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1979年(昭和54年)に新生ライオンズとして誕生した西武ライオンズ。
堤オーナー自らが漫画界の巨匠・手塚治虫に直談判し、「眠っているジャングル大帝を復活させてみませんか?それも大人になったレオとして・・」 と口説いたエピソードは有名。
ただ、草創期の主力メンバーは実績こそ凄いも、野村、田淵、山崎、大田・・・といったベテラン揃い。
ユニホームが斬新だった事から、イメージと選手が釣り合わないと批判をあびたことも。
(1981年入団の石毛は、”パジャマみたい”と揶揄しています)
そんな西武草創期に助っ人として来日したのが、テリー・ウィッドフィールド。(1981年入団)
前年(1980年)まで、サンフランシスコ・ジャイアンツに所属し、4年連続で100試合以上の出場を果たしたバリバリのメジャー・リーガーは、3年間の西武在籍において、2度の100打点越えや均等なる成績を残す活躍を見せ、「テリー」の愛称で親しまれました。(ファンにやさしく、とても紳士的だった事も好かれた理由の一つ)
1981年(昭和56年)・・・ 123試合 148安打 23二塁打 22本塁打 100打点 5盗塁 打率316
1982年(昭和57年)・・・ 122試合 123安打 15二塁打 25本塁打 71打点 6盗塁 打率272
1983年(昭和58年)・・・ 129試合 135安打 22二塁打 38本塁打 109打点 2盗塁 打率278
元々、1971年(昭和46年)MLBドラフトにおいて、1巡目でヤンキースから指名を受けた実力者。
1974年にメジャーデビューを果たすと、以後3年間は鳴かず飛ばず状態で、メジャーとマイナーを行ったり来たり。 1977年(昭和52年)にジャイアンツに移籍した後才能が開花。 1978年にはシーズン141安打 10本塁打を放つ活躍を見せます。
1981年(昭和56年)、西武入りすると1年目に打率316、100打点をマーク。
3年目には完全に日本野球へ溶け込み、38本塁打、109打点と、平年ならば二冠王となれる好成績を残します。 ちなみに塁打277はこの年のリーグ最高成績。 日本シリーズ優秀選手賞にも選ばれました。
81年と83年にはベストナインに選出。 オールスターにも選ばれ出場しています。
当然ながら西武としては、4年目以降の引き留め工作を練りますが、「どうしてもメジャーに復帰してプレーがしたい」 という本人意思は固く、1984年(昭和59年)、惜しまれつつ西武を退団。
西武の二年連続日本一は、テリーあっての出来事とも言われ、ファンを嘆かせました。
しかしロサンゼルス・ドジャースでの3年間、全く成績が振るわず1986年に引退。
不振の理由に関して、日本で活躍した某選手は、「日本では外人=ホームランとして扱われる為、本来はアベレージヒッターでも一発狙いが増える。 球場が狭く、投手の球も速くないので、それ相応の数字が打てる。
っとなるとメジャーに復帰した時、自分に合ったバッティングを忘れてしまうんだ。」 と語っています。
= 通算成績 =
(メジャー) ・・・ 537安打 33本塁打 179打点 18盗塁 打率281
(日本) ・・・ 406安打 85本塁打 280打点 13盗塁 打率289
ベストナイン2回 オールスター出場1回 日本シリーズ優秀選手賞1回 シーズン最多塁打1回
パ・リーグ プレーオフ優秀選手賞1回
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伝説のプロ野球選手サイン集(外人
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1979年(昭和54年) 後楽園球場で行われたMLBオールスターゲーム来日の時のもの
1968年(昭和43年)シーズンオフ、 当時9度のワールド・チャンピオンに輝いた名門セントルイス・カージナルスが来日。 後楽園球場において、V4を達成した日本の王者・巨人軍と対戦。
巨人軍の先発は、堀内恒夫か星飛雄馬か・・・ シェーン・ディーンスト監督は堀内の投球を見て、「あの剛速球は素晴らしい」 と絶賛。 逆に飛雄馬に対し、「速いが球質が軽い。 何故あんな体格の者がプロになれたのか?」 と疑問たらたら。
