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曽田博久のブログ

畑にGO

今日で外泊終わる。外泊が終わる日を指折り数えているくせに、いざ迎えが来て車に乗せる段になると、いつも胸が痛む。お風呂に入りたいと言っていたので、「入浴できるから」と送り出す。
2時に送り出したら、畑に直行。今日は3月上旬の天気だが、明日からまた寒くなると言うので、今日中に出来ることは全部やっておきたい。
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まず、イチゴ。敷き藁を取り、肥料をやってから、マルチを張る。右の写真は途中までマルチを張ったところ。敷き藁をしていたので雑草はたいしたことなかったが、畝の側面にはびっしりと張り付いていた。これを全部削り取って、畝全部をマルチで包み込む。地温も高くなるのでいいことだと近所のお爺さんに褒められる。このお爺さん、東京から戻って来た素人の私が畑をやるのを見るのがとても面白いらしく、いつもなんだかんだ助言してくれるのだが、私にとっては80を過ぎた人のズーズー弁は外国語より難しいことがあって往生させられる。、
今日も「イチゴですか」と声を掛けられたのを、「いつごろ植えたのか」と聞かれたと思い、「10月です」なんて、思いっきりトンチンカンなことを言ってしまった。
「イ・チ・ゴ」が「イ・ツ・ゴ」にしか聞こえないので、「いつごろ……」と、植えた時期を聞かれたと思ったのだ。語尾も訛ってもごもごなので本当に分からん。
その後、ジャガイモの予定地の草削りをする。これでいつでも耕運機を掛けられる。
今年は寒そうなのでのんびりしていたら、畑先生は3月中旬には植え付けすると言っていたので、慌ててジャガイモの準備にかかった次第。
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これは小松菜の菜の花。
この柔らかく若い花を摘んで、辛し和えにして食べる予定。
全然気が付かなかったら、隣の奥さんが「いまが食べごろですよ」と教えてくれた。
これを食べて、小松菜、終了。

玉ねぎにも早生、晩生(アトン)に化成肥料をやる。2月中にやらないといけない。これで玉ねぎの追肥は終了。

白菜は縛ってみたが、その後、全然丸くなってくれない。
近くのスーパーに農家の持ち込みコーナーがあるのだが、そこで葉っぱが開いたままの、丸くなっていない白菜を一個150円で売っていた。普通はそんな白菜は売り物にはならないのに、今年はそんなものでも並ぶほど、白菜の出来が悪く、また値段も高すぎるのだろう。
だが、家で食べる分には、葉っぱが開いていても、お腹に入ってしまえば同じである。それにしても今年は野菜高い。田舎も都会も。
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これはイチゴ畑手前のイチジクの根。
これを掘り起こさないと畑にならない。
何か植えるつもりなので、これは3月上旬までに撤去する予定。
これで明日から数日ぶりにパソコンに向かえる。しかし、数日ブランクがあると、調子を取り戻すのに一日はかかる。いつものことだから慣れてはいる。終わりが見える所まで来ているから後一息だ。桜の頃までには何とかしたい。

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飛騨市長の言葉

この記事は障害のある方が送って下さったものだ。
生まれながらに障害を負った子を持った親の苦労は私などは計り知れ難く、到底及ぶものではないが、都竹さんのような人の存在を知ると、人間を信じてもいいのかなあと言う気持ちにさせられる。

それと同時に思うのは、無知であることと無関心であることの恐ろしさである。

私だって突然家族が障害を負うような事にならなければ、障害を負った人や、その家族の事まで深く思いをいたすことなど絶対になかったと思うからである。多少は同情して、寄付するぐらいのことで済ませていたと思う。考えるまでもない。それでは何も解決しないのに。
みんな自分が生きて行くことで精一杯で他人のことは考えてはいられない。ますますそういう世の中になって行きそうな気がする。すぐには人変わらない、社会も変わらない。でも、全然変わらないかと言うと、少しづつではあるが変わっている所もある。それは都竹さんのような人、もっと前から取り組んだ人たち、風穴を開けた人たちがいるからと言うことを、私も今では知っている。
この年で、そういう人のまねはできないけれど、『こういうことならできないだろうか』と言うことは考えている。『どういうことか』と聞かれても、ちょっと

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「……それは次男が私をしてなさしめたことであり、この子が世の中のお役に立てたことになるからだ。このことだけは徹底して親ばかでありたいと思う」

