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エル・サムライ、野上彰、飯塚高史・・・ この3人を称して、「新世代闘魂トリオ」。
1985年(昭和60年)に新日本プロレス入り。 レスリング技術は定評があり、更にサンボ(投げ、関節技等の格闘術)の習得により実力は増していくのですが、どことなく売りがない飯塚の人気は今一つ。
観客が魅了してナンボのプロレス界だけに、地味さが仇となり中堅クラスの扱いが続きます。
(但し、1989年、長州とのタッグで第10代IWGPタッグ王者となっています)
そんな飯塚に脚光が当たったのが、1999年〜 小川直也 VS 橋本慎也 の抗争にて。
小川のセコンドについては騒ぎ立てる村上和成を退治した事で、橋本贔屓のファンから認められる存在に・・・。
その後も時には橋本のパートナーとして、時には村上キラーとして活躍。 必殺技のスリーパー・ホールドの威力は凄まじく、「食らうとギブアップ以外に助かる道はない」 と言われた程。
またレスリング技術の評価から新日本プロレス育成指導員に就任。
1998年1月・東京ドームでの ”長州力 引退試合” を務め勝利する等、飯塚の名は全国区となります。
その後は怪我が増え、長期離脱期間もありましたが、2008年よりヒールに転向。 タッグパートナーだった天山広吉を裏切った形での抗争で注目を浴びました。
必殺技はスリーパー・ホールドの他、ブリザード・スープレックス、サンボ式膝十字、アイアンフィンガー(鉄製グローブ装着での地獄突き)等々。
このアイアンフィンガーは、元々の開発者?であったストロングマシーンより譲り受けたというギミック(飯塚の腕を機械改造した)らしいのですが、こういった夢物語が平然と流行る現在のプロレス感覚・・・ 昭和人間の私には理解し難いような・・・。 (他にも○○軍といった抗争の図式が多すぎて、よほどのマニアでない限り、何が何やらわかりません。 ”日本人 対 外人” が定番だったプロレスとは、全て違ったプロレス感ってことなのでしょうけど。) まあ、低迷するプロレス界が盛り上がるのであれば結果良しですね。
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伝説のプロレスラーサイン集(日本
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昭和風で言うニックネーム(異名)とは、その一言で人物をあらわす形容詞であり「顔」のようなもの。
”鉄の爪” = フリッツ・フォン・エリック からは必殺アイアン・クローがイメージできますし、”人間山脈” = アンドレ・ザ・ジャイアント からは、とてつもない大男がイメージできます。
その他、”燃える闘魂” = アントニオ猪木 ”人間発電所” =ブルーノ・サンマルチノ のような抽象的(曖昧)な表現も魅力の一つ。 たかがニックネーム・・ されどニックネーム・・。
では中邑真輔のニックネームはというと・・・
「狂乱のインテリジェンス」 「反逆のボマイエ」 「解放された求道者」 「欲深き求道者」 「選ばれし救世主」 「選ばれし神の子」 等々。 猪木と同じく抽象的ながら、その言葉から人物面がわかるような・・ わからぬような・・?? でも、そこが中邑という人物(つかみきれない)だとすれば、ある意味上手いニックネームなのかもしれません。
京都生まれ。文武に優れながら中学時代にはプロレスラーを目指すと決めていたそうで、卒後後に新日本プロレス入門を希望するも周囲の反対もあり、地元高校に進学。 ちなみに進学した峰山高校といえば、OBに野村克也がいる事で有名。 そこで始めたレスリングが評判となり、ついには青山学院大学から特別推薦を受けるまでに成長。っとなると、またも周囲からの大学進学論に押し切られ、本意に反しての大学進学。 その後に新日本プロレス入団(当時22歳)という、プロレスラーとしては、かなり遅れた入団でした。
しかし・・ レスリングで基礎ができていた事や、中邑の格闘センスを見抜いた新日本プロレス側から、一般的なプロレスラーではなく、格闘技路線に順応できる格闘レスラーとして育てようとの方針が、特待生的な厚遇にもつながり早々にデビュー。 身長188cm 体重100kg前後という均等された体型や、今風(イケメン)スタイルも相まって、たちまち人気レスラーに成長。
実力も即開花。 ジャイアント・ノルキアとの総合格闘技ルールでの勝利もあり、デビュー1年未満にもかかわらずG1クライマックス出場。 2003年12月9日には、天山広吉からIWGPヘビー級王座を奪取。 これはデビュー後最速+最年少王者(23歳9ケ月)でもありました。
必殺技の「ボマイェ」 は、従来の膝蹴りとは違って、身体のしなりを利用したムエタイ風の蹴り。
黒タイツに独特の風貌も加わって、どこか狂乱じみたような雰囲気が魅力。 繰り出すパターンが読めない為、一見単調に見えながらも、相手は受けきれずにダウン。 ボマイェを和訳すると ” やっちまえ ”。
