BUT SERIOUSLY, FOLKS...京都の地の果てより

楽しみながら苦しみながら、学びながら馬鹿やりながら。

愛犬の思い出

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ぼくの名前はコーラ。2001年2月14日生まれ。2013年2月17日死去。いろいろありがとう。
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 雨の月曜日から始まった。
 土砂降りというほどではないが傘なしで歩くのはきつい。傘をさしても、水をはじくはずのジャケットの表面に雨粒の当たった跡がどんどん増えていき冷たく湿っていく、少し風混じりの中、スーパーへと買い物に向かう。ブーツの色があっという間に黒っぽくなり路面のアスファルトの色と同化していく。所々水溜りもできているようだ。天気予報では一日雨だと言ってたっけ。
 「これでは散歩は無理だな、夕方も」。一日中部屋に閉じ込められる愛犬のことを、ふと思う。
 しかし、すぐに思い直す。「ああ、もう散歩に行く必要はないんだった」。
 
 
 雨も手伝ってお昼時のスーパーの店内の客の数はそうでもないが、傘立ての底の部分はもう水が溢れている。
 二月のこの頃になれば緑色の野菜も増えてくる。キャベツやピーマンや菜っ葉類。今年はどういうわけかこの種の野菜の値段が高かったり店頭に出回っていなかったりしていたものだが、ようやく手の届く所まで来たようだ。
 「お、今日は鶏肉が安いのか」
 鶏肉が二つ入ったパックを手に取る。ひとつはソテーにして夕食に、もうひとつは愛犬のエサ用に。さっきカゴに入れたピーマンと一緒に今夜の献立を思い浮かべる。ドッグフードの他に煮込んだ野菜や肉を混ぜてやるのが、我が家の愛犬用のメニュー。栄養のバランスも素人なりに考えた色々な食材の匂いがする食事を美味しそうにパクつく姿が目に浮かぶ。
 しかし、また思い直してパックを商品ケースに戻す。「ああ、もう作らなくていいんだった」。

 
 愛犬は死んだのだった。日曜日の朝、突然に。

 
 土曜日の夜は久々に外食を楽しんで帰宅したのは十一時近くだっただろうか。留守番をしていた愛犬はベッドの上に行儀よく座っていた。「おーい、寒いだろう」と声をかけながら毛布を上からかけてやる。ひとりぼっちの間は警戒心が完全に解けないのだろう。大概の場合、布団の外に出ている。安心させてやるためのいつもの習慣。
 様子がおかしくなったのは、それから間もなく。遅れて部屋に戻ってきた連れ合いと一緒に撫でたり抱いたりしていると、急に咳き込み始めたのだ。元々心臓が弱いチワワで、歳をとると心臓からの水が肺に溜まり易くなり、それを吐き出そうとして咳き込むような症状が出るのだという事は行きつけの獣医さんから聞いていた。今年になって新しい薬も増やし「もう、お前も歳やなあ」なんて言いながら、この三日前の水曜日に十二歳の誕生祝いをささやかにしたばかり。だから、またいつもの症状が出たのだろうと軽く見ていた。
 「これ、やっぱりおかしいよ。私、今から病院に連れて行ってくる」
 確かにいつもより咳き込む回数は多いような気がする。しかし、そんな大げさに考えるほどでもないと思った。「気にし過ぎだよ、大丈夫だって。第一、夜やってる病院なんて遠いよ」と反論しながら過剰な心配性に呆れてベッドの中に入る。明日の朝には元通りに回復してるだろう、いつものことだとしか思わなかった。病院行きを彼女ひとりに任せても何も特別な感情は湧いてこなかったのだ。

 
 日曜日の朝、愛犬は酸素吸入室のケースの中にいた。昨夜までしっかり立って家中を普通に歩いていたのに、今はガラスの向こうで俯せになり動かない。左の前足には点滴のように包帯が巻かれチューブが伸びている。唯一動いているのは背中。激しく息をしているのだろう。丸みを帯びた毛並みがゆっくり動いている。
 後悔した。何故昨夜一緒に付いて行ってやらなかったのだろう。
 心の内ではそう思いながら、ここは病院という事もあって声も出さず感情も抑えるようにして、愛犬の顔をじっと見つめる。大きな瞳はどこを向いているのかどうかよくわからない。いつもなら何かを訴えかけるようにこちらを見つめるか、あるいは何も用はないよと言わんばかりに目を逸らすはずなのに、今は顔だけがこちらを向いている。
 肺水腫と肺炎を併発したらしい。ひょっとしたら危ないかもしれません、と遠慮がちに抑えた口調で話す獣医さんの前で、連れ合いは半泣き状態になっている。とりあえず別の病院に行って診てもらうこととなり、日曜日でもやっている大規模な設備を備えた場所へと運ぶこととなった。連れ合いは運転席に、私は愛犬と共に後部座席へ。背丈の半分はあろうかという大きさの酸素ボンベを足の間に挟み、空気が噴き出すチューブの先を愛犬の口の部分に近付けた状態を保つようにしながら。段ボール箱の中で横たわった愛犬は時々首を振るものの、激しく息をしながら視線が定まらない様子でガラスケースの中にいた時よりも背中の動きが小さくなっている。
 「頑張れ!」。前の座席で運転している連れ合いが励ましの声をかける。
 信号待ちごとにカーブを曲がるごとに箱が揺れチューブが愛犬の口元から離れそうになるのを一生懸命防ぎながら、私は意外と冷静な気持ちでいた。昨日の同じくらいの時刻にはこのふたりと一匹、いや“三人組”で散歩をしていたはずだ。あるいは散歩のあとはこの三人でおやつタイムを過ごしたと思う。だからこの重篤な事態でも安静にさえしてればいい、獣医さんの指示通り酸素を送り続け、負担になるような刺激を与えないように触るのは我慢して、じっと愛犬の大きな瞳を見つめ続けた。
 この三人で色々な所に行ったものだ。山や川、ドッグカフェやテラス席付きのレストラン。こいつは車に乗るのが大好きでドライブとなったら率先して車に飛び込んでいた。ドアが開くのが待ちきれなくて助手席横でお座りしていたこともあった。だから事態の重大さは理解していても、知らず知らずのうちにいつもの乗り慣れた車で三人組でドライブしているような感覚に浸っていたのかもしれない。
 