最後の文章が心に響いた。
ここから始まる。そう思った。

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昨日は強い風が吹いた。妙に生温いなあと思っていたら春一番だった。例年より1週間以上(?)は早いらしい。あれだけ大雪が降って、駐車場にはまだ雪の山が残っていると言うのに。今日から出直しの外泊なので、とりあえず暖かくなったのは助かる。
おふくろが落ち着き、明日から妹が助けに来てくれるので、それに合わせて外泊をずらした。もし、またおふくろが悪くなっても、妹がいてくれるので妻の相手が出来る。
内科は訪問医になったが、整形外科はいつも妹が来た時に連れて行ってもらっている。
明日から十日ほど妹が晩飯を作り、親の朝昼の面倒も見てくれる。私は妻の朝昼に専念するだけでいいから、これは本当に助かる。
外泊時には特養で毎日記録しているノートを借り出し、そこに外泊中の食事などを記録して返却する。
2月14日の記録を紹介する。
今日はバレンタインだと伝えると、「チョコ買わなきゃ」と言われました。「手作りじゃないんですか?」と聞くと、「手作らないです」と笑われました。ご主人に上げる日ですよと言うと「一緒に食べるんだよ」と微笑ましいことを言われました。
と、書いてあった。
いかにも妻らしくて目に浮かぶ。
特養でこういう会話が交わされていることを知るとほっとする。
先日、ブログに小室哲哉がkeikoの言葉を載せたところ、そういうことはするべきではないと言った評論家(?)らしき人の発言があり、どきっとさせられた。言わんとすることは分からんではないが、同じようなことをしている身としてはへこんでしまう。それも確かに正論だと思う。有賀さつきのように沈黙を守った人がいると余計に。しかし、それでは妻やkeikoのような障害を負った者は、永遠に黙っていなければならなくなる。それは疎外されることを意味する。それを私は恐れる。トンチンカンだったり、間違っていたりするかもしれないが、その落差を考えることで、見えて来るものがある。実はそれが障害者の声なのではないかと思うのだが……

語録(9)
2016.4.5
「モモちゃん(飼い犬)うらやましいぐらい甘えてるよ。(お父さんに)」
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「お父さん、いま笑った顔すごくよかった。可愛かった」
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「モモちゃん、人間になったら、かずのこわさび食べられるのよ」
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TVを見て
80になってヒマラヤ行くなんて、私は言わない。迷惑かけるだけ」
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何かのTVを見て
「近頃涙っぽくなった。こんな曲聞くと〇〇(息子)たちの小さい頃をふわっと思い出すの」
「私が幼稚園の先生になったら泣いてばかりだろうね」
「将来なろうかなと思ってるの。〇〇(息子)たち、卒業したら。おばさん先生になってもいいんじゃない」
2016.4.6
ベッドで排便の時
「お父さん、出きらんから出して。(赤ん坊のこと)お腹見て。ここに一個いるの。ゴム手して出して」
「待ちくたびれた。私の方、早くして。早く生ましてちょうだい。早くしてください」
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娘がフランス語検定で表彰されて
「私の血なんて、明後日の方へ行ってる」
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「このぐずろ(俺のこと)に何年付き合わないかんの」
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「左足折れてるからね。右足みたいに曲がらんからね」
2016.4.7
俺をイトコと間違えるので
「俺はヒロヒサだろう」
「仲良くしてないから忘れた」
2016.4.8
「ありがとう。優しくしてもらうのが一番幸せ」
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「お父さん、お父さんとうるさくなるよ。いやだったら飲んで帰っていいよ」
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「優しくするって当たり前のことでしょ」
2016.4.9
排便の時
「生まれよう生まれようとさすから、怖いの、この子。お父さん、見たでしょ。可愛かったでしょ」
2016.4.10
「私、食べてません。病気だと思って馬鹿にして」
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「お父さん、一人旅行っていい。〇〇ちゃん(娘)が最近すごくすすめるの。北海道の奥がいいって」
「ご飯すぐ作るから」
「そんなに頑張らなくていいのよ」
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「起きる、ご飯だよ」
「出して、早く出して、ぐずぐずしてるのきらいだ……起きてお風呂場で産むの……いやだ、そんなの、早く生ませて……」
2016.4.12
洗濯物を干しに行くと言ったら
「行かないで、側に居て、愛しているから。いつも夢で言ってるでしょ。側に居てと。ピューと行っちゃうの」
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TVで「純情きらり」を見ていて
「みんな泣いてるよ、お父さん、上手」
わしの脚本と思い込んで
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子供が弁当を作ったというTVを見て
「〇〇ちゃん(娘)にも作らせる。泳いで帰って、疲れてると言っても作らせる」
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△△(息子)や〇〇ちゃん(娘)が泣かなくなったと思ったら、モモ(犬)がなくの」
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寝ていて、パット交換時
「痛いよ、ちくしょう」
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「ちょっと待って」と、言ったら
「待って、待ってと言わないの。私も〇〇するの待って、××する待って、ちょっと待ってと言うよ」
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「〇〇ちゃん(娘)が留学している間、私働く。20万ぐらい稼げるよ」
2016.4.14
「朝からカレーライス食べさせてもらった。少し寝ると(病気するとの意)いいよ」
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〇〇(娘)と電話して、
「会ったら泣くかもしれない。感動で。抱きしめてあげたい」
2016.4.15
TVのお天気姉さんを見て
「夜の目つきで出て来た。あれが男の人は好きなんでしょ」
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「お風呂行こう」と、頼まれて
「明日連れて行ってあげるから」と、なだめる。
「手をつないで行こう」
2016.4.16
「熊本に帰りたい」
「なぜ」
「寂しいから。おしゃべりもないし」


