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昭和レトロに思いをよせ・・ 古き良き時代を振り返り・・

伝説のプロレスラーサイン集(外人

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1968年(昭和43年)〜1969年(昭和44年)にかけ国際プロレスに参戦。以後、国際〜全日本プロレスの常連となったワイルド・アンガスの必殺技 「アンガス・スープレックス」とは、体勢を斜めにして投げるダブル・アームスープレックスの事。 ダブル・アームスープレックスがまだ必殺技であった頃、某プロレス雑誌において、「この技は両腕を決めて後方に投げるので、受け身がとれず、一撃で失神」 と紹介されていました。 今ではつなぎ技以下の扱いになっていますが、昭和40年代〜50年初期にかけては、世界5大必殺技にも数えられる大技。 当時のプロレスファンは、「この技がでたらおしまい」 と納得していた時代が懐かしいです・・・。

身長193cm 体重135kg の大型ファイター。 異名の 「怪僧」 と、まるで 「麻原彰晃」 を彷彿させる長い口髭をなびかせた風貌が実にマッチ。 残念ながら全日本に参戦した時は、すでに全盛期を過ぎていた為、強かったといった印象がなく、どちらかと言えば、負け役の為の 「オマケ参戦」 だったように思えます。

しかし、若かりし頃の戦績は中々のもの。 NWAセントラル・ステーツ・ヘビー級王者にもついていますが、このタイトル、1048年(昭和23年)カンザス、ミズーリ、アイオワ周辺を中心に興行していたプロレス団体であるセントラル・ステーツを母体とする歴史あるタイトル。 NWA加盟での栄光も、1989年に団体が崩壊し終焉となりますが、ミスター・プロレスことハーリー・レイスとも関りが深く、ワイルド・アンガスもNWA世界王者だったドリー・ファンク・ジュニアと世界タイトル試合を行う等、NWAエリアの恩恵を受けています。

国際プロレスでは、豊登、サンダー杉山、ストロング小林・・・ とタイトルマッチを争っていますが、この手のレスラーは実に国際によく似合うように感じます。 悪役風貌・・・ 大型のラフファイターのイメージながら、ヨーロッパ系のレスリングも身に着けており、意外にも様々なタイプと組み合えるのも魅力。
その為、タッグでも対応できるので、来日する無名レスラーとのコンビで、TWWAやIWAにも挑戦。 アンガスが相手という売りと、結局はパートナー・レスラーがやられて日本人の勝利という売りで、国際プロレスの興行に貢献?したように思います。

プロレス引退後、スコットランドに移り住み、「森林警備員」なる仕事についた変わりダネ。
2005年4月21日、満70歳にて永眠。

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1984年、WWFの地盤を引き継いだビンズ・マクマホン・ジュニアは全米マットの侵略に乗り出し、その先頭に、当時AWAで活躍中だったハルク・ホーガンを抜擢。 当時、日本国内でも初代タイガー・マスクや長州力ブームによるプロレスブームが広がっていた世情もそうして、「日米、プロレス・ウォー」 なんて言葉まで出現。
昭和の末期におけるプロレス界は、現在におけるプロレスへの変換期でもあり、何かと話題の多い時期でもありました。

WWFでは1978年に、スーパースター・ビリー・グラハムを破ったボブ・バックランドが、「ニューヨークの若き帝王」として活躍していましたが、全米進出の先陣に立つには役不足。 合理主義のアメリカにおいては、パワー、体格、カリスマの3大要素がずば抜けていなければ誰もが納得する ” 絶対スター” にはなれない中、日本での活躍や、ロッキー3出演で全米中に存在が広まったハルク・ホーガンは最適。 ボブからホーガンへのつなぎ役として抜擢されたのがアイアン・シークです。

では何故アイアン・シークが抜擢されたのか・・? これには1979年11月(昭和54年)にイランで発生した、アメリカ大使館占領・人質事件が深くかかわっていると推察しています。
戦後のアメリカマット界でも、グレート東郷が、憎き日本人役を演じ、悪さの限りを尽くしたあと反撃されてのされるパターンで大成功した事と同じであり、1983年12月26日に、憎きイラン出身ヒールのアイアン・シークが、英雄だったボブ・バックランドから強引にタイトル奪取した事に、全米のプロレスファンは怒り、この憎きシークを退治してタイトルを奪還してくれる英雄レスラーの出現を望む・・・ そして一か月後・・・ 超人ホーガンが現れ、憎きシークを退治してタイトルを取り戻す・・・ というストーリー。
(アラブ系らしくキャメル・クラッチを決めた際、セコンド・タオルによる敗戦で王座転落というあたりも演出されています。 誰もが納得いかない中途半端な敗戦に仕立てた事も、更なる相乗効果となりました。)

