もぐら

昭和レトロに思いをよせ・・ 古き良き時代を振り返り・・

伝説のプロ野球選手サイン集

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=某雑誌 巨人軍 堀本律雄 より抜粋=
「立教大学時代、学年下には長嶋茂雄が。 社会人を経由して、25歳の時に巨人軍入りした時、すでに長嶋は大スターとなっていた。 大学では先輩でも、野球界では後輩。 まして国民的大スターである長嶋が相手なら、少しは気を遣うものだが、常に強気の上から目線。 「シゲ、煙草買うてこい!」と使い走りをさせていたというから、肝っ玉の太さは人一倍。 投球のモットーは 「ど真ん中勝負」 ・・。 速球、シュート、決め球はカーブ。 微妙にコースがハズれて審判がボール判定をすると、顔をにやつかせながら無言のアピール。 そのふてぶてしい態度に相手球団のファンからヤジが飛ぶも知らん顔。 肩幅を利かせ、肩で風をきるような仕草。 とても新人とは思えない高飛車な男であった・・・」

大阪、桃山学院高出身。 1952年(昭和27年)身長174cmながら速球とカーブを武器に、激戦区・大阪の夏・甲子園府予選を勝ち進み、準決勝に進出。 当時の強豪・明星高の前に敗退するも、その強気な投球が認められ、立教大学に進学。 同期には東京大学を相手にノーヒット・ノーランを達成し、六大学リーグ通算20勝を挙げた東 実(あずま・みのる)、学年下には六大学リーグ通算36勝の杉浦忠がおり、堀本自身は目立った活躍をしないまま、卒業後は社会人野球・日通浦和に入部。 
1957(昭和32年)の第28回 都市対抗野球大会では3勝を挙げ決勝に進出。 決勝戦では熊谷組の島津四郎との投げ合いで熱戦を行い、敗れるも久慈賞を受賞。 その後も活躍した事から、1960年(昭和35年)、巨人入りを果たします。(この時、25歳)

当時の巨人軍主力投手は藤田元司。 ところがこの年、主力投手が続々と故障で離脱。 初年度にして先発入りとなり、毎試合のように連投・・ 連投・・。
69試合に登板。 35先発  26完投  364.2イニング  210奪三振  防御率2.00  という驚異的な投球を行い、29勝 18敗 で、新人王、沢村賞、最多勝 の三冠投手に。
しかし、2年目以降は酷使が祟り成績が低迷。 高飛車な態度が巨人首脳陣(特に川上哲治)と合わず、3年目のオフ、柳田利夫とのトレードで大毎に移籍。
いきなり15勝 14敗 防御率3.30 の成績を挙げ、復活かと期待されますが、翌年は1勝 9敗 防御率5.01と打ち込まれ、1965年(昭和40年)、7試合に登板し0勝で終わった事から引退。
現役・・ わずか6年でした。

同時期の投手に、中日・権藤博がおりますが、あまりに権藤が連投する事から記者団に、「中日の投手は権藤しかおらんのか? 潰れてしまうぞ。 権藤、雨、移動、権藤、雨、権藤や ・・ 」 と皮肉を吐き、それが後の迷言?である ” 権藤、権藤、雨、権藤 ・・ ” として球史に残った事は有名。
しかし・・ 自身も初年度、権藤に負けぬ酷使を受け、あっさり潰れてしまったのは皮肉な話。

引退後は長く各球団で投手コーチとなり、三浦大輔、斉藤隆、岩本勉・・・ を育成した他、1980年代、大洋のエースであった遠藤一彦を上投げで開花させたのも堀本の功績。
石原裕次郎をはじめ、幅広い銀幕スターと交流があり、驚くほど人脈が広かったとか・・・。
2012年1月14日 肺炎の為、76歳で永眠。