 景色を見ることもできない姿勢でチューブを握り、愛犬の瞳を見つめ続けて何十分経っただろうか。
 それまで何の反応も示さなかった愛犬が立ち上がったのだ。
 相変わらず視線は定まらないが、鼻を酸素チューブに当てようとするように上半身を前足で持ち上げ一生懸命立ち上がろうとしている。
 やった。頑張れ。ひょっとしたら大丈夫かも。心の中に安心感が芽生える。
 愛犬は完全に立ち上がることはできなかったけど、自分で頭の向きを箱の中の反対側に変えた。ひょっとしたら寝心地のいい方を探していたのかもしれない、いつもベッドの上でやるように。三人でいるときも、自分の場所はここだぞと自己主張と確認をするようなしぐさ。
 頭の向きを変えて再び寝転んだ時、口の隙間から少し赤いもの、血が流れているのが見えた。

 それから間もなく、病院のベッドの上で愛犬は死んでしまった。

 病院から一旦自宅へ戻り、ペット霊園で葬ることにした。
 病院で死亡を確認し、再び車に乗り自宅に戻り、一緒に火葬するものを選んでいる間も、ずっとタオルに包んだ愛犬を抱き続けていた。4キログラムにも満たない、まだ温かさが残る小さな亡骸。たとえ車のシートや家の畳であろうとも地べたに置くのが嫌な気がしたのと、最近は抱っこしてもらうのを喜ぶ習慣がついていたので、それをそのまま続けていたかったのだと思う。それにこれくらいの重さなら作業しながらでも物理的に大した負担ではない。
 故郷の母親に死亡の報告の電話でもしておこうかという余裕もあったくらいだ。懐くことなど一切なく吠える一方だったが、かつて実家でも犬を飼っていた経験を思い出して可愛いねえと笑顔になっていた母親。作業の手を止めて久々に電話をすることにした。
 電話の向こうで母は一瞬絶句し、あとは涙声になりながらも励ましの言葉をかけてくれた。そして最後に言った。
 「ひょっとしたら、あなたたち三人が揃うまで待っていてくれたのかもしれないね。ひとりじゃ嫌だから最後まで一緒にいたかったのかもしれないね。賢い、偉い犬だね」

 
 途端に涙が溢れだした。この二日間、重篤状態に接して初めての涙だった。
 ひょっとしたら、こいつは本当に自分の死が迫っているのが、あらかじめわかっていたんじゃないだろうか。留守番を終えて帰ってくる時間にたどり着くまで、大好きなドライブに連れて行ってもらえる日まで、本当は身体の異常に気付いていたのに我慢して、何とか週末の楽しい時間を三人で過ごせるように生きようと頑張っていたのかもしれない。
 そういえば別れ際に最期を看取ってくれた獣医さんが言っていた言葉を思い出した。「こういう言い方は失礼だと思うのですが、普通ならもっと苦しむ時間が長かったりする場合が多いのですが、そういう意味では苦しむことなく亡くなったと思います」。
 誕生日を三日前に祝ってもらい天寿を全うし、あとは楽しい時間を過ごしながら苦しみの少ないお別れを選んだのだとしたら、本当に賢い、偉いやつだと思う。これは馬鹿な飼い主の思い込みに過ぎないのだろうけど。
 愛犬の毛を手入れするためのブラシ。毛が詰まったままの小さなブラシを握り、愛犬の亡骸を膝に乗せて、そっと撫でてみる。最後にブラシをかけたのは三日前の木曜日、誕生日のお祝いということでいつもよりじっくりブラッシングしたのを思い出した。
 もう涙が止まらなかった。それまでどこかしら冷静さと安心感の中に浸っていたはずだったが、そんなものがすべて壊れ、感謝と後悔の気持ちが一気に噴き出した。
 ありがとう。今まで三人で仲良くできて嬉しかった。
 ごめんなさい。もっと三人で過ごしてあげたかった。
 くせになってしまった抱っこする習慣を続けながら、もう泣くしかなかった。


 スーパーからの帰り道、目に飛び込んでくる何気ない風景に色々な記憶が甦る。ここはよく通る散歩コースの一部。あそこの電信柱でよくオシッコをしたなあとか、ここの植え込みの中に頭を突っ込んで何か興味深げに匂いを嗅いでいたっけとか、些細なことが感傷的な気持ちと共に甦ってくる。
 家の中に入る前には思わず二階の方を見上げてしまった。よく二階の窓越しから外に向かって無駄吠えしていることが多かったから、今帰ったぞと手を挙げて合図してやるのが習慣になっていた。そういえば出かける時も玄関口でリードと首輪を準備しようとして、えもんかけに手を伸ばしてしまっていたのを思い出した。
 俗にいうペットロスとはこういうものなのだろうか。愛犬を失った悲しみに打ちひしがれて気持ちが沈み心の整理がつかないことの症状。


