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男の子なら、一度くらいは 「プロレスラーになりたい」 って思った事があるはず。 某大学の心理学者が言っていましたが、これって狩猟本能の名残りらしいです。
尾崎豊の 「卒業」 という歌にも、「誰が一番強いのか知りたかった」 という歌詞がありますが、それらがわかりやすい例えかもしれません。
中村伸能は、子供の頃から夢見ていたプロレスラーになるべく、剣道やバスケットで身体を鍛えるも背が伸びず、一度は断念。 それでもプロレスにかかわりたいとの理由から、FMWのレフリーとなった筋金入りのプロレス狂。
身長161・8cm 体重70kg ・・・ 昭和のプロレスならば、いくら身体能力が高くても、ここまで体格が劣ってしまってはムリ・・ ってことになるのでしょうが、今のプロレスは違います。 いかに高度なテクニックを披露し、客を酔わせる事ができるか・・ 客を呼ぶことができるか・・ が売れるレスラーのキーワード。
そういった時勢背景もあり、体格に制限を設けていないウルティモ・ドラゴンの闘龍門に入った中村伸能は、1997年、小柄レスラーの本場であるメキシコ巡業が決まり念願のプロレスデビュー。
ウルティモ・ドラゴンの後継者候補として、「神の子」 ドラゴン・キッドとなり大活躍。 メインをはれる実力者として高い評価をうけ、売れっ子レスラーとなっていきます。
技の特徴は卓越した動きから繰り出される空中ミラクル殺法。 「人間業とは思えない」 と言われるスピードを生かした ” ウラカン・ラナ・インベルティダ(高角度後方回転エビ固め) ” は創業者であるメキシコの英雄・ウラカン・ラミレスを越えると言われる程。 (ウラカンはハリケーン、ラナはカエル、インベルティダは逆という意味)
ドラゴン・キッドはこの技を幾つものバリエーションわけする事で、オリジナル性を完成させる事に成功。 プロレスラーとしてハンディ以外なにものでもない小柄な身体だからこそできる大技攻撃とは、ある意味、皮肉なものです。
メキシコ、ドイツ、日本の各団体において、数々のタイトルを獲得。 夢を諦めないで懸命に取り組んだ賜物です。 特技はブレイクダンス。 好きな本は 「ドラゴンボール」 だとか・・・。
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伝説のプロレスラーサイン集(日本
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1985年(昭和60年)〜 土曜日のお茶の間(ゴールデンタイム)に全日本プロレスが復活した時、よく放送開始直後の前座試合で暴れまわっていたのがカルガリー・ハリケーンズ。
新日本プロレスから離脱してきたスーパー・ストロングマシーン、高野俊二と共に、金髪で小悪党っぽいレスラーが暴れまわっていた事を記憶されているファンも、今では40歳前後となられているかと思います。
身長175cm 体重105kg 出っ腹気味で金髪&ふくれ顔のヒロ斉藤。 同時期、新日本プロレスにはマサ斉藤がおり、体型もコスチュームもネームもそっくり。 その為、「マサ斉藤のギミックレスラー」 だとか 「義兄弟」 といった声?もありましたが、二人は特に親密な関係ではなかったそうで、逆にマサ斉藤は、まぎわらしいからネーム変更を迫った事があったとか。 (但し、マサ斉藤はヒロ斉藤の実力面を評価する発言をしています。)
ジュニア体型ながらヘビー級相手でも、積極果敢に攻めるプロレスセンスはかなりのもので、決して好きなレスラーとは言い難かったですが、その動きやテクニックはけっこう評価していました。 特に必殺のセントーンは、一見すれば背中から落ちるだけの単純プレス型技ながら、形勢逆転等、ここ一番には有効な技。 それだけにこういった技をうまく利用するヒロ斉藤の小悪党ぶりは、時に憎らしくもありました。 今考えると、名レスラーだったように思います。
見た目とは違い控えめなレスラーで、目立つ場所を嫌う事で有名。 にもかかわらず人望もあり、実力面を高く評価するレスラーも多いとの事。
師匠格の藤波辰巳(入門当時、藤波の付き人だった)の他、あの辛口・ジャイアント馬場までもがヒロを絶賛。 馬場はセンスがありレスリングの上手いレスラーを好む事が多く、同じく小柄ながらマイティ井上も評価していたようです。(しかし基本的に体格面を重視する傾向にある為、小柄なレスラーを絶賛する事は稀でもありました。) 逆に試合の組み立て方や、相手との駆け引きができないレスラーは、例え有名レスラーであっても辛口評価の的。 善戦マンと言われた鶴田や、ワンパターンにハイスパート・レスリングを仕掛けてくる長州あたりは、よくTV解説でも酷評されていました。