すでにメジャーの盗塁王となり不動の1番バッターとして活躍していたブロックは、先発の星飛雄馬と対戦。
「おー!かわいい投手ね」 とニヤつくブロックに対し、いきなり大リーグ・ボールがさく裂。
「よけたバットに球が当たってしまうとは来日早々運が悪い・・」 と不満のブロック。 その後も大リーグボールに打つ手なしのカージナルスは7回終わってパーフェクト状態。 ついに秘密兵器の 「オズマ」 が代打で登場・・・。
これは漫画・巨人の星に出てくる一場面でありますが、事実、この年にカージナルスが日米野球のため来日。
この年のカージナルスは、ワールドシリーズこそ惜敗するもナショナル・リーグで優勝。 この年最強と言われた投手力と、メジャーでは珍しい機動力野球を武器に、18戦 13勝 5敗 と強さを見せつけました。
(5敗しましたが、あくまでカージナルスは単独チーム。日本は18戦のうち日本代表チーム等も結成していますが大きく負け越した事からも、実力差がわかります。)
後年、福本豊の活躍により注目された盗塁ですが、この当時はさほど評価されるものではなく、どちらかといえば地味な存在。 何事も合理的に考えるアメリカ人と違い、理屈と精神に偏る日本人気質は、盗塁王への評価違いがあったようです。
そんな日本野球における盗塁に変化が起こったのが、1972年(昭和47年) 福本豊がシーズン107盗塁を達成(達成当時はメジャー記録だったモーリー・ウィルスの104盗塁を抜き世界記録) したことから。
その後、ルー・ブロックが年間118盗塁を決めて更新。 1979年(昭和49年)、ブロックは通算938盗塁のメジャー記録(当時)を残して引退。
以後、福本の目標はルー・ブロック越えとなり、1982年まで13年連続の盗塁王に。
1983年6月3日 西武ライオンズ戦において、通算939盗塁を決めブロック越えを達成。世界一となります。
(福本の盗塁は1065にまで伸びますが、リッキー・ヘンダーソンが1406で世界一は更新されました)
王貞治がハンク・アーロンとほぼ同時期にホームランを競ったように、福本豊はルー・ブロックと盗塁王を競いました。 そして今、イチローが安打記録をめぐってピート・ローズと競っています。
リーグレベル、質、試合数等が違う為、数字比較以外に、中々 「世界一」 との称号を使うのは難しいかと思いますが、「良きライバル、良き目標があるから記録は大成される (村山実・談)」 の言葉通り、プロには目標が必要。
ルー・ブロックがいたから世界の福本が誕生したと言っても過言ではないと思います。 またブロックがいたからこそ日本の盗塁価値は向上したとも言えます。
ルー・ブロックは1979年に3000本安打を達成し、1985年アメリカ野球殿堂入り。
カージナルスにおいて背番号「20」は永久欠番に指定されています。
= ルー・ブロック =
1939年6月18日生まれ 76歳(H28・5時点)
通算3023安打 149本塁打 900打点 938盗塁 761四球 打率293
盗塁王8回 最多得点2回 最多二塁打1回 最多三塁打1回 シーズン200安打達成3回
オールスター出場6回 ロベルト・クレメンテ賞 ハッチ賞 カムバック賞 シーズン最多打数1回
サイクル安打1回 アメリカ野球殿堂 永久欠番20(カージナルス)
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1978年(昭和53年) 日米野球の為来日した時のもの
メジャーリーグ最多となる通算4256安打を放った、桁外れの打撃センス。
常に全力プレーで挑み、一塁へ果敢なヘッドスライディングを行うハッスルプレー。
メジャーの歴史において ”最もエキサイティングな男” と称えられたのがピート・ローズ。
これだけの凄い選手が、野球賭博関与から永久追放を受けるとは想像もつきませんでしたが、メジャーリーグが続く限り、永遠に伝説の名プレーヤーである事は間違いなし。
通算3000本安打・・・。 日本ではイチローを除けば、張本勲以外、達成した者はいない金字塔でありますが、メジャーでは2015年の時点で29人が達成。 (ちなみに2500安打以上は98人)
日本では野球殿堂入りの目安に2000本安打達成者が選考されやすいのに対し、メジャーでは3000本達成者が野球殿堂入りの目安。 そんな気が遠くなりそうな数字の上をいく4000本安打達成者は、ピート・ローズとタイ・カップのみ。 いかにピート・ローズの4256安打が偉大な記録なのかわかります。