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第二章 都の子(10
 
 辰敬は仕方なく目についた柄杓で甕の水を汲み、公典に飲ませた。
 ようやく息を吹き返した公典は、きょとんと辰敬を見ると、周囲を見回し、また辰敬に視線を戻した。
「我が背負ってきたんじゃ」
「わぬしが……」
「下敷きになって気を失っておったんじゃ」
 公典は思い出したように身震いした。
「ああ……ほんまにえらい目に遭うたわ。死ぬかと思うた……わぬしのお陰や……わぬしが助けてくれへんかったらどないなっとったやら……」
 とまた身震いしたが、はっと今気がついたように、
「と、言うことは、わぬしも見物に行っとったんか……」
 辰敬は頷いた。
「ここへ来る途中じゃった」
「ここへ」
 公典もいち達も怪訝な顔をした。
 辰敬はにこっと微笑んだ。
「筆墨と反古をお届けするところじゃった」
「何やと、ほんまかいな」
 公典は跳ね起きた。
「天の助けや……おおきに、おおきにやでえ。
ちょうど墨がのうなって困っておったところなんや……わぬしは福の神やで……」
 痛みも寒さもころりと忘れたかのような現金な態度に、皆、呆れた。
「辰敬はん、そないもったいぶらんと、はよう拝ませてえな」
 と、身をすり寄せ、子供のようにせがむ。
 その時、辰敬の表情が動いた。
「ない」
 まさぐる懐には泥のべっとりとした感触しかなかった。
「落としたんや。押し倒された時に……」
「何やと……」
 泥まみれの手を、辰敬も公典も茫然と眺めた。
「新品じゃったのに。父上から貰ったんじゃ」
 辰敬は泣きたくなった。
「あかん……眩暈が……」
 公典はへなへなと崩れ落ちた。
だが、妻も娘も介抱しようともせずに引っ込んでしまったので、辰敬は行き掛かりで仕方なく公典を座敷に抱え上げた。
座敷と言っても、板の間に筵敷きである。
 常陸坊から湯を一杯貰って来て飲ませてやったが、気落ちしてうずくまる公典の姿は見るも哀れだった。
「おじさん、すまんかった……」
 謝ると、
「わぬしが謝ることはない。悪いのはあいつらや……何もかも……悪いのはみんな武士のせいや」
 とため息をつき、辰敬も武士と気づくと苦笑を浮かべた。
「戦になるんじゃろうか」
 辰敬は話題を変えた。
 公典は首を振った。
「戦になるのは、右京兆はんがどちらかを跡目に決めた時や。せやから、右京兆はんはなかなか決め切らんのや。此度も、まろは決まらんと思うとる。どないな手を打たはるのか見物や……」
 そして、またため息を重ね、顔を曇らせた。
「……世間では澄元はんと澄之はんの争いばかりに目が行っとるけど、もう一人、三人目の養子がおることも忘れたらあかん……」
 細川高国が三人目の養子に迎えられたのはそんな昔の事ではない。澄元も澄之もともに今年で十八歳。その若さを危惧して年長者を選んだのか、両勢力を牽制する為か、右京兆の真意は誰も分からなかった。ただ三人目が出現した事に、誰もが驚き呆れたのは言うまでもない。
 細川一族では京兆家を筆頭に、典厩家、阿波細川の讃州家などが有力な家であった。高国は備中守護で野洲家と言う、細川一族でも家格の低い家の出だったので軽く見られていたが、
「高国はんかて漁夫の利を狙って虎視耽々や……もう細川一族の内部は滅茶苦茶なんや。右京兆専制と言われて怖れられておった頃の右京兆はんはどこへ行かはったのやら。気に入らん公方はんを追い出して、せっかく取り替えたのに、これまたうまく行っとらん……」
 出るのはため息ばかりだった。
「修験道狂いがひどくなってからや。政は疎かになり、優柔不断と言行不一致ばかりが目立つようにならはった。綸言汗のごとしというてなあ、政はふらふらしてはあかんのや。それなのに右京兆はんはころころ変わりはる。ところがや」