 降り続いた雨も昼前には上がった火曜日。
 外出するたびに否応なくかつての散歩コースの一部を歩くことになる。オシッコをしていた電信柱や鼻をひくひくさせていた植え込みの木々など至る所にあるので、しばらくはそういう記憶に縛られることになりそうだ。そして天候を気にしながら散歩のスケジュールを立ててしまい、スーパーでは買い物中に売り場に立ち尽くしてしまう日々が続くのかもしれない。
 しかし、それも悪くないような気がする。思い出にしてしまうには余りにも日が浅すぎる。たとえそれらを見て目頭が熱くなるようなことがあっても、それはそれでまだ仕方がないと自分では思っている。
 雨が止んでもアスファルトは未だに濡れたまま、水溜りも残ったまま、寒風吹く中まだまだ乾く気配はない。そんな歩きにくい地面の上を何とか元の色に戻ったブーツで歩くうちに、この路面も濡れた木々の緑も元の乾いた色に戻っていく。いつも見慣れた特に思い入れを抱かなくなる風景に変わっていくのだと思う。まるで現実に起こった極彩色の悲しみが、セピア色のいい思い出に変わっていくように。
 そう思える日まで、かつて一緒に歩いた近所の散歩コースを自分の足で繰り返し歩き続けるしかないのかもしれない。自分の足で地面を踏みしめ、踏みしめた所から思い出という名の芽が生えてくる日を待ってみたいと思う。


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 東西文明の交差点−それは、トルコを形容する際に使われる謳い文句。アジアと中東と欧州に挟まれた地理的条件の下、政治的・経済的・文化的……古くから様々な意味でから人間が行き交う場所。
 それは人間だけの歴史ではなかったような気がする。歴史上人間のそばにいた家畜やペット……人間以外の動物にとっても、それは同じではないだろうか。その時代時代でアジアからやってきた雄犬が中東生まれの雌犬と出会い、そこで生まれた子犬が成長して欧州へと旅立っていく、そんな歴史もあったのではないだろうか。
 動物の世界でも栄枯盛衰、虐げられたり滅んでしまったりした種があるのかもしれない。そして今なお人間のうかがいしれないところで小競り合いが行われているのだろう。それでもこれまで色々な仲間と出会い別れ、今の自分たちの姿があるのだと彼らなりに感じているのかもしれない。
 上の写真はイスタンブール市内を一望できるガラタ塔横の階段を下りて行く二匹の犬。友達なのか夫婦なのか、時の流れに身を任せるように下りの斜面に沿って二匹が歩いていた。


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 イスラム教とキリスト教、ふたつの異なる宗教が共存する聖堂、アヤソフィア。そこの入口に鎮座する野良猫。目前では俗世の観光客がひしめき合い、見下ろせば過ぎ去りし人間たちの栄光の名残りを感じさせる棺がある大聖堂の前庭。
 人間の生と死、栄光と衰退なんて、どうでもええわい……などと悟りきった目で私たちを見ているのだろうか。


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 トプカプ宮殿内の「幸福の門」の門番であろうか、この猫は。ここは白人宦官の宿舎があり式典の際には玉座が置かれたという由緒正しき門。宮殿自体の警備も物々しく銃を担いだ兵隊らしき警備員が所々に配置されている。
 銃なんかなくても大丈夫、今やオレがここの主だと思っているのかもしれない。この落ち着きようは。


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 トプカプ宮殿近くの考古学博物館で地元の小学生の団体に出くわす。いきなり「コンニチワ!」と声をかけられビックリ。記念に一緒に写真を撮ろうとすると、一斉に大勢が集まってきてキメポーズの連続。思わずアイドルになったような気分になる。
 そんなときでも、群れから外れて自分の世界に浸っている子供は何処の世界でもいるようだ。そして野良猫もそういう人間を見つけるのが上手い。お互いに惹かれあうものがあるのだろうか、エサに三匹が群がり、少年の動きに合わせて猫が飛んだり跳ねたりしている。
 何世紀も遡ったとしても、恐らく同じような光景が見られたのかもしれない。戦いや競争に明け暮れながらも、ほっとした瞬間にそばにいる動物を労わったりする人間たちの姿。


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 新市街一番の繁華街イスティクラル通り。モダンな店が並ぶ石畳の通りにも、このように犬が。
 もちろんリードと首輪と付けた犬、ペットらしく小奇麗な猫も見かけることはあった。しかし大概の犬や猫が首輪もなしに放し飼い状態ということは、恐らく野良犬・野良猫なのだろう。
 客引きのトルコ人に尋ねたら「市が許してる」との答え。よく見ると一部の犬には何かの印らしいものが耳に付けてある。鑑札みたいなものでそれなりに管理しているのだろうか。
 しかし印の有る無しに関わらず、イスタンブールの町中に犬と猫が溢れている。いかも、どいつもこいつも人懐っこいのだ。エサをねだって店の前にたたずんでいる猫、無防備に腹を出して横たわっている犬、警戒心のかけらもなく堂々としている。そしてあくまで観光客の限られた視線だけど、店の前に佇む猫を邪険に追い払う人間、あるいは人間に吠えて迷惑をかける犬というのを観た記憶がないのだ。周囲の人間の多くもそれを大々的に容認しているように思えるのが、これまた愉快だったりする。
 そんな犬猫どもに見知らぬ観光客が親しげに頭でも撫でようものなら大変!下の写真の犬、「おお、かわいいなあ、日本に付いてくるか?」と可愛がったら、なんと本当に延々付いてくるではないか!エサがもらえるまで、いや日本まで付いて行くもんね!という気でいたのかどうかはわからないが、何とか横道に素早く逸れて追跡を逃れることができました。
 もし本当にこの犬が日本まで来たとしたら、それは新しい土地への放浪になるのかな、それともアジアという先祖がいた故郷へ帰還になるのかな。


