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1960年(昭和35年)、当時NWA世界王者だったパット・オコーナーを王者として設立されたAWA。
当時、AWAを名乗る団体は幾つか存在したようですが、バーン・ガニアによるAWAに吸収。 その後、NWAから独立し、「NWA AWA WWWF」 は、”プロレス世界三大タイトル” と呼ばれるようになります。
しかし、隆盛を誇ったAWAも、WWFの勢いには逆らえず、1991年をもって活動停止。
1984年(昭和59年)、ジャンボ鶴田がニック・ボックウィンクルから奪取して話題となった栄光のベルトは封印される事に・・・。
大森隆男のタイトル歴を確認すると、3度のAWA世界王者となっていますが、これはあくまで別のAWA。
後にWWEの抗議もあって、WSL世界王者に名称が変わった、ローカル版のAWAであります。
身長190cm 体重110kg という日本人離れした体格。
城西大学時代、アメリカン・フットボールの名選手だったという突進力を活かして、必殺技は ” アックス・ボンバー” というあたり実に面白い・・・。
ハルク・ホーガンが、スタン・ハンセンのウエスタン・ラリアットをヒント・改良して生み出したエピソードは有名ですが、ラリアートが相手の喉笛を打撃で圧迫させる技なのに対し、アックス・ボンバーは肘をL字に曲げる分、相手の顔面に打撃を加える技。 その為、相応の体格と太くて頑丈な腕がなくては見栄えも悪く、効果もでないわけですが、日本人レスラーがフィニッシュ・ホールドに使用するとは、当時(ホーガンが新日本常連だった頃)、誰も予想すらしなかった事だと思います。(異名は ”和製ヘラクレス”)
全日本プロレス時代はタッグ・マッチの名手と言われ、全日本の至宝であるアジア・タッグ王者に君臨。同時に、世界タッグ王者にも君臨するという快挙も成し遂げています。
また世界タッグ王者につくこと、実に計6回にもおよび、世界最強タッグリーグ戦では優勝2回。
プロレスリング・ノアでは第3代GHCタッグ王者。
ZERO-ONEでは第9代、11代、17代 NWAインターコンチネンタルタッグ王者。
新日本プロレスでは第49第IWGPタッグ王者。
もちろんシングルでも数多くのタイトルを獲得。
AWA世界ヘビー王者の他、三冠ヘビー王者、NWA・UNヘビー王者、WLW世界ヘビー王者、EWA世界ヘビー王者等々。
性格は温厚かつ感情派。 チビッコファンを大切にする事で有名。 「プロレス界一の紳士」 と言われ、ハンサムレスラーとしても人気者。 女性ファンの多いレスラーでもあります。
2014年4月、チャンピオン・カーニバルで初優勝。(実に11回目の出場にして) 現在46歳(H28・3時点)になりますが、まだまだ第一線で活躍中。
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伝説のプロレスラーサイン集(日本
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今、隠れプロレスブームとの事。
筋肉隆々でイケメンのレスラーが増え、器用に高度な技を使いこなすのですから、世の中の女性が熱中する気持ちもわかります。 その結果、「お持ち帰りギャル」 が急増。 これって、ファンの女性が身体をプレゼントするサービスなんだとか。 花束だの手作りお菓子なんて時代遅れ。 もはや世も末って感じ。
(このサービスはアメリカマットでは普通になっているそうで、あのマサ斉藤も女不足に困らなかったとの事。)
そんな時代背景が原因か・・・ イケメンレスラーの「性」失態事件が相次いています。
その一人が棚橋弘至。 事件は2002年11月28日午前10時頃発生。
当時、交際中だったタレント・原仁美と別れ話が元で、背中を2ヶ所刺され大騒ぎ。
刃渡り13cmの料理ナイフは、棚橋の首下から肺にまで達しており、あと数センチ上だったら命を落としただろうという重傷。 原因は別れ話を言い出した棚橋に対し、原の 「棚橋さんを他の女にとられたくなかった」 という女嫉妬だと言いますが、東京地裁は 「とられたくないという身勝手な理由ではあるが、棚橋さんの言動も配慮に欠けていた」として、原に対し、懲役3年 執行猶予4年(求刑懲役5年)の判決を下し、「内面を磨いて更生すれば、おのずとあなたを必要とする相手に巡り合えるでしょう」 と励ます一面も。
このやりとりからして、棚橋のプレイボーイ面が世間に知れ渡ってしまいました。
そんなお騒がせ男・棚橋ですが、2003年2月に復帰すると、4月にIWGP初代U-30無差別級王者、6月にIWGPタッグ王者(パートナーは吉江)、11月にはGHCタッグ王座(パートナーは永田)を獲得。
