BUT SERIOUSLY, FOLKS...京都の地の果てより

楽しみながら苦しみながら、学びながら馬鹿やりながら。

洋楽千夜一夜

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どーしても古いロックが中心になりますが、色々とつれづれなるままに。最近は「フェイスブック」で毎日更新中。 https://www.facebook.com/YasuMoriwaki
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困った顔

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 やはり、ドーム球場でコンサートというのはやるものではないね。ドッカンボッコン音が響いて、とても聴けたもんじゃない。
 おまけに席は一塁側の三階席。音の悪さはさらに倍増。ステージまでの距離が遠いのは覚悟してたけど、ステージから急角度の斜め向かいだから、肝心の主役が観れない時間帯もあって悔しくてたまらん!おまけに音が聴こえるたびに心も身体も弾んでくるのに、安全上の理由でスタンディングは禁止。欲求不満が溜まるやんか!
 でも、ええのよ。
 ポールは間違いなく、そこにいてくれたから。
 ステージ両サイドのスクリーンには日本語字幕まで出し、さらに下手糞な大阪弁を駆使して(!)、おまけにステージ登場時には半纏風衣装を羽織り、アンコールでは日本と英国の国旗を振り回すサービスぶり!
 でも、そんなことせんでも、じゅうぶん・にじゅうぶん・さんじゅうぶん……楽しめるコンサートでした。
 

 やっぱり、この人はライブ、そしてできればバンドのなかの一員としてプレイした方がいいね。
 今回は5人編成のロックバンドとしては、ごくありふれた布陣。リズムはタイトでギターはソリッド。「エイト・デイズ・ア・ウィーク」で始まった演奏はドーム球場の音響の悪さ、あるいは今日がツアー初日ということも手伝ってか、よく言えばアグレッシブ、悪く言えば荒っぽい感じもした。
 「マッチボックス」「ロング・アンド・ワインディング・ロード」「あの娘におせっかい」……ロックンロールのスタンダードナンバーからビートルズ、ソロ活動時代の名曲をノリの良い曲からバラードまで織り交ぜて演奏する内容。聴き手の期待を裏切らない出来栄えではありましたが、まあ、これは予想通りの内容。
 ところが、グッとバンドのテンションが上がったように思えたのは、ステージ中央にキーボードを据えて、ニューアルバムからのナンバーをやり始めた瞬間。
 それまで破綻なく進んでいたパフォーマンスが、急にさらにアグレッシブに、そして粗さを抑えながらバンドとしてまとまっていくような迫力が生まれてきたのでした。
 今回発売されたニューアルバム、ラジオで数曲聴いたときはいまいちピンとこなかったのだけど、今回の演奏を聴いて自分の耳の悪さを恥じました。さっそく買ってきます!
 この辺は未だ現役ロック・ミュージシャンとしての存在感を感じましたね。
 オレは懐メロ・ミュージシャンじゃないぞ!新曲も出してるんだぞ!という意地。いや、そんな力んだものではないかもしれないな。だって誰もが知っている名曲‐「イエスタデイ」「レット・イット・ビー」「ヘイ・ジュード」「ゲット・バック」「オール・マイ・ラヴィング」……などは当然演奏するわけだけど、それらが特別なクラシックな名曲に聴こえず、いい意味で今を生きるバンドの音、ポールの音としてさりげなく聴こえてくる気がしたのだ。
 かつてのツアーで演奏していた「バースデー」や「フール・オン・ザ・ヒル」などのライブ受けしそうな曲はなし、その代わり“ビートルズ版元祖ヘヴィメタル(?!)”「ヘルター・スケルター」や一般には余り知られていない「ビーイング・フォー・ザ・ベネフィット・オブ。ミスター・カイト」なんて不思議な曲をやったりする。
 これは恐らく、ポールのなかでキャリアが一巡も二巡も三巡もして、いい意味でどの曲を演奏しても同じように完熟した風味を感じるような、かつどの曲も取り立ての果実のようなフレッシュさを見出すことができるまでに充実したものになっていることの証ではないかという気がする。
 だから、そういう彼の今の存在感を多くの人に感じてもらうには、ビデオクリップのなかで加工されたソロ演奏ではなく、ライブのステージ上でアグレッシブに勢いよく動き回るバンドでないといけないのだと思う。


