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昭和レトロに思いをよせ・・ 古き良き時代を振り返り・・

伝説のプロレスラーサイン集(日本

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平成の世になってからのプロレスラーは、軽量〜中量の選手が増える一方、「面構え」が大胆というか、ある意味、「男前」 というべきが。 金本浩二あたりは、その手の走りだと思います。

打撃系を得意とする事から、ついた異名は 「喧嘩番長」 ・・。
かつて全日本マットに登場した、ディック・スレーターも喧嘩屋あがりだった事から、この異名でしたが、若き日の金本の顔つきは、見るからに ”危険” な匂い有り。 
運動神経に優れ、初代タイガー・マスクが得意とした打撃もマスターしていた事から、3代目タイガー・マスクに変身。 まさか新日本からタイガー・マスクシリーズが継続されるとは思っていなかったので驚きました。

身長180cmに対し、体重はライトクラスの90kg前後では、実力派の多いジュニア戦線でも苦戦の連続。
エル・サムライ、ペガサス・キッド、獣神ライガー ・・・ と繰り返される一進一退の攻防(勝ったり負けたり)は、無敵一辺倒だった初代タイガーとはまた違った味があり、徐々にファンの心をつかむようになります。
(金本の場合は、勝ち負け以上に、徹底したラフ・ファイトが魅力。 容赦ない攻めのプロレス・スタイルは、ストロング・プロレスとしての新日本マットに合っており、そんなレスラーを好むファンに支持されます。)

右肩に脱臼癖があるようで、時折戦列を離れる事もありましたが、UWA世界ジュニアライトヘビー、UWA世界ジュニア、IWGPジュニアヘビー(計5回)、IWGPジュニアタッグ(計4回) といった数々のジュニア・タイトルを獲得。
過去の例で言えば、藤波辰巳や木村健吾が、ジュニアタイトルを極めた後、ヘビー級転向を行っていますが、金本の場合は 「生涯ジュニア」宣言を出しており、ヘビー転向には消極的。
そこがファンの心情をとらえ、ついた異名は 「ミスター・ジュニア」 とか 「ジュニアのカリスマ」 とか賛辞の嵐。

女性ファンが多かった事から、「男前レスラーの走り」 とも言われます。
昭和のプロレスでは、いくらジュニアでも100kg前後の体重が当たり前でしたが、金本のようなタイプがジュニア界を制する・・・。 プロレスも実力主義になったわけですね。
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初代タイガー・マスクに憧れ、中学時代に新日本プロレス入門テストを受けるも失格。 それでも諦めず、高校入学前に再度テストを受け合格。(山本小鉄に直談判しての合格) デビューは15歳11ヶ月であったという船木。
幼少時に見たブルース・リーの影響で、小学生の時には格闘技に興味をもっていたという根っからの格闘好きは、新日本プロレスから第二次UWFを経由し、藤原組に参戦。 そして完全実力主義を目指すパンクラスを設立。

身長182cm 体重90kg という体格は、ライトヘビー級並み。
通常の観点なら体重増加を目指してヘビー級の道を歩む事が、最強格闘家への道だと思うのですが、無理な体重増加は動きを鈍らし、技のキレを悪くするという論理から控えたのでしょうか?
(この体重に関する考え方は、NWA世界王者時代のテーズも同様な事を語っており、テーズも体重増加には取り組みませんでした。 またゴッチは無駄な筋肉増加は格闘技において、なんの役にも立たないと語っています。)

理想を追い求め、新日本→UWF→藤原組→パンクラス・・・。
格闘家としての強さを探す日々だったそうですが、このような考え方のレスラーが出回ったのも、昭和末期の第一次UWFあたりから。 それまでのプロレスは、強さ=強靭な肉体であり、各自が自身の特色ある動きや技を繰り広げながら、勝負に徹するだけでなく、いかに観客が喜び、満足してくれるのかを念頭に試合を組み立てていたものです。 観客は各レスラーのパフォーマンスに驚き、時に恐怖し(エリックがクローのポーズをとるだけで・・)プロレスの凄さや強さに酔いしれました。 「前座は大技を使ってはいけない」 といった暗黙ルールも、メインに出場する大物レスラーを軸に試合全体が盛り上がる為の演出。 そんなプロレスが 「昭和プロレス」 として切り離されていった分岐点に、パンクラス設立はあったように思います。