2015年、新日本プロレスを退団し、世界的巨大マーケットのWWEに参戦。
WWEフォーム団体(野球風に言えばマイナーリーグ又は二軍) ”NXT” にて活動他、WWE所属の日本人レスラーとして活躍中。
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いかつい顔に、古代インカ帝国風?の模様頭。
爆弾発言の多さもあり、「世界一性格の悪い男」と言われる鈴木みのる。 もちろん本当に世界一性格・・ のはずはなく、実際はプロレス商売としての・・ でありますが。
漫画・ワンピースをこよなく愛し、趣味はルアー・フィッシング。 それもトップゲーム系と言いますから、かなりのこだわり派。 そんな少年のような気持ちが、彼のキャラ原点のようにも思えます。
横浜高校時代、アマレスで国体2位となった実績をもち新日本プロレス入り。
人一倍、練習熱心な上、常に強者とのスパーを繰り返しながら、やられる程喜びが増すという向上心もあり、UWF移籍後、藤原喜明と師弟関係に。 更に藤原との縁で知り合ったカール・ゴッチから指導を受けパワーアップ。 「強さ」 を追い求める姿は、昭和由来のプロレス感ではなく、総合格闘技系といったところ。
1989年11月29日、東京ドーム大会において、キックボクシング最強とも言われたモーリス・スミスと対戦。
惜しくも敗退しますが、これにより格闘家・鈴木のネームバリューが膨らみました。
1993年、船木誠勝とパンクラス立ち揚げると、同年11月、神戸大会において再びモーリス・スミスと対戦するも、3R TKO負け。(キック・ボクシングルール) しかし不利なルールの中、果敢に攻めてくる鈴木をモーリスは高く評価しており、以後、プロレスというよりは格闘技界での知名度が向上。
2003年以降はプロレス中心に活動。 これまで培った実力により、有名タイトルを根こそぎ獲得。
第46代 IWGPタッグ王座 (パートナー・高山)
第10代 GHCタッグ王座 (パートナー・丸藤)
第23代 GHCヘビー級王座
第35代 第42代 三冠ヘビー級王座
第55代 世界タッグ王座 (パートナー・太陽ケア)
第81代 アジアタッグ王座 (パートナー・NOSAWA)
2009年、2010年 チャンピオン・カーニバル優勝
2004年、2006年、2008年、2015年 プロレス大賞受賞(内容別)
その他、多数
身長178cm 体重102kg と、けっして体格に恵まれているわけではありませんが、一時はプロレス最強と言われるメンバー入りした実力者。 1968年(昭和43年)生まれの48歳。(H28・6現在)
強さの峠は越えた感もありますが、まだまだ第一線で活躍中。
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男は誰でも強くなりたいもの。 昭和のプロレスには常に、レスラーと自身をダブらせながら強さを求める ”なにか”がありました。 ハンセンがラリアットで相手をぶっ飛ばすシーンを見ると、自分も強くなった気分に浸るのもその一つ。 ヤクザ映画を見たらヤクザ気分に、ブルース・リーを見たら拳法の達人気分になれる・・・ そんな単純に楽しめる世界が昭和にはありました。
「セメントに強い日本人最強レスラーは誰か?」 ・・・ 昭和のプロレスファンなら一度は考える永遠のテーマ。
力道山、木村政彦、豊登、ジャイアント馬場、アントニオ猪木、大木金太郎、坂口征二、星野勘太郎、佐山聡、
長州力、マサ斉藤、天龍源一郎、ジャンボ鶴田、前田日明、蝶野正洋、佐々木健介、北尾光司 ・・・ 最近の格闘ブームにより、強さを追い求めるレスラーは数知れずですが、プロレス専門家による最強トップ3は意外なレスラーばかり。
第3位 ・・・ 藤原 喜明 = 猪木の用心棒として海外遠征、道場破りにくる猛者を片っ端から退治していた。
第2位 ・・・ 上田馬之助 = 前田のキックを正面で受け止め反撃するといったセメントの強さは有名。
第1位 ・・・ ケンドー・ナガサキ = 腕っぷしの強さから、世界各国で認められたセメント・ヒール。
ケンドー・ナガサキ(桜田一男)は元・力士。 先輩力士とのトラブルもあり1971年に日本プロレス入り。
身長188cmという恵まれた体格で期待されるも1973年、日本プロレスは崩壊。 以後、派遣ルートを経て、全日本プロレス所属レスラーとなります。
当時の全日本プロレスは、前頭筆頭力士の天龍が入団したことにより、天龍の売り出し方を模索中。
髷結衣のできる桜田を帯同させてアメリカ修行に行かせる事により 「相撲レスラー」 として売り込み(話題性)、時期を見て日本に逆輸入しようとする馬場の発案もあり、1976年、桜田はアメリカ巡業へと旅立ちます。