 去年のロンドン・オリンピック閉会式で、ポールが「ヘイ・ジュード」を歌った場面を思い出した。
 あのとき、元々ポールは口パクでの出演を断固拒否して生演奏にこだわっていたのだが、当日は機材のトラブルか何かで、録音された歌の部分と生歌の部分のつなぎが上手くいかず、仕方がなく急遽リハーサルとは違う、全て生歌・生演奏でのパフォーマンスを強いられることになったにも関わらず、オリンピック閉会式を混乱なく務めたのだった。
 そういえばビートルズ末期の御馴染の映像、アップルレーベルのビルの屋上でのライブ収録を提案したのも、ポールじゃなかったかな。
 やはり、この人はステージで生演奏してナンボ、バンドを率いてナンボの人だと思う。





 個人的に一番良かったのは、「サムシング」。ポールではない、ジョージ・ハリスンの作品。ウクレレで静かに軽妙に始まって、最後は大盛り上がり大会になるアレンジのトリビュートナンバー。
 ジョージ・ハリスンの死に伴う追悼コンサートの演奏が元ネタみたいだけど、もはやジョージだろうがジョンだろうが、ビートルズの名曲だろうが、ソロワークのなかの地味な作品だろうが、同じように何のてらいもなく思いを込めて演奏できる境地にいるのだろう、彼は。

 齢71歳にして、アンコールも含めて2時間40分のロック・ショウ!
 しかも火曜日にも公演はあります!何という充実ぶり!
 すっかり打ちのめされた月曜日の夜でした。
 

 はい、今NHK『SONGS』観終わりました。細切れ気味だけど現在最新のライヴから、本邦初公開のウィングス時代のアメリカのテレビ番組に出演したお宝っぽい映像まで観られて良かったと思います。とりあえず満足。

 
 初めてレコード(CDじゃないよ。ちなみに配信サービスでもない)を自分のお金で買ったのは中学生のとき。
 そのポール・マッカートニー率いるウィングスのベストアルバム、1978年発表の『ウィングス・グレイテスト』だった。
 当時田舎の中学生にとって二千五百円というのは大金であって、それをロックのアルバムに充てるというのは、ある種の大規模消費に近いものがあったので、一生懸命選んだのを覚えている。世間一般の評判をラジオや雑誌で調べたり、収録曲数が多い方が得なんじゃないか、いや総収録時間で判断すべきなんじゃないかと色々判断材料を取り入れて検討した結果、このアルバムになった。まあ、そういう風に念入りにリスクを回避しながら選択したら、どこぞの馬の骨かわからん新進ミュージシャンのデビューアルバムなんて選ぶはずもなく、ある程度の実績を残した人の総花的ベストアルバムになるのは仕方がなかったんだろうなと、今になってからは思う。当時は他にどのアルバムが選択候補だったのかなあ。
 ただ、この『ウィングス・グレイテスト』。当時ポールの活動が脂が乗っていただけあって勢いが反映されて、シングルでしか発売されてない曲が五つもあるし、かつ寄せ集めベストアルバムにもかかわらず統一感もあり、しかも全曲の総収録時間は50分を超えるというお買い得感(?)もあって、感激して何度も聴いたのを覚えている。
 世代的には、洋楽を聴き始めた頃はビートルズはとっくに解散し、ジョン・レノンは隠居生活、ジョージ・ハリスンはコンスタントに作品を発表したのが逆に仇になってクオリティもセールスも下降線、リンゴ・スターは映画にも進出してたみたいだけど基本的に何をやってるんだろう的状態だったから、ポール・マッカートニーだけが現役としてバリバリでヒットチャートを賑わしている頃。そしてそういう各メンバーの現在及び過去の実績を鑑賞しながら、同時にビートルズの作品にショックを受けるという、何とも複雑な世代ではあるのだ、この私は。
 だから、このベストアルバムは、同じく中学生時代に初めて聴いたビートルズの“赤盤・青盤”ベストアルバムと同じくらい大切な作品であったのだ。
 で、この『ウィングス・グレイテスト』のなかで一番好きな曲が「ジュニアズ・ファーム」というやつ。
 これはアルバム『バンド・オン・ザ・ラン』で大成功を収めたウィングスが、その勢いのままメンバーを新規募集して制作された第一弾シングル。当時はシングルでしか発売されず、この『ウィングス・グレイテスト』がアルバム初収録となる曲。当時若干21歳の美形天才ギタリストのジミー・マッカロクのプレイがフレッシュなロックンロール・ナンバーで、個人的にはポールの作品のなかでもかなり好きなもので、 ウィングス時代の作品ベスト3に入る!とは言わないが、少なくともベスト10には入る作品だと思ってる。
 でも世間的な評価は必ずしも高くないみたい。のちに新たに発表されたポールのベスト・アルバム『オール・ザ・ベスト』には収録されていないし、コンサートでも発表当時は別にして、余り演奏される機会はなかったのではないか。
 勿体ないんだけどね。ポールお得意のおふざけ的詞にウィングスのメンバーのノリの良い演奏が加わって、なかなかの作品だと思うのだけど。




