趣味の玉手箱パート1

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ローマ人の物語ⅩⅤ「ローマ世界の終焉 第三部 帝国以後
(紀元476年−)」
塩野七生著 新潮社刊
オドアケル
紀元475年、ロムルス・アウグストスが西ローマ帝国の皇帝に就任した。実権はロムルス・アウグストスの父であるオレステスが握った。西ローマ軍で働く蛮族出身の将軍たちが土地の提供を求めて武力闘争に出た。戦闘で勝った蛮族出身の将軍たちの頭領であるオドアケルはロムルス・アウグストスを退位させた。オドアケルはオレステスを殺したものの、その息子については、年金を保証し、ナポリ近郊のヴィラに引退させた。ロムルス・アウグストスの後を嗣ぐ皇帝がなく、かくして西ローマ帝国は紀元476年に滅亡した。オドアケルは皇帝の座を狙ったわけではなかったが、自らはイタリア王を名乗りイタリアを支配した。
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ブリタニア・「帝国以後」
西ローマ帝国が滅びる以前、皇帝ホノリウスはローマ帝国各地の総督に対し、もはやローマ帝国は属州の防衛や統治を担当する資力がなくなり、今後は自分たちのことは自分たちでやるようにとの書簡を送った。ブリタニアは3世紀以上も属州としてあり続けた後に放り出されたわけである。そのため、ブリタニアはスコット族、サクソン族、アングロ族などの脅威を一段と強く受けるようになり、住む地のなくなったケルト系のブリタニア人は海を渡り、ガリアの北西部に移り住んだ。この地方がブリュターニュと呼ばれるのも、ブリタニア人が住みついたからだという。もはやローマ時代のブリタニアと呼ぶのは意味が無くなりアングロ族の住む地という意味の「イングランド」と呼ぶべき時代に入った。
ガリア・「帝国以後」
西ローマ帝国が衰亡した467年当時のガリアは、ほぼプロヴァンス地方を除いて、ゲルマン民族のフランク族が支配していた。この頃からガリアは、フランク族の住む地を意味する「フランス」と呼ぶ時代に入りつつあった。
北アフリカ・「帝国以後」
北アフリカはヴァンダル族によって支配されていた。ヴァンダル族はアリウス派のキリスト教徒であったが、この他に、長い間カトリック側から迫害され弾劾されてきたドナートゥス派のキリスト教徒が勝者側にいた。北アフリカ在住のローマ人はカトリック教徒であったため、迫害される恐怖に陥り、資産を北アフリカ以外に所有する上流階級の人々は難民となり北アフリカの地を捨てて他の地に移っていった。
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「パクス・バルバリカ」

イタリア王となった勝者オドアケルは敗者との共生を政略の基本に据え具体的な政策としてもそれを進めた。その政策は「三分の一政策」と名づけられるものであった。敗者が所有していた土地の三分の一を勝者に差し出すものであり、その代償として蛮族からの襲撃から守ってもらうこと、すなわち安全を保証してもらったのである。敗者には蛮族による平和がもたらされたのである。
テオドリック
オドアケルを打倒したのは、東ゴート族長の家に生まれたテオドリックであった。テオドリックが終始優勢で戦いを進めたが、三度の戦闘で勝敗がつかなかった。両者間で講和が成立したが、ほどなくオドアケルは家族もろとも殺されてしまった。オドアケルの17年に及ぶイタリア支配に終止符が打たれた。テオドリックの支配は紀元493年から72歳で死ぬ526年までの33年の長きにわたる。テオドリックは、オドアケルが10年以上実施してきた政策をそのまま継承し、徹底して実施した。彼の地位はオドアケルと同様、東ローマ帝国皇帝から正式に認められず、イタリアの王を勝手に名乗った。彼は、カシオドロスと「哲学による慰め」を執筆したボエティウスという二人のローマ人の協力を得てイタリアを支配した。テオドリックは軍事力で侮りがたい東ローマ帝国皇帝に対しては、ことさら細かく神経を使い、丁重な態度をとり続けた。テオドリックは紀元526年ラヴェンナで亡くなって、予め作らせておいたラヴェンナの霊廟で眠っている。「ゴート戦記」を著述したプロコビウスはテオドリックの死に際して、彼のことを次のように記している。「テオドリックは帝国の後期に帝位についた人々の誰よりも、皇帝を名乗る資格を持った指導者だった。人間性豊かな彼の統治は、同胞であるゴート人の信頼を得ていただけでなく、イタリアに住むローマ人の信頼までをも獲得していたのである。このテオドリックが死んだときは、支配者も被支配者もなく、ゴート人もローマ人の別もなく、皆がいちように、哀惜の涙を流したのである」
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「パクス・バルバリカ」の終わり
テオドリックの死後に王についたのは、彼の孫にあたる10歳のアタラリックであったが、八年後に忘れられた身で亡くなった。孫の後見人としてイタリアを統治していたテオドリックの娘アマラスンタは女王となり、ゴート族の中でも有力な家出身のテオダトゥスと再婚した。アマラスンタは東ローマ帝国の皇帝に接近するが、ゴート族の重臣たちの憤慨を買う。彼らの怒りを無視できなくなったテオダトゥスは正式には東ゴート王国の女王である妻を幽閉し殺させてしまった。このことが、東ローマ帝国の皇帝に即位していたユスティニアヌスにイタリアへの侵攻の絶好の口実となったのである。

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