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1日の労働時間別に、上司が残業している部下にどんなイメージを持っていると思うかを聞いた。1日12時間以上働いているグループでは、53%が「がんばっている」と好意的に考えていると答え、労働時間が10時間未満のグループ(38%)より15ポイント高かった。
逆に、残業について、「仕事が遅い人」という否定的なイメージは、10時間未満のグループでは37%が賛成したが、12時間以上働くグループでは26%にとどまった。
(以上、リンク先の記事より抜粋)
上の記事の引用で不思議なのは、それぞれ2時間という時間の差によってイメージの違いが生まれること。
まず『1日12時間以上働いている』状況だと「がんばっている」と思われることはあっても「仕事が遅い」と思われることは少ないということ。
これは仕事量が個人の能力よりも多いという不幸な状況が転じて、個人の能力を超えた仕事量をこなしてくれているという、なぜかポジティブな評価につながっているという奇妙な状況が生まれている。
そして“『1日10時間以上働いている』状況だと「がんばっている」とは思われずに逆に「仕事が遅い」と思われることが多くなるということ。
これは仕事量が個人能力よりもやや多いという、真の意味で頑張れば何とかなる、ひょっとしたら個人のスキルや経験値を上げる機会にもなるという可能性もある状況であるにも関わらず、なぜかその頑張りや可能性は無視されて「仕事が遅い」というネガティブな評価に代わるという不幸な状況が生まれている。
なぜ、こういうことになるんだろう。
『1日12時間以上働いている』という状況は、1日8時間労働を基準にして考えれば、明らかに多過ぎる。しかし、その仕事量を与えたのは、まぎれもなくその部下の上司。仕事の内容にもよるけど、その部下にしかできないものとして上司が任せてしまった以上やってもらわなければならないし、ワークシェア的に組織内で分担するには更に余分な手間と時間がかかってしまう。だから上司は心理的に自らが下した判断を信じるしかなくなってしまうのだと思う。
制度的な面でも、夕方5時の退社時間が夜の9時まで伸びるので、さらにあと1時間残業すると、労働基準法上でも時間外労働の手当の割増率は夜の10時から更にアップするように定められているから、客観的にみても「がんばっている」という評価を受けやすいのだと思う。その人の労働生産性を離れたところで評価がされやすい、いわば評価が上方修正されやすいのだ。
一方『1日10時間以上働いている』という状況は、先に述べた“真の意味で頑張れば何とかなる”状況だからこそ、逆に評価の対象になりにくいのではないだろうか。上司にしてみれば、夕方5時に終われるはずの仕事量を部下に任せているという心理の方が管理責任上先立つだろうから、「がんばっている」という期待に反して「仕事の遅い」という評価が下方修正されやすいと思うのだ。
いずれにせよ、忘れてはいけないのは残業というのは時間外労働であって、それが行われるには使用者と労働者の間であらかじめ協定を締結し、これを行政官庁に届けなければならず、そして協定を結ぶだけでは法的強制力はないので、実際の運用はその会社の就業規則等による部分が大きいと思う。
だから早い話、その職場を取り仕切る上司によって、部下の残業の量は決められ、それが評価につながっているわけで、たとえ些細な裁量権の力でも一度持ってしまった権力を勘違いして行使する人も多かったりするのではなかろうか。
それが、この2時間の差に表れている気がする。
残業手当というのは、実際のところ“生活給の一部”になっている場合も多いのではないだろうか。
最近はブラック企業なる言葉もあって、サービス残業ばかりやらされて過酷な労働環境で苦しんでる労働者も多いのだから、まだ残業手当が出るだけマシ、小銭稼ぎ以上になる残業なら自ら進んでやりますという人は結構多そうな気がする。安月給のまま放置されている人、契約社員で立場が不安定な人の方が圧倒的に多いのが現状だと思うから、アベノミクスで労働者の給料を上げるように政府や経済団体は言ってはいるけど、そんな空手形みたいなものよりも、まずはもらえるものをもらっておこうのが人情だと思う。