 さっき観た『SONGS』でも少し言ってたけど、ポール・マッカートニーという人は基本的にバンド志向のミュージシャンだと思う。
 しかも、ほら、バンドに限らずよくいるでしょ、自分で色々仕切りたがってリーダーぶるタイプの人。良くも悪くも。
 彼は今更言及すべきもない偉大な才能と実績を持つ天才ソングライター。だから素人には及びもつかない過程でアイディアが生まれたら、すぐにバンドという形で演奏したがるタイプなのだと思う。そこで各メンバーに色々指示を出して何とか作品という形にしようとする。そういうポールのバンドリーダーとしての姿勢が、一素人に過ぎなかった亡き妻リンダを一人前のミュージシャンに育て上げたり、逆に元ムーディー・ブルース等の豊富なキャリアを持つベテランのデニー・レインにとっては心地良かったりしたのかもしれないけど、そこまで素人でもベテランでもない参加メンバーにとってはウザかったりしたのではないかしら。
 そこでポールも心を入れ替えて(?)、成功のあとで受け入れたメンバーについては気を遣って(?)、アルバムのなかでも数曲リードヴォーカルを取らせたりして、バンドとしてのまとまりをそれなりに画策して四苦八苦していたような気がする。
 勿論こういうのは推測に過ぎないのだけど、70年代中盤から末期までウィングスの活動が安定していたのは事実だし、単なる“ポールとそのバックバンド”ではないイメージを作りだろうとした成果なのかもしれない。
 そんなバンドサウンド追求の第一歩が、1974年発表の「ジュニアズ・ファーム」だったのだと思う。
 

 その後、その安定したウィングスの活動は一旦休止状態に。
 天才美形ギタリストだったジミー・マッカロクはヘロインの過剰摂取による心臓停止で死亡。享年26歳。
 そして1980年にかつての盟友、ジョン・レノンの死。
 そして、ウィングスの活動に終止符が打たれ、ポールは本格的なソロ活動に入る。
 で、あれだけ聴き込んだ私の手元にあるはずの『ウィングス・グレイテスト』は、無くなってしまった。高校時代に友達に貸したら、そいつが無くしてしまったのだ。そいつはゴメンの一言も言わずに、ボーリング場に置いてたら盗られたよと事実だけを素っ気なく伝えて、レコード代金二千五百円を払ってくれたのを覚えてる。
 今頃何をしてるだろうか、あいつは。
 そしてその二千五百円は何に使ったんだろうな、当時の私。


 今回ポール・マッカートニーが来日する。この土曜日に大阪に到着したようだ。
 最初は関心などなかった。だって偉大なミュージシャンであることは変わらないが、最近はミュージシャンの来日コンサートの料金というのは高過ぎるではないか。
 昔に比べれば円高だと言われるわりには、コンサートの料金は上昇する一方。昔なら五千円前後でメジャーなミュージシャン観れたのに、今じゃ1万円超は当たり前。これはマーケットの対象になる人間がこれだけのお金を出せる層になっているというだけ現実を反映してるのであって、ピークをとっくに過ぎた『〇×△□』(以上アーチスト名は自己規制)に数万円も払うなんてあり得ないではないか!
 案の定、今回のポールの来日の公演代金も決して安くはない。S席で1万6千円だもの。
 だから興味などなかった。そんなカネ、ありませんがな……。
 しかし、今回のツアーのセットリストをネットで発見すると……なんと、「ジュニアズ・ファーム」がオープニングから2曲目に入ってる!齢71歳のポールがあんな気合の入ったロックンロールをやるとは!しかもさほど頻繁にやるわけでもない希少なナンバー!
 私、覚悟を決めました。清水の舞台から飛び降りるつもりで追加公演のチケット、ゲット!