なんでもありの実力主義であるパンクラスでは、グローブをつけての顔面パンチもOK。
マウント攻撃やチョーク等、過激度も増す中、試合は 「秒殺」 も多く、従来のプロレスとはかけ離れた完全格闘技。 そんな試合方式に対し世の中の若者たちは、真の強さに酔いしれ、多数が支持したわけですから時代も変わったという事なのでしょう。 (ジャイアント馬場世代に育った私の場合、大男の馬場が巨体で相手を圧倒しながら勝利していくプロレスに、格闘技=プロレスのような感覚をもっていました。 プロレスラーが本気でパンチ、チョークありのセメントをしたら、殺し合いにしかならないと思っていたからこそ、馬場の試合で十分だったわけですが、そんな殺し合いに近い格闘技がもてはやされる時代がくるとは・・・ 想像もつかなかったです。)

当然ながら体格に劣り、格闘技面では未熟さも目立つ船木ですので、試合は勝ったり負けたり。
従来のプロレス感で考えれば、団体設立のエースは絶対勝利者であるべきなのですが、真剣スタイルだけに、この現状が逆ウケ。(八百長なしの真剣勝負として)
2000年5月26日 ”コロシアム2000” でヒクソン・グレイシーにチョーク・スリーパーで敗れ引退表明。(一度目) 2007年に総合格闘技に復帰。 二連敗の後、2008年9月にミノワマンから初勝利。
2009年8月より、全日本プロレスに参戦し、「世界タッグ王者」 「三冠ヘビー級王者」 に輝く等の活躍。

カール・ゴッチを心の師と仰ぐ船木。 某雑誌において、「決して弱音を吐かず、常に強気で孤独にも強い。そんな信念を貫き通した通したゴッチを尊敬している。」 とコメントしています。

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昭和が終わる1988年(昭和63年)頃までのプロレスに関しては、小技から大技まで、大抵の技名がわかり、その威力・効力に至るまで解説する事ができましたが、平成となり、個人個人が決めたオリジナル技の多さによって、もはや技の解説はおろか、名前すらわからなくなりました。
それは中西も例外ではなく・・・ 必殺技 「マッケンロー」 「上からドン!」 と聞いて、すぐに全てを理解できる方は、少なくとも昭和プロレスファンにはいないのでは? と思ってしまいます。

マッケンロー = 往年のテニス王者 ”マッケンロー” をヒントに開発されたという、膝裏に行う低空ラリアット。
上からドン! = コーナー2段目からの旋回式ブレーン・チョップ。
マムシの生殺し = キャメルクラッチから相手の首を横に曲げる拷問技。

しかし、どちらの技も原型は 「ラリアット」 だったり 「キャメル・クラッチ」 だったりと昭和の技。
そして、中西と言えば必殺技は 「アルゼンチン・バックブリーカー」 ・・・。

どこか新しく・・・ どこか懐かしく感じる最後のレスラーが ” 中西 学 ” の魅力。

通称は 「野人」。 身長186cm 体重120kg というヘビー体格に、ネイチャーボーイ(野生児)的な雰囲気。
そこから繰り出す昭和モデルの ” 力技 ” の数々。 
高校時代からアマレスで活躍し、強豪・専修大学に進学。 フリースタイル100kg級で全日本選手権3連覇。
当初の就職先は和歌山県・教育庁という変わりダネ。 
そこから新日本プロレス・アマレス部門である 「闘魂クラブ」 を経て、1992年のバルセロナ五輪に出場。 結果は2回戦敗退でしたが、アマレス日本最強男として新日本プロレスに正式入門。
1992年10月13日 東大阪市中央体育館でのデビュー戦が、藤浪とのタッグで、S・S・マシーン&ノートン組だった事からも、いかに新日本が売り出しに期待していたかがわかります。

