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もう亡くなって20年が過ぎようとしていたのかと、報道に感慨深くなった。日本の野球殿堂入り資格が「引退後20年」となっていることから今回が津田恒美さんの殿堂入り最後のチャンスだったのだ。 人の記憶が風化するのは早い。実働10年通産49勝90セーブという成績を見れば、現役時代の姿を知らない人には理解できない出来事だろう。そういう意味でも20年というのは大きな区切りといえるのかもしれない。
津田さんが剛速球投手として甲子園高校野球大会で活躍した時代、私の地元奈良県代表の天理高校が南陽工業高校と対戦し、1−0で勝利した試合があった。当然ながら天理を応援する私にとって津田投手は崩しがたい大きな存在に見えた。それだけに勝利したとき興奮した記憶がある。その後、津田さんがプロ入りし広島で活躍するのだが、常に「ひいきチーム」ではなく敵の選手として何とも憎らしい存在でありつづけた。「炎のストッパー」という名にふさわしい豪腕・剛球投手とはこういうものだと表現していた。その中でも昭和61年5月の阪神戦で三冠王ランディバースに捨で球無しの直球で三球三振に仕留めた姿は(YOU TUBEでアップされていました)球史に残るハイライトだろう。
津田さんが亡くなった1993年、(かつて南陽工業高で津田さんを指導した)坂本昌穂さんが光高校の監督として甲子園出場を決めた山口県大会決勝、勝利インタビューの中で投げかけられる質問そっちのけで「津田ーありがとぉ」と絶叫号泣した、と伝える新聞記事を大阪朝日放送の「おはようパーソナリティ道上洋三」で道上さんが読み上げた後、放送中絶句し、やむを得ず(?)CMに入ったのを覚えている。一生懸命に真面目に、そして何より純粋に取組む姿と闘病生活の中で見せたあきらめない強い気持ちとその姿が、周囲のさまざまな人たちに力と勇気を与えた。
よく考えて欲しい。津田さんが活躍した当時は圧縮バット、飛ぶボール、狭い球場(甲子園のラッキーゾーン)など、投手受難の時代だった。力いっぱい直球を投げ込むリスクが今以上に高かったはずだが、「弱気は最大の敵」とばかりに魂の剛速球を投げ込んだことは賞賛に値する。そういった意味でも津田さんは野球殿堂入りに最もふさわしい人ではなかったか。ともあれ、今回津田さんに多数投票した人たちの英断にも敬意を表したい。津田さんへのご褒美は彼を支え、そして励ました仲間たちへのご褒美でもある。同じ時代を生きた、それだけで誇らしくなる。
平成24年1月14日 報知スポーツより
野球体育博物館は13日、2012年に新たに野球殿堂入りした4氏を発表した。プレーヤー表彰では80年代の広島黄金時代を支えた「炎のストッパー」、故・津田恒実氏(享年32歳)と通算213勝の「精密機械」、北別府学氏(54)を選出した。また、特別表彰では元全日本アマチュア野球連盟会長の故・長船騏郎氏、バット素材の研究に従事した故・大本修氏(ともに享年83歳)が選ばれた。プレーヤー表彰の表彰式は、津田氏の命日でもある7月20日の球宴第1戦(京セラD)で行われる。特別表彰の2氏については未定。
記憶に残るストッパーだった津田氏が、永遠に野球殿堂に名を刻むことになった。殿堂入り資格の最終年だった今年の選出に、妻の晃代(てるよ)さん(48)は「お知らせを受けて驚いたが、一番驚いているのは津田本人と思う。北別府さんと一緒に選ばれて感慨深いと思う」と、喜びをかみしめた。得票数は237票。当選に必要な236票をわずか1票だけ上回った。
代名詞だった150キロ超の剛球のように、あっという間に駆け抜けた野球人生だった。81年にドラフト1位で広島に入団し、1年目に11勝6敗で新人王。そこからは苦難との闘いだった。まずは84年、世界で初めて右手中指の血行障害の手術を受けた。86年に救援に転向し、4勝22セーブでリーグ制覇に貢献。右肩痛を克服した89年にも12勝28セーブで最優秀救援投手に輝いた。座右の銘は「弱気は最大の敵」。広島入団時の監督である古葉竹識氏(75)=東京国際大監督=は「一番の長所はマウンド上でガンガン向かっていく姿勢。投手には最も大事。学生たちにもそう教えています」と、往年の「炎のストッパー」を懐かしんだ。
<中略>
普段はひょうきんで明るく、誰からも愛される好青年。マウンドでの激しい投球スタイルとは対照的だったという。「主人は、自分なんかが、と恐縮していると思います」と晃代さん。故郷の山口・周南市に眠る最愛の夫には「よかったね、と伝えたい」と、穏やかな笑みを見せた。
津田氏の長男・大毅さん(東京国際大時代に古葉監督の指導を受ける)「父の投げる姿はテレビやビデオでしか見たことがない。愛されていたんだな、と改めて感じた。とてもうれしいが、これが本当に自分の父なのか、こんなにすごい人だったのか、と思うと実感が湧かないですね」
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津田が甲子園で負けた試合は、津田が弱気で変化球を投げてホームランを打たれた試合でしょうか。
津田恒美という野球選手だけでなく、人間自体をを忘れることはありませんね。
いきなりのコメント申し訳ありません。
2012/1/14(土) 午後 7:03 [ がんばれ赤ヘル ]
先程はご訪問ありがとうございました。
高校時代の話は全然解らなかった事であり教えて頂き非常にありがたく思います。
2012/1/14(土) 午後 11:51 [ - ]
殿堂入り、良かったですね!
野球選手とし一流だったと認められたと言う事ですもんね!
息子さんも頑張ってほしいですね。
2012/1/15(日) 午後 3:03
先ほどはコメントをありがとうございます。
津田選手は当時巨人ファンだった私にも大きな壁として記憶に残っています。真っ直ぐでガンガン行く姿勢は勉強になりました。
2012/1/15(日) 午後 4:10
私は、津田さんの記念切手が発売されたときに、購入しました。あまりにも若すぎる死でしたね‥‥
確か津田さんの息子さんも南陽工業に進学されてましたね。今は、もう大学かな?
2012/1/21(土) 午後 3:01 [ にゃんにゃん ]