BUT SERIOUSLY, FOLKS...京都の地の果てより

楽しみながら苦しみながら、学びながら馬鹿やりながら。

現代社会を鋭く斬る!のかな?

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どうでもいいんですけど、なんとなく気になったユルいことを。
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 「パソコンの調子がおかしいねん。何とかして」

 行きつけの居酒屋のママからSOSらしき電話をもらう。

ちなみにママはパソコンのことなど、これっぽっちもわからないオバハン。

歳の差からオバハンなんて言葉を使ってしまったけど、付き合いが長いから、お互いまだ若い頃から知ってるから自分は若いつもりでいたのだけど、今となってはこっちも立派なオッサン、だんだんと壮年に近付いている現実に気付いたりする。

しかもパソコンにはそんなに詳しいわけでもないのだ、私は。それでも困ったときには、店と客の関係を超えてこうして頼ってくるようになって二十年にはなる。

「おかしいって、どんな感じなん?」

「スイッチを入れたら、色々なメッセージが出てくんねん。皆、そんなもん放っといたらええとか言うんやけど、何か不安で。どうしたらええんやろ」

やれやれと思いつつも、確信めいた嫌な予感がよぎる。

ひょっとしたら、ウィンドウズXPを使っているのではあるまいか。

「メッセージの内容はどんなことが書いてあんの?」

「わからへんねん。とりあえず見に来て」

このあたり、オバハンのオバハンたる部分だと思う。現状について深く考えることもしないで、不安だけで他人に頼ってしまうところ。もっとも、そういう不安を心配に思って何とか助けようと出かけていくのも、いつものことではあるのだが。

「ほんならな、明日の二時半くらいに行くから待ってて。あんまり遅くなると店の仕事に響くやろ」

「わかった。頼むわな」

というわけで、八幡市から京都市内まで、京阪電車と京都市バスを乗り継ぐこと所要時間1時間ちょっとをかけて行くことになりました。

引っ越し前なら歩いても10分少々で行ける距離だったのだけど、引っ越し後だとこれくらいに物理的な距離は離れてしまってる。特に今の春の季節の京都は花見見物の観光客であふれかえっているので、交通渋滞が凄まじく、バスはなかなか前に進んでくれない。というわけで、物理的な距離以上の疲れを感じて、異常が発生したパソコンを見に行ったのでありました。

 

そこにあったパソコンは、某富士通のノートパソコン。ボディの厚みや角ばったデザインに時代を感じる。そして案の定、起動させるとウィンドウズXPの画面が立ち上がった。

「ママ、これはもうあかんねん。このパソコンは今後メーカーからの保証がなくなるし、ウィルスとかにやられやすくなるんや」

「え、それってどういうことなん。インターネットでけへんの」

予想通り、ウィンドウズXPの問題については何も知らなかった。やれやれと思いつつも、単刀直入にわかりやすい提案をすることにする。

「インターネットもでけへんようになる。ウィルスとかに感染されるから、今すぐ新しいの買いに行こう」

「そうか、ほんなら行こうか。あんまり高いのは困るけどなあ」

新しいのを買わなければいけないという厳しい現実を目の当たりにしたママは、さすがにガッカリした様子だったが、切り替えが早いのもオバハンの良さでもある。店の開店時間が迫っているなか、さっさと化粧をして出かける用意をして、車に乗り込もうとしている。こういう切り替えの早さがあるからこそ、水物の商売を切り盛りするタフさが身に付いているのだろうと感心したり、羨ましかったりする。

とりあえず、当然私もお供することになりました。強引に連れて行かれることになりましたけど、まあ、予想通りの展開ではある。

 
 

「予算は5万円!」

店頭価格10万円以上になっているパソコンを指差して、それくらい値切れるかということを主張するなんて、中途半端にパソコン事情を知っている私には絶対できないことだが、こういう自己主張ができるところが、ママの凄いところでもある。

