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H31年1月26日(土) 小雨 のち 雪
温暖な松山市にも昨夜から寒気が流れ込み、息をするだけで肺の中まで凍りそうな寒さ。
その影響もあってか本日の朝、昨日迄元気だった男性老人(84歳)が遺体で見つかりました。
警察が検視した結果、夜間の心臓麻痺との事。 高齢者独居であり、「寂しい」と言っては毎夜深酒しては、椅子で朝まで眠るという不摂生がもたらした悲劇でもあります。
状況から見て、いつものように深酒したまま椅子の上で寝入ってしまい、この寒さで凍死(結果は心臓麻痺)したようですが、統計から見ても、男性の高齢者程、孤独に耐えられず、このような悲劇となる事がわかっています。
逆に女性は、亭主が亡くなっても一人で生きる力が備わっているようで、孤独に強い傾向が見られます。
先日、某大学病院教授の講義に参加しましたが、男性と女性の違いを面白、可笑しく話していました。
教授=「もし40歳の時、同級会があったとして、失業中や低所得、もしくは独身や離婚中といった状況にある男性は、同級会に参加する可能性は極めて低いと言えます。 何故かと言えば、この歳の男性が集まると、まず話題は仕事の話やお金にかかわる話、または家庭や家・車に関する話が殆ど。 そんな中に、わざわざ飛び込んだりしません。 ”お前、40歳にもなって職なしか? そんなんでいいと思うのか?” とか説教を食らったりするケースが多い・・・ これが男性の世界です。 逆に女性は平気に参加する方が多い。 何故かと言えば身の不幸に関する愚痴を聞き、一緒に共感してくれる・・ ”あなた離婚したの?良かったじゃない、そんな男と一緒にいる方が不幸せよ。わかったわ、みんなでもっと良い人を紹介してあげるから!” といったような広がりがあるのが女性の世界です。」
この話の裏付けではないのですが、老人が集うデイサービスやデイケアにおいても、多数は女性であり、男性が少ない傾向にあります。 共感や話題を持ちながら、ネットワーク作りを行う事にたけている女性と、仕事やこだわり(時にプライド)に縛られた人生観がベースの男性との差・・・。
高齢となり、親も兄弟も亡くなり、子供もいない独居老人の最期・・・ 今日は孤独死という不幸を目のあたりにして考えさせられました。
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福祉コラム
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H31年1月20日(日) 雨 のち 曇
今日の松山市は朝から強風が吹き荒れ模様の天候・・・。 気温も低く、まさに大寒と言えるような一日でした。
そのような中、宇和島市吉田町の親戚から、娘の小学校入学祝いを頂いた御礼の為、先週に続き帰省。
その節、昨年7月の集中豪雨被害地を通りましたが、海端から山間部にかけての県道沿いは、よほど復旧が遅れているのか、殆ど手付かず状態でした。
裸斜面を放置しておくと路面が固まり、次の大雨の際、雨水が浸透しない為、濁流となって民家を襲う可能性があります。 また露出した岩や大石が転がり落ちて、民家や道路を直撃する事も考えられます。
台風の季節から離れている今、本格的な復旧作業に取り組まないと、今年は昨年以上の大災害が発生するように感じています。
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H30年1月13日(日) 晴れ
高校卒業(18歳)まで過ごした、愛媛県西予市が我が故郷。
今は高齢となった両親の安否確認の為、月に1回程度、日帰りを繰り返しています。
両親ともに公務員でしたので、直接農業経験はないのですが、我が家の御先祖様が残した田んぼや山が多数あり、地元の遠縁の親戚(専業農家)に依頼して、米を作ってもらっていました。
ところが昨年暮れに親戚から連絡があり、「私も高齢で、今後農業を続けるのも困難となってきた。娘は全員町外に嫁いで後継者もいない。 来年をもって、代行してきた米作りを終わらせてもらえんやろうか?」 との事。