イメージ 1


 もしも本当に「ジュニアズ・ファーム」を演奏するとしたら、それは私にとって初めて買ったアルバムの一番好きな曲に約35年ぶりに再会を果たすことになる。
 ひょっとしたら日本公演だけセットリストが変わったりして?!
 いやいやいや、それはない!ないんじゃないかな!?たぶんないと思う……ちょっと覚悟はしておこうか……。

 
 もう来週月曜日に迫ってきました。
 あと、数十時間で訪れる再会の時に期待。

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 ルー・リードが死んじまったってさ。

 本当に生きてるのかわからない目付きの悪さのままキャリアを重ねてきたオッサンが死んじまった。

 別に特別なファンでもないんだよ、私は。

 レコードやCDの棚を見ても数枚くらいはあるだから、それなりの思い入れはあったのだろうなと今更ながら気付いたりする部分はあるのだけどね。世代によって、ある程度の年代以上の人にはありがちなことだと思うのだけど、特別なファンじゃないはずなのに、気が付いたらそのミュージシャンの作品で棚が埋まっていたみたいな事態。私にとってのルー・リードというのは、そういう存在。だからホモセクシャルとドラッグの背徳的なイメージで語られても、そうですなあ的な感想しか思い浮かばない。ましてや日本に限らず海外のメディアまでも“パンクロックの生みの親”的な報道をされても、まあ世間的にはそういうものなんだろうな、マスコミは世界共通だったりするんだなと納得するしかありませんわな。

 そういう空騒ぎ的な要素を考慮しても、彼の死はショックだった。

 それは、特別なファンじゃないはずの私にとって、生涯ベストライヴ(というほど、外タレの公演観てないけどさ。特に最近は料金が上がる一方で、足は遠のくばかりなんだけど。円高のくせにどうにかならんかね)ともいえるパフォーマンスを、彼が魅せてくれたからだ。

 

 

もう23年前になる。

彼にとっても転機となった傑作『ニューヨーク』発表後のツアーは、凄かった。

その当時の新作『ニューヨーク』を反映したシンプルなロックンロール中心のナンバーが続くソングリストは、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド時代の名曲も含まれていて、さらに昔の盟友モーリン・タッカーもバックバンドに加えていたりして、一見ノスタルジックな方向に行きかねない内容だったのだけど、そこで繰り広げられるパフォーマンスは“新作”とか“ノスタルジック”とかいう安易な肩書を吹き飛ばしてしまうような、しっかり今を生きるアーチストとしての音を搾り出すかのような迫力に圧倒されたのを、今でもはっきりと覚えている。

ルー・リードのようなミュージシャンは、その作品の内容よりも“イメージ”で語られやすい危険性があると思う。

背徳的だったり怪しげだったりした方がファンにとっては安心できるのだ、悪い意味で。そしてそれはミュージシャン本人にとっても“一定の地位に安住しやすい罠”だったりするのではないだろうか。だってメジャーな成功とは別な所で新興宗教的な人気を得た方が楽だったりするからね。特にアメリカ合衆国のような、それ自体がメジャーなマーケットでは。

しかし、そのときの彼のパフォーマンスは、そんな狭い範疇にカテゴライズされるようなものじゃなかった。

そういう“イメージ”や“一定の地位に安住しやすい罠”を棄て去り壊し、彼は、シンプルなロックンロールバンドの体裁を借りながら、新しい“ルー・リード・ミュージック”としか言いようがない音楽を生み出していたのだった。

まるで贅肉を削ぎ落としシェイプアップしたような最低限のバンドユニットを基礎として、丸裸になった“ルー・リード自身”を再構築していくような作業に身を委ねていくのは、もはや快感としか言いようがなかったのを、今でも痛烈に覚えている。

そんな現場にいたことを、今更ながら幸せに思ってしまう。

だから、彼の死を知ってしまった今となっては、熱烈なファンが持つであろう悲しいという感情よりも、心にとてつもなく大きな穴が空いてしまった感覚の方が先に立ってしまう。

そのライヴパフォーマンスに立ち会い、そして以後の彼の歩みに付き合わざるを得なくなってしまった人間としては。

 
 

彼の代表作の『ワイルドサイドを歩け』。

作品の背景には、詩のなかに登場する人物には、それなりの曰く‐この作品が発表された当時の時代的な背景やエキセントリックな特徴が含まれてるはずなのに、今となってはそういう“イメージ”を抜きにして、詩と曲、そして音そのものの感触しか残っていないと思うのは、私だけだろうか。

誰もが皆‐若かりし頃の、そして年老いてからのルー・リードも‐自分自身の“ワイルドサイド”を勝手に探して勝手に歩け、という彼の遺言のようにも思える。

Rest in peace.