ビルドアップされた肉体で人気者となり、ついには新闘魂三銃士(柴田、棚橋、中邑)として売り出される程に。
以後、怪我にも耐えて、計7回のIWGPヘビー王者に君臨。 特に5度目の王者(56代)では、同タイトル新記録となる11連続防衛に成功。 プロレス大賞での重賞常連となり、「100年に一人の逸材」 「太陽の天才児」 と称されるまでに。
1976年11月13日生まれの39歳。(H28・3時点)
身長181cm 体重103kg。 藤波から伝授された数々のドラゴン殺法をはじめ、ハイフライフローが決め技。
投げ技、絞め技、蹴り技、空中技・・・ なんにでも対応できる天才児。 そして爽やかな一面も。
昭和が終わって28年目。 プロレスもホント、変わりました・・・。
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アントニオ猪木 VS ウィリー・ウィリアムス戦において、バックをとった猪木の額に、ウィリーのキックが炸裂したシーンがありますが、一瞬の隙や油断が、そのまま反撃の糸口になるのが格闘技。
ところが、永田のパフォーマンスは 「白目を剥くこと」 ・・・。 当然、白目を剥いている間は、何も見えませんから、もしもとっさの反撃を食らったら、大怪我する事間違いなし。
個人的には気持ちが悪いし、危険だし・・にてやめてもらいたいパフォーマンスですけど・・・。
(ザ・シークも怪人のイメージを出すため、舌を出していましたが、かなり危険な行為です。)
白目の他にも、幾つかのパフォーマンスがある為、「プロレス一のひょうきん者」と言われる永田ですが、実はアマレス全日本学生選手権において3連覇を成し遂げた実力者。(グレコローマン)
その為、スープレックスのキレ味は鋭く、関節技も得意。 更にキックも使うという万能レスラー。
身長183cm 体重108kg と、ヘビー級にしては小柄。 1998年、IWGPヘビー王者をかけスコット・ノートンと対戦。体格の差はいかんともし難く惜しくも敗れますが、翌年のG1では、藤浪辰巳や佐々木健介を破る活躍。 同年、中西学とのコンビでIWGPタッグ王座を獲得。
2001年8月 G1では、武藤敬司、蝶野正洋を破り初優勝。
2002年4月5日には安田忠夫を破り、IWGPヘビー級王者に君臨。 計10回の防衛に成功。
新日本プロレスを代表するメイン・レスラーへと成長していきました。
反面、ディフェンスには難もあり、噛みあいの悪い対戦相手の時は、失態を繰り広げる事も・・・。
2001年5月5日の福岡ドーム大会では、異種格闘技戦としてレイニー・マルティネスと対戦。 足取り袈裟固めを決め勝利するも、12月に行われた猪木祭では、K−1のミルコ・クロコップに、左ハイキック一発、わずか22秒でTKO敗け・・・。 2003年12月31日のイノキボンバイエでは、PRIDEヘビー王者のエメリヤーエンコ・ヒョードルと対戦、1分2秒、レフリーストップ敗け。
2005年にはフロントとの確執からヒールに転向するも、新日本プロレス・現場監督に復帰した長州の人望薄からくる、蝶野を中心とした反長州派との狭間に立たされ中止。 2007年には再びIWGPヘビー級王者に返り咲いています。
以後、体調を崩したりと四苦八苦の中も第一線で活躍。全日本にも参戦し、チャンピオン・カーニバルで優勝。
第50代 世界タッグ王者にもついています。(パートナー・・ケンドー・カシン)
プロレスリング・ノアでは、第21代 GHCヘビー王者、第7第 GHCタッグ王者(パートナー・・棚橋弘至)、グローバルリーグ戦優勝と大活躍。
ZERO1−MAXでは、第2代 ZERO1世界ヘビー級王者に君臨。
1968年4月生まれの47歳(H28・2月現在)、必殺バックドロップ・ホールドはまだまだ健在です。
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大相撲時代、「あなたは親孝行をしていない」 と性別判定士に言われた事がきっかけで、四股名を 「孝乃富士」にしたという安田忠夫でしたが、異常なまでのギャンブル狂が発端となり、相撲廃業、離婚、借金生活・・・。
何をしても中途半端で続かず、トラブルの繰り返し。 一体、親孝行はどこえやら。
身長192cm(一説では195cmとも) 体重130kg(相撲時代は160kg) という恵まれた体格を活かして大相撲では幕内33場所 最高位・小結に昇格。 敢闘賞1回 金星2個(どちらも双羽黒)と、それなりの結果を残すも、28歳にして廃業。 理由は定かでありませんが、すでにこの頃には九重部屋にヤクザがギャンブル借金回収にきていたと言いますから、闇の世界との関係があったものと思われます。
