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スタンダードな201系。 このケヨK4+54編成は、元は三鷹電車区の第14編成でした。2000年、中央・総武緩行線へのE231系の投入により引退し、同年8月22日に転属整備のため大井工場(現 東京総合車両センター)へ入場しました。 大井工場にて塗装変更や通過防止装置の取付、中間制御車への電気連結器取付などが行われた元ミツ13編成は2000年10月13日、同所を出場し、所属先となる京葉電車区(現 京葉車両センター)へ回送されました。 このケヨK4+54編成は現在、京葉線(主に成東・勝浦運用)で活躍しています。 編成 [←蘇我]クハ201-113+モハ201-228+モハ200-228+クハ200-113+クハ201-114+モハ201-229+モハ200-228+モハ201-230+モハ200-230+クハ200-114[東京→] 2009年8月17日、重要部検査を受けるためTKに向かうケヨK4+54編成。 最終更新日:2011年2月5日
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過去の車両紹介
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京葉線初の201系。 このケヨK3+53編成は、京葉線に来る前はミツ12編成として中央・総武緩行線で活躍していました。2000年のE231系投入によって同線での活躍を終え、2000年6月15日に大井工場(現・東京総合車両センター)に入場しました。 大井工では京葉線への転用改造とともに検査が実施され、同年7月31日に大井工場を出場しました。経路は大崎→新宿→(緩行線)→幕張→幕張車セ→(快速線)→千葉→蘇我→誉田→蘇我→新習志野と現在の出場経路と同様のものですが、当時の出場スジは夜間に実施されるものでした。 その後、2000年8月24日に新習志野〜千葉みなとで性能確認の試運転を行ったうえで8月31日の83運用より営業運転を開始しております。 本線の実設訓練は行われず、誉田分割・併合はぶっつけ本番となりました。 2009年3月に、パンタグラフがPS21からPS35Cに載せ換えられました。 京葉線で長らく活躍してきたK3+53編成でしたが、E233系投入に伴い引退、2011年4月5日に長野総合車両センターへ廃車回送されました。 編成 [←蘇我]クハ201-111+モハ201-225+モハ200-225+クハ200-111+クハ201-112+モハ201-226+モハ200-226+モハ201-227+モハ200-227+クハ200-112[東京→] PS21ひし形パンタを搭載していたころのK3+53編成。 ケヨK3+53の廃車回送。 最終更新日:2011年5月7日
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分割対応で唯一の大宮工改造編成。 このケヨK2+52編成は、元は三鷹電車区のミツ11編成でした。2000年に、E231系の投入により中央・総武緩行線から撤退しました。その後、同年7月7日に、転用改造のため大宮工場(現・大宮車両センター)に入場。改造工事は約1ヶ月半超の間に実施されました。 そして、2000年8月25日に京葉線への転用改造工事(塗装変更、電気連結器(自動併結に必要な各種機器)取付、通過防止装置取付)を終え、試運転扱いで京葉電車区(現・京葉車両センター)へ回送されました。 その際、クハ前位側が東京方を向いていたため方向転換を余儀なくされ、東京を一度経由し向きを修正しました。 2009年3月、近い将来実施される廃車回送に備えてパンタグラフがPS21(ひし形)からPS35C(シングルアーム形)に取り換えられました。このPS35Cは中央線の笹子トンネル(狭小のトンネルで有名)の規格に適合したパンタグラフであるため、長野総合車両センターまで自力で走行できるようになっています。 このケヨK2+52編成は現在、京葉線(主に成東・勝浦運用)で活躍しています。 編成 [←蘇我]クハ201-109+モハ201-222(パンタ)+モハ200-222+クハ200-109+クハ201-110+モハ201-223(パンタ)+モハ200-223+モハ201-224(パンタ)+モハ200-224+クハ200-110[東京→] PS21パンタが搭載されていたころのケヨK2+52編成。 デジタル無線を取付、出場したときのケヨK2+52編成。 2009年5月、重要部検査を受けるため東京総合車両センターへ向かうケヨK2+52編成。 廃車のため京葉車両センターを後にするケヨK2+52編成。 最終更新日:2011年5月7日