もちろん皆自分の仕事を就業時間内に真面目にこなしていると思うし、手当稼ぎを狙って残業をしている人はいないと思うけど、「今日は早く帰るけど、明日は残業だ」的に自分のスケジュールを会社のなかに組み込んでしまって、自己の評価を下げないように、あるいは上げるように、割増された残業手当を手に入れるようにしている人は多いのではないだろうか。
部下の方にとってみても、この2時間の差というのは大きいと思う。無意識のうちに単に生活給が上下するというだけでなく、自身の評価にも繋がっているのだから。
この2時間の間に、上司の管理職としてのささやかな権力や、部下の都合のいい姑息さが充満していると思うと、少し気味が悪くなる。
結局は両者とも共犯なんじゃないか、残業手当など無くなったらいいのに、なんて会社勤めはおろか、満足に就労できない体調を抱えてしまった身としては、ヤケクソ気味に思う。
そういえば昔、自分自身も含めて部署内での残業時間が多かったので、何とか減らそうとして仕事を割り振り直したりしているうちに、先に体調を崩して今の自分に至っているわけだが、その努力をよそに当時の上司が逆ギレ気味に吐き捨てた言葉が忘れられない。
「オレが命令したから、やったらええんや!黙って言うこと聞け!」
管理職は残業手当がつかないからか知らないが、命令だけ下して自分はさっさと帰るような上司で、共犯関係を外れたところで正論を実行されるのが気に入らなかったのだろう。こうなると部下である自分の立場は一気に弱くなる。ちょうど体調を崩したのと同じ具合に。
でも、あのときの彼の脂ぎった顔、目元も頬も顎も脂肪に覆われた醜い姿が、ちょうど長い人生の2時間分の価値しかないと言われれば、納得するしかないな。相変わらず彼は上司ぶって2時間の会社人生のなかに、その身を閉じ込めているのだろうか。
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でまかせ経済学
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経済ネタを取り上げますけど、あまり本気で取らないでね?!真面目な皆さん。
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冬なのに、やたらと口が渇く。水が飲みたくて仕方がない。今飲んでる薬のせいらしい。
原則毎食後、多少時間がずれても1日3回服用しているリリカとテルネリンというやつ、身体の痛みを和らげてくれる効果はあるのだが、副作用として口の中が粘々するような感覚がずっと続いている。服用し始めた頃は夏の暑い盛りだったので気候的な要素も大きかったと思うのだが、この冬の寒さのなかでもこの感覚は消えない。だから、ペットボトルの水が手放せないということになる。
出かける途中のコンビニで500mlサイズのボトルを買う。
コンビニのレジの周りというのは、色々なものが並んでいてパッと見るだけでも賑やかである。100円くらいのチョコレートや大福餅のようなカワイイものから、この季節の定番となったほかほかの湯気を出す肉まんや、出し汁が浸み込んだような香ばしさを放つおでんまで、消費者の食欲の琴線に触れ、目的物を買ってレジで支払いを済ませる最後の段階まで何とか財布の小銭を引き出そうとする商売っ気を感じる。
そんな消費者に振り向いてもらおうとする最近の新たなアイテムとして、挽き立てコーヒーが加わった。これがどこのコンビニでもヒット商品となっているらしい。今回は口の渇きを満たすための水を買うのが目的だからコーヒーというのは全くの対象外なのだが、何回か買ったことはある。特別に旨いかどうかはわからないけど、少なくともファストフードやカフェスタイルの店で出るようなものと遜色ない商品だと思った。
個人的な予想なのだけど、今や都市部を中心として定番となったカフェスタイルのコーヒーショップというのは、将来的にはこのようなコンビニ・コーヒーに取って代わられるような気がする。より便利で同じような品質で、しかも小腹を膨らます食品も一緒に買えるのなら、皆コンビニの方を選ぶのが道理ではなかろうか。