期待に応え、第6回ヤングライオン杯で永田を破り優勝。 アメリカ武者修行後はIWGPタッグ王者に君臨。(パートナーは小島) 1999年のG1では決勝で武藤をアルゼンチン・バックブリーカーで破り優勝。
ついには第51代 IWGPヘビー級チャンピオンにも君臨。

一日のカロリー摂取量は8500という大食いで、趣味は食べ歩き。 人一倍 ”筋肉量を増やしたい” との願望あるレスラーとの事ながら、脂肪量も増える大食いという矛盾。
野人キャラを売りにする反面、実家は京都でも有名な大農家(お茶農家)であり、体育教員資格をもち、和歌山県庁に勤務した事もあるという矛盾。
こういった矛盾も、中西の魅力なのかもしれません。
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1984年(昭和59年)の全日本マットには、長州力をはじめとするジャパン・プロレス軍団がひしめき、連日、長州見たさに大盛況。 初代タイガー・マスクブームの際、新日本営業部長をしていた新間寿氏は 「プロレスブームというよりも、新日本プロレスブームです」 とコメントしたように、一時は新日本が全日本に差をつけていましたが、長州離脱及び全日本入りにより形勢逆転。 外人レスラーの引き抜き合戦も過熱化し、まさにレスリング・ウォー状態。

一見、活性化のようにも思えますが、ジャパンプロレス軍団が全日本入りした事で超迷惑をこうむったのが、それまで全日本を主戦場としていた日本人レスラーたち。 
国際プロレス残党、ジャパンプロレス13名、これにカルガリー・ハリケーンズが加わると、正式な所属レスラーが試合に出られなくなる事態が発生。 この日本人レスラー飽和状態を打破すべく、馬場がとった措置はリストラ。
残念ながら、アポロ菅原もリストラにあった一人です。

国際プロレス末期の1979年(昭和54年)、知り合いからの紹介を受け、三井造船所を退社して国際入り。
身長182cm 体重100kg少々の体格ながら、秋田工時代にはインターハイ準優勝(過去、国体でも少年部で優勝)した事もある実力者で、国際プロレスの ”若手三羽カラス” とまで言われた逸材でしたが入団間もなく国際プロレスが倒産。 1981年(昭和56年)より全日本マットを主戦場としていました。

全日本解雇後、流れついたのが振興団体SWS。
ところが 鈴木みのる との対戦を行った際、全く組み合おうとせず、隙を見てはアッパーパンチを行う等、不可解な展開。結局、途中リング外に降り、レフリーから試合放棄のゴングを鳴らされ大激怒。 これはシュートを仕掛ける鈴木に対し、反撃するアポロへのレフリー対応に不満をもったからとも言われています。
その後も遺恨を残したまま残留しますが、SWS自体が興行団体として未完成だった事もあり崩壊。
以後、インディー中心のジャーニーマン(流れ者)として各団体を渡り歩く事に・・・。

実力派と言われながらプロレスで達成できなかった理由としては、昭和末期の混乱したプロレス界というだけでなく、プロレス自体にイマイチ順応できなかった事が考えられます。

ちなみに秋田工時代の同級生がプロ野球の落合博満だとか。
落合も現役時代は ”オレ流” にこだわり、プロ野球界に正しく順応できていたかは疑問が残ります。(落合の場合は抜群の実績を残す事で、まわりの雑音を消しましたけど)

プロとは ” 卓越した能力を武器に、その世界で飯を食う者 ” を意味します。 その世界で生き延びるにはどうしたらよいのか・・・ アポロの場合は、全体的な個性が弱かったように思います。(実力はあるのですが・・)
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横綱在位20場所 幕内優勝6回 ・・ 178cm 175kg の巨体を活かして一気に寄り切る相撲から、ついた異名は ” 怒濤の寄り身 ” ・・ 第40代横綱 東富士がプロレス入りしたのが昭和30年。(当時33歳)