とりあえずサポート役として(しかし、誰に対するサポート役なんだろ。ママは堂々と自信たっぷりに自己主張してるからサポート役など不要ではないか。むしろ無茶な要求をされて困っている家電量販店店員に対するサポート役に結果的になっているのかもしれん)、インターネット中心に使うこと、故障したときに保証があることなど、必要最低限の希望を伝えることにする。

「値引きが可能かどうか、ちょっと聞いてきます」

店員が困った表情で売り場を離れている間、売り場に置いてある様々なパソコンを見て、手に触れて操作したりしていると、色々な発見がある。

今やデスクトップ型は少なくなって、あってもキーボードはワイヤレス型、テレビチューナー内蔵で、すっかり家電としての体裁に変わっていること。値段は10万円を少し超えるくらいだろうか。

ノートパソコンの店頭価格は思ったより下がっていないこと。消費税増税の影響もあって駆け込み需要で在庫が減って店頭に回ってこないと店員は言っていたけど、このあたり消費者は巧妙に騙されているのかもしれないと思わないでもない。

逆にタブレット型や小型ブック型の値段は、思ったより安いこと。私は今ウィンドウズ7型のモデルを使っているのだけど、買い換えようかなと思ったくらいだった。

デスクトップ型、ノートパソコン型、タブレット型、ブック型、色々なモデルを店頭に並んでいる数とその値札で観察していると、今の売れ筋と、そこでメーカーや量販店がいかに利益をあげようかというのが見えてくる気がする。

昔から日本での人気品種はノート型といわれてきたのだけど、消費税増税とウィンドウズXP終了というタイミングに合わせて、これらを求める消費者層にメーカーも量販店もターゲットを絞っているのだろう。

逆にブック型やタブレット型というのは、某NTTや某イーモバイルなどの通信サービスに加入することで更に割引をするという抱き合わせのような販売方法で、ハード機器を売った目先の利益ではなく、通信料金も含めた中長期的な利益を求めているような気がする。

ということは、これらの範疇から外れたデスクトップ型パソコンこそが、逆に今のお買い得商品だという気がしないでもない。液晶大画面はきれいだし、普通の家電としてテレビ放送やブルーレイディスクも見ることができるし、しかもデザインも洗練されている。ただ問題は店頭であまり熱心に薦められていないから見逃してしまうということと、日本の狭い家屋の部屋だと置く場所が限られてしまうということだが。

 
 

結局、ママが買ったのは今まで通りのノートパソコン。

インターネットさえ見れればいいということで、それに特化した台湾の某エイスースのものになりました。ちなみに中国の某レノボは初期不良が多いと店員さんは言ってました。こっちの方が安かったんだけどね。

 
 

さっそく持ち帰り、インターネットに接続。今まで通りの光回線(ちなみに店員さんは、私らが買うと決めたときに「実はこういうプランがあるんですよ」と、某NTTのフレッツ光の案内パンフレットを出してきたのだけど、「ゴメン、それは加入してんねん、もう」と答えたら、ものすごくガッカリしてましたな。可哀想だったけど、しょうがないやん、こればっかりは)で、インターネット環境はあっという間に完成してしまいました。

しかし、ウィンドウズ8というのは操作しにくい。慣れの問題もあるだろうけど、あんなにわかりにくくする必要があるのだろうか。マックを意識し過ぎて変な方向に行ってしまった気がしないでもない。何とかパソコン音痴のママでも今まで通り操作できるようにカスタマイズしたかったのだけど、そこまではできませんでした。それだけは残念。

 
 

ウィンドウズXPが終了することについてマイクロソフト社に不平不満を言う人も多いみたいだけど、そもそも栄枯盛衰が激しいIT業界で、ひとつの基本ソフトが10年以上普及し好評を得ていたということ自体、例外的な奇跡みたいなものなのかもしれないと思ったりする。

