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法医学者の悩み事
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津波の怖さ

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ニュージーランドの地震で、日本人の方が亡くなったニュースのあと、まさか日本で地震・大津波が起きるとは、誰が予想しただろうか。

先日、岩手に派遣され、死体検案をしてきたが、津波の被害を目の当たりにし、時折涙が出るのをとめられなかった。特に、ご遺族の嗚咽が体育館内に鳴り響く時や、持ち物検査で伝わってくる家族への思いなどが感じられたとき、涙があふれてしまうのをこらえながらの作業だった。

私の曽祖父は岩手県の山田町の大沢というところで、津波に夫婦ともどものまれてしまい、生き残った祖父はその後、海なし県に居住したと聞く。子供のころからそのような話を聞いてはいて、また、スマトラ沖での津波はビデオなどが報道されて、津波は怖いなあと思っていたが、日本で本当に津波の被害など、今の世の中であるんだろうか、などと思っていたら、私が生きている間に現実に起きてしまった。

私が現地にいる間は、まだ遺体が発見され始めた初期の時期であり、発見される遺体がまだまだ少なく、検視・検案がなんとか追いついていたが、私が去る直前から、捜索範囲が広がったのか、非常に多くの遺体が発見されるようになってきた。検視・検案には1体あたり、10〜15分程度かけていたが、今後はこのスピードでは太刀打ちできないだろう。現在は、一つのご遺体につき、服を着せたままでの写真撮影、服を脱がし、泥を払った状態での写真撮影、検視・検案といった一連の作業過程を、長机を組み合わせて作った1台の検視台の上で行うため、これだけの時間がかかってしまう。台を増やして、各作業過程を流れ作業で実施していけば、若干速度が速まるのではないかと思われた。

昨年、警察庁に検視指導室ができたが、今までなかったのが不思議だ。今は、ここが中心になって、検視の指揮をしており、法医学などとの連携もうまくいっているが、なかったらどうなっていたのだろうか。今後、この検視指導室が発展し、事前の訓練なども行うようになっていければ、初動ももっとスムースだろうと思う。

死因の判定は、解剖をしていないので、断定などできなかった。初期の間は、口から泡を吹いているものもあり、こうしたものは、ほぼ溺死と断定してもいいのだが、そうした遺体は1割程度。あとは、鼻や口に泥混じりの液体や泡沫があるかないかで、大まかに判断するしかなかった。結果的には、損傷の多さ、程度などを加味した上で、9割程度以上を、溺死と判断するしかなかったが、法医学をやっているものとしては、正確な死因でないことに、若干の不安を覚えた。とはいえ、このようなケースでは、津波や地震で亡くなったことがわかればいいと、自分に言い聞かせながらの作業ではあった。

避難所に逃げ込んで亡くなった方も多かった。想定外の津波だったことが伝わってくる。こうしたご遺体は、傷が比較的少なく、また持ち物なども残っていて、比較的身元が判定しやすいと思われた。

屋外で発見の遺体には、ほとんどすべてに傷があるといってよかった。多くは、服をつけていない顔に傷を負っていた。手足の骨折、頭部や肋骨などの骨折のある遺体もあったが、生前にできたのか、死後にできたのかは、解剖しない限り断定はできない。見た目で、骨折部の周囲に皮下出血がありそうか、なさそうか、で大まかに判断するしかなかった。また遺体によっては、高所転落あるいは自動車による轢過損傷に近いような、重度の骨折を追っている者もあり、津波のエネルギーの激しさも伝わってきた。

屋外で見つかった方の半分くらいだろうか、衣服が取れてしまっていたものが結構あった。靴下や下着の一部だけ身に着けている状態のものもある。津波の激しい水流で流されてしまったのだろうと思われた。

衣服を着ている遺体も多いが、そのような者の大半は、5から7枚程度の上着を厚着しているように見えた。多くの方が、津波が来るときいて、避難を始めた最中に巻き込まれたそうだが、みな被災地で寒い思いをしないために、厚着して出たのかもしれない。だとすれば、その時間がなんとも、惜しい気がする。もし、暖かい避難所が過去に多く用意されていれば、もっと身軽な格好で逃げられたのでは?との意見を述べる者もいた。

警察の検視での持ち物検査にも立ち会わさせていただいたが、なんとも心が苦しい。ただ、見てはいけないものを見ているのではないかという思いがある一方で、亡くなった方の思いというのが伝わりもし、それを誰に知らせもせずに終わらせていいのだろうかとの思いも交錯してしまう。

リュックサックを身に着けたまま亡くなっている方もいた。その中には、アルバムの一部と、未開封のチョコレートなどが入っていた。チョコは、避難場所で飢えをしのぐためにいれたのだろうか。アルバムは、家が津波でなくなっても、残したいものだったのだろうか。家をなくしても、家族との思い出の品だけはもって出たいという気持ちの表れのように思えた。

孫の写真、子供や夫と写った写真、子供の結婚式の写真などを、財布などにしたためている方も時々いた。もしご家族が生きていれば、こんなにも愛されていたことを伝えたくもなるが、津波災害の場合、そのご家族も亡くなっているケースが多いようで、なんともいえない気分になってしまう。

若い方の遺体はそれだけで痛々しい。避難用のヘルメットを持っている小学生、部活帰りあるいは途中で避難所に駆け込んだと思われる高校生、、、、みな、避難がうまくいき、生きていれば、楽しい明日があったというのに。

地元を急いで離れてしまったことから、地元で事件があった場合、無防備になってしまうので、5日目に戻ってきたが、まだまだ残された仕事も多く、もっといなければならないと後ろ髪を引かれる思いだった。

帰りの道中は、かなりの寒さだった。警察車両での往復だったが、帰り道はスリップしてしまい、遭難し、凍死するんではないかと心配したが、なんとか戻ってこれた。現地の方がこの寒さに耐えられるのか、心配になってしまった。

今回の場合、阪神大震災と違って、交通のアクセスが、かなり難しいこともひとつの課題といえるだろう。単独行動のボランティアだと、現地でガソリン不足などで立ち往生し、かえって迷惑をかける場合もあるなと思った。

今後、身元不明なご遺体の捜索と検査は数ヶ月続くだろうといわれている。今後は継続的に支援できる体制を整え、再度支援に向かおうと思う。

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