カフェのように落ち着けるスペースがコンビニにはないから取って代わられることはないという意見もあるだろうが、そういう視点で見るのであれば、むしろ昔ながらの喫茶店スタイルの店の方に分が出てくる。どの店も同じように画一化されたインテリアのスペースのなかで人混みに囲まれてコーヒーを飲むくらいなら、店ごとの個性が表に出せて、個々の消費者の嗜好に合わせた営業形態を採ることで差別化が図れる喫茶店の方が、たとえ忙しい最中の束の間の時間であっても落ち着ける時間を求める人の需要に合っているような気がする。
日経新聞あたりを読んでると、そういう動きが少し出て来てるようだけど、実際のビジネスベースでどうなるかはわからない。あくまで個人的予想。
ところが、こういう熾烈かつ刺激的な商戦を繰り広げるコンビニの空間のなかで、唯一おっとりしてるというか、殿様商売なんじゃないかと思わされる場面に遭遇した。
レジでの支払いを終え、同じコンビニの敷地内にあるATMにお金を引きおろしに行き、その際に液晶画面に表示された文言に唖然となる。いや、前もってこうなるとは前情報としてわかっていたのだけど、実際にその日が近づくと困ってしまう。
12月20日から提携先コンビニATM利用手数料が改定される。
今まで所定時間内なら無料だったのが有料になる。
うーん、家からすぐのところにあるコンビニにあるATMで、その払い戻したお金で買い物をしたり公共料金を支払ったりして便利さを謳歌していたのだが、それがある種の制約を食らってしまうことになるとは。
銀行、変えようかな。しかしそうしたら、各種公共料金や家賃の支払、クレジットカードの変更手続きもしなければならない。あれは結構ストレスが溜まる。特に体調不十分の現在では負荷がかかる。
自社の営業所内でもないコンビニのATMの手数料を無料にするというのは、それなりの負担になっていたのだろうということは予想できる。
だから我慢して受け入れてもいいのだが、どうしても納得できないのは、それと同時に発表されたこと。
曰く、当行ATMがもっと便利になります、との文言。
そして平日はもちろん、土・日・祝日を含め、毎日8時45分〜21時の間の当行ATM手数料が無料になるとのこと。
これって意味があるのだろうか。家の近くにも、通勤・通学経路にも当該銀行の営業所がない人にとっては何の意味もないのではないだろうか。まさか自行ATMを無料にすることで、それらの人々が経路を変えて立ち寄ってくれると思っているのだろうか。そしてATMを利用したついでに、投資信託などの金融商品を買ってくれるとでも思っているのだろうか。
インセンティブという言葉がある。
人々の意思決定や行動を変化させるような要因のことで、先ほどのコンビニの例でいえば、それぞれの店が営業の自由が保証され、そこで取り扱う商品やサービスが多様になることで健全な発展が生まれ、そこに消費者を呼び込み、さらに多様な商品やサービスが提供できる機会が生まれるという好循環が生まれるという仕組み。ATMを設置しているのも単にお金をおろすだけではなく、ついでに何か買ってみるか的な消費を呼ぶ部分はあると思う。
これはあくまで市場を通した供給者と需要者の自由な関係の一面に過ぎないのであって、ひょっとしたら現場のコンビニで働いてる人は業務ばかり増えるわりには給与が上がらず、過酷な労働環境で大変だったりするだけなのかもしれないけど。(ちなみにこういう弊害を、外部不経済といいます)。
でも、コンビニが挽き立てコーヒーまで提供して(缶コーヒーとかの商品があるにも関わらず)、商品とサービスの多様化で小売業のメインストリームになっているのに対して、銀行のATMについての対応というのは、いかにも後向きというか、前向きに発展していこうとする気があるのかと思ってしまう。だって銀行が自行ATMを使って下さいと誘ってきても、そこに利用価値がなければ、銀行のコスト削減以外のメリットは他の誰にもないではないか。