その10年以上の年月の間に、パソコン音痴の人もそれなりにパソコンを触れるようになり、次なるステップに進めるような環境作りができたのだから、それはそれで偉大な気がする。別にマイクロソフトの肩を持つ気は、これっぽっちもないんだけどさ。

ちなみに翌日、「パソコン、ちゃんと動いてる?」とママに電話をしたら、「うん、動いてるよ。今までと違うのは新しくなったということやから、もうそれに合わせんとしゃあないわな」という返事が返ってきた。

どうせインターネット見るくらいしか使い道はなんだろうけど、こうして新しいパソコン、新しい技術の変化についていく人たちが増えているのから、今回のサービス終了も意義があるのではなかろうか。

こうして引っ越した後も、店と客の関係を超えた関係が続くきっかけが維持できているのも、ウィンドウズXP様様なのかもしれないと思ったりする、個人的には。また困ったときには電車とバスを乗り継いで、はせ参じるとするか。

 
 
 
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 一流とされるホテルのレストランや百貨店で食材の偽装表示をしていたと事件が多発しております。「車海老」を使った料理に実はブラックタイガーを使っていたとか、「フカヒレ」と表示しながら実は春雨などを原料にした人工物だったとか。
 しかしこういう風に連続して、しかも微細に渡って報道されると、いかにも日本人的というか、皆でやってしまえば怖くないみたいな集団心理みたいなものも感じてしまいますな。寄ってたかって暴露して、半ば重箱のスミをつつくような感じで。
 個人的には、こういう一流ホテルや百貨店で売ってるような商品というのは余り縁がないのだけど、日頃利用している居酒屋チェーン店やスーパーでも「実は…」みたいな秘密が流出するのではないかと思ってる。ドサクサついでに。メニューに載ってる低価格料理や店頭に並んでいる肉や野菜にとんでもないものが含まれてました、みたいな報道があるのではなかろうか。
 まあ、そういうことが起こったとしても、腹をくくって受け入れるしかありませんな。食べてしまったものは仕方がないもの。「ただちに人体に影響のあるものではない」とか言いながら。
 
 
 今回の『連続食材偽装表示事件』。
 実は、裏で糸を引いてるのは、日本銀行と日本政府だということを御存知でしょうか。
 このように偽装が明らかになれば、今までとは違う“ホンモノ”の食材を使うことをホテルも百貨店も強いられることとなる。「車海老」だったら「車海老」を使うという風に。もちろん逆に安い「ブラックタイガー」であることを売りにして商品を作ることも考えられるけど、そこは一流のホテルや百貨店でありますから、そういうことはプライドが許さないだろう。ブランド価値を落とさないように「車海老」を使うサービスを提供する方向に向かうはず。
 すると必然的に価格が上がる。「車海老」とかいう食材は当然高価なものだから、それを価格に転嫁しようとする。すると消費者物価というのは上昇せざるを得なくなる。
 これぞ、日銀及び政府の狙うところ。
 アベノミクスだ、金融量的緩和だと言われて久しいが、その目標のひとつには2%の消費者物価の上昇があることを忘れてはいけない。
 そこで日銀と政府関係者が暗躍して、一流ホテルや百貨店の厨房に潜入して秘密情報を掴み、この機を狙って一斉にリークしたというのが事実なのである。何せ日銀の黒田総裁自ら“やれることは何でもやる”と言っているくらいだから、間違いない。
 こうした地道な努力によって、彼らの目標は達成されるのである。
 (以上、私が言ってるだけの冗談ですから、本気にしないでね。)
 

