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中日の松坂大輔投手が、
選手にサインを書いている際に、
ファンの人に右腕を引っ張られ、
その影響で肩に違和感が出ているとか。
ふとした拍子にそうなったのか、
わざと引っ張ったのかはともかく、
これは、球団側に非があると思うんですよね?
選手をまもらないとねぇ・・・
移動の途中とかだと思うんですけど、
映像を見るとファンの人に囲まれ、その中でサインを書いています。
みんな純粋にドラゴンズ、松坂投手のファンならいいですけど、
中にはアンチが良からぬ事をやらかしても、
あの状況では止められないと思います。
非常に危ないと思うんです。
きちんとテーブルなどを用意し、
並んでもらってサインを書く時間を設けて、
他の時間はごめんねとしないと、
選手も人気商売とは言え大変だと思います。
こんな事で投げられなくなるというのは、
残念です。
でも、選手も注意しないとね。
元巨人の別所さんなんか、
○○の時も指がふやけると良くないから、
右手は使わないって言っていました
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一流の指導論
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今週は高校生の体罰について議論がなされていたようで。
タンクトップのタレントがだいぶこれで責められていたようですが、、 でも、これは私はもはや「体罰」と片付けてはいけないと思います。 生徒が教師に手をあげるように挑発しているのは明らかですので、 これはお互いの立場など関係ない、単なる人間同士の「ケンカ」として考えないといけないでしょうね。 そう考えた上で、暴力が悪いという議論をすべきなんだけど、 「どんな時でも教師は生徒に手をあげてはいけない」というタレントの言い分はあまり筋が通っていない気がするんです。 そもそも体罰とは、 教師と生徒のパワーバランスが完全に教師上位である事が前提で、 生徒に反論反撃の余地が無い中での暴力だと思うんです。 今回問題になっているケースでは、生徒の方が挑発している訳ですし、「体罰をすれば首が飛ぶ」という相手の弱みに付け込んでそれをしている訳ですから、先に言ったようなパワーバランスは両者に成立しないのです。 だからここで殴っても「体罰」では無いと思います。 ただ、どんなケンカでも、先に殴った方が悪いのは間違いないので、悪い事は変わりませんが。 それを肩書きで殴っていい悪いを判断をするのは違うと思います。 しかし、こいつらはろくな大人にならないだろうね。 こういう目立ち方しか思いつかない時点で人生終わってるよ。 こんなガキ共を相手にしなければならない先生も大変です
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そろそろ「カラダ調整体操」の動画をアップしようと
準備をしているところではあるのですが、
発信媒体を何にしようか考えているところです・・
準備中のFacebookページあたりが有力ですが。
ちょっと前の記事でお話した、
カラダ改善の本質「伸び」からやっていく予定です。
それにしても、最近、
なぜ当事者でない人達が、こんなにも騒ぐのでしょうか?
誰かが何かを言うと、すぐにそれに噛み付く人がいる。
誰かが何かを行うと、やらない人がそれにケチをつける。
ネットの記事でちょっと切り取られた言葉を見て、
全体を見ずにすぐにそれを否定する人がいる。
発信する側であるはずの、有名人なのにやっている人もいる。
他人の揚げ足取りばかりしていても、
誰も得しないのにね。
やっている本人が、一番その事に気づいていないのが問題。
他人を引きずり降ろしても、
自分の位置は変わっていないんですよ。
自分が上へ行く努力をしなきゃね。
そう思ったら、いちいち他人の事になんか構っていられないと思うんですけど・・。
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昨日の新聞記事で
元バレーボール日本代表の益子直美さんが
「監督が怒ってはいけないバレーボール大会」というのを
主催しているという記事をみました。
益子さん自身、学生時代に監督に怒られ、殴られという経験が
今でもトラウマになっているといいます。
その経験から、指導者を指導するという意味合いも
多く含まれているようです。
その「怒」は、誰のために?
今年はスポーツ指導者のパワハラ問題など、
指導者の資質が問われる一年でした。
これらの問題で矢面に立った指導者達(もはや指導者とは言いたくもないが)
に共通して言えるのが、
「自分の野望・欲望の為に教え子がいる」という事じゃないでしょうか?