そういえば最近は、コンビニ等の小売業も独自に銀行を設立して金融業に乗り出しているわけで、その例からいえば銀行も自行営業所の敷地内にコンビニを作るくらいの積極性があってもいいと思うのだけど。
数日後、京都市内の当該銀行の大きな支店に行く機会があった。
コンビニの店内にひっそりあるATMとは比較にならない、入口近辺の明るく大きなスペースに十数台ものATMが並んでいる。どのATMも人で埋まって行列ができている状態でないのが残念。たまたま時間帯がそうだっただけで、これから年末にかけては多くの人が押し掛けるのだろう。
こういう比較的大きな銀行の店舗に行くたびに不思議に思うのは、フロア内に立っている案内役の行員さんが多いこと。丁寧な口調でどのような要件なのか尋ねてくるのはいいのだけど、要件を言ってもそれに直接対応してくれるわけではなく、ただ「何番窓口へどうぞ」と言うだけ。で、その指示に従って窓口近辺の椅子に座って十数分間の待ち時間を過ごすのは同じことであって、何のための案内なのか、これなら入口近辺の受付カウンターに座ってる人(フロア内以外にもいらっしゃるのだ、ご丁寧に)から番号札をもらえば、あるいは説明を受ければ済むことだと思う。
何だか効率が悪いなと思う。
案内役の人には悪いけど、あまり役に立ってないなと思う。少なくともコンビニで働いてる人の方が感じも良いし、頑張ってると思う。お給料はどうなってるのか知らないけど。
コンビニATM有料化は、ひょっとしたらこの人たちの給料に充てるためなんじゃないかというのは、邪推が過ぎるか。でも、せっかく自行ATMによるインセンティブを図るのなら、やるべきことはたくさんあるのではないだろうか。
融資残高もさほど増えてないという記事を思い出しながら、金融業本来のサービスの在り方ってミクロからマクロに至るまで、どうなっているんだろうと考えてしまった。
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ユーロ安だそうだ。ということは円高ということでもありますな。
でも、それを実感できることって、日常生活のなかでは少ないのではないかしら。少なくともメリットとして感じることは少ないような気がする。
例えば、輸出産業に関わる企業に勤めている人にとっては、社内で良い話を聞くことは無くなりつつあるのかもしれない。為替の変動により売上が減れば利益も減って、そんでもって給料も減るから財布の紐も絞めざるを得なくなる。一部の百貨店やスーパーが「円高差益還元セール!」とか銘打っても、肝心の資金がないのだから、今ひとつピンとこないということにもなる。
いや、本当に怖いのは、お金の有無じゃなくて、気持ち的に貧乏臭く萎縮してしまうことなのだと思うんですけどね。給料が減った!えらいこっちゃ!何とか無駄遣いは止めよう!というふうに気持ちが動く方がフツーであって、給料が減った!じゃあ気分だけでもリッチに!せめて細やかな贅沢をしよう!というふうになるのは、少しおかしな感じがするのではなかろうか。というわけで、円高、日本国の通貨が強くなったと言われても、マスコミを含めた大概の人間は、そのメリットがさっぱりわからなかったりするのが実情ではないでしょうか。
そんな人間でも、唯一即物的に円高のメリットを味わうことができることがある。
それは、海外旅行。
ユーロ安ということならヨーロッパに行くのがベストだが、さすがにそれは時間とお金がかかる。会社を1週間近く休むことになるし、安くてもン十万円単位の予算が必要となるわけで。この不景気に職があるだけでも有難いのに休めるか!生活費だけでも毎月大変なのにそんな余裕があるか!と顰蹙を買うことは確実。
そういう考え方こそ、気持ち的に貧乏臭く萎縮している証拠ではあると思うのだけどね。
まあ、実際そこまで頑張らなくても、飛行機で一時間程度の隣国、例えば韓国釜山あたりだと、意外と気楽に行けると思うんですけどね。飛行機や船便によっては日帰りだってできるし、ツアーなら数万円程度、言葉も違う場所で旅情に浸りながらも日本語が通じる便利さも味わえる、そんな場所は他にはないでしょう。
何より、円高メリットをこれほど気軽に味わえる機会はありまへんで!