 ホテルや百貨店などのサービス業というのは一流・二流を問わず、業界内の競争も、そこで働く雇用者の労働環境も厳しいものがあるのだろうなということは、容易に想像がつく。差別化・特別化できるサービスでアピールしなければならないし、それを利用する消費者の目は常に厳しい。多くのモンスタークレーマーみたいな人も相手にしながら、ブランド価値を高めていく厳しい世界。
 この連続食材偽装事件も、そんな厳しい業界内の事情を曝け出したものなのかもしれない。
 でも、これって結局、皆が損してるんだよね。ホテルや百貨店の経営者も利用者も経営者も。別にバレたからってわけじゃない。バレずに今まで通りのサービスが通用していたとしても。
 食材について偽装をすることで、安い食材を使うことで一時的な利益をホテルや百貨店は得ることはできる。しかし利用者は常に“その次”のサービスを期待する。高級感がこんな価格で手に入った!という嬉しい感情は更なる満足感みたいなものを求めるもの。お買い得感という利用者の特別な感情に火がついてしまった以上、サービスを提供する側もそれを止めることができなくなる。一時的な利益に過ぎなかったものが、お客様の期待に応える動機にすり替わり、継続したサービスとなる。本来は嘘をついてるだけに過ぎないのに。
 そして、更なる利益を出すために削られるのは、食材の原材料費ではなく、そこで働く人間の人件費ということにもなる。ホテルや百貨店で働く人の給与明細を覗いたことはないけども、非正規雇用を多用して雇用側の負担を減らしたり、サービス残業などを増やしているのが現状ではあるまいか。何せ競争の厳しい業界だから。
 結局、経営者は嘘をつくことで、一時的な利益をブランド価値を維持するための適切な行動だと勘違いし、ただでさえ厳しい業界内の競争を自ら厳しくしてしまう。
 利用者は高級品が安く手に入ったという空虚な満足感を得ながら、更なる期待を膨らませる。味覚という感覚を、ホンモノを見る目を麻痺させながら。
 労働者は過酷な労働環境のなかで、多様な働き方とかいう言葉に飲み込まれながら、自分の居場所を無くしていってしまう。
 今回の連続食品偽装事件は、こういう悪循環が一部の業界で表出しただけのこと。
 最初にも書いたけど、未だにバレてないけど「実は…」みたいな事件は、色々な所で今後起きそうな気がする。
 
 
 外部不経済という言葉がある。ある企業や消費者の経済活動が、市場取引によらずに第三者に不利益・損害を与えること。
 例えば公害のように、工場が本来の生産活動を行い、企業にも労働者にも工場周辺の環境にも利益を生み出し貢献するはずが、その生産活動に伴い垂れ流される害毒のようなもので損失を各方面に被らせてしまうこと。こういう害毒が発生しないようなきちんとした管理、あるいは発生した場合でも適切な処置をすることで、その損失は防ぐことができるのだが、それらに目をつぶっていると、その損失は知らないうちに膨らんでしまう。
 企業が努力によってサービスを向上させるのはいいし、消費者もそこから利益を得る機会が増えるのなら大歓迎。そのサービスのブランド価値が向上すれば、そこで働く人間のモチベーションも上がり、彼らがそこで得られる利益も増えることとなる。それが本来の健全な経済の姿だと思うのだけど。
 