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 こうなると気になるのは我が家の犬のこと。ペットホテルに8日間も預けている愛犬。
 犬は犬なりに寂しい思いをしているだろうなあ。猫の場合は餌さえあればある程度家に放置していても大丈夫な部分はあるみたいだけど、やはりいつもと違う気持ちになることもあるのではないだろうか。
 帰国した日は夜遅かったので、次の日迎えに行きました。ペットホテルに入った瞬間、奥のケージにいる愛犬と目が合って、大騒ぎ!興奮で動き回りながら、キューンキューンと変な鳴き声を立てる。
 よく頑張ったな、おい。そして、悪かったな。
 帰宅直後には慣れない場所から開放されたせいか、ブランケットに包まれてぐったり・ぐっすり。
 こいつと、イスタンブールの何処かで見た犬はひょっとしたら前世で繋がっていたのかもしれないな。そんな歴史の可能性も少し想像したりして。

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夏休みの絵日記。

 良い子の皆さん、夏休みの宿題は終わりましたか。
 最近は夏休みの期間も昔とは違うみたいだけど、昔は8月いっぱい休みが続くことが多かったわけで、今年に当てはめると8月31日は金曜日、月が変わって9月1日は土曜日なんですよね。
 この暦の巡り合わせは大きい。夏休みの宿題をやってなかった人間には。だって9月1日にいきなり宿題の提出は求められないからね、普通。万が一求められても「忘れました!」と言い訳が効く余裕があるので、この週末で何とか帳尻合わせができるのですよ。
 我が身を振り返っても、親の力を借りて夜遅くまで泣く泣くやっていたことがあったなあ。自由研究の工作なんて、ウチの親父はエンジニアなので子供よりも熱心に取り組んだりしてね。
 それでも、そんな帳尻合わせがどうしてもできない宿題と言うのがあって、それは絵日記なのですよ。
 あれはリアルタイムで記録しておかないと何もかもすっかり忘れてしまって感想が書けないというのもあるけど、一番大変なのは、当日の天気の記録だったりするんですよね。今の時代ならインターネットを筆頭に過去の記録のデータベースに触れる機会が多いのだけど、昔はそうはいかなかった。だから「晴れのち曇り、時々雨」みたいな、どうにでもとれる記述にならざるを得ないことになるわけで。
 今でも絵日記の宿題ってあるのかなあ。そんな面倒臭いことやらないのかな、生徒も先生も。
 というわけで、この土曜日の夜に昔を思い出して、この夏の遠出の記録を書いてみることにする。便利ですよねえ、デジカメって。日付の記録もそのまま残っているからね。


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 8月15日 水曜日 晴れ
 この日は滋賀県の長浜まで外出。お目当ては当地の地ビールレストランでの舌鼓。
 ところが、この日近畿地方は前日の豪雨で各種交通機関がマヒ状態。京都から長浜までのJR琵琶湖線も普通電車しか運行しておらず、平日の昼間にも関わらず満員状態。
 つり革につかまっていると、だんだん首や肩が痛くなる“仮面ウツ”の症状が出てくる。元々人混みは避けるようにして、万が一出かけるようなことになれば必ずリーゼとソラナックスという心療内科でもらった薬を飲むようにしていたのだけど、この日は大誤算。予想以上の混雑に我慢できず、ちょっとした隙に空いた席にすかさず座り、再度薬を服用。帰路こそ座ることができたものの再度服用。確かに痛みは和らぐのだけど、この薬の悪いところは眠くなるところ。これまた予想以上の眠気に襲われ、電車の座席でも爆睡状態。帰宅した後もそのまま朝まで寝入ってしまう始末。今から思えば、よくも帰ってこれたなあと思う次第。
 それでも地ビールレストランは最高!でした。4種類のビールを揃え、地元の農畜産物で作った料理も美味!暑さも手伝って、グラスが空くペースもいつもより早かったような気もする。
 アルコールと薬、この二つの組み合わせには注意。無茶をやってはいけなかったなあと反省。せめて豪雨さえなければと、運のなさも嘆く日。


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 8月26日 日曜日 晴れ
 この日は滋賀県の永源寺ダム近隣の川でくつろぐ。
 少し前までここは穴場的な避暑地だったのだけど、今ではそこそこ人が集まるようになった。近くに工場があるせいか、そこの外国人労働者と思われる人達、おそらくブラジル人だと思うのだけどポルトガル語らしき大声ではしゃぎながら音楽を鳴らしバーベキューの匂いがする騒々しい場所になっている。
 それでも、自然のなかは気持ちいい。喧騒から目を逸らして見上げれば、青い空と白い雲と緑の木々が目に優しく、岩場のなかの清流は肌を癒してくれる。京都から車で約2時間かけて来た以上の価値はある。バーベキューのような大げさな用意をしなくても、行きがけのコンビニで買ったオニギリだけでも十分に満足。ちんけな食事を何倍もの美味しさに変えてくれる自然に感謝。
 まあ、さすがに帰ってからは疲れがドッと出て、夕方に仮眠をとってしまったけど、それも心地よい疲れ。ストレスから来るような辛さはない。本来の疲労感というのはこういうものではあるまいか。少し休めば取れる肉体的な疲れ、そしてそれと引き換えに得られるリフレッシュした気持ち。充実感と表裏一体の心地良い「疲れ」なら、何度でも味わいたいものだと思う。