第12代WWFジュニア・ヘビー、初代PWF世界ジュニア・ヘビー、IWGPタッグ といったメインタイトルも獲得しているように、その実力は見た目(金髪ヒールの小悪党)とは違い筋金入り。
「ヒロ斉藤の身長が、あと5cm高かったら・・・」 と残念がるファンも多いようです。 一度リングを離れ、焼肉店を経営していたようですが、現在は閉店しているとの事。
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1981年4月23日(昭和56年) ダイナマイト・キッド戦に初登場した初代タイガー・マスク。 当初は客寄せパンダと思われていましたが、試合早々に軽快なステップを踏んだあたりから状況は一変。 続々と繰り出す斬新な大技・小技のオンパレードに会場は騒然。 フィニッシュとなったジャーマン・スープレックスの時には、ファンの熱気最高潮。 この、わずか10数分の闘いによって、プロレスは新しい局面を迎える事になります。 革命児・長州力のハイスパート・プロレスはあまり評価できませんが、初代タイガーの活躍は、これまでヘビー級を中心としたプロレスに大革命を及ぼし、藤波以上にジュニアの世界を確立させた実績大として、高く評価しています。(但し、これまでの大技を軽技にしてしまった罪もありますが・・)
そんな偉大なる初代タイガー(佐山聡)直伝の4代目タイガーマスク。 1995年7月15日後楽園ホール 「95格闘技祭典」 において、グレート・サスケ相手にデビュー。 2代目(三沢光晴)や3代目(金本浩二)とは違い、純粋なまでに初代タイガーを模倣したスタイルはファン層からの支持を受け、2002年には新日本プロレスに移籍。 現在に至るまで第一線で活躍しています。
2010年には5代目タイガー・マスクが登場する中、デビュー以来タイガー一筋。 数えでいえば、今年がデビュー20周年記念となるベテランですが、そのスタイルや実力には賛否両論があるもの事実。 4代目タイガーをネット検索して、ファンがどのように思っているか調べてみると・・・
=支持派=
① 初代の流れを組み、伝統的な面を守っている点は評価できる。
② 高度なテクニックをもち、プロレスのもつ可能性を存分に発揮している。
③ 何度もIWGP・Jr王座につくように、実力面はジュニア・トップクラスである。
④ これまでのタイガーとは違い、体型バランスの良さが、原作(漫画)タイガーに重なり、もっともタイガーらしい
タイガーだと感じる。
=不支持派=
① 個性面に乏しく、自己アピール下手である。 (あまりに初代模倣に走り過ぎとの意見も)
② 外人に弱かったり、思わぬポカ(敗戦)があったりと、テクニックはあっても強さやカリスマが足りない。
③ 試合の組み立てや、流れを読む事が下手。 場の雰囲気を察する能力に欠けている。
④ タイガーは常に子供のヒーローであるべきだが、汚い言葉が見受けられる。
まあ、完璧なレスラーは存在しません。
初代タイガーだって、6人タッグマッチにおいて、アブドーラ・ザ・ブッチャーと対戦した折、必殺であるキックが通用せず、思いっきりヘビーとジュニアの格の違いを見せつけられました。 (しかし、ブッチャーは初代タイガーの大ファンでもあります)
2代目は当初、ヘビー体格を無理やりジュニアに落としていたので、勝っても負けても絵にならない上、初代タイガーのような強さとカリスマに欠け、「動きが鈍いタイガー」「弱いタイガー、偽タイガー」といった批判だらけ。
三沢もマスクを脱がなかったら2流レスラー扱いだったかもしれません。(マスクを脱ぎ、タイガーを演じなければならない呪縛から解き放たれた三沢は、存分に実力を発揮するようになり、鶴田やハンセンにもひけをとらない大レスラーとなっていきます。)
不支持派の意見にあるように、スター選手となる絶対条件である 「カリスマ」 には幾つかの問題点が見られますが、私個人としましては、高度なプロレスを展開できる実力派として評価していますけど。
1970年生まれらしいので45歳(H27年時点)となります。
年齢的に考えても、そろそろマスクを脱ぐ時なのかも。 実力やテクニックは十分ですので、初代模倣呪縛から解かれた時、更なるレスラーに変貌するかもしれません。
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昭和55年1月 新春ジャイアント・シリーズ 第8戦 愛媛県東宇和郡宇和町大会(1月13日 観衆3000人)
1試合 百田光男 (13分55秒 片エビ固め) 越中詩郎
2試合 ミスター林 (11分37秒 体固め) 大仁田厚
3試合 伊藤正男 (12分58秒 片エビ固め) 渕 正信
