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阪急三宮駅〜実は“こうべ駅”だった
阪急電鉄ワールド
[ 障害報告@webry ]
2012/12/15(土) 午前 3:50
ここは酷い阪急神戸三宮駅ですね
観光客にもわかりやすく…阪急が駅名変更検討 : ニュース : 関西発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20121214-OYO1T00633.htm?from=main4 朝日新聞デジタル:「三宮駅」は神戸なの? 阪急、駅名変更を検討 - 社会 http://www.asahi.com/national/update/1213/OSK201212130078.html 阪急、三宮駅の名称改称へ 「神戸...
消滅した名城〜尼崎城〜(6)天守詳細
建築としての城
[ funny 一時 serious のち interesting ]
2012/9/9(日) 午前 11:20
城と琥珀色にまみれる初夏の旅 〜 その14 尼崎城・富松城・有岡城
さて・・・ようやく7月の話が最終話に。 こんな長くなるとは・・・ ■尼崎城 わた
フェルメールからのラブレター展
京都ネタ
[ 近代建築青空ミュージアム ]
2011/7/21(木) 午前 2:04
フェルメールからのラブレター展と京都市美術館
誘われて「フェルメールからのラブレター展」という展覧会を見ました。 当時の人々がとっていたさまざまなコミュニケーションのかたちを、特に手紙を中心として、17世紀オランダ絵画から読み解くというテーマの展示です。 京都市美術館(設計:前田健二郎) http://blogs.yahoo.co.jp/kay31527/35553719.html 最も注目を集めているのは修復を終え世界初公開されるフェルメールの「手紙を読む青衣の女」(アムステルダム国立美術館蔵)です。 この絵をは
京都府庁舎建築速報
京都ネタ
[ 近代建築青空ミュージアム ]
2011/7/4(月) 午前 0:57
久留正道
久留 正道(くる・まさみち) 安政2年3月2日(1855年4月18日)〜1914年(大正3)4月17日 明治期の文部省営繕の技術者。山口半六とともに多くの文部省建築を担当、山口が辞した後2代目指導者となる。 明治中期の第一から第五までの高等中学校を手掛ける。 明治後期の学校建築の基本型として利用された『学校建築図説明及設計大要』を著したのも久留と考えられている。 京都府庁 経歴 1855年 江戸に生まれる 1881年(明治14)工部大学校造家学科卒
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城を科学する
[ ai ]
2011/2/27(日) 午後 3:50
沢尻エリカ お○ぱい見せすぎ!!
沢尻エリカが、渡米先のニューヨークで、その時のドレスが、胸元開きすぎ。というかお○ぱい見えすぎ。
伊東忠太の宮殿のような改札口
阪急電鉄ワールド
[ 近代建築青空ミュージアム ]
2011/2/21(月) 午前 8:52
建築今昔物語(8) 梅田阪急ビル
2005年に着工され、日建設計と大林組のみなさんでいまも建設がつづく梅田阪急ビルです。 あまりに背が高くて、梅田換気塔のあたりからは全景を撮ることができないほどです。 Wikipediaの写真で全体を見ました。低層に阪急百貨店が入り、高層はオフィスのようです。 このビルは阪急電車の梅田駅から来ると、エスカレーター・階段を降り、動く歩道を通って少し歩いたところにあります。 私の高校時代までの「おでかけ」といえばこのうめだ阪急でした。 淀川を越え、何本も
伊東忠太の宮殿のような改札口
阪急電鉄ワールド
[ 近代建築青空ミュージアム ]
2011/2/21(月) 午前 8:51
伊東 忠太
「当時のことですから建築科といってもまだほとんどたいした実験室もない。いまから考えたら、卒業生は自分で勉強したようなものです。もっとも先生がたはえらかったですよ。佐藤功一、岡田信一郎、伊藤忠太、内藤多仲、今和次郎、こういった先生です。」 (村野藤吾) (*) 伊東 忠太(いとう ちゅうた) 慶応3年10月26日(1867年11月21日)- 昭和29年(1954年)4月7日) 年譜 1867年(慶応3年) 医師伊東祐順の二男として山形・米沢に生まれる。 号は紅...
隠された天守の全容を捉える!〜備中松山城
城を科学する
[ 城モの部屋へようこそ! ]
2011/1/7(金) 午後 5:33
備中松山城築城普請その2
■作り始めてからアレなんですが、以前にも書いたように、備中松山城の側面の写真が少なくて、あちこち探していました。 正面の格子窓と唐破風が写っている写真は多いので、そこから推測したりしていましたが。 「見えないところは想像で作るかしか!?でも、絵図や古写真でしか残っていない天守ならともかく、きちんと現存している天守だし、想像で作っちゃうのはマズイかな〜」などと、考えていると・・・ ■ブログ友達であるチョロチョロ隼人さんが、素敵な画像を発見して下さいました♪ 実は、備中松山城
渡辺節のデビュー作〜釜山税関庁舎
ユニーク建築探訪
[ 近代建築青空ミュージアム ]
2010/5/13(木) 午前 1:28
韓国の渡辺節さん
[[attached(1,left)]]「日本植民地建築論」(西澤泰彦著・名古屋大学出版会)という本を読みました。 渡辺節さんが大阪で活躍するようになる前、韓国に行ったことに興味があって、いろいろ文献を読んだりしていましたが、そのことがすこし詳しくわかる本でした! 今までの文献では、日本で就職できなかった建築家たちが海外へ行くことになった…とされていたのですが、 この本では、人材を必要とした韓国統監府が、当時の日本で唯一の建築学に関する高等教育機関であった東大建築学科の卒業生を