= 通算成績 =
63勝  59敗  0ホールド  0セーブ  515奪三振  防御率2.82
新人王  沢村賞  最多勝1回  日本シリーズ最優秀投手賞1回  オールスター出場2回
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●左打者の有利を活かし、一塁到着4.25の俊足ながら、通算盗塁数は18回のみ。
●中日の中軸打者でありながら、本塁打が20本を越えたシーズンは2回のみ。(2009年=23本、2010年22本)
●盗塁は少ないが2塁打は多く、2009年=42本 2010年=45本 をマークし、2年連続でセ・リーグ二塁打王。
●シーズンでの本塁打数は少ないが、ランナーを背負った場面での一発に強く、3ランホーマーを多発した事から、ついたあだ名は 「ミスター3ラン」
●右投手には滅法強く、3割強の打率を残すも、左投手には滅法弱く、2割少々の打率・・・。
●2度も3割越えの打率(2010年は打率327)を残し、通算1581安打を放つも、大きなタイトルには無縁・・・。
●強肩であり、2014年には1塁手としてゴールデングラブ賞に輝く等、内野・外野を守れる反面、エラーが多く、固定されたポジションを確保できず・・・。
●背番号は選手の代名詞。 主力選手でありながら、背番号が6回変更。(56、7、8、16、31、30)

誰もが認める走攻守そろった優良選手でありながら、どこかもう一つ物足りない印象の選手だったのが森野。
神奈川1の名門と言われる ” 中本牧リトルシニア ” から、全国屈指の強豪校である ” 東海大相模 ” に進み、1995年、センバツ甲子園大会に出場。 1996年、高校通算38本塁打の実績を高評価した中日ドラゴンズより、ドラフト2位指名を受け入団します。

デビューはルーキーイヤーの1997年6月24日 広島戦にて鳥越に代わり6回より途中出場。 8回に初打席が回ってくるも、広島のエース・黒田博樹の前に空振り三振。
同年8月29日 ヤクルト戦にて初先発出場。 8番打者として3回に打順がくると、ヤクルトのエースだったテリー・ブロスよりライトスタンドにソロ本塁打。 ” 初安打 ” ” 初本塁打 ” ”初打点 ” が同じという珍記録を達成。 入団から5年間は、選手層の厚さもあって出場機会に恵まれませんが、2002年ころから出番が増え、2005年にはシーズン100試合以上(118試合)に出場。 2006年には、ミスター・ドラゴンズこと立浪に代わってレギュラーを獲得。 10本塁打 打率280 の成績を残しました。

2009年〜2010年にかけ、シーズン・フル出場を達成。(140試合)
2年連続20本塁打以上、2年連続リーグ最多二塁打、2009年は109打点をマーク。 2010年には打率327と高打率を残し、遅咲きながら中日の主力選手として活躍。
2011年〜2012年は不調で成績を落としますが、2013年は134試合 114安打 16本塁打 打率286 と復調。 2014年は141試合 13本塁打 打率288 と結果を残します。 (二塁打も34本マーク)
しかし・・ 2015年以降は怪我に悩まされるようになった他、若手の台頭や外国人選手の加入から出場機会が減り、2017年をもって引退。 2018年より打撃コーチに就任が決定。

2000本安打まで、残り419本・・・。 入団(高卒)からレギュラー獲得に約8年かかった事が、結果として大台を逃す事になりました。 このあたりも、良い選手でありながら、森野がもう一皮剥けなかった理由?でしょうか。

= 通算成績 =
1581安打  165本塁打  782打点  18盗塁  打率277
ベストナイン1回  ゴールデングラグ賞1回  月間MVP1回  日本シリーズ優秀選手賞1回
オールスター出場2回  オールスター優秀選手賞1回  オールスターベストバッター賞1回
シーズン最多二塁打2回  シーズン最多出場2回

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千葉の名門・習志野高校出身。 甲子園とは無縁ながら、強肩・強打の捕手として名が通っており、捕手不足に喘ぐ各球団注目の選手でしたが、当時の監督とヤクルトでスカウトをしていた安田猛が早稲田大学先輩後輩の関係だった事から、ヤクルト入団路線が濃厚だった事もあり、ドラフト指名はなく、1989年、ドラフト外でヤクルトに入団。 高校通算本塁打は11本。 背番号は67。