私が子供の頃は地区をあげての祭りもある程賑やかで、池干し(4年に一度、地区にある溜池の水を抜き、育った鯉や鮒を皆で捕まえて食べる行事)が楽しみだった記憶があります。
農家が多い地区にもかかわらず、この地区に生まれた赤子は数年なく、知らぬ間に、今住まいの方が亡くなれば滅びゆくかもしれない状況となっていました。
仕方がないので、別に作ってくれる方を探していますが、現時点ではかなりの支払いをしなければ作り手が見つからず、2年後には休耕田にする事も検討中・・・。 こんな状況ですので買い手もおらず、まさに「負の遺産」状態。 日本全国、過疎地ではこのような状況が広がっています。 少子化に高齢化・・。 地域格差が広がる中、若者は寂れる一方の田舎には残らず、都会に流出していきます。 40〜50年後には、日本各所で廃墟となる地区が多々発生するとも言われており、我が故郷もその中の一つに・・・。
昭和の時代、まさかこのような時代がくるとは想像した事もなかったです。 春には平成も終わり。
私が80歳となる約30年後・・・ 昭和を懐かしむ自分の姿が見えてきます・・・。
我が家の田んぼの一つです。調整区域で整備され、一反は300坪(990平方m)あります。 ちなみに1坪とは、人間が一日で食べる米がとれる広さの意味。 約2.5合ってとこです。(豊臣秀吉の検地前までは360坪でした) 一反=一石=一両 となりますので、一両小判を今の価値になおすと約8万円弱となります。
一石=十斗=百升=千合 の仕組み。 豊臣検地以前は、一日約3合食べる計算で、360日×1080合。
ちなみに・・ 我が家の山には沢があり、湿地帯がある為、マムシ王国になっています。 松茸も捕れますが、恐ろしくて行く事ができません。
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32年前の大学時代は法学部。卒業後に別大学の文学部に編入。卒業後は日本文学や日本史を専門とする発掘調査員となり30歳近くまで活動した経緯から、今でも暇さえあれば、日本史に関する書物(漫画モノも含めて)を読み漁っています。 限られた資料から、過去を遡りながら謎を解く事は容易な事ではありませんが、近年の研究によって、当時の正論が履がされたり、あらたなる発見があったり・・・。 日本史を取り巻く状況は、日々変化しているといっても過言ではありません。
業務多忙に多趣味が影響し、ゆっくり研究といかない日々ですが、年末年始にかけての6連休くらいは、どっぷりと日本史の世界に浸かりたいもの。こういった趣味は歳をとって動けなくなってからも続けることができる一生もの。
未使用の部屋が3つあり、今のところ読書部屋として活用していますが、業務多忙と休暇は釣り三昧(又は子供と外出)の為、最近は 「開かずの間」 になっています。 6連休のうち、1月2日〜3日は、日本史にどっぷりつかりたいと思います。 (昨年、かなりの本を処分しました。 別部屋にも同様の本が並んでいます。あまりに日本史の本ばかり買ってくるので、嫁さんも呆れてはブツブツ・・ですが、無視しています!)
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あと4日で新年という12月28日、声優の藤田淑子さんが68歳という若さで永眠されました。(浸潤性乳癌)
藤田さんはキテレツ大百科のキテレツくんの他、キャッツ・アイの来生泪、がんばれ元気の堀口元気、北斗の拳のマミヤ、デジモンアドベンチャーの八神太一、地獄先生ぬ〜べ〜の立野広、ガラスの仮面(2005年版)の月影千草等、昭和50年代初期〜今に至るまで、様々な人気アニメに出演。 子供役から大人の女性まで、幅広くこなす実力派として人気がありました。
私の中では 「一休さん」 が一押し。 296話、7年にわたって放送された人気アニメは、藤田さんの声なくしてはありえなかったかもしれません。 そのくらい8歳の一休さんとマッチした声でした。
一昨年前、スカパー「テレビ朝日チャンネル2」で、一休さんが再放送(約140話分のみ)され、その時の放送分を、娘・お咲希さんが見ていますが、どの話にも子供教育に必要な内容が盛り込まれ、ただ滑稽なトンチ話ではない名作だと、あらためて感じています。
今でも十分に楽しめる名作だけに、是非再放送を流してほしいものです。