引退後、新日本プロレス入り。
輪島が全日本プロレス入りした時のように、知名度や実績のある力士が入ると、団体は大々的に売り出すのが慣例でしたが、新日本に限っては、問題児・北尾(元横綱・双羽黒)での失敗に懲り、実績があろうが特別扱いしない方針で対応。 その為、プロレスに馴染むまでの間、鳴かず飛ばず状態が続きます。
転機が訪れたのは2001年に総合格闘技参戦を果たしてから。
アントニオ猪木・人間再生プロディース企画にて、大晦日 ”INOKI BOM−BA−YA 2001” に出場し、なんとメインで当時無敵を誇ったジェロム・レ・バンナと対戦。 圧倒的不利との予想を翻し、2R・ギロチンチョークで大金星。(前の対抗戦では、レネ・ローゼにハイキックKOされており、まさかの展開に会場大興奮)
娘のAYAMI(元レースクイーン)を肩車しながら 「お父さん、やったぞ〜」 と叫ぶシーンは感動?させました。
(但し、後にAYAMIが言うには、”最悪の気分だった” との事)
2002年には藤田和之からIWGPヘビー級王者を奪取する大金星。
2003年には、高山善廣(当時、IWGP+NWFの二冠)を破る大金星。
弱いのか、強いのか・・ 不思議な魅力を発揮し、さあこれからという時に、またもトラブルを連発し、2005年、新日本プロレスを解雇される始末・・・。
2007年には練炭を使用した一酸化中毒自殺を試みるも失敗。
(本人曰く、”焼肉食おうとしたがガスを止められていて仕方なく七輪に火をつけた。ところが今度は肉を買う金がないので、一人空しくエア焼肉していたら、不覚にも眠ってしまっただけ・・” とわけがわからぬ言い訳をしている)
以後、牧畜農家で雇われ・・ クビ。 ブラジルに渡って農場経営を目指すも、プロレス引退興行のトラブルから断念。 更にはカンボジア国際カジノに就職するも早々に退職。
何をしてもトラブル、ギャンブル、借金、仕事の続かない男。
しかし、それもまた彼の人生。 また52歳(H28・2時点)ですし、再度、人生の大金星をあげる日がくるかも?
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昭和30年代、プロレスごっこで怪我をする子供が続出し、新聞が社会問題として取り扱った時、スーパースターの力道山はTVに出演し、「プロレスは鍛え上げた者だからできるんです。皆さんは絶対に真似をしないようにしてください。 TVや雑誌で楽しむだけにしてください。」 と訴えました。
そのくらいプロレスは危険でありハードであり、見よう見まねでふざけ合いすれば、大変な大怪我につながってしまいます。
その事が一番わかっているのはレスラー自身・・・ のはずなのですが、SWS解散後の谷津嘉章は新団体SPWFを立ちあげるにあたり、学生や社会人といった一般人も試合に参加できるよう、試合構成を1部(プロ)、2部(アマチュア・社会人)、3部(素人)とわけ興行を実施。 女子の部まで作り、危険技の禁止もなく、素人たちが好き放題・・・。
内容的に無理がある上、たとえ3部であろうと、試合中の事故や怪我は自己責任をいう無責任ぶりが批判対象の的となり経営難に・・・。 そんな状態を打破しようと、谷津自身がメジャー団体のリングに傾きだした結果、更なる傷口を広げる事となり崩壊します。
神風(KAMIKAZE)は、そんなSPWFプロレスの出身。 1994年、結果的には谷津を見限り退団。 新団体 ” レッスル夢ファクトリー” にて活動した後、大日本プロレスに移籍。 2002年にフリー経由でZERO-ONEに参加。身長185cm 体重115kg の恵まれた体型を買われ、橋本真也のタッグ・パートナーに抜擢されます。
真面目な努力家で人一倍気性が激しい反面、ファンサービスも抜群。
試合後、どんなに疲れていても、サインや記念撮影を求められると、出来る限り応じようとされます。
そんな神風、最近のプロレス事情には苦言がある模様。 それは体格差による階級が崩壊している現状について。 大小様々な団体が生まれた結果、レスラーが飽和状態となった上、各団体のスタイル違いに関係なく自由参戦が増えた結果、ヘビー級がライトクラスと戦う事もしばしば。
ヘビーもジュニアもライトもそれ以下クラスもが入り乱れて戦う事は、ヘビーの立場から言わせば無茶苦茶だと訴えます。 これに対し反論するレスラーも。 日高郁人は 「身体が小さくても、急所にいいもの食らわせたら倒せること可能だ。 高田さんが北尾さんを蹴り倒したように・・・」
得意技はムーンサルト。巨体ながらこの技にこだわり、ファンからは 「Mr・ムーンサルト」と呼ばれています。
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