王のタイトルをとっても不思議でない数字を残しますが、1年目の盗塁成功率が0.683に対し、2年目は0・500と、安定性に欠ける一面もありました。 
反面、四球は57 → 85 と大幅アップ。 安打数も1年目の137本から、165本にアップ。 打率も270 → 319 と大幅アップ。 これらのことからも、1年目に大活躍した後、成績を落とし消えていくタイプではなく、1年目の経験をバネに、以降、安定して結果を残していくタイプだという事がわかります。

当然、西武としては契約延長を申し出ますが決裂。 2014年からはオリックスに。
しかし打撃不調や怪我もあって実力発揮できないまま、2015年、自由契約となり退団。
やはり肉体ハンディ(小柄)を身体能力で補うタイプにとって、怪我は致命的と言えます。 
日本向きの選手だけに、あと5年早く日本にきていたら、首位打者や盗塁王のタイトルを獲っていたかもしれません。

=通算成績=
(メジャー)  284安打   8本塁打  111打点   34盗塁  打率280
(日本)    494安打  15本塁打  182打点  182盗塁  打率278
最高出塁率1回  シーズン最多出場2回  シーズン最多併殺1回  シーズン最多盗塁死1回

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2017年2月・・ 各球団はシーズンに備えて春季キャンプイン。 連日、新聞やTVではキャンプ情報が流れ、その過酷さにリタイヤする者、監督やコーチから雷が落ちる者多々。 日本人から見れば、プロなんだから当然だと思えるキャンプ風景も、メジャー選手から見れば 「異常」 としか映らないそうで、日本式のスパルタキャンプは外国人には例年不評のようです。

巨人軍では1990年をもってクロマティが退団。 助っ人探しが急務の中、メジャー通算1058安打 78本塁打 155盗塁 打率286 の実績をもつブラッドリーが、FA権行使するも、度重なる怪我がもとで移籍先が見つからない状況にある事に注目。 150万ドル(当時2億400万円)という破格年棒で合意となります。

痛めている左手首もあり、不安をもっての来日したブラットリーがまず直面したのが、過酷な春季キャンプ。
後年となりインタビューにおいて、「日本野球とメジャー野球にそう違いはないが、どうしても馴染めないものがあった。 何故本番(シーズン)前になって、急にあんな過酷な練習を課すのか。 公式戦での引き分けといい理解でいない部分があった」 と語っています。

そんな状況において開幕戦では、中日のエースであり、当時日本を代表する快速球投手であった小松辰雄から、初打席初本塁打を放つ活躍。 更に7月11日・広島戦において9回、開幕以来14連続セーブの日本記録を更新中だった大野豊から、逆転サヨナラホームランを放つ等、現役メジャーリーガーとしての格の違いを見せつけ、ファンを驚かせました。

反面、真面目で自己に厳しい性格だった為、逆転サヨナラホームラン後に予定されたヒーローインタビューをボイコットしてバスに乗り込み、試合が行われた円山球場の巨人ファンをがっかりさせた事も。
この件に関し本人は後年のインタビューで、「この試合、打順が7番に下がってね。自分自身に腹が立っていたんだ。 とてもお立ち台にあがる気持ちにならなかったんだよ。」 と語っています。(以後、根暗といったイメージがつき、人気は急降下していきました)

このシーズン通算成績は、121試合 124安打 21本塁打 70打点 2盗塁 打率282。
メジャー時代、5年連続二桁本塁打(最高26本) 7年連続二桁盗塁(最高40盗塁) 3年連続3割(最高打率310) という実績と、破格の年棒2億円(当時)という面を見れば、良くも悪くも・・・ の成績。
結局は日本野球に馴染む事ができないまま、この年をもって退団。 1992年、モントリオール・エクスポズと契約するも出場機会がないまま引退。 マイナー監督を経て、現在はMLBアドバイザー(選手会専務理事特別補佐)として活躍中。

 = 通算成績 =
 (メジャー)  1058安打  78本塁打  376打点  155盗塁  打率286
 MLBオールスター出場1回  シーズン最多死球2回
 (日本)     124安打  21本塁打  70打点  2盗塁  打率282
 シーズン最多死球1回

