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			<title>町工場の専務兼用務員の日記</title>
			<description>下町から見える世相を綴っていきます</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/momonosuke333</link>
			<language>ja</language>
			<copyright>Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.</copyright>
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			<title>町工場の専務兼用務員の日記</title>
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			<title>[転載]「正義論」からの帰結☆鳩山弟、そこまで言うなら自民党を離党せよ！</title>
			<description>&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;a href=&quot;http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/e0/0b/kabu2kaiba/folder/73722/img_73722_58457918_0?20090724130802&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/e0/0b/kabu2kaiba/folder/73722/img_73722_58457918_0?20090724130802&quot; alt=&quot;https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/e0/0b/kabu2kaiba/folder/73722/img_73722_58457918_0?20090724130802&quot; border=&quot;0&quot;&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;麻生総理の好意を奇貨として、日教組出身の民主党議員やプロ市民並みの下品で独善的な言辞を撒き散らし、「自民党＝組織の呈をなしていない政党」との印象を広め、以って、自民党の支持率低下に＜寄与＞した鳩山（弟）氏がその＜勘違い振り＞を加速しているようです。以下、産経スポーツ配信記事。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;h3&gt;&lt;a name=&#039;section-1&#039;&gt;&lt;/a&gt;鳩山氏が断罪　麻生首相も兄も「正義」がない&lt;/h3&gt;
&lt;pre class=&#039;wiki&#039;&gt;鳩山邦夫前総務相（60）が22日、都内で行われた米映画「正義の行方」（9月公開）の試写会に出席。終了後に、「正義、不正義の判断を間違えた麻生首相には日本の将来は託せない」と、日本郵政の社長人事をめぐる問題を持ち出して麻生太郎首相（68）を断罪した。

返す刀で実兄で民主党の鳩山由紀夫代表（62）についても「正義がない。（“故人献金”問題は）史上最大の不義記載。兄弟でもウソで固めた人には（政権は）託せない」と大批判した。

さらに「独自の政権公約を作る」「外国人への（国政）参政権付与は反対」などと終始“絶口調”だった。
（2009/07/23：以上、引用終了）
　　　　&lt;/pre&gt;
 
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;ほとんど「何様？」ものの発言ですが、ここまで組織原則が理解できずチームプレースキルの欠如した人物を目にするとき、私は、逆に、少し浮世離れした質問をしたくなります。蓋し、「正義とはなんですか？」、と。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;人口に膾炙していることではありますが、（この世に絶対の正義がアプリオリに存在していて、かつ、人間がそれを認識できるという、そうマルクス主義や憲法9条教の如き、プラトーンの形而上学的な正義論と隔絶した地平で）経験主義的で哲学的な正義論を創始したアリストテーレースによれば、「正義」とは「各人に各人のものを配分すること」。そして、「何が各人のものであるか」を定める原理には、（1）平等に、つまり、頭割りで配分することと、（2)各人の能力や価値、各人が達成した成果に従いその度合に応じて配分することの二つがある。畢竟、前者を平均的正義、後者を配分的正義と呼びます。而して、正義をこのように、平均的正義と配分的正義の組み合わせと理解することに関しては（正義の具体的内容ではなく、形式的・原理的に正義を考える場合には）現在もそう異論はないと思います。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;けれども、では「これが誰のものであるか」「平均的正義の原理と配分的正義の原理のいずれをどのような場合に用いるべきなのか」を決定する基準は何なのか。また、誰がこれら「配分の具体的内容」「正義原理の選択」を決めるのか。これらの問いの答はアリストテーレースの正義論の枠組みから導き出すことはできず、正義論外の something を持ち出さない限り解答することはできない。