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 8月19日 日曜日 晴れ
 高野川の河川敷で愛犬と散歩。
 京都市街地を流れる鴨川は半ば観光地化している感じもあるのだけど、出町柳を起点に北東方面に遡る支流の高野川は、主だった観光地はないけど、昔からの住宅地が流れに沿って並んでおり湿地帯も多いので、町中でもちょっとした自然が味わえる。さらに上流の方に行けば、サルや鹿や熊も(!)出てくるそうな。
 夕方に来れば、川面から流れてくる風が心地良い。ほんの少し前まで日差しがきつかったはずなのに、日が沈みかけ陰が差す頃には、すっかり涼しくなっている。この時間帯は犬の散歩のメッカ。色々な犬と出会えるのが楽しい。家から車でわざわざ来るだけの価値はある。これから夏から秋へと向かう季節、夏の名残りを感じながら秋風の気配を感じてくつろぐには、なかなかいい場所だと思う。
 でも、肝心の愛犬がなつかないんだよね、他の犬との交流に。
 写真の右側にいるのは、この日出会った御年14歳のおばあちゃん犬。目もほとんど見えなくなっているそうだけど、堂々とした歩きっぷり。左側の愛犬は遠目に吠えるのみで、なかなか仲良くなれない。弱い犬ほど良く吠えるという言葉を地で行くように、腰がすっかり引けてしまっているのが情けない。もっと近付いて仲良くなったらいいことあるのになあ。せっかく相手さんが待ってくれてるのに勿体ないよ。
 まあ、そのうち慣れてくれることを願うとしよう。


 というわけで、夏休みの宿題終了。もう9月も2日目に突入。
 まだまだ暑い日は続きそうだけど、とりあえず、ありがとう、さようなら夏の日。


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愛犬の手術

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  愛犬が手術を受けることになった。口内に溜まった歯垢を取る手術。
 たかが歯垢と侮るなかれ。溜まれば歯茎が赤く腫れた果てにボロボロになり、満足に食事をすることさえできなくなる。人間であれば歯を磨くように指導されれば自分の意思でそれを防ぐことも可能だが、犬はそういうわけにはいかない。
 当然だが、犬は自分で歯ブラシを握って歯を磨くという作業ができない。歯ブラシを使わずとも、ガム状になったドッグフードで歯を清潔にする機能を持つものもあるにはあるのだが、犬というのは大半の食べ物を前歯で噛み切って飲み込んでしまうことが多いので、その手のドッグフードが役に立つのはあくまで前歯部分であって、奥歯は食べ物のカスがこびりついたままになってしまい、結局汚れは溜まったままで長年過ごすこととなってしまうそうだ。
 だから飼い主がこまめに歯磨きをしてやらなければならなかったのだが、それをサボったまま10年が経過してしまった。犬という生き物は自分の意思に反して口のなかに物を入れられるということを非常に嫌がる。それが得体のしれない先端に毛が生えた棒状の物体であれば尚更のこと。歯ブラシを見た途端、小さなおでこを前に出すように両耳が下がり、つぶらで真ん丸な瞳がつり上がり眉間に皺が寄り、上がっていた口角が横に広がり前歯を剥き出しにして、低く小さな声で唸り始める。いつでも噛みついてやるぞという確固たる決意を感じさせる変化が表情に表れる。
私はこれを“悪魔のハンバーガー”と呼んでいるのだが、チワワの頭というのは普通サイズのハンバーガーくらいの大きさなのであって、きれいな形をしたハンバーガーを押し潰してバンズから中の具が勢いよく飛び出し、汚らしくはみ出したような形状を連想してもらえば、何となくその豹変ぶりがわかってもらえるのではないだろうか。楽しみにして買ってきたハンバーガーが家に帰ってから取り出してみた瞬間に、バンズから牙を剥きだすような生命体に変身して人間に襲い掛かるホラー映画のストーリー……そんなものがあるかどうかは知らないが、とりあえずこういう場面に直面したくはない。ましてや可愛がってる愛犬がそんなことになるのを見たいわけがないではないか。
飼い主の怠慢、ペットを甘やかせてきたと言われればそれまでなのだが、元気なうちにこの手術をやっておけば、それ以後も普段通りの食生活を営むことができる絶好の機会ではあるのだ。奥に溜まった歯垢同様、色々な考えを積み重ねた上で、今回の歯垢取り手術に至ったわけである。



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「手術は夜やりますので、その日1日は一切食事を与えないように」
「全身麻酔になりますので、当日は1泊してから翌日迎えに来て下さい」
「心臓が強いわけではないので、慎重にはやりますよ」
行きつけの獣医さんから色々と説明と注意を受ける。色々と頭を痛めることが多い。
まず、その日1日は食事をやらないでおくということ。1日自体が愛犬の食事の催促で始まるのが我が家の実態だったりするのだ。大体5時くらいだろうか、愛犬は「お腹が空いたよう!ご飯まだあ?」とばかりに色々なアクションを起こす。寝ている私や連れ合いの顔を舐め回す。甘えるような苦しむような奇妙な吠え方をする。そして極め付けが無言のまま、まるでタップダンスでもするかのように足で床を叩くことがある。これが飼い主としては一番嫌なのだ。はっきりとわかりやすい、いかにも犬らしい意思表示とは違う、舐めるのも吠えるのも諦めて万策尽きたかのように調子の外れたリズムで不器用に床を叩く愛犬。その肉球は必ずしも物を叩くためにできているわけではあるまいし、叩いたところで発する音量などたかが知れている。はずなのだが、目が覚めたときにこの音を聞いてしまうと、もう堪らない気分になって思わず「すまん!待たせて悪かった!」と申し訳ない気分になる。このあたり、本当に甘い飼い主だと思うのだが、愛犬も犬なりに情に訴える方法を研究しているのだと、素直に負けを認めるしかないのだ。そこまでして欲しい食事を与えないまま1日を過ごさないといけないなんて、これらのアクションを敢えて無視しなければならないとは。
あと、全身麻酔というところも引っ掛かるものがある。愛犬は10歳、人間でいえば60歳くらいか。癲癇持ちで心臓も弱くなってきているので、果たして全身麻酔の手術に耐えられるのだろうか。手術の前には医師の免責の誓約書を書かされるということもあって、大丈夫かな、本当に手術に耐えきれるのかなと心配になってくる。
たかが犬の手術、しかも歯垢取りだけに過ぎないのだけど、それだけでこれだけの心配を遥か前の日からしてしまうのだから、我ながら心配性だと呆れるしかないのだけど、“親バカ”飼い主というのはそういうものなのだとわかっていただきたい。今回の手術に耐えれば、残りの人生(犬生?)も充実した時間を過ごすことができるのだ。今がそのとき、躊躇ってはいけないのだ。よし、覚悟を決めよう。
本当に大げさだな。これで本当に老いを迎えて死期が近づいたらどうすればいいのだろうか。本当にペットロスになってしまうよなあ。