 「安物買いの銭失い」とはよく言ったものである。
あ、「嘘つきは泥棒の始まり」というのもありましたね。
昔の人は偉かった。  
 
 
 ヘイ、柔道!落ち込むなよ。悲しくっても、そのうちいいことあるよ。




 ポール・マッカートニーの『ヘイ・柔道』で幕を開けたロンドン・オリンピック。
 日本の「柔道」は金メダル1個に終わってしまいましたな。柔道の母国、発祥地のくせに。
 でも逆に考えたら、柔道が国際的になって色々な選手との公正な競争が繰り広げられていることの裏返しでもあるわけで、日本人選手ばかりメダルを独占してたら所詮ドメスティックな武道のまま終わってしまってるんじゃないでしょうか。
 それに、よく言われるように「柔道」と「JUDO」は似て異なる競技なわけで。私は現状の「JUDO」のルールも良くわからないし、「柔道」についても遥か昔の高校時代に体育の授業で習っただけなので大きなことは言えないのだけど、ああいう風に「JUDO」の試合で、お互いの選手が掴み合わない・組み合わないまま時間が過ぎて行って、最終的に指導の判定を受けた分だけで勝敗を決するような内容ばかりだと、テレビの前で頭のなかがモヤモヤしたまま退屈な気分を引き摺るということにもなるわけで。
 かつて教わった「柔道」は相手と組むところから始まって、技の掛け合い・返し合いで素人レベルでも結構スリリングな格闘技だった記憶があるのだけどなあ。ましてや「JUDO」選手のように、技をかけられた選手が自分の腕をつっかえ棒のように伸ばして倒されるのを防ぐなんてことは有り得なかった。だってあんなことしたら一歩間違えば骨折の可能性もありだもの(実際、骨折した奴がいた。そいつは「ちゃんと受け身をとらんか!」と散々怒られたっけ)。
 メダルの数が減るのは必ずしも良い気分ではないが、ああいう「JUDO」のスタイルに合わせ過ぎるというのもどうかとは思う。「柔道」の誇り、正統派のプライドみたいなものはどこかで感じさせて欲しい。それを突き詰めて行けば、本物の強さみたいなものも生まれるんじゃないのかな。
 そういえばポールも口パク・吹き替えを拒否して、生歌で押し通したんだったよな、この大舞台で。世界的に有名なこの曲、カヴァーするミュージシャンはたくさんいても、正統派の本家はオレだ!という意地のパフォーマンス。
 道程は長くても、正統派がエキサイティングに畳の上で躍動する日がくるんじゃないでしょうか。


 韓国男子サッカー選手の「独島は韓国のものだ」パフォーマンス。まあ、恐らくやるだろうなと思ってましたけどね。元々そういうことやりたがるチームだし、タイミング的に大統領自らが上陸をしていたこともあったから。
 まあ、しかるべき処分は出るだろうし、これからもゴタゴタを繰り返しながら皆が騒ぐのだろうから、余りこれ以上触れたくはないのだけど、ひとつ皮肉を言わせてもらうなら、そんなに自国領土を巡る愛国心があるのなら兵役免除の恩恵は辞退すべきだな、この選手は。
 韓国のスポーツ選手は徴兵制というスポーツキャリアを築く上での致命的なリスクを負っている。これを回避するには国際大会で著しい成果を収めるしかないという現状があるのは有名な話。だからこそ、どの選手も競技に向かうモチベーションを高めて一生懸命やっているのに、見ようによってはスポーツではなく政治や軍事の方に興味があるように思えないこともない。だったら、サッカー選手など辞めて軍人なり政治家なりになれば良いではないか。人生色々、そういうキャリアもありだと思うぞ。
 徹底したロングボール戦術で強かに勝ち取った銅メダル。その輝きが曇ってしまったように思ったのは私だけか。


 毎週2回のプール通いをしている身としては、一番感動したのは入江凌介選手の言葉でしたな。個人種目が終わった後の名言。
 「(日本の)競泳は27人で1つのチーム。27人のリレーはまだ終わらないです」
 競泳というのは全くの個人競技。各選手種目も距離もバラバラで、自分の出番が終わった時点でチームメイトの応援こそすれど気持ちのなかでは、ハイさよならとなってもおかしくない性格の競技なのに、逆に最もチームスポーツから縁遠い競技に限って強いチームワークが生まれていることが面白く、そして感動的だったのだ。
 きっと日頃からお互いの泳ぎを見ながら、ライバルとして健全な競争関係にあるのだろうな、男女問わず。お互いに刺激し合って己の技量を高めていく。北島康介という目標とすべき世界的なスターの先輩も傍にいる。そういうハイレベルな個人競技の場だと、自然に目先の小競り合い的意識を超えて、もっと大きな視野でスポーツを捉えることができるようになるんだろうなと思う。
 だからあれは、日本の全ての競泳選手、あるいはスポーツをやってる人間に対して送られたメッセージだと思ってる。国際大会を目指すアスリートから、近所のプールでバタバタやってる下手糞まで、個人の意識と技量を磨けば、大らかに世界へとつながる道が見えてくるんじゃないだろうか。