 公典はぎろりと眼を向けた。
「……ここがけったいなとこなんやけど、禁裏に対する仕打ちだけは変わらんのや」
 途端に憤懣やるかたない口調に一変した。
「主上は右京兆、細川政元のせいで未だに即位できんのや」
 名まで呼び捨てである。
 辰敬には何の事かよく分からなかった。
 公典は身を乗り出し、
「今の後柏原帝が先帝後土御門帝の崩御を受けて践祚されたのは明応九年のことや」
 辰敬が御屋形様に出会う一年前、将棋を覚えた年である。
「それから六年にもなるのに、主上は未だに即位礼を執り行う事が出来んのや。わぬし、これがどれだけ由々しき事かわかるか」
 辰敬は申し訳なさそうな顔をするしかなかった。公典はじれったそうに声を張り上げた。
「ええか、即位してへんと言う事はな、帝と認められておらんと言う事なんやで。いまこの国には正式には帝がおらんことになっとるんや。こんな事があってはならぬゆえ、践祚したらすぐに即位することになっておるんや。ああ、それなのに、六年の長きに亘って即位でけへんなんて、百四代も続いて来た皇朝の歴史において初めての事や。ああ、嘆かわしや……情けなや……」
 今にも泣き出しそうな顔だったが、公典はぐっと歯を食い縛った。
「なんでこないなことになっておるかと言うとやな、管領細川政元が銭を出さんからや。即位礼は費用がかさむゆえ、幕府の務めとして行うことになっておるのに、右京兆は鐚一文出そうとせん。諸国から集める努力もしようとせへんのや」
悲憤慷慨は留まる事を知らずに続いた。
「禁裏も毎年のように諸国に即位段銭を求め、幕府にも要請し続けておるのやけど、右京兆は何と言うたと思う……『即位礼など無駄な事です。臣(政元)が国王と認めておるのだからそれでよいではありませぬか』と、放言しよったのや。右京兆は皇室の為に金を出すのが嫌なのや。落ちぶれ、力を失った朝廷の為に面倒な事はしたくないのや。要は強い者には弱く、弱い者には強いだけなのや」
 余りにも金のことばかり言うので、辰敬は耳を塞ぎたくなった。公典の言い分が一方的に過ぎるように聞こえたのだが、不意に公典の目からはらはらと涙がこぼれ落ちた。
「上がそれやから、下はみな倣う。禁裏領さえも押妨される。内裏の築地塀が崩れても段銭が集まらず、修理さえおぼつかぬ。右京兆は塀の修理さえせえへんのやで。そんなことやから、誰もが朝儀の負担から逃げ出す。結局、朝儀は略儀ですますことになる。禁裏においても、堂上人さえ勤めを怠る。禁裏の寂れようは目を覆うばかりや」
 公典は傍目も構わずおいおい泣き出した。
「せやけどなあ、主上は不平の一つも仰せにならぬ。じっと耐え、即位もされておらぬのに、帝の務めを果たそうとなされておる。皇室の伝統を守る事も出来ず、何事も簡略されることに不満も漏らされず、黙々と勤めておられる。何でやと思う。ひとえに民のことを思うてや。こんな乱世やからこそ、この世の安寧を願い、民の幸せを願っておられるのや。これほど民を思い、平和な世を願っておられる帝はあらへんで。即位こそ出来てへんけど、百四代で一番の帝や」
 嗚咽を呑み込むと、自分に言い聞かせるように声を絞り出した。
「せやからこそまろは書き留めるのや。この情けない有様をあるがままに後世に残すのや。こないなことが繰り返されてはあかんから。それが主上の願いであり、我ら公家の願いでもあるのや……。書いて残す。それがまろの務めや……」
 命を振り絞るような声であった。
「……書いとるとなあ、涙が出て来るんや……情けのうてなあ、哀しうてなあ……それでもまろは書くのや……泣きながら書き続けるのや……」
 膝の上で震える握り拳は、見えない筆を握っているかのように、辰敬には見えた。
 真新しい筆を届けることが出来ていたらどんなに良かった事か。
いちの気を惹こうと見え透いた贈り物をして来た自分がとても卑しく思えた。
 