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手術当日の朝、愛犬は私の顔を舐めてきた。腕や足など私の露出した肌の部分を熱心に舐め続ける。ここで言うことを聞いてはいけないと放置したまま、なるべく目を合わさないようにして起きるようにする。不思議なことに愛犬はそれ以上のアクションを起こさない。吠えることもなければタップダンスをすることもない。
散歩をすませたあとも、特に食事をねだる様子は見せない。日差しを浴びながら窓の桟に横たわったかと思ったら、テーブルの下のフローリング部分など日陰の涼しい場所に移動したりして、予想以上に大人しい。
恐らく愛犬も気付いているのではないか。ここ数日の飼い主の言葉に耳を傾けながら、今日はいつもと違う日なんだなあということに。犬は犬なりに周囲の変化、飼い主の些細な態度の違いに敏感なのだと改めて思い知らされる。ここ数日間は手術の話題ばかりだったとは言わないけど、必ず話してしたから。言葉の意味はわからなくとも自分のことを話しているんだなということくらいはわかっていたのかもしれない。
そのまま呆気ないくらい静かに1日は過ぎて行き、夕方の散歩ついでに病院へと連れて行く。何も抵抗することなく診察台の上に乗り、奥のケージへと連れていかれる愛犬。賢い奴だなあと感心していたら、奥の部屋の扉が閉まる前に目が合ってしまった。吠えも暴れもしないけど、気のせいか大きな瞳が少し垂れているように見えた。



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翌朝、病院の営業開始と同時に愛犬を迎えに行く。大丈夫かなと心配しつつ、もし万が一何かがあったら連絡があるはずだから無事に終わったんだろうと安心しながら。おはようございますと挨拶をして入ると、愛犬はいつものように尻尾を振って診察台の上にいた。
「歯垢は取りましたけど、まだ歯茎は腫れたような状態ですから、別にこの薬をしばらくあげて下さい」
「最近は犬用の練り歯磨きもあるんですよ。指の上に乗るくらいの分量を口にいれるだけでも歯垢予防になるんです。チキンフレーバーなので、おやつ代わりにあげる人もいますよ」
「今朝はまだ食事を与えてませんけど、いつも通りあげてくれていいですよ。何事もないと思いますけど、今日は注射を打っておくので、少し大人しいかもしれんね。」
病院の先生が説明をしてくれる前で、愛犬はいつも通りに元気な姿を見せている。特にやつれた様子もない。歯型の模型と比較しながら口のなかを見せてもらい、何となく歯垢は取れたんだろうなあ、くらいの感想しか浮かばないまま、そのまま家に帰ることとなった。
何も変わっていないことに拍子抜けしてしまった。確かにあらかじめ大丈夫だろう、無事に手術は終わったのだろうと思っていたのだけど、先生はいつも通りに事務的な説明をしてくれるし、愛犬は全身麻酔で一時的に意識を失っていたはずなのに病院の外に出れば、いつもより多めのオシッコをして散歩をしたがるのを目の当たりにすると複雑な気持ちになってしまった。
結局一番心配して数日前から気分が落ち着かなかったのは飼い主のみだったのだ。限られた寿命のなかで一緒に仲良く過ごすための大きな関門、くらいに思っていたのが本当に大げさな思い込みだったのを思い知らされる。もちろん無事に終わったのは幸いなことではある。あとでネットで調べたりしたら、麻酔が上手く行かなかったり術後の経過が良くなかったりする例もあるらしいから。心配し過ぎた結果、それが良い意味で外れたのだから構わないではないか。ただ拍子抜けしただけのことで、終わってしまったことを再度大げさに考えてしまうことは逆に良くないに決まっている。
散歩のあと帰宅した愛犬は、少し遅めの朝食をあっという間に平らげてしまった。無理もない、束の間とはいえ絶食状態だったのだから。そして、そのあとは布団の上で丸一日、夕方までひたすら寝るのみであった。やっぱりこいつも疲れていたんだろうな、慣れない環境で。