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;蓋し、アリストテーレースの生きた古代や中世、あるいは、大東亜戦争後の日本、冷戦構造下の安定した秩序を前提にして「欧米に追いつけ追い越せ」のスローガンに誰も疑いを懐かなかった古き良き時代には、これら「配分の内容」「正義原則の選択」「決定権者の決定」を巡っても共通の認識が社会に広く行き渡っていたのかもしれない。しかし、時代は変わった。そう私は考えています。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;embed allowscriptaccess=&quot;never&quot;  src=&quot;https://www.youtube.com/v/7g2kdcM-mwo&amp;hl=ja&amp;fs=1&amp;&quot; width=&quot;425&quot; height=&quot;344&quot; wmode=&quot;transparent&quot;&gt;&lt;/embed&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;バブル崩壊後の失われた90年代に所謂「40年体制」や「55年体制」を体現していた「旧田中－竹下派」や旧社会党の神通力が消失し、また、2008年9月の政界金融危機に象徴されるグローバル化の昂進の中で所謂「新自由主義」の権威にも一定程度の後退が見られる現在、すなわち、社会的な正義を一義的に定めていたこれまた社会的に共通の＜常識＞が不在の現在、蓋し、プラトーンでもあるまいに、「正義」をアプリオリに認識可能な something でもあるかの如く語る鳩山（弟）氏は正義を騙っているものでしかない。と、そう言えると思います。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;ならば、現在、この思想乏しき時代の＜正義＞は、よって、遂行論的で真摯な討議と運動の中でその姿を結果論的に現すものでしかないのかもしれません。而して、「正義は我にあり」と自負するほどの正義感と慷慨の士こそ、自身の懐く正義の内容が価値相対主義的なものでしかないことを謙虚に自覚しつつ、私の正義を我々の正義にすべく戦わなければならない。一人でも多くの同志を募り支持者を集め、その相対的な価値をこの社会の価値とオフィシャルに看做されるように汗をかくべきなのだと思います。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;保守改革派、ファイト！&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;立憲主義下の民主主義社会における政治とは、蓋し、そのようなものである。而して、そこにおける政党とはこのような営みのための＜公器＞ではないのか。もし、私のこの政党に関する理解が満更我田引水的なものでないとするならば、上に新聞報道を引用した鳩山（弟）氏の行動は政党組織人の理念を逸脱した私的なものと言う他はない。畢竟、鳩山（弟）氏は、自民党という、自己の信じる価値相対主義的な正義を組織的な政治活動を通してこの社会の公式の＜正義＞とするべく汗をかいている政党を嘲笑している。そうとしか私には思えないのです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;而して、自由民主党党則93条1項はこう定めています。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;pre class=&#039;wiki&#039;&gt;党員が次の各号のいずれかに該当する行為をしたときは、党規律規約の定めるところにより、処分を受けるものとする。
一　党の規律をみだす行為
二　党員たる品位をけがす行為
三　党議にそむく行為 
　　　　&lt;/pre&gt;
 
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;そして、この党則93条を受けた自由民主党規律規約はその9条1項で「党員が次の各号のいずれかの行為をしたときは、処分を行う」として、次のような行為類型を定めています。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;pre class=&#039;wiki&#039;&gt;（イ）公の場所又は公に発表した文書で、党の方針又は政策を公然と非難する行為
（ロ）各級選挙に際し、反対党の候補者を応援し、又は党公認候補者若しくは推薦候補者を不利におとしいれる行為 
（ハ）党内において国会議員を主たる構成員とし、党の団結を阻害するような政治結社をつくる行為 
（ニ）その他党紀委員会において党規律をみだすものと認めた行為 
　　　　&lt;/pre&gt;
 
&lt;div class=&#039;indent&#039;&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;
また、これらの「法的要件」に対応する「法的効果」として同規約同条2項には、「党紀委員会が行う処分の種類は、次のとおりとする」として、党則の遵守の勧告、戒告、党の役職停止、国会及び政府の役職の辞任勧告、選挙における非公認、党員資格の停止、離党の勧告、除名の8個が明記されています（尚、「法的要件」と「法的効果」とは、例えば、「人を殺した者は→死刑・無期若しくは3年以上の懲役に処す」というように、こういう事態が惹起しと認定された場合には（法的要件）、このような処置が行なわれます（法的効果）という、法的思考の前提と帰結のことです）。 &lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;再度述べますが、蓋し、鳩山（弟）氏は自民党という政党を、否、＜政党＞一般を無視し嘲笑している。ならば、氏は自民党を一刻も早く離党すべきではないのか、否、政党に属するべきではないのではないか。また、自民党執行部は、党則93条と党規律規約9条を根拠に可及的速やかに鳩山（弟）氏を除名処分すべきである。と、冒頭に引用したこの報道に接して私はそう思いました。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;畢竟、保身と私的な「正義」のために、&lt;br /&gt;