4試合 大熊元司 (12分46秒 体固め) 肥後宗典
バトルロイヤル
5試合 グレート小鹿 (8分28秒 逆エヒ固め) ダッチ・マンテル
6試合 ロッキー羽田 (9分57秒 片エビ固め) ジェリー・ノバック
7試合 ジャンボ鶴田 1−0 ビル・ロビンソン
タイガー戸口 ビル・アーウィン
8試合 ジャイアント馬場 1−1 ブルーザー・ブロディ
天龍 源一郎 アンジェロ・モスカ
この試合で初めて渕正信を見ましたが、身体も細くてなんか弱々しく、顔だちや雰囲気からも、あまりスター性が感じられないようなイメージが・・・。 そんな渕の名が1980年代中頃からチラホラ聞こえるようになり、当時、全日本プロレスのジュニア・看板タイトルだった、NWAインターナショナル・ジュニア王座をめぐってチャボ・ゲレロに挑戦。
1987年、このNWAインターナショナル・ジュニア王座を引き継いだ形でPWFが管理する世界ジュニア・ヘビー級王座を小林邦昭から奪取。 以後、同王座には計5回も君臨する活躍ぶりには驚かされました。
日本におけるジュニアのタイトルって、どうしても藤波辰巳〜初代タイガー・マスクに向いてしまい、スター面や実力面も全日本プロレス・ジュニア軍団(大仁田、渕、2代目タイガー)とては比較にならないイメージが・・・。
でも、あまり目立たなかった人が、苦労の末に表舞台にたった事が、当時、何故か嬉しくて、渕の活躍記事の事はいまだに覚えています。
ジャイアント馬場に憧れ入門しただけの事はあり、馬場亡き後、全日本のレスラーが大量離脱した際も全日本に残り尽力につぐ尽力。 なんとか全日本の灯が残ったのは、渕のおかげだと思います。
1990年、メガネスーパー(SWS)による大量離脱の際、馬場は鶴田に 「裏切るよりも、裏切られる方がいいじゃないか・・」 と語ったそうですが、渕のような忠臣蔵レスラーがいた事で、永眠した馬場も報われたのではないでしょうか。
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昭和50年代初期の 「小学館 プロレス入門」 や関連のプロレス本を見ても、第3の団体扱いである国際プロレス記事は粗末に扱われ、エースだったラッシャー木村やグレート草津が少々紹介される程度。
そんな中、アマレススタイルで小太りの鶴見五郎なるレスラーに興味を覚えた事がありますが、TV放送のない愛媛県では国際プロレスは不毛の地。 どうせ興業上所属の一レスラーだろうと思っていました。
しかし・・・ なんと基礎の出身は、「蛇の穴」 こと ビリー・ライレージム。
っとなるとヨーロッパ系らしくスープレックスやアマレス・スタイルに通じるは当然の事。 日本では地味な中堅ながら、各団体からの評価は高く、とくにジャイアント馬場は全日本入りに対して、熱心に勧誘したとか・・・。
確かに馬場好みのレスラーではあります。 馬場は1960年代におけるレスリング・プロレスを高く評価する傾向にあり、レスリングの苦手なハンセンやブロディに対しては、強さは認めても、レスラーとしての評価は酷評的でした。 それだけに馬場自体、意外にもテクニシャンなところがあり、時にはスモール・パッケージ・ホールドまで決めた事も。 馬場はマイティ井上も高く評価していたみたいですが、小柄レスラーを嫌う面からすれば、鶴見は理想的なレスラーだったのかもしれません。
「 鶴見 五郎 」 なんて、地味でヘンなリングネームだと思っていましたが、鶴見は当時住んでいた横浜・鶴見区からとり、五郎は本人が好きだったという任侠映画 「人斬り五郎」 からとったのだとか。
当時のレスラーって、けっこう単純な理由でリングネームをつける方がおられますが、この方のも独特。 寺西勇とか稲妻二朗なんてレスラーも、けっこう地味系ですが・・・。
(ちなみに・・・ 漫画・1,2の三四郎において、鶴見をモデルにしたのではないかという悪役がいて、三四郎一味は悪役が経営する保育園で保父さんを兼ねたフリー・レスラーとなります。)
特にタイトルにも恵まれず、国際団体を救う為、ヒールにまで転向するも、結局は団体・渡り鳥生活。
全日本プロレス時代は、上記の通り御大・馬場の眼に叶いながら入団を断り、海とも山とも言えないSWSに身を投じた結果、すぐに解散・・・。 以後、インディーを渡り歩くことに・・・。
今年(H27年時点)66歳。 2013年に引退。 苦労の連続ではありましたが、長くレスラーを続ける事が出来た事は本望だと思います。 2014年以降、体調を崩し病院での療養生活もあったそうですが、今でもお元気にされているのでしょうか??
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