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犬というのは飼い主と自分の関係、複数の飼い主がいれば序列というのに敏感になるらしい。
それでいけば愛犬のなかでは、「飼い主」はあくまで連れ合い、私のことは「家来」くらいに思っている感じがする。例えるなら、連れ合いには「散歩に連れて行って!」とせがむが、私には「散歩に行きたいから付いておいで!」くらいの態度の違いはあるのだ。連れ合いが「ゴローン」と言えばお腹を見せてリラックスするのだけど、私に対しては絶対にそういう態度は示さない。「お手」「お代わり」「伏せ」まではするのだけど、絶対に許さない一線があるのだろう、彼のなかには。
 夕方、洗濯物を取り込み畳み、アイロンを当てる作業を始めると愛犬は決まって近くに寄ってくる。近付くと危なっかしいので離れるように言うのだが、それでも後退りしつつも、じっとこっちを見ている。
恐らく、きちんと働いてるかと監督してる気分なのかもしれない。もしも言葉が話せたら、怠けないでちゃんと働け!ボクは見てるで!くらいのことは言いそうな視線を感じるのだ。やっぱり私は「家来」なのかもしれない、彼のなかでは。
でも「家来」でも構わないと思ったりもする。こういう監督に仕事を見てもらえるなら嬉しいじゃないの。少なくとも今回のことで、監督してもらえる時間が増えるのだろうから。アイロンの熱い板に触らないか、こっちの方が心配になるのだけど、こうして心配する時間も同じように増えていくのなら、「家来」として監督されるのも悪くはないと思う。



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 月に二回の病院通いが楽しみになっている。いや、私ではなく、愛犬の話。
 犬には尻に肛門腺という部分があり、そこに分泌物が溜まると、しきりに痒がるようになる。そのまま放っておくと炎症を起こし、さらに破裂することもあるらしい。だから人間が絞ってあげないといけないので、痒がり始めたら通院、そのついでに健康診断も兼ねて色々と話を聞いてもらうことにしている。
 大概の犬というのは、病院に行くのを嫌がると思う。予防接種の注射でもあろうものなら、病院の数メートル前から固まってしまう犬もいるらしい。そうでなくても人間にはわからない他の犬の匂いが充満しているわけだから、犬は犬なりの警戒心を呼ぶ場所ではあるはずなのだ。ところが愛犬ときたら、「今日は先生の所に行くよ」と言った途端に耳を立て尻尾を振り始め、行こう行こうとばかりに飛びついてくる。たとえ注射のときでも、おとなしく診療台の上に鎮座する。病院の先生は無愛想で可愛がってくれるというわけでもないのに。日頃室内にいることが多いから、好奇心を刺激するには丁度いいのかもしれない。
 尻のあたりをガーゼで絞り、そのあとは体重計に乗せる。3.7キログラム、大体毎回このあたりに目方は治まっている。肥満ではないと安心する。そして聴診器を当ててもらうのだが、いつもの素っ気ない調子で先生が言う。
 「少し雑音のようなものが聞こえますね」
 えっ、と驚く私。そんな私の反応などお構いなしに、先生は愛犬の腹のあたりを聴診器で探りながら、いつもの調子で淡々と続ける。
 「大したことはないと思うけどね。様子を見ないとわからないし。まあ、歳やからね。散歩も程々にした方がいいですよ。余り遠くまで連れて行って、疲れさせないようにしないと」
 時間にして5分程度、いつものように診察は終わり、愛犬は尻尾を振りながら、会計が終わるのを待ちながら私の足下をうろうろしていた。私や先生の心配などよそに次は散歩だと、こいつはこいつなりに予定があるのだろう。

 
 いつもの歩道を南に向かって歩いていく。道路のわきにトラックが何台か並び、リフトに乗った人間が並木の枝が切り落としている。切り落とされた枝や葉が飛び散らないように周囲に網が張られ、そのなかに裸になった木々が並ぶ。お昼前の太陽の光がまぶしいなか、澄んだ青空をバックに並ぶ木々の輪郭が浮かぶさまは、すっきりとはしているが、少し寒々しくもある。まだ落葉には早い、長袖シャツが汗ばむくらいの季節だが、今のうちに切り落としておかないと、あとで道路が汚れてしまうのだろう。もう10月も後半だ。
 愛犬はそんな作業員の集団を避けるように、小路へと入る。入り組んだ住宅地の壁や電柱に鼻を寄せては、大きな目をさらに見開いて匂いをかぐのに夢中になっている。次はあそこの生け垣、次はあそこのコインパーキングと、散歩のコースを目一杯楽しもうと歩き回ってる。
 最初は私を引っ張るように先導していたのだが、そのうち疲れてきたのか、私のあとを歩くようになってくる。これだけ歩き回れば、距離は短くとも疲れてしまうだろう。先生の言うとおり、さらに短めの散歩コースを考えた方がいいかもしれない。もう9歳なのだ。人間に当てはめれば50歳代後半、健康診断で異常値のひとつやふたつが出てきても不思議ではない年齢だ。あまり動き回るとしんどいやろ、そう呼びかける私に対して、とことん散歩を楽しもうとする愛犬。そんなこと言わずに付き合いなさい、と有無をも言わせぬように。
 そのうち、同じ所を右に左に前に後ろにと、ぐるぐる回るようになる。いよいよかな、と思っていたら、予想通り、道の真ん中でしゃがみ込むような格好になる。後足をがに股気味に大きく開き、前足をきちんと揃え、大きな目は安堵感で少し優しくなっているように見える。上から眺めたら、羽根をむしられてローストチキンになる前のにわとりの、しょぼくれた姿のようだ。
 立ち上がったあとには、臭くて暖かいかたまり。少し前まではこんな小さな身体でどうやってこんなに大きなものが出てくるんだ、と呆れたものだが、最近は少し小さめのものがコロコロと。これで排便終了である。
 臭いに少ししかめっ面になりながら、持参したトイレットペーパーで包み、スーパーのレジ袋に入れる。そういえば、こいつと仲良くなったのも、このかたまりがきっかけだったなあと思い出す。