サザエさん=加藤さん、波平=故・永井さん、ちびまる子ちゃん=タラコさん、ルパン三世=故・山田さん・・・ と、あまりにもキャラにマッチし親しまれた場合は、二代目声優も同じような発語の方で当てはめる事が大半。 唯一の例外としてはドラえもんの大山さんが、二代目になった後はドラ声でなくなった事くらいでしょうか。
ただ・・ 一休さんの場合は藤田さんで決まり。 「藤田さんで始まり、藤田さんで終わる」 そんな気がします・・・。
最初は意地悪で頑固侍だった新右衛門ですが、話が進むにつれ、ドジで優しい寺社奉行に。 この二人のからみが好きだったというファンも多いと思います。
蜷川新右衛門は実在の人物。寺社奉行ではなく城主様でした。格闘技の「武蔵」は子孫にあたります。一休とは付き合いがありますが、師弟関係は逆だったようで、和歌の名人だった新右衛門に一休が教わっていた模様。
当時の時代背景や庶民の暮らしも一休さんではしっかり表現されています。医療に乏しく食糧難だった時代、戦に明け暮れる悲惨な農民の声・・ そんな過酷な時代に向き合う一休さんや仲間たち。 1975年(昭和50年)に放送開始されましたが、今でも子供に見せたい名作中の名作です。 (我が家では繰り返し見せています)
「門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」 は実在の一休が読んだ句。 戦乱の世の中、正月気分で気が緩む世間に対し、皮肉りながら忠告する一休の心が見えてきます。
昭和の代表作アニメと言えば一休さん。 1975年(昭和50年)〜7年間 296話が放送され、こっけいなとんち話から、戦で焼かれた人々の世相までを忠実に再現。 笑いあり、涙ありの傑作アニメです。
舞台は3代将軍・足利義満(実際は義満が没した時、一休さんは3歳でしたので、もっとあと)が南北朝統一をはたした頃。 天皇家を追われた千菊丸こと一休さんが、有名なとんち小坊主となって、悪者をやっつけたり、無理難題を解決したり。 困った時は座禅を組み、両手の小指で頭をこすると・・ ” ポク ポク チーン ”
意地悪な桔梗屋親子や、孤児のさよちゃん等、ユニークなキャラも多く、児童中央審議会推薦作品として人気がありました。 最終回、もっと大きな世界を知ろうと寺を出る決心をした一休さんは、極秘中の極秘である、父・後小松天皇からもらった菊紋入りのお守りをさよちゃんに。 旅立つ一休さんにさよちゃんは、自分の小袖を切って作った”てるてる坊主”を・・。 もう涙なしでは見られない名作アニメです。
★ 一休さん(宗純) ★ ・・・ 1394年2月1日〜1481年12月12日没
父は後小松天皇と言われ、母は藤原氏の流れを組む日野中納言の娘・照子姫(楠木家との異説もあり)。天皇を呪ったとの罪を着せられ、6歳の千菊丸(一休)共々追放され平民に。以後、”伊予の局” を名乗ったとの事。
その為一休は安国寺の僧・外集艦に入門。 周建を名乗ります。 17歳で安国寺を出て謙翁宗為に弟子入り。名前を宗純と変えます。 21歳の時、謙翁の死に際し殉死を試みますが、大徳寺の高僧・華叟宗曇に助けられ弟子入り。 洞山三頓の棒と言う公案に対し、「有ろじ(迷い・煩悩)より 無ろじ(仏・悟り)へ帰る 一休み 雨降らば降れ 風吹かば吹け」 と答えた事から ”一休”に戒名。 1420年夜中、鳴いたカラスの声を聞き大悟(悟り)し、以後は寺を出て、書・詩・狂歌を行いながら過ごす教養人として、また僧侶らしからぬ狂人(肉食・酒飲・男犯・女犯等)として88歳の長寿をまっとう。 死因は老衰ともマラリアとも言われる。 最期の言葉は「まだ死にとうない」・・。
★ 蜷川新右衛門 (新左衛門) ★ ・・・ ? 〜 1448年12月没
伊勢氏に属し、丹波園部にあった蜷川城主。 6代将軍・足利義教に仕え、政所公役の公務を行った。 連歌の達人であり、後に出家し「智蘊(ちうん)」と名乗る。 連歌を通じて実際に一休との交流があったらしい。
有名な歌として、「浮世をば なんのへちまと おもうなよ ぶらりとしては くさらせもせず」等。 格闘技で有名な武蔵は、蜷川家子孫にあたるそうです。
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