そしてそれは彼の生涯を見届けたあと、自分の人生を歩むきっかけでもあると思う。




 
困った顔

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 ドナ・サマーが死んだ。
 バラク・オバマ大統領も、「彼女の声は忘れられない。音楽業界は伝説の人物をあまりにも早く失ってしまった」と死去を惜しむ声明を発表してる。よくある素っ気ない公式声明ってやつか。いや、そうでもないような気がする。彼女が全盛期だった70年代後半というのは、彼はハワイでハイスクール生活。ディスコでブイブイいわせてたかは知らないが、それなりにヤンチャな青春時代だったと思う。
 一方私は、極東の島国の片田舎で中学生やってた。ディスコの華やかさとは程遠い学生服姿で坊主頭。ラジオから流れる洋楽にかじりついていた。
 その頃、ラジオから必ず流れていたのが、彼女の歌。大げさでなく、世界中のヒットチャートを席巻していたのだ。ハワイのハイスクール・スチューデントから日本の田舎者中学生まで、好き嫌いを問わず人生の一番多感な時期のほんの一瞬に、彼女の声が耳に飛び込んできたわけで。
 こうして大人になった私が、このニュースにある種の感慨を覚えてるのと同じく、オバマ大統領も懐かしさと悲しさを感じているのではなかろうか。立場や国境を越えて共有しているかもしれない時代感覚。


 ドナ・サマーといえば「ディスコの女王」だった。しかも時には、あからさまにウケ狙いのキワモノっぽい雰囲気さえ漂わせていたのを思い出す。
 米国では芽が出ずヨーロッパを活動の拠点に置いていた、いわばドサ回りのような存在。先頃亡くなった同じ黒人シンガーのホイットニー・ヒューストンのように、生まれたときから音楽界の一家に囲まれ、最初から正統派ソウルシンガー、明るいダンスミュージックをやることを許されたお嬢様ではなく、雑草のように道端で自力で這い上がらなければならなかったのだ。
 だから、売れるということ、ヒットチャートでナンバーワンになることに対する飢えというのは、とてつもなく大きかったのではないだろうか。売れっ子プロデューサーと手を組み、有名ミュージシャンとデュエット、映画にも出演……一気にスターダムに伸し上がった短い期間に、有名スターがやりそうなことは全てやったと思う。「ディスコの女王」であり続けること、ダンスフロアで皆を踊らせるために輝き続けることこそが、彼女の人生の夢だったのだと思う。その夢は国境や世代を超えたリズムとして時代を動かしていたのだ。
 下の作品はバーブラ・ストレイザンドとのデュエット。本当ならかなり格の違う2人だった、はずなんだけどね。これも、ひとつの夢のかたち。
 しかし、いつまでもひとつの夢に縋りつくわけにはいかなかった。夜が明ければ町の灯が消え、踊っていた人々も日常生活へと戻っていく。「ディスコの女王」である彼女は、誰もいなくなったダンスフロアに1人で取り残されてしまったような気がする。





 「ディスコの女王」から「ポップミュージックの女王」へ。いや「女王」でなくてもいい。「普通の歌手」として自由に歌えるようになることに、彼女は失敗してしまったのだろう。80年代に入ってからの作品群を振り返れば。
 個人的には、この頃の作品の方が好きだ。何とかスターでいたい、もっと色々なスタイルにチャンレンジしたいという姿勢が伝わってくるにもかかわらず、人気は下落。ヒットチャートでの成績も上がらないから、プロデューサーも変え、作風も変え続ける、それがなかなか成果が挙がらない悪循環……そんな迷いと苦悩が作品から滲み出てくる方が共感できたのだ、個人的には。
 これは82年発表の作品。作者はブルース・スプリングスティーン、プロデューサーはクインシー・ジョーンズという、ジャンルこそ異なるものの当時の王道を行く制作スタイル。その王道ぶりが逆に彼女を迷い道へと導いているような気がする。




 『Protection』。“守って欲しい”−それが彼女の本音だったのではないだろうか。
 どん底から這い上がってきて手にしたスターの座、そこに至るまでの上り坂を越えたあとで見えてしまった空虚さ。時代は流れ、流行も変わる。それでも自分は歌い続けなければならない。そんな人生に疲れたときに、ふと声にした切望。
 もし彼女が「ディスコの女王」でなければ、ここまで有名にはなれなかったかもしれない。しかし「ディスコの女王」として孤高の存在である限り、「普通の歌手」にはなれない。誰からも愛されるスターではなく、たとえ小さくとも本当に自分に必要な誰かに守ってもらえる立場になりたい、そんな場所が欲しいという悲痛な叫びにも思える。
 あまりに感傷的な後付けの感想だろうか。でも、一時代を築いたスターの苦悩と、その時代を共有した人間の喪失感は決して小さくないのだ。思わず米国の大統領も声明を出し、日本の無名のオッサンもブログ更新に向かわせるくらいの衝撃はあるのだよ。
 