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ちょっと変わった存在?201系K1+51編成 このK1+51編成は、元は三鷹電車区の第4編成(2008年6月組換後は元ミツ4と元ミツ7混合)でしたが、2000年に中央総武緩行線へのE231系投入により同線区から撤退。 103系分割編成置き換えのため201系が京葉線へ転属されることとなり、同ミツ4編成を使用した訓練が京葉電車区(現・京葉車両センター)と田町電車区にて実施されました。 訓練後は東大宮操に疎開留置されておりましたが、9月8日に東京総合車両センターに入場。他の3編成(K2+52〜K4+54)に遅れをとること11月2日、塗装変更等の各種整備を終え同所を出場しております。 2008年6月、京葉車両センターで活躍していたケヨ72編成(既に廃車)との編成組み換えが行われ、当初のK1+51に含まれていた車両は中間のクハ2両(クハ200-36、クハ201-37)のみとなってしまいました。 この組みかえられたケヨK1+51編成は、現在運用から外れ予備扱いとなっています。 編成 [←蘇我]クハ201-104+モハ201-215+(パンタ)+モハ200-215+クハ200-36+クハ201-37+モハ201-213(パンタ)+モハ200-213+モハ201-214(パンタ)+モハ200-214+クハ200-103[東京→] ケヨ72と組みかえられる前のK1+51編成。 2009年10月2日、に重要部検査のためTKへ向かうケヨK1+51編成(幕が試運転なのはご愛嬌)。関東最後の201系検査入場となろう。 ケヨ51の方向幕指令機が故障し、6両全ての幕が「京葉線」に。 E233系の大量投入により、習志野運輸区へ疎開されるK1+51。 2010年12月28日に営業運転に完全復帰。方向幕不具合に伴い、分割編成ながら京葉線内閉じ込め運用を中心に運用されています。 2011年5月17日、ついに廃車回送されてしまった。 最終更新日:2011年5月7日
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転勤が多い209系500番台ケヨ33編成 2000年、新津車両製作所にて落成。当初はラシ65編成と名乗って、中央・総武緩行線で活躍しました。その後、三鷹電車区に所属区を移し編成名がミツ515編成に変わりました。 引き続き中央・総武緩行線で活躍しましたが、2005年から始まった京浜東北線209系の窓改造工事による車両不足を補うため、帯色を変え浦和電車区に貸し出されました。あくまでも貸出しのため、編成札や所属表記はそのままでした。 2006年3月、帯を元に戻し三鷹電車区に返却され再度中央・総武緩行線で走り始めました。 しかし、この編成の転属劇はまだまだ終わりません。同年、またもや帯色を変更(黄色→水色)し、今度は正式に浦和電車区に転属しました。編成はウラ84編成となりました。 また、ウラ84編成の誕生により209系910番台ウラ91編成が京浜東北線から撤退しました。 京浜東北線での活躍は短く、2008年7月に東京総合車両センターに入場。帯の変更(水色→赤)や保安装置の変更(D-ATC→ATS-Sn・P)を行い同年9月22日に同所を出場しました。同日、新たな所属先である京葉車両センターに回送されました。 京葉区では初の209系500番台だったため、長期の試運転(急制動訓練、乗務員訓練等)を行い、2008年12月より営業運転に就いています。 また、出場時にウラ81(現在のケヨ34)と組みかえられていたサハですが、晩年は元の車両に戻っています。 このケヨ33編成のうち8両は現在、武蔵野色の帯を纏いケヨM73編成を名乗って活躍の時を待っています。転用の際に抜かれた、サハ209-・560の2両は廃車となる模様です。 編成 [←蘇我]クハ209-515+サハ209-557+モハ209-529(パンタ)+モハ208-529+サハ209-558+サハ209-559+サハ209-560+モハ209-530+モハ208-530+クハ208-515[東京→] 東京総合車両センター2008夏休みフェアにて見られた転用改造中の元ウラ84(ブレブレですみません><)。 急制動訓練中のケヨ33。 乗務員訓練中のケヨ33。 2010年3月11日より20周年ヘッドマークが取り付けられた。 2010年7月20日に長野総合車両センターへ配給された。 ケヨM73と改め、乗務員訓練に従事する。 最終更新日:2010年11月14日
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