2016年、日米合算とはいえイチローがピート・ローズの記録更新濃厚となっています。
加熱する日本メディアの取材に対し、ローズが一言 「日米合算? だったら俺がマイナーで打った427安打も加えてくれよ!・・・」
この言葉だけを聞けば、何かローズが自身の記録更新に対し否定的なように聞こえますが、そういった意味ではありません。逆にローズ程、日本野球に好意的で、イチローの凄さ・偉大さを口にする者はいないからです。
ローズ曰く、「10年間、30本塁打100打点を続けるよりも、200安打を10年連続で続ける方がはるかに難しい。これは毎年、何人が記録達成できたのか調べてみればわかる。 200安打に到達する者は、毎年ごく数人いるかいないかに対し、30本塁打を放ったり100打点に到達する者の数はかなりいる。 そのあたりを考えただけでもイチローの記録は桁外れに凄いものなのだ・・・」 「私は1978年(昭和53年)に、レッズの一員として日米野球でプレーしたが、彼らの野球に取り組む練習や姿勢には、メジャー・リーガーも学ぶ面が多かった。だから一度は日本に行ってプレーしてみる価値があると思う・・・」等。
ローズに限らずアメリカのメディアやファンにとって、何故、日本人は日米の記録を混合して扱うのか、よくわからないというのが本音。 元々アメリカでは日本野球を 「3Aの上レベル」 と位置つけている傾向があり、マイナーよりは格上ですが、メジャーと同格扱いにしていません。 これはアーロンの755号本塁打を王貞治が更新した時にも同じことが言えました。
特に異なるリーグの記録を合算は、「環境の違い」「投手の質の違い」「球場の広さの違い」「リーグレベルの違い」等から、絶対にありえないとされています。
プロでの試合全てが合算の対象となるのであれば、独立リーグやマイナーリーグ、日本での2軍、カナダ、メキシコ、韓国、台湾、オランダといった国々のリーグ記録も全て合算しなければ公正とは言えなくなります。
それらの国際感覚を無視して、日本野球とメジャーリーグだけが特別な存在として勝手に同格扱いし、過剰なまでに合算記録を騒ぎ立てる日本メディアに対し、ピート・ローズは 「俺のマイナー記録427安打も加えてくれ」 と皮肉ったのです。
では、合算記録が無意味なものかと言えば、そんなことはありません。
現にアメリカでは、イチローが日米合算記録を打ち立てる毎に試合が中断し、スコアボードに達成記念メッセージが流れ祝福されています。 これは松井稼頭夫や松井秀喜の時も同じでした。
ピート・ローズも同じ。記録合算扱いには難色を示しながらも、日本での活躍は十分認めた発言が多いのです。
それに比べ、日本はどうでしょう? いまだに韓国や台湾の野球を格下扱いし、名球会の対象にも位置つけていません。なのに 「マスターズリーグで2000本に足りないヒットを打ては加算扱いとする」 ですからね(苦笑)
そのマスターズも名球会や有名どころの選手参加は一握り。 今では活動停止状態に陥っています。
身内贔屓の日本人と比べ、いかにアメリカ人の方が心が広いか・・・。
ピート・ローズは、記録も心も偉大なメジャー・リーガーだと思います。
=ピート・ローズ=
1941年4月14日生まれ 75歳(H28・5時点)
通算4256安打(メジャー記録) 160本塁打 1314打点 198盗塁 1566四球 打率303
MVP1回 新人王 首位打者3回 最多安打王7回 最多得点4回 最高出塁率2回
シーズン最多試合出場5回 通算3562試合出場(メジャー記録) ゴールドグラブ賞2回
通算15861打席(メジャー記録) 通算14053打数(メジャー記録) シルバースラッガー賞1回
月間MVP6回 MLBオールスター出場17回 シーズン最多死球1回 最多二塁打5回
通算出塁数5929(メジャー記録) 通算単打3215(メジャー記録) ルー・ゲーリック賞 ハッチ賞
シーズン200安打以上10回(イチローと並びタイ記録) その他、多数
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1974年(昭和49年)、日米野球・特別参加として来日した時のもの
日本人において、もっとも有名で印象深いメジャーリーガーは、ハンク・アーロンではないでしょうか?