前年の昭和29年2月、TV中継を利用したプロレス興行は大当り。
2m近い大男コンビ(シャープ兄弟)を、柔道王・木村政彦と組んで退治する力道山の活躍は、戦後、占領軍に対する劣等感を抱いていた日本人に大いにウケ、街頭テレビには2万を越える大観衆が・・・。
一夜にして力道山は日本一の大スターとなり、全国どこに行っても満員御礼。 第一次プロレスブームが訪れます。

ところが、当時のプロレス興行とは、全国に散らばる興行師の ”買い・売り” あって存在するもの。
更に日本プロレス協会は発足にあたり、財界著名人や反社会団体等の支援(投資)を受けており、主な要職は全て牛耳られ、いくら儲かってもスターである力道山の懐に入る金額は微々たるもの。
これに関して力道山が興行利益の分配に対し、「身体を張って闘っているワシの分があまりに少ない」と言い出したものだから大もめ状態。 ついには 「朝鮮人が日本人を疑似して文句を言うとは許せん」 となり、純粋な日本人チャンピオンを柱に、プロレス興行を立て直そうと、力道山と同じ処遇を約束され入団してきたのが東富士でした。(東富士は生粋の江戸っ子横綱として人気が高かった上、見た目がやさしく ”気が優しくて力持ち” という日本人好み力士でもあったので、気が荒く粗暴な力道山の入れ替えには最適だったと言われています。)

プロレス入りして2ヶ月後には、早くも力道山とのタッグでハワイ・タッグ王者に君臨させた協会役員たちの行動に対し力道山は、昭和30年夏のシリーズにおいて、狂える巨像 ”ジェス・オルテガ” と東富士をシングルで戦わせ潰しにかかります。 予想通り東富士が一方的にやられる中、見かねたように現れカラテチョップでオルテガを追い払った力道山に観衆は大喝采。 暴走する力道山を抑えるはずの東富士が、逆に力道山の人気を高める結果となった事から、東富士の実力は疑われ、人気が出ないまま引き立て役に転落。

そんな折、力道山はプロレス興行には「世界」の名がつくベルトが必要だと考えるようになり、儲けた資金をはたいてWWAから世界タイトル興業権を買ってしまった事から、手元資金がなくなった日本プロレスは混走状態に。 
ついには所属レスラーのギャラ遅れが生じるにあたり、某レスラーがアメリカにいる力道山に対して 「朝鮮人である事を世間にバラし、この問題を国会にて論じていただく」 といった手紙を送った事からクーデター事件勃発。 その窓口に利用されたのが東富士だった事もあり、力道山の恨みは相当なもので、昭和32年に日本プロレス役員の一掃を機に完全オーナーとなった力道山は東富士いびりを開始。それを表面化させない態度が今度はクーデター派に、「東富士と力道山はつるんでいる」との疑念を抱かせる結果となり、行き場を失った東富士は、わずか4年でプロレス界を去って行きます。

戦後のプロレス騒動からも、当時の世相が伝わってきます。
近年、「東富士は力道山の踏み台にされた元・横綱」とか、「力道山に騙された悲劇の横綱」とか言われているみたいですが、元々二人は仲が良く、力道山が親方と喧嘩をして髷切りをした際、相撲協会復帰に動いてくれた唯一の力士が東富士。(結果はだめでしたが・・)
そんな関係から東富士の優勝パレードでは、力道山が車を手配する等の支援を行っています。(これが優勝パレードの始まりと言われます)
そのあたりやプロレス入りの経緯を考えれば、東富士は力道山に・・ではなく、巨額のプロレス収入を我物にしようとした当時の役員や反社会勢力者に操られ捨てられた悲劇のヒーローのように思えます。

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