けっして鳴り物入り入団ではないものの、身長183cmの大型捕手として期待される中、1993年までの4年間、一軍登録は一回のみ。 この理由は同期に古田敦也がおり、常に控え捕手の立場にあったことから。
その古田が怪我で欠場した1994年、代役捕手として一軍に登録されると、63試合に出場し、38安打 打率270と結果を残し、存在感をアピールします。 しかし、古田の怪我が完治すると再び控え捕手となり、毎年ほとんど出番なし。 ついには本人からトレード志願が出されますが、古田以外の捕手が育っていない中、実力捕手である野口放出を球団は良しとせず残留。 実力はあるのに、鳴かず飛ばず状態が続きます。

1998年、捕手不足でシーズンインした日本ハムよりトレード打診。 
当初は上記理由もあって成立見込み薄しと思われる中、ヤクルト内野の要だった宮本慎也が、まさかのプロ野球脱税事件を起こし出場停止に。 そうなると内野手補強が急務のヤクルトとしては、トレードに応じる方を優先した結果、城石憲之との交換で、4月6日に日本ハム移籍。
当時、日本ハム監督をしていた上田利治の信頼を得て、5月13日より正捕手に起用されると、強打面も発揮した事もあって、監督推薦でオールスターにも出場。 この年、シーズン本塁打数は10本。
以後、レギュラー捕手として活躍。 俊足ぶりも見せるようになり、2000年にはリーグ最多となる三塁打11本を放っています。 また打率も上昇し、同年の打率は298。(シーズン137安打を放った事から、” ビックバン打線・恐怖の8番 ” なる異名がついた程。 尚、この安打数は、日本ハム球団捕手歴代1位。)

2001年は開幕から不調。 球団も若手育成に乗り出した事から出番が減り、3年連続で100試合以上出場していた試合数も、このシーズンは99試合にとどまり、” 恐怖の8番 ” と言われた強打も、63安打 6本塁打 打率229 と低迷。 2002年も不調は続き、シーズンオフ、坪井智哉とのトレードで阪神に移籍。

阪神ではレギュラー捕手の矢野輝弘の控えとしてスタート。
矢野の離脱時に起用されるシーズンが続きますが、要所に存在感を示した事で毎年残留。
2007年は36試合に出場し、33安打 打率351 と結果を残す等、実力ある捕手として再び注目。
2008年オフ、FAを行使して、相川亮二移籍によって捕手不足となった横浜ベイスターズに移籍するも、若手の育成を優先する球団方針もあり出場機会に恵まれず、2009年に戦力外。 トライアウトに参加しますが獲得球団はなく、同年をもって引退。

=通算成績=
582安打  42本塁打  272打点  30盗塁  打率250
シーズン最多3塁打1回  シーズン盗塁阻止率1位 2回  シーズン盗塁刺殺数1位 1回
JA全農GoGo賞1回  オールスター出場2回
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1991年のドラフト会議において、ダイエー・ホークスが行った92巡目ドラフト10位は、12球団最後の指名・・・。
この年をもって、長きに渡りドラフト会議を司会していたパンチョ伊東が降板した為、パンチョ最後の読み上げ選手となりました。

高岡第一高(富山)時代は名の知れた投手ながら、甲子園出場なく社会人野球(北陸銀行)に就職。 右肘を痛めて退団し、家業の田畑建工で大工をしていたという異経歴の持ち主。

身長178cmと上背はないものの、140km中盤の速球を軸に、130km台のフォークと、100km台のスロー・カーブを投げ分け、度胸の据わった投球が持ち味。 ドラフト10位が示すように、決して期待された入団ではなく、実はドラフト前に本人がダイエーのテスト入団を受け合格。 それら事情を含んでの10位指名でした。(球速よりも球のキレ味を評価され、テスト200名で唯一の合格者だった)