麻生総理に後ろから弓を引いたこやつら、&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;h2&gt;&lt;a name=&#039;section-2&#039;&gt;&lt;/a&gt;鳩山弟、山拓2世・清水鴻一郎・山内康一&lt;/h2&gt;
&lt;h2&gt;&lt;a name=&#039;section-3&#039;&gt;&lt;/a&gt;中川鬼瓦・武部パンダ・加藤紘一・古賀誠の4元幹事長&lt;/h2&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;こやつらは絶対に落選させなければならない。それは、こやつらが「自民党を組織の呈をなさない状態」にしたからであり、こやつらを落選させずには、自身の掲げる「正義」をこの社会の公式な＜正義＞とすべく組織的に汗をかき努力する＜政党＞としての矜持を自民党は取り戻せないだろうからです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;蓋し、この総選挙は、自民党内の「旧田中－竹下派」的分子を民主党に引き取らせ、而して、次のような＜正義＝政策＞に小異を捨てて大同につける人士、すなわち、&lt;br /&gt;
&lt;h3&gt;&lt;a name=&#039;section-4&#039;&gt;&lt;/a&gt;｜亙得犬塙渋げ廚瞭瓜存&lt;/h3&gt;
&lt;h3&gt;&lt;a name=&#039;section-5&#039;&gt;&lt;/a&gt;◆塀乎津自衛権の政府解釈・非核三原則・武器輸出禁止原則の変更、核武装、敵基地先制攻撃能力の整備、軍事法廷とスパイ防止法の制定を含む）日米同盟の強化と自主防衛能力増強の同時実現&lt;/h3&gt;
&lt;h3&gt;&lt;a name=&#039;section-6&#039;&gt;&lt;/a&gt;（宮澤談話・河野談話・村山談話にはなんら日本の外交政策を拘束する規範内容は含まれていないとの前提を明示した上で）特定アジアとは「政凍経冷」の関係に移行、他方、台湾・東南アジア・南アジア・中央アジア・西アジア、そして、ロシアとの関係強化による親米的な自主外交路線の創出&lt;/h3&gt;
&lt;h3&gt;&lt;a name=&#039;section-7&#039;&gt;&lt;/a&gt;ぁ米義函α感機自治労の粉砕を嚆矢に）自己責任の原則の貫徹と労働法制の強化、セーフティーネット整備の三正面・厚生経済政策の敢行&lt;/h3&gt;
&lt;h3&gt;&lt;a name=&#039;section-8&#039;&gt;&lt;/a&gt;テ椶琉汰瓦氾租鯤歇蕕垢襪燭瓩痢峺醜垠’儡新憲法制定」もしくは憲法改正&lt;/h3&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;これらの＜正義＝指針＞に同意できる、有意・有為の保守改革派がまとまる好機である。そして、その新生自民党が（2回の予算編成など到底不可能な民主党を含め）広く政界から同志を募ることで、政界再々編のエンジンであり頭脳になることを私は毫も疑いません。ならば、&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;б(≧◇≦)ノ ・・・責任政党、否、組織としての矜持を取り戻せ自民党 &lt;br /&gt;
б(≧◇≦)ノ ・・・全国の保守改革派よ団結せよ！ &lt;br /&gt;
б(≧◇≦)ノ ・・・麻生総理断乎支持！　頑張りましょう。&lt;br /&gt;
б(≧◇≦)ノ ・・・ファイト！　　　　&lt;/div&gt;
 
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;embed allowscriptaccess=&quot;never&quot;  src=&quot;https://www.youtube.com/v/M2KN8y0LVyQ&amp;hl=ja&amp;fs=1&amp;&quot; width=&quot;425&quot; height=&quot;344&quot; wmode=&quot;transparent&quot;&gt;&lt;/embed&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;h2&gt;&lt;a name=&#039;section-9&#039;&gt;&lt;/a&gt;参考記事&lt;/h2&gt;
・麻生太郎『とてつもない日本』に迸る保守主義の政治哲学（下が完全版）&lt;br /&gt;
　&lt;a href=&quot;http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/57141737.html&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/57141737.html&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
　&lt;a href=&quot;http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/08af31555a2f386edcd85261925262d3&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/08af31555a2f386edcd85261925262d3&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;・これこそ保守改革派の神髄☆麻生太郎首相の所信表明演説 &lt;br /&gt;