自国通貨が他国通貨よりも強いということの有難味を、海外に出てからわかる部分って大きいのですよ。年末年始を海外で過ごすという見栄も満たすべく、本当に久しぶりの韓国旅行を決行することとなりました。
写真は釜山タワーの下、日本を睨むように建つ李舜臣の像。かつては日本からの軍勢を迎え撃った朝鮮の将軍。昔も今も本当に近いんだな、日本からは。
海外旅行に行くなら免税店。
ということで、金魚の糞のように連れ合いに付いて行く羽目に。まあ、所詮日本人のおのぼりさんだからいいんですけどね。それにしても女の買い物はなんであんなに時間がかかって面倒臭いんだよ!
韓国に限らず、免税店に行くとチェックすることがありまして、それは価格の表記。
観光市街地にある店ならそうでもないのだけど、空港にある店だと大概米ドル表示だったりするわけで、それを大まかに日本円換算しながら、同じようなものが日本国内の店頭に置かれてたらどれくらいの価格になるかなあ、などと想像してみるのですよ。免税店である以上、その国独自の関税や消費税的なものを差し引いた価格が出てくるわけで、これで大まかな為替差損益=円高メリット・デメリットみたいなものを掴むことができると思うのです。「米ドルを日本円に換算した場合」「日本の店頭で同じものを売ってる場合」「韓国の店頭でウォン建てで売ってる場合」「アメリカの店頭で米ドルとして売られている場合」……色々考え過ぎると逆に混乱してしまうから、その辺はサラリと、ザックリと。
化粧品、洋服、酒、食品……毎度お馴染みの商品が並んでおりますが、大体どれも安く感じますな。
例えば化粧品。私にとっては全く興味外の世界ではありますが、それでも日本の百貨店のカウンターで綺麗なエスティシャン風お姉さんが売ってるよりも2割3割くらいは安いんじゃないかなと思いました。それは洋服や酒や食品でも同様。連れ合いはバッグを買って御満悦でしたが、確かにあれがこの値段で買えるのなら安いだろうなあと、男物に置き換えても納得できる部分が大きかったです、実感として。ということは、まさに円高メリット!厳密な計算をしたわけではないけども、旅情に煽られて消費意欲が勘違い的に湧いている部分はあるけども、それらを考慮に入れても、日本円で買える物って結構あるような気がします。気分はすっかり大きくなってしまいましたな。
ところが、その商品群のなかでも、これなら日本の店頭で買った方が安いよなあ、と思ってしまった商品もあったわけで。
それはデジカメに代表される家電製品。
バーゲンや展示品価格も含めての話だけども、日本の店頭なら結構高級なデジカメが比較的安価で手に入るのではないでしょうか。コンパクトものなら、それこそ数千円台で。炊飯器やパソコンも同様。それが免税店の値札で、あるいは韓国や米国、はたまた単純に為替換算して日本で売られていたらかなり高いと思ったのですよ。絶対数万円に跳ね上がることになるんだもの。
少し気になるのですよね、こういうのって。
だってデジカメとか家電製品って、日本の基幹産業じゃないですか。
そういう製品が実際に店頭に並ぶ段階で、日本国内ではかなり安くなっているのに、単純に為替換算したり、あるいは海外の店頭に並んでいる際には高価になっているんじゃないかと。同じような韓国産・中国産の家電製品も同じような値段だったら構わないのだけど、ひょっとしたら日本の製品だけ高価になっているんじゃないのかなあ、海外の消費者からは日本の製品は割高に見えるんじゃないかと不安になったりしました。
あるいは、日本国内の店頭の価格設定自体が逆におかしいのかもしれないとも。安売り競争に晒されながら、何とか消費者の関心を引き留めようと四苦八苦している販売店の姿がおぼろげに、かつリアルに浮かび上がってくる感覚もあったりします。
もし、免税店で日本の自動車が販売されてたら、どんな値札が付いているのかなあ。
そう思うと、ますます怖くなりますな。
為替というのは、あくまで交換を前提にしたもの。
だから「円が高い」「ユーロが安い」というのは、あくまで絶対的なものではなくて、相対的なもの。互いの通貨を比較して、あっちが高いとか安いとか初めて表現できるものだと思います。