マクマホン・ジュニアの戦略は当たり、今のWWEにつながったわけですので、アイアン・シークの果たした役割は大きく、WWEの恩人とも言える存在になり、WWE殿堂入りを果たしています。
では、アイアン・シークの実力はギミックなのか? というと、そうではなく、アマレスで鍛えた実力派レスラーであり、オリンピック出場経験こそありませんが、モントリオール・オリンピックにも全米コーチとして参加。
晩年の体型からは想像もつかない見事なスープレックスを得意にしていました。 但し、ヒールに転向してからは、アラブ系レスラーの印象を強める為に、キャメル・クラッチを決め技としていた模様。 これはザ・シークの成功が要因で、日本人風に言えば、力道山=カラテ・チョップ=日本人 のようなもの。

日本には1974年(昭和49年)、新日本プロレスに出場。 また1976年(昭和51年)には全日本プロレスに出場していますが、その時のリング・ネームは本名の ” コシロ・バジリ ” でした。
1980年にはアイアン・シークとして新日本プロレスに登場。 1982年 第5回 新日本MSGシリーズにも参加しましたが、勝ち点4で長州と並び最下位・・・。 優勝のアンドレ・ザ・ジャイアントは勝ち点56、アントニオ猪木は勝ち点53、膝を痛めた猪木にかわって準優勝となったキラー・カーンは49点・・・ ラッシャー木村が33点、タイガー戸口が17点、谷津が13点だった事から考えても、ちょっと酷い内容に思えますが・・・??
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1968年(昭和43年)日本プロレスにて初来日した時のリングネームは 「バスター・ロイド」
1973年〜全日本プロレスに参戦した時のリングネームは 「ルーファス・ジョーンズ」
なんか聞いた事があるような?? ないような?? っといったレスラーですが、アメリカマット界での活躍は相応なもの。地区のトップレスラーとの抗争を繰り返し、ローカルながら幾多ものタイトルを手中にしています。
身長186cm 体重124kgという巨漢。 必殺技はヘッド・バット、エルボー・ドロップ、ナックルパートあたりですので、決して器用なレスラーではないのですが、こんな技で幾多もの王者になれるのですがら、実力があったのか・・人気があったのか・・運が良かったのか・・。
(学生時代はアメリカン・フットボールとボクシングでも活躍したそうですので、馬力はあったと思います。)

全日本プロレスでは1974年の第2回チャンピオン・カーニバルに出場。
この大会は御大・ジャイアント馬場が優勝し、準優勝がミスター・レスリング。 
ジャンボ鶴田、サンダー杉山、マーク・ルーイン、ザ・デストロイヤー、キング・イヤウケア、アブドーラ・ザ・ブッチャーといった顔ぶれの中、たいした活躍は見られませんでしたが、日本では黒人ヒールとして大暴れ。
以後、ブッチャーのパートナーとして活動。 元々は陽気なベビーフェイスであり、ヒールで有りながらどこかユニークで人気者だったブッチャーのパートナーには合っていたようです。
それらの活躍もあり、1975年にも再び来日。 今度は同じく黒人のボボ・ブラジルとコンビを組んでいます。

驚くべきことに、1983年、ドリー・ファンク・ジュニアを破り、NWAミッドアトランティック・ヘビー級王者に君臨。
元NWA世界王者の肩書以上に、アメリカきってのプロモーターでもあるドリーからタイトル奪取したことからも、その人気ぶりが伺えます。 1993年11月13日 満60歳 永眠。


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このレコードもっていました。 戸口はテーマ曲名が 「スリーパー・ホールド」 なのに、何故か写真はボストンクラブ・・? このようないい加減さも、昭和らしさです(笑) トンガは見るからに 「トンガ」ってイメージ(笑)

1980年(昭和55年)のプロレス大百科を見てみると、全日本プロレス所属レスラー紹介の欄において、トンガ出身という異色のレスラー紹介有り。 大きな記事ではなく、ただの所属レスラー紹介に過ぎない反面、元・大相撲出身と記載されていた事から気にはなっていました。(当時、外国人の相撲取りは高見山くらいだったので)
その後、プロレス・レコードを買いあさっていたところ、タイガー戸口のジャケットに、いかにもトンガの雰囲気?そのままのプリンス・トンガ画像が! 別に試合を観たわけではないにもかかわらず、一段と気になる存在に。