　&lt;a href=&quot;http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/55225639.html&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/55225639.html&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;・麻生総理の素晴らしさ！　「危機をチャンスに変えろ」＜前編・後編＞&lt;br /&gt;
　&lt;a href=&quot;http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/57675282.html&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/57675282.html&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
　&lt;a href=&quot;http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/57798679.html&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/57798679.html&lt;/a&gt; &lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;・б(≧◇≦)ノ ・・・問責可決後の審議拒否は無責任だぁー！ &lt;br /&gt;
　&lt;a href=&quot;http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/58410671.html&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/58410671.html&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;・日本国民に見せたい☆細田「麻生内閣不信任案反対」演説 &lt;br /&gt;
　&lt;a href=&quot;http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/58436008.html&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/58436008.html&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;・保守主義とは何か（1）～（6）&lt;br /&gt;
　&lt;a href=&quot;http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/56937831.html&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/56937831.html&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;・読まずにすませたい保守派のための＜マルクス＞要点便覧（1）～（8）&lt;br /&gt;
　&lt;a href=&quot;http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/57528728.html&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/57528728.html&lt;/a&gt; &lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;h3&gt;&lt;a name=&#039;section-10&#039;&gt;&lt;/a&gt;【転載歓迎】&lt;/h3&gt;
&lt;/div&gt;&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;https://rdsig.yahoo.co.jp/rss/l/blog/myblog/rss2/scrap_item/RV=1/RU=aHR0cHM6Ly9ibG9ncy55YWhvby5jby5qcC9rYWJ1MmthaWJhLzU4NDU3OTE4Lmh0bWw-&quot;&gt;転載元: 松尾光太郎 de 海馬之玄関ＢＬＯＧ&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/momonosuke333/41445353.html</link>
			<pubDate>Fri, 24 Jul 2009 13:15:31 +0900</pubDate>
			<category>その他政界と政治活動</category>
		</item>
		<item>
			<title>[転載]書評☆星川淳『日本人はなぜ世界で一番クジラを殺すのか』（4・完）</title>
			<description>&lt;center&gt;&lt;img src=&#039;https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/e0/0b/kabu2kaiba/folder/1495550/img_1495550_51077310_0?20071218141554&#039; border=&quot;1&quot;&gt;&lt;/center&gt;&lt;br&gt;&lt;font size=&quot;3&quot;&gt;&lt;br /&gt;