そんな相対的なものなら、比較することでしか測れないものなら、そういう流れに沿って生きた方が楽なのではないかとも思いました。円高のデメリットを嘆くより、メリットを探した方がいい。それは刹那的な楽しみかもしれないけども、自分が所属している国家の通貨が強いということはそんなに悪いことじゃない。
韓国は「ウォン安」の恩恵を得ているようで、ここ釜山からもひっきりなしに人や物の流れが見える。でも、自国通貨安というのはそんなに良いことばかりじゃないと思うのだけどね。
色々と想像が膨らむ、海外での年末年始ではありました。
写真はホテル近くにあった掲示板。日本ならたまに電柱に括り付けてあるような不動産の広告、「地下鉄駅から5分!」みたいなワンルームマンションの宣伝のようです。韓国も不動産価格は下落しているようですが、それでも購買・販売意欲はそれなりにあるようで。「ウォン安」で稼いだ外貨を、次なる国内投資に継ぎ込む準備はあるのかも。金利も下げる余地が残っているし。
旅行記、まだまだ続きます。続けます。
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東北・北関東の日本酒を飲む動きがあるらしい。復興支援という名目で。
そんなもんね、とっくにやっとるわい!今更遅いんじゃ!と、震災発生1か月以上も飲み続けております、東北・北関東の日本酒。いや、震災発生前から飲んでるな。えーと、かれこれ何年前からかな、何十年前からかな……これって、単に酔っ払いというだけのことですね。スミマセン。
でも実際のところ、意識して被災地域の酒を飲むようにはしているのですよ、家でも店でも。改めて思いますね、こりゃ旨いと。宮城の『乾坤一』『浦霞』、秋田の『まなび凧』、岩手の『あさ開』……色々飲んでるけど、お気に入りは茨城の『来福』でしたね。辛口ですっきりした味。
ところがですね、この『来福』、実は“広島県産”の米を使っているのですよ、『八反35』とかいう名前の。
ありゃ、これじゃ被災地と関係ないじゃないか、と思ってしまうのですが、そこが日本酒造りの奥深いところでありまして。
この『来福』の製造過程は、詳しくは来福酒造のホームページ(http://www.raifuku.co.jp/)を見ていただくとして、要は原料を見極めること、麹や酒母を作ること、水を加えて醪を作ることは全く違うという、当たり前の事実に気付くのですよ。どこにでもあるような米や水を使うのではない、どこにでもいるような人の感覚に頼っているわけではない、感性と経験の積み重ねとでもいうのでしょうか、そういうものが行き着いた到達点が、この『来福』になっているわけで。同じ茨城県内であっても原料と杜氏が違えば、全く異なる風味の酒ができるはず。福岡の米を使って新潟の杜氏が茨城で日本酒造りをしたら“茨城の酒”になるわけですな。一言で“被災地の酒”といっても、様々な風合いのものがあるわけで、いやはや本当に奥が深いというか、乱暴に片付けてはいけないものだなあと思ってしまいます。
ただ、これらの酒で、唯一の共通点があります。
それは、旨いこと。
旨い酒なんて、どこにでも色々な種類であるじゃないかといえば、全くその通り。ビール、焼酎、ウィスキー、ワイン……日本全国、いや、地球単位で、それぞれの地域にそれぞれの酒があるのです。それらを気分と機会に合わせて、酔っ払い共は楽しんでるわけで。作り手と飲み手の感覚や習慣が「旨い!」という一言の下で集約されているのですよ。
だから、復興支援のために、東北・北関東の日本酒を飲もう!なんていうのは止めにしましょう。
旨いから飲むんですよ。この災害を機会に当地の食品を口にする機会ができて、それが気に入ったのならいいじゃないですか。人によっては「東北の酒もええけど、やっぱ灘やろ」とか「日本酒よりも焼酎!」という意見が出てくればいいと思うのですよ。個人個人が各々の生活のなかで、美味しいものを口にして楽しむ、それらが集まってヒトやモノの大きな流れを生む……少なくとも日本全国同じ食品が店頭に並ぶスーパーマーケット・コンビニ的発想から離れて、色々な食に出会って盛り上げる方が面白いじゃないですか。
震災後「日本経済を回す」みたいな言葉をよく耳にするけど、皆が同じものを作って同じものを食べていてもつまらない。個人個人が好きにやる、それが「日本経済を回す」ということを真の意味で支えるのではないでしょうかね。
単なる酔っ払いの言い訳ではないよ、これは!
