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本名はカイド・ホーヴェルソン。 大相撲での四股名は、把瑠都 凱斗(バルト カイト)・・・。
四股名の由来は母国エストニアが面するバルト海と、本名のカイドを組み合わせたもので、三保ヶ関親方が命名。 身長197cm 体重190kg という超巨体ながら、その身体能力の高さはピカイチ。
握力が強く、右85kg 左93kg で特技はリンゴ潰し。 「16歳の時、150kg超の猪を担いで山から下りてきた」「相撲の稽古場近くに止めてあった軽トラックを持ち上げた」 という武勇伝があります。
2004年5月場所でデビューすると、序の口・序二段と連続優勝する活躍でスピード出世。 所要8場所での十両出世は小錦と並ぶ史上3位タイ(当時)。 虫垂炎の為、一度幕下転落したものの翌場所では十両に復帰。 翌3月場所では北の富士以来43年ぶり4人目となる十両全勝優勝で、史上2位タイのスピード新入幕を果たし、横綱候補として注目を浴びます。 2010年3月に大関昇進。 2012年1月場所で幕内初優勝と横綱への期待が高まりますが、以後、怪我で伸び悩み、大関在位15場所で関脇陥落。 2013年9月11日に引退宣言。
活躍期間が短かった反面、大関在位15場所の成績は133勝69敗23休 勝率658 であり、琴風と並び史上1位タイ(大関としての勝率)は高く評価され、曙(元・横綱)からはプロレス入りを熱心に勧誘されたことも。
2015年12月31日、 ”RIZIN FIGHTING WORLD GRAND−PRIX2015 さいたま3DAYS” に参戦し、ジェロム・レ・バンナの代役であるピーター・アーツと対戦し3−0の判定勝ち。
2016年9月25日、 ”RIZIN FIGHTING WORLD GRAND−PRIX2016 無差別級トーナメント” では、開幕第一戦で藤田和之と対戦し、3−0の判定勝ち。
2016年12月29日、 ”RIZIN FIGHTING WORLD GRAND−PRIX2016 無差別級トーナメント 2ラウンド” では、イリー・プロハースカの代役である高阪剛と対戦し、3−0の判定勝ち。
2016年12月31日、GP準決勝でミルコ・クロコップの膝蹴りでKO負けするも、実業家やタレント業の側らで行っている格闘技参戦において抜群の強さを見せつけた事から、今後の動きに注目が集まっています。
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その他のサイン集(スポーツ)
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身長200m 体重150kg リーチ208cm ベンチプレス270kg 体脂肪11%(当時)・・・
「野獣」「ザ・ビースト」「暗黒肉弾魔人」「知的魔人」 ・・ の異名をもつボブ・サップ。
元々はアメリカン・フットボーラーながらアキレス腱負傷でプロレスラーに転向するも、団体崩壊(WCW)により失業し、遺体搬送という仕事で生計を立てていたところ、友人のサム・グレコの紹介で格闘技界に参入。
巨体を活かした突進力と、見境なく放つ重いパンチで勝てば圧勝、敗ければ反則負けという試合っぷりが評判となり、2002年に大フーバー。 10月と12月にはK1王者(当時)アーネスト・ホーストに勝利し、その実力をアピールすると、翌2003年12月31日、紅白歌合戦の対抗馬として注目されたK−1において、元横綱・曙太郎と対戦し、1R2分58秒でKO勝ち。 パンチ一発で曙がヒキガエルのようにのされたシーンは、瞬間視聴率ながら紅白歌合戦を上回った程(史上初)。
私もこの試合を見ましたが、大相撲時代の曙があまりに強かったので、ここまで一方的になるとは思っていませんでした。(でも試合早々、太り過ぎな上あまりに動きが遅く、技らしい技もなく・・ の曙を見て、KOは時間の問題だと思いましたけど・・・) この試合後、曙と対戦した相撲仲間たちは 「相撲界の恥」「相撲の強さが疑われる行為」 として痛烈に曙批判。 舞の海などは、小兵ながら曙に勝利した事を誇りに思っていたそうで、かなり残念がっていて気の毒でした。
2004年3月28日 新日本プロレスにおいてIWGP王者だった佐々木健介と対戦。 8分24秒・体固めで勝利し、第37代IWGP王者になるという快挙を見せ、改めてその実力をアピール。 中邑真輔戦にて初防衛後、タイトルは同年5月3日に藤田和之に奪われますが、同年に行われた世間有名人知名度においても上位にランクインし、「格闘技界でもっとも有名人」 と言われました。
ただ残念なのは動きも技も単調である事。 その為ピークを過ぎると対戦相手に対策を練られるようになり、かつての勢いは失速。 教育熱心な家庭で育った(両親は離婚し、母親によって育てられる)そうで、見た目と違って知的ぶりを発揮し、現在は実業家としても活躍されているようです。
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「一体、どの格闘技が一番強いのか?」 ・・・ 各格闘技にはルールが存在する為、「これ!」ってモノは存在しないように思われますが、「なんとなく・・これ!」ってあたりまでは知りたいのが人間の心情。
アントニオ猪木が異種格闘技路線で注目を浴びだした当時は、「プロレス」「柔道」「空手」「ボクシング」「キック・ボクシング」あたりが主流でしたが、後に長州力はトム・マギーというウエイトリフターと対戦。 更に現在はK-1やらなんやらとジャンルが増え、昭和のプロレスしか知らない私にはよくわからない世界になってしまいました。
そんな昭和の異種格闘技戦においても、いまだに「謎」である一戦が、昭和59年9月20日 大阪府立体育館においておこなわれた 「アントニオ猪木 VS アノアロ・アティサノエ」 です。
当時、「黒船来襲」なんて言われて大人気だった大相撲・小錦の実兄との触れ込みで、周囲の気を引きますが、このアノアロ・アティサノエは、特に何かの格闘技をしていたわけでも、秀でたスポーツ経験があったわけでもなく・・・ でして。 簡単に言いますと 「ただの素人」。 そんな素人が、モハメッド・アリ(ボクシング)やウイリー・ウィリアムス(極真空手)と引き分ける猪木に挑戦・・・ まあ、今考えたら無謀以外に言いようがありません。
当然ながら猪木ペースで試合が進み、5R・バック・ドロップで試合終了。 5Rも時間がかかったのは、速攻で試合終了させないように猪木が見せ場を演出していただけの事。 この試合、当時見ましたが、素人のアノアロ・アティサノエに攻めさせようと四苦八苦している猪木が印象的でした。(玄人?の目で見て)
一応、この一戦も異種格闘技戦の一つに数えられており、アノアロ・アティサノエは 「格闘技代表」 というわけのわからない記録として現在に至ります。
試合後、「プロレスの強さにしびれた」 と新日本プロレス入りしたと聞いていましたが、いつの間にかいなくなっていました。 (後に坂口征二とタッグを組んで、ハワイ・ポリネシアン・タッグチャンピオンになったとか・・)
後年は肝臓病との闘病生活を続けた後、2008年11月23日 51歳という若さで永眠。
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