初登板は1993年4月11日 西武2回戦。 5回裏1アウトの場面で3番手登板。 1回2/3を投げ無失点の好投。 同年6月13日 ロッテ戦において6回2/3を投げ、2失点、初先発初勝利。 
ダイエーでの3年間では、主に中継ぎとして03年=13試合、04年=16試合、05年14試合 に登板しますが、通算成績は2勝2敗。 そんな鳴かず飛ばず状態の中、1995年オフ、トレードでヤクルトに移籍。

1996年のヤクルトは野村克也監督のもと、球界を代表する選手がぞろり。
=投手=
高津、山部、ブロス、川崎、吉井、伊東、伊藤智、石井一久、岡林、宮本、加藤・・・。
=打者=
飯田、辻、池山、土橋、オマリー、ミューレン、古田、稲葉、宮本、真中、金森、笘篠賢・・・。

充実した戦力と、実績高い指導者により、この年、田畑の才能は一気に開花。
1996年 ・・・ 33試合  25先発  12勝  12敗  177.0イニング  109奪三振  防御率3.51
1997年 ・・・ 26試合  25先発  15勝   5敗  170.1イニング   83奪三振  防御率2.96

1997年6月には月間MVPを獲得。 オフには古田と最優秀バッテリー賞を受賞。
しかし1998年以降は、社会人野球時代に壊した右肩痛が再発。 以後2年間低迷した後、2000年に近鉄にトレード移籍。 結果を残せないまま2001年には巨人に移籍。 右肩の回復がないまま、オフに引退・・・。

=通算成績=
37勝  36敗  0ホールド  1セーブ  376奪三振  防御率4.14
シーズン最多完封勝利1回  月間MVP1回  最優秀バッテリー賞(古田)1回  オールスター出場2回 
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1965年(昭和40年)〜1973年(昭和48年)、日本プロ野球界は巨人軍が前人未到のV9を達成。 
高度経済成長期により国民の暮らしが豊かとなり、カラーTVの普及や新聞・雑誌の出版技術の向上もあって、子供の好きなもの=「巨人、大鵬、卵焼き」 と言われ、第3次黄金期を迎えます。
巨人の主力はONこと、長嶋茂雄と王貞治。 昭和40年代、セ・リーグの打撃三部門(打率、本塁打、打点)の殆どがONによって独占。 それだけに ”V9=猛打” といった印象をもつ方が多くおられますが、実際は守りを重視した ”スモール・ベースボール” であり、川上哲治監督以下、有能なプレーンによる精密野球こそが、偉業達成となった要因でもありました。

スモール・ベースボールとは、MLBロサンゼルス・ドジャースの名スカウトだったアル・キャンパニスが著した 「ドジャース戦法」 が原点。 長打力や圧倒的な攻撃力に頼らず、ワンプレーを重視した作戦を意味します。
例えは先頭打者が出塁した場合、いかに得点圏(2塁又は3塁)にランナーを進めるかを考え、バント、盗塁、エンドランといった方法を模索して実行に移す・・・。 また確実に1点をとる方法を考え、状況に応じて方法を模索する・・。 つまりは 「アウトの生産性」 「得点の生産性」 「守備の鉄壁性」 等を、そのワンプレーの中から導きだすというものであり、監督は絶対権力者、選手は駒であるという立場を明確にする事で、まとまったチーム(軍団)を組織し、強固な試合展開を行っていきます。 
V9時代、巨人打撃陣は長嶋、王の他、柴田、高田、黒江、土井、森・・・ といった脇役が揃い、投手陣には、金田、宮田、城之内、堀内、高橋一三・・・ といった顔ぶれが揃っていました。 全てのポジションに名選手による適材配置がなされ、精密機械のように陣頭指揮をとる監督・コーチがいる・・ 巨人のV9は偶然の産物ではなく、なるべくしてなった結果(実力)と言えます。