&lt;b&gt;[6] 商業捕鯨再開は不可能か？&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
著者は日本による商業捕鯨再開は不可能と述べる。&lt;font color=&quot;green&quot;&gt;「結局、水産庁捕鯨班が音頭をとる商業捕鯨再開は建前にすぎず、けっして本気ではない」「もし、心の底から商業捕鯨が再開できると信じているとしたら、それは狂信に近い」&lt;/font&gt;（p.192）、と。こう著者が断定される根拠は、しかし、そう明確なものではありません。私の理解した限りそれは次の4点でしょうか。&lt;br /&gt;
&lt;font color=&quot;navy&quot;&gt;&lt;br /&gt;
（a）持続可能な捕鯨によって捕れる鯨の量の少なさ（p.193）&lt;br /&gt;
（b）燃料費等のコストから見て日本の捕鯨は競争力に劣ること（ibid.）&lt;br /&gt;
（c）鯨肉市場規模の小ささ（第6章）&lt;br /&gt;
（d）企業イメージ低下から商業捕鯨に参入する企業は限られること（p.193）&lt;br /&gt;
&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
確かに、商業捕鯨最末期の1987年に1捕鯨船団による捕鯨ミッションの損益分岐点がミンククジラ2,000頭であったこと。また、現在の所、改訂管理方式（RMP）の算定から年間に捕獲可能な鯨が同じくミンククジラ2,000頭であり（p.193）、そして、商業捕鯨解禁になった暁には（密漁を除けば）世界中の捕鯨国がこの2,000頭の枠を分け合うことにならざるをえない。こう考えれば、少なくとも、1社の独占が保証されるのなければ捕鯨はビジネス的になりたたないように思えます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、商業捕鯨が解禁されたとして、もし、オーストラリアやニュージーランドといった地理的に南氷洋に近い国々が商業捕鯨に参画した場合、燃料費と人件費を考えただけでも我が日の丸捕鯨船団はコスト的にかなり苦しい競争を強いられることも火を見るより明らか。加えて、現在、年間1,400頭足らずの調査捕鯨が持ち帰る鯨肉でさえ売れ残っている。而して、日本による商業捕鯨再開は不可能と著者が考えられるのは満更根拠がないわけではないのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
けれども、この「商業捕鯨不可能論」には反捕鯨論からする特異な条件が前提として組み込まれてはいないか。私にはそう思えてなりません。捕鯨がインダストリーとして再構築されるためには、一般のビジネスと同様、（イ）商品の安定供給、（ロ）当該産業を養うに足りる市場の存在と規模、（ハ）商品を供給するプレーヤーの存在が不可欠でしょう。而して、著者のネガティブな予想とは異なり、これら（イ）～（ハ）の三者は商業捕鯨において十分に成立する余地がある。蓋し、商業捕鯨再生の鍵は＜コスト＞であり、畢竟、古典的な需要と供給の関係、あるいは、ミクロ経済学的な市場分析を著者は故意か過失か見落とされているように思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;b&gt;（イ）商品の安定供給&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
今後、鯨が増えることによって持続可能な捕鯨が可能な鯨の捕獲総数が増えることは否定されないでしょう。また、適正な年間捕獲量が今後もミンククジラ2,000頭で変わらず、実際に捕鯨に従事するのは1捕鯨船団が適正規模の状態が続くとしても、その船団を多国籍の複数企業がコンソーシアムを作り運営するスキームなど容易に作ることができる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ならば、商業捕鯨再開のポイントはその捕鯨によりいかほどの収益が見込めるかに収束するはず。つまり、著者が掲げられる（a）持続可能な捕鯨によって捕れる鯨の量の少なさと、（b）燃料費等のコストから見て日本の捕鯨は競争力に劣るという指摘は見せかけのネガティブファクターにすぎないことになります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;b&gt;（ロ）市場の存在と規模&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
確かに、現在、調査捕鯨の副産物である鯨肉は売れ残っている。著者は&lt;font color=&quot;green&quot;&gt;「世論調査を見比べてみると、「捕鯨賛成」と明確に答える人が50％前後はいる。（中略）しかし、それならなぜ鯨肉は余るのだろう」&lt;/font&gt;（p.185）と自問自答されているけれど、これこそ需要と供給の関係が解決する問題であり、かつ、多様な価格の鯨肉がいつでも容易に買える環境になれば状況は一変すると考えます。簡単に言えば、現在、西太平洋・南氷洋を併せて最大1,400頭の鯨しか捕れないものが、沿岸捕鯨も併せて3,000頭の規模に増え、かつ、価格も安くなるのであれば需要が喚起されることは十分ありうるのではないでしょうか。而して、その適正な価格の値は最終的にはマーケットが決めることなのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
