若葉マークの都市建築研究所

おもに近代建築の探訪記や城郭建築のことを勝手気ままに書いてます.

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イメージ 1
 
今回は、天守について一通りまとめておくことにする。やはり、天守は一番注目されるところだからね。


天守台の規模イメージ 4
高さ:11m 〜堀の底から
東西:21m
南北:17m
 
 
天守の規模
石垣上の高さ:18m 〜礎石から棟まで56.3尺
天守台と合わせた高さ:約29m
 
 
天守の形式
四層(四重)四階
複合式層塔型天守
白亜総塗籠め本瓦葺


特徴
尼崎城の天守の特徴は何と言っても四層(四重)であることだ。
天守は通常、三層か五層であるのが一般的だ。“四”が忌み数であるためだ。
 
イメージ 5
 
尼崎城天守の四層の理由のひとつとして、櫓が外側から内側にかけて一層ずつ高くなって
いるためではないかと言われている。つまり、外側の櫓が単層で、二の丸で二層、本丸が三層と
言った具合で、最後の天守が四層とある。
だが、個人的には、これが主な理由とは感じない。このことは後に改めて記事にしたいと思う。


意匠
さて天守の意匠は、破風が中央に寄せて、それぞれを重ねるように配されている。
上から唐破風、切妻破風、また唐破風となっている。
イメージ 6
 
しかも、四方の破風とも凡そ同じ構成となっている。かなり装飾的な天守と言える。
現存する天守では、弘前城の天守(堀側の面)に似ていなくもない。
 
その装飾的な上層にくらべ、初層は単純。つまり、城外から目に付く部分には、
破風をつけ、そうでない部分には、必要なかったのかもしれない。合理的だ。
 
遠方からの見栄えが重要視されたのではないかと思われる。
尼崎城は海に面した水城なので、大阪湾を往来する船からの視野を特に意識したのかもしれない。
 
イメージ 7


初層の構造
 
初層は上層に比べ構造的にも異なっている。イメージ 8
その一つに低減率の違いがある。
初層と二層の低減率の大きさが大きく、
 
それに比べ、二層から最上層にかけての
低減率は小さくなっている。このため全体的に
どっしりした感じの天守となっている。
 

提言率の違いのワケは、初層が廻縁を囲ったような
構造であるためだ。身舎の柱を上へ継続する柱で
二階を支えている。それ対して、上層の壁面の柱は、
下部階の柱と柱を渡す梁の上に設けられている。
(文字だけではちと説明が難しいね・・・読み飛ばして)
 
 
それと初層には、堀に面した北と東面の2ヵ所だけ
石落しが設けられていた。
通常、石落しは角に作られるものだが、
中央近くにのみ配されているのも珍しい。
 
 
 


附櫓
 
天守に付属して、南側と西側の二方向に二重の渡櫓が連結している。
古絵図には、多聞櫓とも書かれている。
また西側の渡櫓を小天守とも表記されてる古絵図もある。
ちょっと小天守とは言うには、あまりに付属的な多聞櫓。
 
イメージ 2

さて、尼崎城の天守は、消滅したにもかかわらず、正格な絵図面や、
数値の記された絵図が残されており、正格に把握することができる。
 
名城であっても記録が少ない天守が多い中で、これは大変、貴重だ。
無くなった城のせめてもの救いだと言える。
と言うことで、次回はその古絵図する予定。
 
イメージ 3

閉じる コメント(12)

今の尼崎には想像ができないような、城下町ですね。
出城のような雰囲気をしている天守がイイですね。
尼崎城は、中国大返しの時に秀吉が立ち寄り、摂津の光秀
方の様子をうかがった場所でもありますよね。

2010/10/26(火) 午後 10:58 城モデラー 返信する

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城モデラーさんコメ感謝です。
この天守は、小田原と江戸城のキットを組み合わせると
簡単に出来そうな感じがしますね。
たしかに多くの武将が通過したと思われますが、
この城は完全消滅してしまいました。