プリンス・トンガこと、本名=ウリウリ・フィフィタ は、1974年(昭和49年)、当時の国王命令で日本の相撲部屋に入門。 それも知る人ぞ知るといった弱小部屋である朝日山部屋。 現在は廃部屋となっているみたいですが、なんとか部屋に活気を呼び起こそうと、当時の親方がトンガ王国に目を付けたのが真相のようです。 ところが、日本に呼んだ親方が急死した為、トンガ企画も崩壊・・・。 異国の地で行き場を失ったトンガに目を付けたのが、全日本プロレス・ジャイアント馬場でした。 馬場はトレーナーとしてザ・ファンクスを指名。 身長185cm の大型ファイターとして期待されます。

1977年(昭和52年)、全日本プロレスに正式入団。 まだ身体の線が細く、必殺技はドロップ・キック等々。
そこからキャリアがあがるにつれて多種多様な技をマスター。 相撲で鍛えた腕っぷしもあり、バックブリーカーといった力技も披露。 
アメリカ巡業中には、NWAエリアにおいて、ローカルタイトルながら6人タッグマッチで初タイトルをゲット。
また1980年4月には、NWAハワイ・ヘビー級王者のタイトルをゲット。
数々の活躍をした後、1980年7月、ついに日本マットに初出場します。

しかし・・全日本参加は約2年少々のみ。 1983年にはキング・トンガに改名した後、WWC(プエルトリコ)を主戦場としヒールに転向。
1984年からは、カナダを中心とした北米に主戦場を移動。 カナディアン・インターヘビー王座を獲得。
以後、フロリダに移り、NWA圏内のみならず、AWAエリアでも活躍。 1986年、リングネームを ”ハク” にかえ、WWFに登場。 ハーリー・レイスとの抗争を展開し、ついにはレイスを破って正式に ” キング ” の称号をゲットする大活躍。 この頃の必殺技は、コブラ・クローを模したトンガン・デス・グリップ。

2004年、新日本プロレス 東京ドーム大会に参戦。 天龍とコンビを組み活躍。
57歳となる2016年にも新日本プロレスに参戦していますから、馬場時代からの貴重な生き残りレスラーと言えます。 ストリート・ファイト(喧嘩)にも強い事で有名。 しかし・・ もし相撲を廃業していなかったら、大関くらいにはなっていたかもしれません。(小錦でもわかるように、当時の風潮なら、よほどの事がない限り横綱は無理)
プリンス・トンガが今でもプロレスラーとして活躍してくれる事は、異国にきて苦労させた償いのように思います。
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身長190cm 体重118kg という巨体から、跳躍力ある動きとパワフルさで一世風靡。
1990年代における、大型レスラー主体の全日本マットにおいても人気が高く、筋骨隆々とした肉体美にアメリカンスタイルの派手やかな衣装は、1970年代〜80年におけるミル・マスカラスの上を行く覆面レスラーとして注目を浴びました。
必殺技は 「パトリオット・ミサイル」 と言われたショルダー・ブロック。 一見単調ながらトップロープから行う為、その危険度から真似るレスラーは稀で、まさにキン肉マン・パトリオットならではの技。
他にも、振り子式のパワー・ボムである 「パトリオット・ボム」 や 「フルネルソン・バスター」等々。
けっして多種多様な技を使いこなせるような、器用なレスラーではありませんでしたが、そんなあたりが逆に人気の理由かもしれません。

1990年8月11日、伝統あるAWA世界タッグを奪取。 このタイトルは翌年には団体壊滅にて廃盤となる事から、AWA最期の王者とも言えます。 シングルよりもタッグに恵まれたのか、他にもアジア・タッグ王者やWCW世界タッグ王者にも君臨。 特にジ・イーグルとのコンビは小橋&菊池を破った事から評価を得ました。


1994年、WCWに移籍すると、2度に渡りWCW世界タッグ王者に。
1995年〜 再び全日本マットに参戦。 世界最強タッグにも出場かと言われる人気ぶり。
1997年、WWF(後のWWE)と契約するも度重なる怪我に泣かされ、翌1998年には解雇されたとか。
筋肉増加在等の反動により、晩年は筋肉も落ち込んでいたとの事。

時には逮捕歴があったりと波乱万丈のマット生活でしたが、1961年生まれの54歳(H28・9時点)
老けこむには早すぎます!

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