 閉会式は、さながら“ブリティッシュポップミュージック史”的なバラエティに富んだもので楽しかった。あのNHKのアナウンサーの声さえなければ。
 だいたい実況席にいるわけだから、閉会式だって実況の対象なんだよ。そういうのを無視して居酒屋トーク・お茶の間話的に余計な話をしてどうするの?!詳しい解説をしろとは言わないが、せっかくエド・シーランがピンク・フロイドの『ウィッシュ・ユー・ワー・ヒア』を演奏してるのに紹介はなし、バックであの名盤アルバム『炎』のジャケットそのまんまのパフォーマンス(シルクハット、そして握手してる人間が燃えてる、あのデザイン!)をやってるのに一切触れないとは!まあ、こういう文句を言うのは年配のロックおたくだけだと諦めてるけど。
 あと、スパイスガールズの劣化振りとビクトリア・ベッカムのヤル気のなさは何なんだ!とか、ジョージ・マイケルはこれを機に本格復活してほしいなあとか、ブライアンメイはギターソロも髪型も凄いことになってる!とか色々感想はあれど、最後にこの曲が出てくると、やっぱり感動。ショーの盛り上がりには定番的ナンバーだけど、アスリートたちの懸命な姿を観たあとだと、グッとくるものがある。
 こうして元気や感動を少しだけお裾分けしてもらえるのが、スポーツの偉いところなんだろうなあ。
 さあ、今度はパラリンピックだ。


 あなたの背後に黄金を見つけた。
 そして、あなたと私、栄光を見つけた。




困った顔

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 7月から飲食店で提供する牛の生レバが禁止になるそうな。それを防ぐために放射線で消毒する方法を利用したらどうかという意見があるようですな。
 そうまでして食べたくないけどね、生レバ。
 そもそも生肉というのは種類を問わず衛生面に細心の注意を払わなければいけないもの。それが基本であって、変な消毒方法を手間暇かけてやる必要があるのかと思う。強制的に消毒して安価に流通でもしたら、そういう食の常識的な感覚が失われてしまうような気がして怖い気もする。一時期“百円ユッケ”が問題になったが、普通に考えたらユッケが百円で収まるわけがない。絶対どこか問題があるに決まっているではないか。
 肉に限らず、保存の効く野菜でも獲れ立ての新鮮なものが旨いに決まっている。そして、そういう旨さを体験するには、それなりの覚悟が必要だと思うのだ。昔から“安かろう悪かろう”という言葉があるように、安価な食材というのは大概訳ありだったりする。店頭に並んで日数が経っていたり、色や形が悪かったり……なかには値段の割にお得だった!というものもあるし、工夫次第で旨くなるものもあるけど、“高くても良かろう”というのが常識的な考え方ではあるまいか。
 確かに“ぼったくり”のケースもあるにはあるが、価格というのはリーズナブルなもの、需要と供給のバランスのなかの見えざる手によって決定されるものだと思う(アダム・スミスじゃないけど)。特に現代のように大量消費財としての食品がスーパーやコンビニに出回るようになってからは、希少な食材というのは本来手に入りにくいものなので、それなりの価格はするものだ。懐を痛めるだけなら構わないが、命の問題にもなるからね。
 食の安全を考えてのことだとは思う、今回の処置は。
 でも、こういう禁止事項を何も考えないで受け入れるだけだと、食の常識、価格の常識みたいなものも失われていくと思うね、間違いなく。
 