これは職場でも同じ事が言えると思います。
教育の中で、時には怒らなければいけない時もあると思います。
それは、それをする事によって、他人に迷惑がかかったとか、
傷つけたりとか、やるべき事を怠ったりとか、
そんな時にはしっかりと指摘してあげなくてはいけないでしょう。
本人にその自覚が無い時は特にです。
しかし、こういうスポーツの指導現場(とりわけ学生スポーツ)だと、
試合でミスをしたとか、チャンスで結果が出なかったとか、
そんな場面でも激しく叱責される場面に遭遇します。
本人達はおそらく一所懸命やっているでしょうに。
そんな場面で激しく怒ったり、殴ったりするというのは、
自分が望んでいた結果が出ない事を生徒・学生に転嫁しているに過ぎないのでは?
と私は思うのです。
現に、今年これらの問題で矢面に立った指導者達は、
揃って自己弁護に終始していたでしょう?
生徒・学生たちより、自分の方が大事だからですよ。
そういう人がする「怒る」だと、
生徒・学生の為にではなく、自分の為に怒っているになるので、
当然教え子側には何も得られる物は無く、
心の傷が残るだけになるのだと思います。
日々の行動でも、常に様子を伺いながらの行動になってしまいます。
それでいい結果なんて出るのでしょうか?
こういう指導者に教わった子供たちは可哀想です。
下手すれば、また同じ事をする指導者となってしまうかもしれないですしね。
こういう取り組みによって少しづつでも
指導者側の意識が変わってくれればと思います。
また、こういった事が方々で行われるようになればいいですね。
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今日は指導の時間に空きがあり、
なかなか出来なかったデスクワークをしたり、
このブログを書いたり出来てます
![]() さて、今日は以前から気になっている、
あるスキー指導者が言っているワードについてのお話。
タイトルにもある「リラックスはNG」
これ、コブを滑る時のこの人にとっての原則なんだそう。
手足の力も出来るだけ入れて、
思い切り力んでコブを滑走するように記されています。
でも、ちょっと考えて欲しいんです。
スキーを滑る・コブを滑る以前に、
スポーツをする時に、手足を力んでスムーズに動けるでしょうか?
むしろ、「力を抜け」と言われますよね?
体の力が入ると、筋肉は等尺性収縮という、
筋肉の長さを保って筋力発揮をしようとする力が働きます。
スポーツ動作は、手足から体幹にいたるまでの多くの関節が動く事で成り立ちます。
関節を動かすのは筋肉ですが、筋肉が伸び縮みをして関節は動きます。
しかし、筋肉が等尺性収縮(アイソメトリックとも言います)をしていると、
伸び縮みがスムーズに出来なくなります。
緊張によって体が動かなくなるのは、このような力が優位に働いて、
自由な伸び縮みの動作が阻害されるからです。
無意識な動作下では、一層動きにくくなります。
先の指導者の教えのようにコブを滑ったとすると、
例えば横滑りの格好をつくり、
その恰好を崩さずにコブの裏側を削るように滑るスタイルなら、
まあ上手くいくかもしれません。
全くコブを滑れない人にひとまず滑る達成感を味わわせるには
良い方法かもしれません。
でも、この滑りはここで終わってしまうでしょう。
仮にこの滑りをクリアして、
もっと華麗にコブを滑れるようになりたいと思った時、
体に力を入れる癖をまずとり、
また今度は体の力を抜いての滑り方を新たに練習し直さないとならないでしょう。
アルペンの湯浅選手の画像をお借りしました。
静止画像だと伝わりにくいですが、
動画を見ると、上半身は超リラックスでした。
一流選手は余計な力入っていないんですよ、やっぱり。
私もコブが上達するにつれ、
体の力の入り具合は反比例してどんどん抜けてきています。
体感して初めてわかる感覚なのかもしれないのですが、
指導者がその感覚を知りえないままそれを良しとしてしまうと、
間違った感覚を広めてしまいかねないという怖さも、
このワードから感じた次第です。
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