ここまで書いて、ふと思ったこと。
支援にかこつけて、「被災地に元気を与えたい」みたいなこと、言う人いるじゃないですか。あれって、逆じゃないのかなあ、少なくとも日本酒については。
だって、元気をもらっているのは、日本酒を飲んで楽しんでる側なんですよ。好みに拘って選んで、日々の食事と共に酔っぱらっていい気分になってるくせに、最近飲んできた前述の日本酒を近所の酒屋の店頭では見かけなくなると、途端に残念になて少し落ち込んだりしているくせに、偉そうに「被災地に元気を与えたい」なんておこがましい限りだと思うのです。
さっき、個人個人が好きにやることが「日本経済を回す」と書いたのだけど、それぞれ一人一人が元気を与えるつもりが逆に日々の元気をもらってる、元気を何倍にも拡大する機会をもらってるということに気付くことが、真の意味で「日本経済を回す」ということに繋がっていくような気がします。
単なる酔っ払いの言い訳ではないよ、これは!
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電気予報、か。うん、悪い考えではないと思うね。
出来れば「天気予報」と連動してやればいい。今じゃ、予想最高・最低気温、降水確率、週間天気なんて当たり前にやってるでしょ。過去の暑さや寒さや日照時間のデータは当然手許にあるわけだし、近日中の予測なら結構当たっているはずだ。だったら、そういう信憑性の高い情報を基に、冷暖房や照明などの電力消費量を予測して発表するわけである。
4月6日の日本経済新聞朝刊によると、標準世帯の1か月あたりの電力使用量は平均290キロワット時前後で、夏場は多くの家庭で300キロワット時を超えるそうな。だから、このあたりを基準にして料金を変えることで、節電意識を高める狙い、とも載っている。
だからですね、きれいなお姉さんがテレビの画面に出てきて、「明日の京都市は、一世帯当たり○○キロワット時、市内全体で○○キロワット時になるでしょう。特にオフィスが多い中京区の皆さんは気を付けて下さいね!」なんて言うわけである。そう言われたら「おっ、今日は節電しようかな」と思う人も多いのではないだろうか。
節電意識が高まるということは、同時に利用意識、消費意識、投資意識が高まるということでもあると思うんですよ。つまり、「せっかく電気使っているのだから無駄なく使おう!」とか「あえてここで電気代を使うことで、もっと良いものがたくさんできるかも……」とか、色々な考えが出てくるの思うのである。
ついでに、前述の「お電気キャスター」のお姉さんも、それぞれ人気が出そうな気がする。天気読み上げるだけで人気が出た女子タレントも多かったくらいだから、ファンも多数生まれたりして。
ファン曰く「もう、彼女の魅力に、シビれてます!」なんて、電気だけに……。
真面目な話、計画停電や輪番操業なんてやるよりは効果があるだろうな。
節電意識は大事。でも、世の中にはどうしても電気を使わないとやっていけない人々も多いはず。納期間近の仕事を抱えてフル操業とか、大事な研究開発してるとか。そういう所に優先的に電力を回すには、一定の基準を設けて、それ以上・それ未満で料金設定すれば、意外と上手く経済は回るのではないだろうか。
使う人は使う。使わない人は使わない。病院など経済的・身体的弱者がいる場所だけは例外的に考えるというわけで。
効果的に、無駄なくエネルギー使えば、この動画のようにビルさえ一気に動かせるかもしれんな。
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