 というわけで、生レバを食べました!今夜は。


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 行きつけの韓国料理屋によると、今は駆け込み需要で生レバの注文が絶えないらしい。
 ところが前述した通り、生肉というのは扱いに細心の注意を払うのであって、店のマスターによると肉自体が店に入ってくるのも開店間際だそうな。しかも信用のおける仕入先でないとダメだということ。
 そりゃそうだ。食の安全に100%はあり得ない。私ら客としても、生肉や魚の刺身などは馴染みの店でなるべく食べることにしている。この辺の判断は無意識のうちにやっているのだと思う、我ながら。せめてもの安心感は欲しいからね。
 しかし旨いものですな、やっぱり。
 “身体に悪いものは旨い”という言葉を聞いたことがあるが、身体に害を及ぼす可能性があるものほど旨いということはあるのではないか。猛毒を持つフグとか、細心の注意を払って食べなければいけない食品というのは探せば山ほど出てくると思う。あれはダメ、これはダメと上からの指示に従っているだけでは、旨いものにもあり付けないし、それに伴う危険を予知する感覚も失われていく気がする。
 とりあえず、6月もあと数日。牛さんに感謝して有難く頂戴することにする。
 しかし、つまらない世の中になりつつあるな、本当に。


困った顔

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 なんだかなあ、という感じがする。
 そういう言葉を使ってしまった大臣も、鬼の首を取ったかのように追及するマスコミや野党も、眉をひそめたり非難したり、あるいは「ああ、またかよ」と冷めた目でことの成り行きを見ている、この私も含めた一般庶民とやらも。
 不謹慎だとは思う。実際に被害にあって今なお苦しんでいる災害地域の人たちの心情もよくわかる。大臣という責任ある地位の人間の自覚に欠けるというのも、ごもっとも。
 でも、今、一番欠けているもの。
 それは、ユーモアではないだろうかと思う。
 健康的であれ自虐的であれ、周囲の人間の肩の力を抜かせて、本当に前向きにさせて、できるだけ負担を和らげ足取りを歩くするためのエネルギー。それがユーモアの力。
 皆、余裕がなくなってる。特に大人の皆さん。だから「死の町」という厳しい現実を過剰に悲劇的に表現するような言葉を平気で使ってしまい、あるいは「放射能を付けてやる」という、まるで田舎の小学生の「えんがちょ!」レベルの冗談を悪気なく使ってしまって、言う方も聞く方も嫌な思いをしてしまうのだと思うのだが。


 もしも、と想像してみる。
 経産相が「死の町」という表現をしたあとで、「だからこそ、皆で甦らせなければなりません!」と力強く宣言していたら、どうだろうか。
 あるいは「放射能を付けてやる」と記者に話しかけながら、「いや、君に付着した分は僕に付けていいよ。皆さんもどうぞ!私が全部いただきましょう!」とおどけてみたら、どうだろうか。
 恐らく、その言葉の印象はまるで変ってくると思うのだ。
 人命も建物設備も全て失われた町を生き返らせるのは至難の業、口先だけの言葉でどうなるもんでもないだろう。あるいは放射能についてこういうことを言えば、逆に無知による恥の上塗り、火に油を注ぐ結果になるのかもしれない。
 それでも、周囲の心情や反応を見ながら、自分の気持ちを発信していくだけの度量の大きさ、悲劇を別の角度から見るだけの余裕があれば、皆が潜在的に抱えてしまった重苦しい気持ちを少しだけでも払いのけることができたかもしれない。
 ユーモアって、そういうもんじゃないかと思う。


 組閣から1週間経過した新内閣については賛否両論、海外のメディアも含めて。
 ただ「おや?」と思える記事を見つけました。英誌『エコノミスト』の批評を取り上げた、下のリンク先の記事。