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2016年のプロ野球ペナントレースも終了・・・。 っとなると、待っているのは戦力外通告を受ける選手たち・・・。
今年も多数の選手が戦力外となり、ユニホームを脱ぐ事になりました。 11月12日、甲子園球場でのトライアウトには65名の選手が参加し、自己アピールを行いましたが、行き場が決まった選手はごくわずか。 実績のある新垣渚(ヤクルト)や久保裕也(DeNA)ですらお呼びがかからず引退。 華やかに思える裏では、過酷な現実が潜んでいるプロ野球界・・・。 特に外人枠の見直しもあって、急増している外国人選手の入れ替えは、厳しさが増しています。
そんな中、2008年2月の阪神キャンプにテスト生として来日したバルディリスは、軽快な守備力をアピールし、見事育成選手として契約に成功。 
以後、日本プロ野球界に定着し、阪神 → オリックス → DeNA 計8年にわたりプレーしました。

国籍はベネズエラ。 祖父がコロンビアのプロ野球選手だった事から、4歳頃から野球を始めたという野球好き。
練習熱心で義理堅い性格と、身長185cm 90kg という恵まれた体格で力をつけ、2000年にメッツとマイナー契約を結びプロデビュー。 2006年 レンジャーズ傘下の3A → 2007年 ヤンキース傘下の2A でプレーし、ついにはヤンキースのロースター入り(ベンチ登録選手)を果たした程の実力者でした。

そんな実力者が日本野球に興味を持ち、テスト生として参加したのですから、日本人選手との力の差は明らか。
育成スタートながら、すぐに2軍では結果が出始め、4月はウエスタン・リーグトップの5本塁打を放ち、5月2日には1軍支配下選手に登録。 流石に1軍は選手層の厚さもあり、レギュラー定着にはなりませんでしたが、一級品と評価された守備力で翌年も契約更新に成功。 コーチだった山脇光治のつけた 「ヒロシ」というあだ名も評判となりました。 

バルディリスの凄いところは、練習熱心+貪欲な姿勢。 2009年はウエスタン・リーグの首位打者(打率358) 最多安打王(93安打) と苦手な打撃でも結果を残しますが、自分の特徴は守備力であると認識しており、少しでも出場機会が増えるようにと、来日後、様々なポジションの練習に取り組んでいます。 
この前向きな取り組みは大いに評価され、阪神退団後は、恩師・岡田監督を頼ってオリックス入り。
レギュラーとなり、2010年は、385打数 116安打 14本塁打 打率301 と活躍。
2014年〜2015年にプレーするDeNAを含め、6年連続100試合以上にレギュラー出場。
6年連続で100安打以上 二桁本塁打 を放つ等、守備力を含め安定した活躍を見せました。

内野はどこでも守れる守備力は、特に三塁守備力に優れ、2014年〜2015年にかけリーグ最高の守備率をマーク。 2016年〜 韓国プロ野球 サムスン・ライオンズに移籍しますが、8月にアキレス腱を痛め退団したとの事。 まだ33歳(H28年時点)だけに、なんとか再起してもらいたい選手です。

 = 通算成績 =
 793安打  93本塁打  387打点  6盗塁  打率268
 月間サヨナラ賞1回  セ・リーグ三塁最高守備率2回  パ・リーグ三塁守備最高刺殺率1回
 シーズン最多二塁打1回  シーズン最多死球3回
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1980年(昭和55年)の広島カープの外野手は、山本浩二、ジム・ライトル、マイク・デュプリーによる強肩トリオによって、内野中継無しのレーザービームが話題に。 特にマイク・デュプリーは、来日初年度でありながら狭い日本の球場に対応し、127試合に出場し、失策0という素晴らしい活躍を見せました。

1973年(昭和48年)MLBドラフト4巡目でパドレスに指名を受け入団。 1976年にメジャーデビュー。
元々は投手で、メジャー選手も一目置く程の強肩投手ながら、この年12試合に中継ぎ登板し、15.2イニングを投げ、防御率9.19と散々。 1977年(昭和52年)以降は、パドレス傘下の3Aで投手兼外野手として出場。
そんなデュプリーを評価した駐米スカウトの平山智は、「打撃にやや難があるが、肩と脚には見るべきものがある」 と広島球団に報告。 無名でも潜在能力の高い選手を掘り起こす名人・広島らしい形での入団となります。
(デュプリーの入団が決まり、ヘンリー・ギャレットが退団)

年棒は1000万円という安さ。 
デュプリー談=「マイナー時代は低賃金の上に、遠征・・ 遠征・・ の辛い日々。 それで広島の5分の1という安さだった。 この話がきた時、喜んで飛びついたよ」
「私が知っている日本人選手は、サダハル・オーだけ」 という日本オンチにもかかわらず、ビジネス優先に契約をした背景には、ちょうど出産を控えた妻の存在があったとか。