そんな無敵巨人を支えた名参謀が牧野茂。 独裁監督と言われた川上哲治にして、「牧野がいなかったらV9はなかった」 と言わしめた名コーチとして知られています。
香川県で育ち、高松商業に入学しますが空襲によって実家が全焼し愛知県に疎開。 愛知商業に編入し、甲子園にも出場したという経歴の持ち主。 その後、明治大学に進学。 守備の名手として評判を呼び、1951年(昭和31年)、中日に入団。 遊撃手としてレギュラーとなりますが打撃難もあり1959年限りで引退。 戦力分析力に優れ、理論派だった事もあり中日コーチとなりますが、短気な部分もチラホラ。 1960年の大洋戦において、試合前のノック中、大洋ベンチから 「牧野のり平!」とヤジを飛ばされ激怒。(鼻の大きい牧野は鼻にコンプレックスをもっていたが、鼻の大きな俳優・三木のり平にかけられたヤジを聞いて激怒) 脅かし気分で、ノックバットを大洋ベンチに投げ飛ばしたところ、ダッグアウトにいた先発予定のエース秋山登に直撃。 秋山は病院送りとなり、エースを失った大洋は開幕6連敗という目に・・・。

牧野はこの年をもって退団。 デイリー野球部門所属の解説者として、巨人の長所短所を細かく分析した記事を発表したところ、巨人・川上哲治監督は感銘を受けたとコーチを依頼する展開に。 
当時の巨人は、外様(巨人でプレーした者以外)は採用しない御家柄だっただけに、牧野の招聘は前代未聞の事として取り上げられます。(入団は1961年7月25日)

「捨てる神あれば拾う神あり」 の言葉の如く、巨人入りすると本領を発揮。
川上哲治監督が目指すドジャース戦法を熟読しマスターすると、要所で采配を補佐。 ちなみに選手を鍛える為に課した特別練習に対し、”特別” を強調する事で意識改革を図ろうと、「特訓」 なる造語を作ったのも牧野。
”守備練習こそが勝利への直通路だ” と結論付け、3塁コーチボックスに立ち選手にサインを送るスタイルは、川上=牧野コンビから始まったと言われています。 「監督(作戦指示)→コーチ(指示判断)→選手(実行)」

その他、今では当たり前となっている選手扱いも、牧野が始めた事が多々。
①俊足選手のスイッチヒッター養成及び起用(右打者と左打者では2歩踏み出しに違いがある事から一塁到達時間が短縮されるメリットがある。 左投手の時は右打席、右投手の時は左打席に入れる事で、出塁率を高める効果がある。=柴田勲が成功例。)
②投手分業制の起用(球威はあるが心臓に持病があって長イニング投げられない宮田をリリーフ専門に起用。宮田は身体負担軽減に成功し、1960年、リリーフながら20勝を挙げV1に貢献)
③調子の悪い選手や負傷した選手の二軍調整(当時は調整という概念がなく、無理やり出場させて調整を図っていた。投手の連投は当たり前。実践でしか調整できない時代だった為、エース級の投手が数年で廃人になる事も多々あった。)

1974年(昭和49年)・・ V10まであと一歩まで行きながら巨人はリーグ2位でシーズン終了。(中日が優勝)
長嶋の不振(この年引退)、V9主力の高齢化・・・ スモール・ベースボールによって9連覇しながら、あまりに固定選手が揃っていた為、新旧改革ができなかった事で若手が育たずとは、なんとも皮肉・・・。 
川上監督の勇退に従い、牧野も退団しTBS解説者に。 1981年、低迷する巨人を立て直す為、藤田監督の要請を受けて現場復帰。王助監督と共に ”トロイカ体制”(三者共同で運営する組織の意味) で8年ぶりに日本一を奪取。 ところが1983年、膀胱癌が発覚し退団。 1984年12月2日、56歳という若さで永眠。
死の直前、意識不明の昏睡状態の中、夫人の声かけにも一切反応しない牧野のもとに、川上哲治氏が見舞いに訪れ、「おい!牧野!」と叫ぶと、「ハイ!」と返事をかえしたというエピソードがあります。
1991年、競技者表彰を受け、野球殿堂入りを果たしました。 

 =通算成績=
 445安打  9本塁打  134打点  98盗塁  打率217
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