ところが・・・ 本来、天龍売り出しの手伝いが目的のアメリカ巡業のはずながら、天龍をほったらかして自身単独行動で転戦。 当時のことを天龍は・・ 「桜田さんが帯同するというから不安(アメリカ生活への)も少なかったが、向こうに行ったらいなくなってしまってね。結局ドリーの家に住み込みながらの修行になった。 相撲スタイルでウケ狙いをするため、化粧まわしつけてリングに立つと、アメリカ人が大笑いするんだよ。 尻を出したスタイルなんて向こうの文化にはないからね。その時は相撲へのプライドもあって、” こいつら何笑ってんだ!” と思ったけど、後になって考えたら恥ずかしくもあるよね(笑) 結構売れっ子になり、相応の収入も入るから、もう日本に帰らずアメリカに住もうかと考えるようになった。それを高千穂さん(カブキ)に話したら怒られて。 日本だったら相撲で活躍した天龍と聞けば、知っている人も多いだろうが、この広いアメリカにおいて、お前のことなんか知っている者がどれくらいいるんだ? 日本に帰れってね。」
桜田はヒールに転向し 「ミスター・サクラダ」 としてトップレスラーに大出世。 ついにはキラー・カール・コックスのパートナーに抜擢される程となり、NWA世界王者のハーリー・レイスに挑戦する売れっ子ぶり。
1979年、ミスター・ヒトとのコンビで、カルガリー地区認定インター・タッグ王者となる活躍を見せた他、NWAアメリカン・タッグやテキサス地区認定NWA世界タッグも獲得。 1982年以降、顔面ペイントに落ち武者スタイルという ” ケンドー・ナガサキ ” に変身。 怪奇レスラーながらNWAフロリダヘビー王者となる等、実力あるヒールとして有名になりました。
しかし・・・ アメリカにおいてヒールで有名になるという事が、いかに厳しいものなのか・・・。
日中〜酒場問わず、刃物を持った者や因縁をつけてくる者数知れず。 毎日喧嘩三昧の日々を切り抜けたのは、桜田の腕っぷしが人並み以上に凄かったから。 プエルトリコではバーで複数の者が刃物をもって取り囲むという事件が勃発しますが、素手で全員をノックアウトというエピソードは有名です。(竹書房発行のプロレス本によりますと、この時、” もう時効になっているが、ここで書けない事件を起こしている ” と書いてある事からして、殺人か傷害罪といった大事件を起こしている可能性があります。)
見てくれではなく、喧嘩実績という裏付けが、ケンドー・ナガサキ=日本人最強のセメントレスラー説となりました。 「プロレスラーは強くなければならない」 を地でいった貴重なレスラー。
引退後、飲食店の経営をしていましたが、2009年に過労ですべて廃業とのこと。
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2001年10月22日 FWM後楽園ホール大会。
団体のエースであったハヤブサは、セカンドロープからのムーンサルト・プレス(ラ・プファドーラ)を仕掛けますが、脚を滑らせ反動が足らず頭から落下。 そのまま失神し、都内病院に緊急搬送。
医師からは、「頸椎損傷をしている。3ヶ月しても感覚が戻らなければ、一生この状態が続く事を覚悟してほしい」 と告げられます。
後日ハヤブサはインタビューで、「当初はすぐによくなるだろうと思っていた。 ところが、冷たい岩に首だけがはえているような感覚・・・。 痛み、痒み、尿意、便意・・・ 何も感じず、不安だけが襲う毎日に気が狂いそうでした。 生きる意味を失い、死ぬ事を考えるのですが、身体が動かないのだから死ぬこともできない。 窓が横にあるのに、飛び降りることすらできない。 絶望・・・ 毎日ベッド上で泣いて暮らしました・・・。」
2001年12月に心臓手術。 その後、何気ない会話の中、唯一 ” しゃべる事ができる ” と気付き、心に光明がさしたのだとか。 必死のリハビリの甲斐があり、2003年3月に退院。
以後、シンガー・ソングライターとして活動。 不屈の精神力で、自力で立ち上がるまでに回復。 更にリハビリを重ね、短距離歩行ができるまでに。 (正直、ここまで回復するとは医師も思っていなかったそうで、” 奇跡的 ” と言われました)
2011年10月7日、ミル・マスカラス来日40周年記念大会において、他レスラーの支援を受けながらリング上に立つと、祝辞の後に、 「試合をしてくれた皆さんから、改めてプロレスの面白さを教えていただきました。 プロレスラーで良かったと、改めて思いました。 リングには夢がいっぱいつまっています。 これからも皆さんと一緒に、プロレスを楽しんでいきたいと思います。 お楽しみは、これからだ!」 と復活宣言。
しかし・・ 2016年3月3日 くも膜下出血にて47歳という若さで永眠。
プロレスは身体をはった格闘ショーである以上、いつ・誰もがこのような重傷を負うかわからない世界。
特に近年は、マットもなく椅子や鉄柵のしかれたリング外へ、助走をつけての背面跳びなんて当たり前という、人間の身体能力でカバーしきれない無茶技が、当然のように横行。
メジャー団体でも単独興行が難しくなった現状が、「客を呼ばなければ・・」 「客に魅了してもらい、また来てもらいたい」 「プロ魂」 等、ここまでの危険を犯さなければならなくなったレスラーの境地は十分理解できますが、個人的には、ハヤブサの死を無駄にしない為にも、あまりに度の過ぎた大技は謹んでもらいたいと思います。
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