|
「私に、このペンを売ってみてくれませんか?」
もしも目の前に見知らぬ男が現れて、おもむろに一本のペンを取出し、こういうふうに質問してきたらどう答えたらいいのだろうか。
何とかそのペンをその男に買ってもらわなければならないのだから、そのペンがいかに魅力的なものか、あるいはお買い得なものかということを訴えなければならないのだと思う。とりあえずそのペンがどういうものかはわからないのだけど、多少の誇張や嘘も並べながら、売り文句を考えてみよう。
「このペンはとても書きやすくて、かつナウでファッショナブルです!」(あまりにありふれてる!しかも死語だ!)。
「高級素材を使ったペンでものすごく高価なのですが、今回だけ特別に安くお譲りします!」(まるでテレフォンショッピングだ。ついでに「今買うと、もう一本付いてきます!」とでも言ってやろうか)
「このペンを使うと、肩凝りや腰痛、今の季節なら花粉症も治すことができるんですよ!」(ホンマかいな。怪しげだけど健康にかかわる商品が好きな人は多いから、これがいいかもしれん)。
色々と答えを考えてみたのだけど、実はこの質問、映画『ウルフ・オブ・ウォールストリート』のなかで主人公がしゃべる台詞。しかも2回も、それぞれ異なる場面で使っている。
その対比が面白い。それだけ観たら十分かもしれない。
ペンというのは何のためにあるものだろうかと、改めて考えてみる。
ものを書くためという基本的な機能は忘れてはいけない。
お気に入りのデザインのものを探して、ちょっといい気分になることもある。そのためだけでも役に立つかもしれない。
そして何より大切なのは、そのペンで書いたもの、あるいはそのペン自体が周囲とのつながりを作ることがあるということ。そのためにペンはあるのだと思う。
たとえば、そのペンを使って長い文章を書いたり短いメッセージを紙の上に残したり、殴り書きの一文からビジネス上の形式化された書類まで、自分自身が忘れないように書き留めたものも含めて、いつかどこかで他人との意思疎通のための道具になる。そのための欠かせないもの。
あるいは、そのペンが流行りのデザインだったりすれば、ちょっとした話題の中心になることもある。それ見たことある!どこで買ったの?ちょっと貸して!的な注目を浴びて、お気に入りのペンを褒められれば悪い気分はしないから、色々と答えを返して話も盛り上がる。これもひとつの意思疎通。
ということは、ペンの価値というのは、そのペンが固有に持つ機能やデザインにあるのではなく、あくまでそれに付随する出来事、今挙げたような他人との意思疎通の役に立つというところにあるのだと思う。
いわばペンそのものに価値があるのではなく、あくまでペンに価値を見出すのはそれを使う人間の在り方なのだ。そのペンを巡って何かが生まれる可能性を常に秘めている状況こそに価値があるのだと思う。
文章を書いたり、所有することで話題ができたりして、何がしかのムーブメントができていく。簡単なメッセージのやりとりのような個人間の交流から始まり、やがて大勢の人間を集めるビジネスにまで発展することもあるだろう。そしてそれは皆に満足感を与えて幸せにすることもあれば、詐欺あるいは犯罪行為にも人を陥れる事件に結び付くこともある。
それでも、あくまでペンはペン、なのだ。
ペン自体には何の意味もないし、何の価値もない。ただ、それを使った人間たちの人生が互いにつながり、色々な方向に転がっていくというだけで。
映画『ウルフ・オブ・ウォールストリート』の主人公は、実在する悪徳金融マン。
無価値な株式を顧客に売りつけたり相場操縦やマネーロンダリングという金融犯罪だけでなく、ドラッグの過剰摂取、至る所で引き起こす常軌を逸した乱痴気騒ぎなどの悪事をやりつくした果てに、今は被害者への賠償活動を兼ねて、何事もなかったかのように各地で講演活動を行っている。ついでにその悪事の数々を自伝にして出版、それをこうして映画化して一儲けし続けているのだから、マトモな人間ではない。
映画の方も、ドラッグとセックスとお金を巡るエピソードばかりが続く、コミカルで下品な馬鹿騒ぎが満載である。
ただそんな馬鹿騒ぎを描いた映画のなかだからこそ、冒頭に挙げた主人公の台詞が心に残るのだ。
「私に、このペンを売ってみてくれませんか?」
劇中2回も使われる、それぞれの場面で主人公がそこに込めた感情の熱の温度(その熱は下品な悪意に満ちているのだけど、それがまたこの台詞に皮肉な陰影をつけて、まさにブラックユーモアという気がする)というのが随分違うように描かれている。
一回目は、そのペンというのはあくまで道具のひとつであり価値のないもの、しかしそこから仲間とつながり、騒ぎを起こしながら、ワクワクするようなムーブメントを起こしてやるといった熱の高さ、主人公の高揚感を描き出す。
二回目は、そのペンはあくまでペン以上にはならないという、一回目とはまったく別の現実。そのペンによって何かつながりが生まれたりするわけではないという熱の低さ、主人公の冷めた感情を描き出す。
悪意に満ちた馬鹿騒ぎのなかで、同じ台詞に込めた描写の違いに、この映画の魅力が凝縮されている。
ペンだろうがドラッグだろうがセックスだろうが、そしてお金だろうが、そこに価値を見出すのは、結局は人間の在り方でしかないということに。
よく世間で言われる言葉に「お金は人間を狂わせる」といった類のものがある。
確かに誰にとってもお金は大切なもの、それがないと生きていけないのも事実だし、過去の無駄遣いを後悔したり、現在の欲望を過剰に満たそうとしたり、未来への不安を打ち消そうとしたりして、お金を巡る人間の感情は揺れるものだと思う。そこに色々な思惑を持つ他人が集まってくれば、その人の人生は狂ってしまうものなのかもしれない。
しかし冷静になって考えてみれば、お金というのはあくまでお金、それ自体が価値のあるものではないはずなのだ。
今必要なものを買い、やりたいことを行う分には、使うお金の額は知れている。もちろんこれは個人差があって、親や子供などの扶養すべき家族はもちろん、家や車などの資産を持っている人はその維持費としての、何か事業を行うために資金を必要としている人は元手となる資本としてのお金が必要なのであって、その金額の差は個々の生活によって違う。
それでもそれはあくまで、それぞれの人が生きていく上で何が必要かという原点に戻れば、お金の価値など知れているのだと思う。
その必要性を満たして、初めてお金は価値を持つ。お金そのものに価値があるのではなく、あくまで価値を見出すのはそれを使う人間の在り方なのだ。
それはまるで、この映画のなかの台詞に出てくる一本のペンのように。
何の価値もないペンを使った人間たちがそこに価値を見出し、人生が互いにつながり物語となっていくように、お金も人間の人生を動かしていく。ときに危うい方向へと。
悪徳金融マンの実話を元にしたコメディ色の強い内容にも関わらず、逆にこういうことを冷静に考えさせられるという部分で、この『ウルフ・オブ・ウォールストリート』は皮肉な魅力に満ちた映画なのかもしれない。
|

- >
- エンターテインメント
- >
- 映画
- >
- 映画レビュー