 『ドジョウを自称の新首相、「自分を笑えるのはまあ悪くないよね」と英誌』

 以下、その一部引用。

 (『ワシントン・ポスト』は野田氏の「ドジョウ」について皮肉たらたらでしたが、)英誌『エコノミスト』は、「いたと思ったら明日にはもういない」一人に過ぎないと野田氏を一蹴する前に、ちょっと待ってと。新首相には「少なくとも二つ、これはと思える点がある」と評価しています。二つとは「健全な危機意識と、いい感じに自嘲的なユーモア感覚」だと。
 この「自嘲的なユーモア感覚(self-deprecating sense of humour)」、つまり「自分で自分を笑える能力」というのは(少なくともイギリス人にとっては)、「いい奴」かどうかを計る上で、実にものすごく大事なポイントなのです。それだけに、それを『エコノミスト』が好意的に拾い上げているのは、日本人としては「はあ、やれやれ」です。
 記事は前原氏や海江田氏が期待はずれだったと書いた上でこうも書きます。「野田氏はあの気持ちのこもった15分間の演説で、ライバルたちより抜きんでた。その点だけでも評価に値する。演説の中で彼は、自分がいかに誰も知らない土地の出身で(といってもまあ、千葉県なのだが、多くの東京人にとっては同じことだ)、政界へのコネもなく、有権者の支持を獲得しようと何日何日も街頭を歩き回ったなど、きわめて人間味溢れる話をした。そして実に巧みに、自分の最大の弱点と一部で言われている点にも触れた。つまり自分は総理大臣らしく見えないと」。

 記事はここで野田氏の「ドジョウ」を取り上げ、「重たい負担を背負わなくてはならないかもしれないと(つまり増税だと)、国民に言いにくいことをはっきりと告げた」と評価。……なんだか『エコノミスト』のこの記事を読んでいると、(オバマ大統領のような)感動的な演説だったような気さえしてきます。

 とはいってもこの記事の見出しは「A Fish Called Noda(ノダという魚)」であって、つまりコメディ映画『A Fish Called Wanda』(邦題「ワンダとダイヤと優しい奴ら」)のタイトルのもじりなので、そんな感動路線のわけはありませんが。

 いずれにしても、「総理大臣らしく見えない」と言ったところで、日本では総理「らしく見えない」どころか「総理大臣らしくない」総理が多かったのですから、なにをかいわんや。むしろ、「大統領らしく見える(look presidential)」かどうかが本当に大事なポイントとなってしまうアメリカの選挙に比べれば、その点はまだましなのかなと思います。
(途中略)
『フィナンシャル・タイムズ』が社説で次のように書いていた、その耳痛い仰せの通りなのですから。

「国民にも一定の責任はある。首相が新しくなるたびに、世論調査は同じように動く。出だしの人気はとても高いのだが、数カ月もたつと国民は飽きてしまい、党は、選挙の足かせと思うようになったリーダーをお払い箱にしなくてはと考える。もっとしっかりした政治指導者を求めるなら、国民の側ももっと我慢強くならなくてはならない。政党の側はあいまいな世論調査結果など無視するべきだし(日本ではその調査手法からして疑わしい)、何かまとまった仕事ができるだけの時間を自分たちのトップに与えるべきだ」


 政治家のせい、だけではなくて、国民の責任もある。
 でも、それを声高らかに、血走った目で、あるいはしかめっ面で深刻ぶって、重箱のスミをつつくようなことばかりしていても前に進まないような気がする。
 個人的には政治家は批判されて当たり前の立場の公人、どんどん言いたいことを浴びせて、ずぶ濡れ泥まみれにしてもいいと思ってる。ましてや、相手は“ドジョウ”、少々のことは大丈夫だろう。
 でも、余り不快になるようなことは言いたくない、言われた側も周囲の人間も、そして言ってしまった本人も気まずさがいつまでも残るようなことは。
 お互いに余裕があれば、使う言葉にも幅が生まれ、聞く耳も持っているから新たに色々な言葉をも吸収できるのではないかと思う。軽率な言葉遣いと揚げ足取り、変わり映えのしない謝罪と不信感の悪循環から抜けるくらいのことはできるだろう。
 それが、ユーモアの力だと思う。

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