 御冥福をお祈りします。



 そのとき、私は素っ裸、でした。口はあんぐり開けたまま。あそこブラブラさせたまま。
 テレビの画面がら流れてきた、これまで何回、何十回、いや何百回かもしれぬ、あの音のせいでありました。
 ジャーンジャジャジャーンジャジャジャンジャーン!というギターの歪んだ音、無闇に盛り上げていくようなコーラス、粘りつくようなヴォーカル、そして意味ありげで実は何の意味もない必殺のフレーズ!かと思ったら、そこでテレビの画面は終了。ああ、最後まで聴きたかった!


 20th century toy, I wanna be your boy


 もう20世紀が終わって何千日経ったのでありましょうか。それなのに、今なお聴く者を釘付けにする音!競馬なんて殆ど興味がないのに。
 場所は京都市内のひなびた銭湯。意地悪そうなオバハンが、もう閉めるから早ようしてえなアンタ、的に冷たい視線を私に注いでおりました。




 このTレックスの曲というのは、どういうわけか、よくCMに使われたり他のミュージシャンがカバーしたりして、何年に一回か必ず頻繁に耳にすることになる。
 例えば去年は、こういうのもありました。コーラも殆ど飲まないんですけどね、私。




 これは日本だけの現象というわけでもなく、海外のミュージシャンも定期的にカバーしたりする、なぜか。
 なかでも去年、まさかサンタナがやるとは思わなかったな。いくら企画とはいえ。
 Tレックスって米国ではそれほど人気無かったはずだし、あえてギタリストがやる曲とも思えなかったからね。




 Tレックスというのは今から40年くらい前に、グラムロックとかいわれて爆発的な人気を誇ったバンド。シンプルなロックンロールと美しく煌びやかなファッションで一世風靡したそうで、当時の日本でも彼らと同じような格好で町を歩く熱狂的なファンも多数いたそうです。
 ただ、リーダーのマーク・ボラン自体は全く美形でも何でもなかったし、歌や演奏も決して上手くはない、どちらかといえば強烈に下手糞だったし、シンプルなロックンロールは耳に残るのだけど飽きるのも早いもんだから、あっという間にブームは廃れて、あわや再評価で人気浮上というときに、彼は自動車事故で亡くなってしまうのですな。これが1977年の出来事。
 だから本当に時代の徒花的に忘れ去られても不思議ではないのだけど、死後からこれまでの間、色々なミュージシャンがカバーして、しかも毎回かなり目立ってる。
 一番有名なのは、これかもしれませんな。全米トップ10にも入ったし、日本の自動車のCMにも使われたことのあるバージョン。




 実は私は、マーク・ボランは生きているのではないか、なんて思っているのですよ。姿かたちを変えながら、あるいは現在活動中のミュージシャンや広告代理店関係者に乗り移って、自分の作品を小出しに現世に発表し続けているのではないでしょうかね、ハイ。
 そう、私のケースでいえば、あの銭湯の冷蔵庫の奥にしかない、フルーツ牛乳に姿かたちを変えながら!
 普段なら全く気にも留めない、栄養も無さそうだし飲む気もないのに、他人が飲んでいるのを見るとなぜだか無性に飲みたくなる、そして実際に飲むと少しがっかりする、あの味−これはT・レックスの音楽性そのものではないか!?
 とりわけ変わったことはやってないシンプルなロックンロール、ウマイとはいえないワンパターンのスタイルなのに、なぜか無性に聴きたくなり耳を奪いながら、再びどこかへ消えていく……流行り廃りの流れのなかで、どこかにひっそり隠れている魅惑の味。


 と思って、フルーツ牛乳頼もうとしたら……無いんだよね、最近は。もう、自動販売機に切り替わっている所が殆ど。コンビニやスーパーと変わり映えしない品揃え。違うんだよ!欲しいのはこんなのじゃない!と心のなかで叫びつつも、銭湯のオバハンは掃除始めるし。閉店時間までまだ少し残ってるのに。
 チープでシンプルだけど、味わい深いテイストを堪能するのは難しいようで。マーク・ボランも嘆いているでしょうな、自動販売機の陰で。

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