2010/10/27(水) 午前 2:10 [ チョロチョロ隼人 ] 返信する

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お城の本にも無いくらい 詳しい解説ですね^^

自分の地元にも お城 あったんですが
関ヶ原の西軍に付いて 廃城です(T^T)
天守閣がなくても 街に堀と石垣 あると 雰囲気いいですよね〜

2010/11/2(火) 午前 9:39 [ ロック ] 返信する

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ロックフィールドZさん、コメ感謝です。
励ましありがとうございます。

城跡に、なんらかしら遺構が残っているといいですね。
保存意識が低いところでは、今、尚、遺構が潰されていく場合も
ありますので、おちおちしてられないと言った感じです。
例えば、和歌山城で城下町風情が良く残っていた地域が、
この20年で殆ど消滅した街区もあります。

2010/11/2(火) 午後 11:39 [ チョロチョロ隼人 ] 返信する

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関西オフ会 城談議で 盛り上がりそうですね^^

2010/11/4(木) 午前 9:28 [ ロック ] 返信する

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ありがとうございます。さて、今夜10時、BS朝日で、
日本の城ミステリー紀行があるので、よければごらんください。
今夜は、藤堂高虎だそうです。

2010/11/5(金) 午後 2:48 [ チョロチョロ隼人 ] 返信する

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大阪本町のコルセンで働いている“あら煮”好きのおやじです。尼崎にお城があったとは知りませんでした。これから時々のぞかせていただきます。よろしく!

2012/7/8(日) 午前 10:46 [ fujimasa ] 返信する

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始めましてfujimasaさん、ようこそです。
チョロチョロと街歩きをしつつ、レトロなものを見つけては、
記事に仕立てています。 ためにならない雑学記事ばかりですが、
よければご覧くださいね。

2012/7/8(日) 午後 11:56 [ チョロチョロ隼人 ] 返信する

こんばんわ
はじめまして
尼崎城を検索してましたら ここに来ました。

尼崎城の事詳しく書かれているのでとても嬉しいです。
私は、尼崎城の跡地にあった小学校・中学校に通っていました。

以前の学校名は、城内小学校、城内中学校と言う名前でしたが学校名変わっていたんですね。

尼崎城の天守閣の模型は、以前小学校の中庭にありました。

プログに載せてる尼崎城の復元絵図を書かれた方は、荻原一青画伯と申しまして尼崎出身の方で全国の城郭絵図を描き
この画伯の残した絵図は、貴重な物になっています。出版社がお城特集する場合などは、画伯の残した絵図がよく載せていますよ。

2012/10/6(土) 午前 0:00 [ タツロウ ] 返信する

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ようこそ。タツロウさん、はじめまして。
生粋の尼っ子さんなんですね。この城、立派な城郭だったにも関らず何も残っなく、知名度も低いので、往時の姿を分かりやすく紹介しようと思い連載した記事なんです。(1)から(6)まで見ていただけました?
セメントの模型は今も小学校の校庭にありましたよ。それと絵は、おっしゃるとおり、あの荻原一青画伯です。なんとこの尼の方だったのですね。
いずれ、(7)以降の記事を追加していきたく思っています。

2012/10/6(土) 午前 1:28 [ チョロチョロ隼人 ] 返信する

こんばんわ
尼崎城の記事全部読みました。
読み応えがありヨカッタです。

五万石前後の城主のお城としては格式以上の城郭ですよね。

確かに本丸部分は、四層の天守閣があり四隅には三層の櫓が三基ありその回りは多聞櫓で囲まれている城郭ですしね。

2012/10/12(金) 午前 0:34 [ タツロウ ] 返信する

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タツロウさん、ありがとうございます。
途中で終ってしまっている内容で本当にお恥ずかしい限りです。

仰るとおり、もしこのまま残っていれば、かなり立派な城郭だったと思います。
でも全く遺構が残って無いので、本当にあったのか、今でも信じられないぐらいです。

まだ見たことの無い非公開の模型とかあるのですが、歴史博物館の無い尼崎城では難しい面もあります。収蔵庫には立派な城下の再現模型があり、記事でも使用しております。お好きであれば、是非、見学を勧めします。

2012/10/12(金) 午前 1:21 [ チョロチョロ隼人 ] 返信する

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