BUT SERIOUSLY, FOLKS...京都の地の果てより

楽しみながら苦しみながら、学びながら馬鹿やりながら。

全体表示

[ リスト ]

 かつて勤めた会社に、うつ病を発症して長期間業務に従事できずに休んでいる人がいた。その人は一見明朗快活そうなタイプで、直接一緒に仕事をすることはなかったが、その仕事っぷりの評判は悪くなかったと思う。
 ところが人事異動による配置転換でこれまでと違う業務を任されるようになってから、発症したようだ。出勤しても体調不良を理由に帰ってしまうし、何日も欠勤することが多くなる。そうなると必然的にしわ寄せを食うかたちで周囲の人間の仕事量が増える。そこの部署の残業量は多くなっていたはずだ。
 さらに、うつ病というのは、本人が今は調子がいいな、症状が軽いなと感じる時間というのは必ずあるし、あるいは単に特定の行動にストレスを感じて上手くできないだけということもあるので、ときには家事などの身近な活動に勤しんだり、あるいは外出してレジャーを楽しんだりすることもある。別に他の病気や怪我のように病院のベッドにいるしかないというわけではないのだ。彼自身も「子どもと一緒に遊んでいるときが本当に救われる気分になる」と言っていた覚えがある。
 ところが、これが第三者である会社の同僚には理解できない。わかりやすい意見として「遊んでるくらいなら会社に来い」的なことを平気で口にする人間もいたりする(あれを聞いたときは本当に驚き、そいつの人間性を疑ったな。よく仕事帰りに一緒に飲みにいっていたのに。会社の人間関係の情なんて、一皮むけばボロボロである)。
 彼の休みの期間は、『年次有給休暇』の範囲を超え、『病気欠勤』の扱いを受けるようになり、そしてついに『病気休職』まで続いていった。
 これらの最大の違いは、『病気休職』になってしまうと給料が支払われなくなること(本人には、一定の条件を満たせば傷病手当金が支給される)。しかしあくまで会社に在職しているのだから、住民税や健康保険料、厚生年金保険料は今まで通り差し引かれることになり、特に保険料関係は会社も負担し続けるということになるのだ。もちろん彼が正社員として復職することを期待して、そこまで期間を伸ばしたと思うのだが、そもそも会社に行きたくない、今の仕事をしたくないというふうに彼が病気のかたちで無意識に表現しているのだから、そこまですることが有効だったのかという疑問はあった。相変わらず欠員補充がないということは、逆に言えば彼不在でもやっていけるという組織の皮肉な意思表示になっていた。
 結果、彼は退職することとなった。小耳にはさんだ話だと、今では仕出し関係のアルバイトで社会復帰してるとか。子供と一緒の時間を増やして、自身が調子よく過ごせる時間を増やし、明朗快活そうな姿を取り戻して欲しいと思う。


 個人的な話を書いてしまったけど、今更ながらこれらの事例は決して当事者たちに利益をもたらしていない、あるいはもっと感情的な表現をするなら、誰も幸せになっていないと思う。
 なぜ、こういうことになってしまったのか。法律的な手続きとしては間違っていなかったし、そのときどきで芽生える感情というのも褒められたものではないが、わからないでもないと思う。しかし経済的合理性の観点でも、あるいは人間の感情の面でも、明らかに当事者に利益やポジティブな姿勢をもたらしてはいない。
 まず、彼にうつ病を発症するきっかけとなった人事は適正だったのか。
 それを企画した上司が彼をフォローすることなく、彼に不向きな仕事量ばかりを増やしていた可能性はあったと思う。その人事上のミスを訂正するだけの配慮もなく、ひとりの人材を潰しながら周囲の人間にも無理を強いるという結果になってしまったのだ。
 次に、職場の内でのうつ病に関する知識の欠如から、彼に対するイメージをダウンさせ不満を募らせて職場の雰囲気を悪くするというのはあったのではないか。
 別に病気について勉強しろとか、温かい目で接してやるべきとか言うつもりはない。ただ少なくとも「遊んでるくらいなら会社に来い」的な気持ちは持つべきではないだろう。そういう無知からくる不満を程度の差こそあれ同僚たちが持ってしまうと、ただでさえ会社に行けない・行きたくない状態のうつ病患者である彼をますます職場から遠ざけてしまうことになるからだ。
 そして彼の休みの期間を『年次有給休暇』から、『病気欠勤』さらに『病気休職』まで引き延ばしてしまったこと。その間給料はもちろん、各種保険料の類を働いていない人間に支払うことになる(この事実も「遊んでるくらいなら会社に来い」的な意見に影響を与えていると思う。わかりやすくいえば「私は頑張ってるのに、頑張ってない人に給料が支払われるなんて!」的な不満が必ず出てくるのだ)。
 病気による退職あるいは解雇ということで所定の手続きを早めに採っていた方が、彼の社会復帰にもベターだったかもしれないのだ。傷病手当金だけでなく失業手当も早めに出ることだし。しかし結局ダラダラと在職することを前提にして、会社の負担も増えてしまった。
 あと、これはそれぞれの家庭の事情に首を突っ込むことになるのだけど、実は彼の奥さんは公務員だったので、経済的に余裕があったかはわからないが、休暇の取得や各種保障については一般企業よりも安定していたはずなのだ。だから早めに退職して彼女の扶養に入るという選択肢もあったはずなのだ。それを選ぶかはまさに家庭の事情だから言及すべきではないかもしれないが、制度的に余裕があるのなら、様々な選択肢があることを皆が考慮すべきだったかもしれない。