1980年、阪神との開幕戦。 外野レギュラーとして出場するも、3打数ノーヒット。 試合はもつれながら9回に突入。阪神は二死 1・2塁のチャンスに竹之内がレフト前ヒット。 ニ走の島野育夫がホームに突っ込みますが、デュプリーの好返球の前にホームアウト。 9回裏、気を良くし打席に入ると、初安打がサヨナラホームランという大活躍。(投手=工藤一彦)

金髪でセミロング。当時流行のウエストコーストファッションを好み、気さくな人柄が女性ファンに人気。
デュプリー談=「大学時代に勉強したのは野球と女の子。 可愛い子は大好き。 女性には興味があるね・・・」
妊婦の妻がいながら、同じチームのモテ男だった高橋慶彦を引き合いに、どっちがモテるか関係者に聞くこともあったとか。

1980年の成績は、127試合に出場し、459打数 122安打 40打点 10本塁打 打率266。
シーズン通じて無失策の上、強肩のモテ男。 リーグ優勝にも貢献した格安助っ人だけに、今後も期待・・ とならないのが当時のプロ野球。 「助っ人に必要なのは、日本人に足りない長打力」 という考えが強く、結局デュプリーは1シーズンで退団。 今の時代とは違い、昭和のプロ野球は助っ人に厳しい時代でもありました。

 = 通算成績 =
 (メジャー)  0勝  0敗  0ホールド  0セーブ  5奪三振  防御率9.19
 (日本)  122安打  10本塁打  40打点  0盗塁  打率266
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プロレスラーの中には常識外れの大酒豪が多く、一晩でビール1ケースは当たり前という強兵(つわもの)がゴロゴロ。 中でも故・アンドレ・ザ・ジャイアントは、大ジョッキで80杯以上という怪物。 同じく大酒豪の多いプロ野球。 王貞治は毎日一升酒を飲んだという酒好きで有名です。 そんな豪快な世界において、無類の酒好きだったのが、ブライアン・トラックスラー。 1日1ケースのビールを飲み、「日本のビールは、瓶ならアサヒ・スーパードライ、缶ならサッポロドラフトが最高」 と言う程のビール党。
身長175cm と小柄ながら体重は110kg前後あり、当時ダイエーの監督だった根本睦夫がつけたあだ名は 「コロコロちゃん」 ・・・。 入団にあたりダイエット命令が出て禁酒。 体重を100kgに落とした結果、開幕から好調な打撃を披露。(開幕戦では星野伸之から満塁ホームランを含む4安打7打点) 一躍人気者となりますが、夏場にくると打撃不振に。すると 「体重がないから力がでない」 を理由にビールを解禁。 すぐに体重が増加し、翌年は大物助っ人 ミッチェルの加入もあり解雇。 以後、マイナーリーグや独立リーグ、更には台湾プロ野球を転々とし、2004年11月19日、アルコール性肝硬変によって37歳で永眠。 

1988年(昭和63年)MLBドラフト16巡目においてドジャースから指名を受け入団。
1990年にメジャーデビューを果たしますが、レギュラー層の厚さもあってすぐにマイナーに転落。 しかし打撃センスは相当なもので、巨体からは想像できない巧打ぶりを発揮し、3A通算6シーズン544試合において、49本塁打 打率302をマーク。 そんな未完の大器に目をつけたのがダイエー。 しかも球団フロントではなく、アメリカにあったダイエー本社海外部が興味を持ち、2年契約で獲得したという珍入団でした。
1994年に入団。 契約金は5000万円。

前半戦は打撃好調で3番を打ち、オールスターにも出場するという人気ぶり。 
「コロコロちゃん」 と親しまれ、博多人形にトラックスラーの似顔絵を描き込んだオリジナル人形まで登場する程の人気ぶりでしたが、後半戦に入ると失速。 当初は前述の通り、ビール解禁等、本人の不摂生が原因とされましたが、後年になって、不振の原因は、思わぬ人気ぶりに目をつけたダイエー海外部側が、「本塁打を増やせば出来高払いを追加する」 という好条件を加えた為、巧打よりも本塁打狙いに切り替えた事が明らかとなり、ファンをがっかりさせました。

ダイエーでは1994年の1年限りでしたが、129試合に出場し、499打数 131安打 15本塁打 62打点 打率263 は、5000万円助っ人としては合格ライン。 
盗塁には2回チャレンジし2回失敗していますが、2塁打=21本 3塁打=2本 を打っており、「元祖・走れるデブ選手」 でもありました。
ダイエー海外部が欲を出さなかったら・・・ その後もタイトル争いに加われる活躍をし、人気助っ人として球史に名が残ったかもしれません。

 = 通算成績 =
 131安打  15本塁打  62打点  0盗塁  打率263
 オールスター出場1回  

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