 邸に戻った辰敬は反古集めを続けた。
 どんなにぼろぼろの反古でも、たとえ一枚でも、宝物であった。
ある日、しわくちゃの反古を丁寧に伸ばしていると、木阿弥が怪訝な顔で覗き込んだ。
「わぬし、紙梳きでも始めるのか。長屋の者たちも首を傾げておるで」
 辰敬は慌てた。
「あ、そのう、しばらく手習いを休んでおったので、そろそろ始めようかと思って……」
 咄嗟に出た嘘であった。
「何やて」
 木阿弥はまじまじと辰敬の顔を覗き込んだ。
「えらい」
 長屋中に響くような大声であった。
「わぬしもようやくその気になったか。吉童子丸様もなかなかお戻りにならぬゆえ、わぬしの身も定まらず、儂も気にかけておったのやけど。そうか、ええこっちゃ」
 目を細めて辰敬を見詰めた。
「わぬしも大人になったんやなあ。自ら手習い学問をしようと思い立ったんやから。えらい、えらい。大いに励むんやでえ」
「は、はい」
 辰敬は頬を赤らめて俯いた。
 それから暫くして、奥から下がって来た木阿弥が、
「土産や」
 と、辰敬にまっさらな紙の束を差し出した。
 三帖あった。
「こ、これは……」
 一瞬、驚きの余り声にならなかった。
 白い紙に早春の光りが散って、眩しさに目が眩んだ。
「御屋形様が下さったのや」
「御屋形様が」
 木阿弥が微笑んだ。
「たまたまお前の話題が出たのや。御屋形様がタコの子はいかがしておるかとお聞きになったので、儂はタコの子は一念発起し、手習い学問に励んでおりますと大いに褒めたのや」
 辰敬は困惑した。御屋形様が辰敬を忘れてはいなかったのは嬉しかったが話が大き過ぎる。いかに辰敬のためとは言え。案の定、
「御屋形様はそれはそれはお喜びになってな、タコは八本も手があるゆえ、紙も沢山いるであろうと仰せられ、出雲からの到来物であるその紙を下さったのや」
「出雲の……」
 木阿弥は深く頷き返した。
「未だに御屋形様の御恩を忘れておらぬ者がおってなあ、折々に贈って来るのや。有り難く頂戴し、励むのやで」
 辰敬は床に額が着くまで平伏した。結果的に御屋形様にまで嘘をついてしまったことに自責の念に駆られ、木阿弥とも目を合わさなくてすむように。
 
 だが、翌日、辰敬は上京へ走った。
息を切らしながら三帖の紙を差し出すと、公典は震える手で受け取った。
「夢やない……これは夢やないのやな……」

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雪の定点観測

このブログ、雪の定点観測レポートになってしまった。いちおう最後までレポートすることにした。
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雪は上がって晴れたが、雪かきが大変。門の前の駐車スペースが結構広くて、雪をかいて車を出すのに一仕事。念のために車にスコップと長靴を積んで出発。ところが横の道に出た途端20メートルも行かないうちに動けなくなる。Mちゃんと若い衆が雪かきしていて手伝ってくれる。若い衆、私の運転を見かねて、車を広い道まで運転してくれる。ここまでで1時間近くかかる。
Mちゃんが言うには、昨夜は9号線もバイパスも車が止まって大ごとだったらしい。
「こんな日に出るの止めたら」
「大丈夫、今日はスコップ積んでるから」
「よう出るわ」と、呆れられながら市内へ。
分かったことは、駐車場はどこも雪かきが間に合わなくて、入れる駐車場を探すのが大変なこと。モスバーガーのような比較的小さい駐車場は雪が寄せてあったので、モスに入る。ここもパソコンの電源がとれるので重宝している。
午後は夕食の買い物もあるのでイオンへ。
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朝の畑。
白菜も大根も玉ねぎも雪の下。





夕方、帰宅した時もまだこの通り。
横の道に、わが家のヒイラギの塀に積もっていた雪がどさっと落ちて車の通行の邪魔をしている。
その雪を片づけて、明朝、デイサービスの迎えが来るので、駐車スペースの雪かきもする。北陸の豪雪と比べたら、だらしないと叱られるが、慣れないから三日で音を上げる。明日は晴れマークだが、日月はまた雪が降るらしい。降ってももうレポートしないので、こんな調子と想像してください。

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