1977年(昭和52年)9月3日 後楽園球場 巨人 対 ヤクルト戦 ・・ 3回裏 ・・
王貞治の第二打席、ヤクルト投手=鈴木康二朗の真ん中高め目シュートをとらえた打球は、満員のライトスタンド中段に飛び込むホームラン。
今季40号となった一発は、昨年引退した大リーグ、ハンク・アーロンの通算本塁打・755本を抜く、通算756本目となり世界新記録を更新。 日本中が熱狂の渦に巻き込まれたような大騒ぎとなりました。
ところが、この偉大な記録に対してアメリカメディアは猛反発。
「日本の球場の狭さ」 「日本人投手の質」 「プロリーグとしてのレベル」 等を挙げ、あくまで野球というスポーツにおける、某国内リーグにおいて達成された参照記録として扱いました。
このことについて、多くの日本人は不愉快に感じられると思いますが、実は野球に限らず、大抵の球技においては、各国のリーグレベルや条件が、必ずしも一致しない理由から、どんな大記録も参照記録扱いをするのです。
その為、王の756号や通算本塁打868本も例外ではなく、今でもアメリカ国内では 「ホームラン世界一」 と認められていません。
そのような中、メジャーのホームラン王であるハンク・アーロンは、王の新記録達成を祝福。
心から敬意を表するとともに、一本足打法にちなんでフラミンゴの剥製をプレゼントする等、素晴らしい対応を見せてくれました。
実はハンク・アーロン自身も黒人ということで差別や嫌がらせを受け続けた野球選手。
特にアーロンがベーブ・ルースの714号に近寄るにつれ、「黒人が白人の英雄であるルースを越えることは絶対に許さない」 といった脅迫や嫌がらせを受け、身の危険を感じながら過ごしていることを告白。 アメリカ中から応援の声があがり、無事達成したエピソードは有名です。 自身が味わった差別や屈辱が、王貞治の立場と重なって見えたのかもしれません。
また遡ること1974年(昭和49年)には日米野球のため来日。 王とホームラン競争を行い、10対9本でアーロンが勝利しています。 数では負けた王ですが、当時の記録を調べると飛距離では勝っているものが多く、アーロンとしても王の実力を十分認めていたのではないかと推測します。
以後、アーロンと王貞治の親交はあつく、1990年には二人でアサヒ飲料のCMにも出演しているほど。
=ハンク・アーロン=
1934年2月5日生まれ。 82歳(H28・5時点)
通算3771安打 755本塁打 2297打点(メジャー記録) 240盗塁 1402四球 打率305
MVP1回 首位打者2回 本塁打王4回 打点王4回 最多安打王2回 ゴールドグラブ賞3回
最多二塁打4回 通算塁打6856(メジャー記録) 最多得点王3回 フル出場1回
トリプルスリー1回 最多犠飛1回 最多敬遠1回 アメリカ野球殿堂入り その他、多数
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身長193cm 体重114kg という大型プロレスラー並みの体格をもち、韓国プロ野球時代は2度の三冠王に輝いた李大浩。 「あの体格だから、当たったら飛ぶのは当たり前」 というファンが多いようですが、李の凄さは、あの巨体ながら思いもよらない程の柔軟性(バットコントロール)にあると思っています。
普通、あの手の体格だと、インハイやアウトローの速球に対応が遅れやすいものですが、柔軟性を活かして大抵の球に反応。 その結果、本塁打以上に打率が残せる選手であり、韓国時代は首位打者3回、最多安打王2回、最高出塁率2回 の実績あり。
日本でも4年間の在籍で、150安打 158安打 170安打 144安打 と安打を量産。 2度の3割をマークする等、安打に関しては評判通りの大活躍。
反面、本塁打数は 24本 24本 19本 31本。 ”アジアを代表する大砲” だと期待された程には達せず。 また初年度の2012年、91打点でいきなり打点王のタイトルを獲得しますが、本塁打不足が原因で数字的にはイマイチな数字。 (1982年に落合博満が32本塁打 99打点 打率325 で三冠王を獲得した際、"数字が足りない” とバッシングされた事は有名。)
これらの事をメジャースカウトが分析した結果、韓国の野球場の狭さが李の活躍に結びついているとの評価となり、日韓でそれなりの活躍をしながらメジャーからの声がかからず。
それでも辛抱強く待ち、2015年オフ、ソフトバンクからの高額再契約を蹴って、マリナーズとマイナー契約。
春先のキャンプでは、なかなか結果が出ず、年齢的(33歳)にも厳しいとの声もあがる中、見事40人枠入りに成功。 このメジャー入りとなったきっかけは、メジャーのスターも驚く守備力の高さだったとは長距離打者としては皮肉な話。 事実、李は韓国時代に4度のゴールデングラブ賞を受賞している守備の達人。 日本でも2度、ベストナインに選ばれています。
= 通算成績 =
(韓国) 1250安打 225本塁打 809打点 9盗塁 打率309
MVP1回 三冠王2回 首位打者3回 本塁打王2回 打点王2回 最高出塁率2回
最多安打王2回 ゴールデングラブ賞4回 オールスターMVP2回 北京オリンピック韓国代表(2008)
シーズン最多試合3回 シーズン最多得点1回 シーズン最多塁打1回 シーズン最高長打率3回
WBSCプレミア21・ベストナイン1回 (日本) 622安打 98本塁打 348打点 0盗塁 打率293
打点王1回 ベストナイン2回 月間MVP4回 オールスター出場3回 シーズン最多試合2回
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