 
 愛犬のチワワは“実の子”ではない。連れ合いが以前から飼っていた“連れ子”である。
 チワワというのは人見知りでプライドが高く、初対面の人間にはなかなか心を開かないらしい。おまけに連れ合いは仕事で不在なものだから、昼間はひとりぼっちで部屋のなかに籠り切りだったせいか、たまに外に出かけても、その閉鎖的な性格にさらに鍵がかかってしまったかのようになってしまう。外に出ること自体は好きみたいだけど、見知らぬ人が通りかかれば興味深げにじっと凝視、愛くるしい姿に手を差し伸べられたりしようものなら、けたたましく吠えまくる。他の犬に出会いそうになれば、さっさと道の向こうに逸れてしまう。人見知りでプライドが高いというよりは、怖がりで気が小さいといった方がいいのかもしれない。
 だから初めて会った頃は大変だった。
 ワンワンワンワン吠えながら、連れ合いの胸に飛び込んで、大きな目を飛び出さんばかりに見開きこちらを見つめ、荒い息のまま唸り声をあげていた。小さな身体は小刻みに、その身体のなかの心臓は飛び出さんばかりに大きく震えているのが傍目からでもわかるほどの興奮状態だった。そのくせ、少し視線を逸らそうものなら、急に飛びかかってきて手の指や足の踝あたりに噛みついてくるのだから、これはこの先思いやられると思ったものだった。
 何度か対面を重ねているうちに、敵対心や恐怖心は消え、吠える回数も声量も減り、なんとか馴染めそうかなという雰囲気にもなってきたのだけど、それでも散歩に連れて行こうとすると断固拒否で動かない。抱き上げようとしたなら再び唸り声と噛みつきに逆戻り。なんとか同じ部屋にいても大丈夫というあたりまで到達したのだけど、そこから先は進めない。部屋の隅で距離を置いて座っているのならまだしも、私の存在など無いものかのように横を通り過ぎたりする。あくまでこの家での二番目に偉いのは僕、よそ者は馴れ馴れしくするんじゃないとでも言うような態度。絶対に入れない犬の領域、絶対に譲ることのできない犬のプライドの前で、私は立ち往生しているのみだった。
 「そういうときは無視してたらいいのよ。あまり相手にしようとすると逆に機嫌が悪くなるから。それに、この子にとってあなたは少し雰囲気が違う人みたいなの。なんだか今までと反応が少し違う感じがする。だから、そのうち仲良くなれると思うよ」
 連れ合いの言葉を信じつつも、どういうきっかけで仲良くなれるものだろうか。
 ある日突然、尻尾を振りながら飛びついてきて、口角を上げて舌をぺろりと出した顔を近付けるということがありうるのだろうか。こいつにも。

 
 仲良くなるきっかけは、突然訪れた。予想もしなかったかたちで。
 連れ合いが仕事から帰宅する前に、愛犬に挨拶。吠えたり唸ったりはしなくなったものの、いつも通りの無愛想。ベッドの上で上目づかいにじっとこっちを見ている。
台所で愛犬用の食事を用意して、再び部屋に戻る。ベッドの方に足を向けた瞬間、足の裏に柔らかい感触を感じる。何かを踏んづけたようだ。少し滑る感じで変な臭いがする。足下を見ると、裸足の足の裏に茶色いような黒いような物体がこびりついている。
 あれだ。いつも別の部屋に転がっている、細長い物体。恐らく愛犬が捻り出して間もない軟らかさと臭い。
 連れ合いの家は、古い作りの一軒家。畳も壁もぼろぼろの使っていない部屋に新聞紙を敷き詰めて、そこを愛犬用のトイレにしている。プライドが高く臆病者の愛犬だが、その辺のマナーは覚えているようで、雨などで散歩に出られず仕方なく屋内で用を足すときは、その部屋に入っていく。しばらくして戻ってきたあとには、臭くて温かいかたまりが残っているので、なかなか賢い奴だなと感心したこともあったのだが。
 まさか、こいつ、用を足したあと、このかたまりをわざわざ持ってきて、私に踏ませようとしたのではないか。
 こいつは私を“排泄処理係”とでもいうような、自分の家来にしようと企んでるのか。
 あるいは、親愛の情、愛情表現を不器用ながらしているつもりなのか。
 はたまた、単なる悪戯のつもりか。
 困惑する私を、愛犬は上目づかいに見つめるのみだった。さっきより少し高い、ベッドの上の布団の上に寝そべりながら。

 
 あれから随分経った気がする。
 今では普通の飼い主と飼い犬の関係、と言いたいところだが、こいつのなかでは序列がはっきりあるようで、連れ合いは正真正銘の飼い主だが、私に対しては「飼い犬になってあげてるよ」くらいのつもりなのかもしれない。本当は格上なのは自分の方だと思ってるような気がする。私が寝そべってたら、足の間に身体を滑り込ませて顎を乗せて甘えるくせに。
 散歩のあとは、おやつの時間。小さく千切った果物をあげている。今の季節は梨や柿がお気に入りのようだ。お座り、お手、おかわり、伏せを繰り返したあと、固い果肉をシャキシャキ音を立てながら噛みしめる。
 季節の旬を味わったあとは、布団の上にタオルケットを置いた場所で寝てしまう。布団のふわふわのクッションと、タオルケットの木綿の起毛の感触が好きみたいだ。
 いつもそこで寝るので、起きたあとは丸まって寝た跡がはっきり残っている。体重の分だけ沈み込んだ深さ。歳をとった分だけ長く寝るようになり、その跡は心なしか深くなっていくように思えた。

 
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