 この『障害者の経済学』という本を読んでいると、当時のことを色々と思い出した。
 この著者は脳性マヒの子供を持つ経済学者である。だから彼自身あとがきで触れているように、障害者の親という現実の当事者が、その現実を客観視するにはそれなりの時間がかかったようで、福祉という狭く決まりきった世界から抜け出せず、障害者という弱者の親という立場に甘えていたと振り返っている。
 そして、そういう立場から著者が表現するところの“吹っ切れた”状態、治す対象物として障害と対決するのではなく、それを受容し人間の特性として認めるようになることが、この本を書く第一歩になったようだ。
 曰く、“車椅子に乗っていることがメガネをかけていることと同じ”、“自閉症であることが空気が読めないのと同じ”という具合に解釈できるようになる。
 この解釈でいけば、うつ病も単なる心の不調として捉えることから始めればいい。治す対象ではないその人の特性であり、生かし方次第では十分貢献できる、変な人事異動で向いていない仕事を無理矢理押し付ける必要もなくなると思った。
 そして、この“吹っ切れた”視点から繰り広げられる主張は、基本的には障害者が消費者として生きていくことを押えながら、そうあるためには健常者からみたこれまで通りの“自立”という価値観ではなく、多種多様な障害を持つ人間のひとりひとりの、そのままの“多様性”を認める社会を目指した方がベターだとする(その具体例として、この本を読むと、工場での単純作業から農業まで、きちんと上司が指示を出したりIT機器を使用することで、障害者がその特性を生かした職種というのがいかにたくさんあるかがわかる。職種によっては“健常”な労働者以上に成果を挙げるケースもあるのだ)。
 そのための視点の基本にあるのが、あくまで経済学という学問なのが面白い。
 経済学というと合理性や冷徹な印象を持たれがちだが、逆にこの本ではそういう学問の特性を、著者自身が“吹っ切れた”状態で生かした視点を持ち続けているので、逆に温かみのある、読者の好奇心を刺激し、勇気付けるような印象を与えるようになっている。
 その読者に与える勇気のもととなっているのは、その著者の視点が単なる障害者を巡る問題を超えて、今を生きるすべての人々が抱える問題を深く掘り下げていくように機能しているからだろう。
 第9章『障害者就労の現状と課題』で、著者は次のように述べている。


 重要なのは雇用を増やすことである。人間には得手不得手がある。比較優位の原則に従って、自分の相対的に優れているところで仕事をすることが社会にとって効率的である。
(中略)
 雇用情勢がいっこうに改善しないなか、これらの政策の重要性は障害者に限ったことではない。本来、人間の能力には多様性があるのだから、それに合わせた働き方があってもおかしくないはずだ。さまざまな種類の仕事が数多く存在していれば、職を失っても再び仕事を得る可能性は高くなる。


 さらに終章『障害者は社会を映す鏡』での主張は圧巻である。


 ニートとよばれる人たちは、自立という言葉がトラウマになって雁字搦めの状態だそうだ。病気を治そうと頑張れば頑張るほど発作から抜けられなくなる精神障害の人々と似た性質を持つ。
(中略)
 現代の若者の多くは型にはまった働き方を嫌うようになってきている。にもかかわらず、年金制度や税制などは従来型の正社員を中心として設計されており、そこからはみ出した人は制度の外に追いやれれる。今後はこうした制度からはみ出す人をなくすためにも、多様な働き方を認める社会を構築していく必要がある。
 加えて、何度でも働き方の選び直しができるような仕組みも必要だろう。ハンディキャップを負っている障害者は体調に波がある。調子の良いとき悪いときの差が激しいのである。それならば、調子の良いときをうまくつなぎ、トータルの生産性を高める働き方があっても良いはずだ。こうした柔軟性は出産や育児など時間を割かざるを得ない女性にとっても働きやすい環境へとつながるだろう。
 このように、障害者が働きやすい環境をつくることは、他のさまざまな特性を持つ人々にとってもプラスとなるのである。


 これは単なる理想論ではないと思う。未来への希望を語りながら、今ある制度や仕組みが現実に対応していない、そこにいる人々すべてに何らかの生きにくさを与えていることへの警告でもあるのだ。


 表紙には、なぜか七福神の恵比寿様が描かれている。
 え?なんで?と読者は思ってしまうのだが、この恵比寿様の起源には面白いものがあって、古事記神話には、イザナギノミコトとイザナミノミコトが最初に生んだ子どもは全身マヒの未熟児状態で生まれ、海に流された後、漁師に救われ、エビスという名の神様として復活するというエピソードが載っている。だから本来は漁業の神様なのだけど、今や商売繁盛をお願いする神様みたいに親しまれているのは、誰もが知るところだろう。
 これだけで、著者がこの本で伝えようとすることが、はっきりわかる。
 全身マヒの障害者として生まれた子どもが、漂流しているうちに助けられ、そこで漁師の役に立つために生まれ変わり、さらにはもっと広い意味での商売などの交易や消費活動を盛り上げるための神様になったという物語が、ここにはある。
 それは現代を生きる弱者としての立場を背負っている人たちが、既存の硬直した制度や組織から離れ、流れ漂ううちに自分らしく生きていけるという希望でもあると思う。


イメージ 1


閉じる コメント(2)

顔アイコン

雇用問題に興味があってブログを始めて8年ぐらいになります。・・最近はオランダのワークシェアリングを紹介する事を主な目的にしています。

2013/12/27(金) 午前 6:11 mtdcx048

顔アイコン

ご訪問ありがとうございます。naruto様。

オランダのワークシェアを日本にそのまま当てはめるのは、人口等の条件が違い過ぎるのでなかなか難しいと思いますが、日本ならではの応用の仕方はあると思います。
とりあえず、隠された多様性を探し、それを認めるところから始めるべきなのでしょうね。

2013/12/27(金) 午後 3:50 [ molirinho0930 ]

開く トラックバック(1)


.
molirinho0930
molirinho0930
男性 / B型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事