いずれにせよ、著者が掲げられる（c）鯨肉市場規模の小ささは、1987年から続くモラトリアム体制下の高価格と不安定供給、ならびに、鯨を食べたことのない若い世代の増加という条件下の現状であり、その条件は商業捕鯨再開事態によって一変する性質のものだと私は考えます。もちろん、「供給が需要を作る」という所謂セイの法則は一般的には成り立たない。しかし、現在の鯨肉マーケット自体が統制経済的な歪さを抱えていること、人口の過半を大きく越える日本人が鯨肉に対してポジティブイメージを持つことを鑑みるならば、鯨肉に関しては「適正な価格をともなった安定供が需要を作る」可能性は低くはないと考えます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;b&gt;（ハ）民間捕鯨会社の再登場&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
市場が投資に比べて魅力的であるならば、当然、その市場に参入するプレーヤーが登場することは必然です。よって、経営経済学的には（ハ）民間捕鯨会社の再登場のハードルは実は上記（イ）（ロ）の裏面にすぎず、著者が述べておられる、経営リスクとしての「捕鯨企業になることにともなう当該企業のイメージダウン」というファクターがこの項目プロパーの主な論点になることは間違いない。けれども、日本国内でビジネスを展開する限り、商業捕鯨の再開に参画したことは、国民多数から感謝され拍手をもって迎えられることではあっても、それが企業イメージの低下という経営リスクに結びつく恐れはないと私は考えます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
問題はその勇気ある企業が海外に販路を求める場合、海外の機関投資家から出資を仰ぐ、あるいは、海外の企業を買収する場合等々の国際業務関連において顕在化するでしょうが、国営企業として設立し、その株式を漸次個人投資家に販売すれば何の問題も生じないはずです。しかも、鯨が安定供給されるのであれば、極論すればその供給者が外国企業でも「鯨の食文化の伝統」を守るという点に関してはなんら問題ではないのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
いずれにせよ、公的な株式市場の回路とは別に不買運動等を通して企業経営にプレッシャーを加えるTGGP等のやり方は会社経営の本質的弱点をついた運動形態。而して、それはある経営領域（例えば、汚染された支那製商品のボイコット等）では有効かつ有意義なマヌーバーだと思います。しかし、こと争点が、捕鯨の是非のような異文化間の世界観・価値観の齟齬にかかわる領域ではその効果はそう大きくはないと私は考えます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
蓋し、著者の「商業捕鯨の再開は不可能」という立論は著者の願望に起因する特殊な条件を密輸した謬論にすぎない。尚、この点に関して、著者は、&lt;font color=&quot;green&quot;&gt;「だぶついた、“調査捕鯨”の“副産物”を学校や自衛隊の給食にまわそうとする」&lt;/font&gt;（p.172）と揶揄しておられますが、ここ数年の「調査捕鯨」の水揚げ増により学校給食に鯨が増えている等、商業捕鯨再開の見通しは明るい。私はそう考えます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;b&gt;◆結語&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
商業捕鯨再開は不可能であるする著者は、南氷洋での「調査捕鯨」の断念、および、IWCで先住民族に認められている「原住民生存捕鯨」とパラレルな沿岸捕鯨を再開する捕鯨問題解決の代案を本書で提案される。&lt;font color=&quot;green&quot;&gt;「的外れな南極海の“調査捕鯨”をやめ、IWCの「原住民生存捕鯨」と整合性のある形で、つまり捕鯨の伝統が根づいた地域のみ限定して、流通も一定の枠をはめた形で国内の沿岸捕鯨を認めさせる方向に、あらためて議論を向けることをすすめる。これなら長年、捕鯨に反対してきた国々やNGOをはじめ、反捕鯨の国際世論も説得できそうだ」&lt;/font&gt;（p.205）、と。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、前節で述べた通り商業捕鯨再開不可能との認識が唯一絶対のものではない。そして、「原住民生存捕鯨」にパラレルな沿岸捕鯨だけでは日本人の多くが鯨を食べる習慣を再生産し、日本が捕鯨の伝統と文化を保つことは難しい。このことを鑑みれば、著者の主張は、「捕鯨文化の自然史死」を狙う狡猾かつ姑息な提案であり、捕鯨文化の保守を目指す者にとってはとって到底容認できるものではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
著者は、捕鯨が孕む食糧安保・国家主権・日本の文化の確保の意義を看過された上で、&lt;font color=&quot;green&quot;&gt;「欧米諸国はさっさと身を引いて、自分たちもこのあいだまで手を血に染めていたクジラ殺しを激しく非難し、日本を悪の権化に祭り上げたすえ、かろうじて乱獲をまぬがれた鯨種を慎ましく捕って商業捕鯨を存続させたいという希望さえ、捕鯨モラトリアムやサンクチャリーで打ち砕いた。この恨みは深い。（中略）心情的には、ほとんど真珠湾前夜なのだ」&lt;/font&gt;（p.109）と、あたかも『渡る世間は鬼ばかり』的な愛憎物語として日本の商業捕鯨再開に対する取り組みを矮小化されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして、&lt;font color=&quot;green&quot;&gt;「あいかわらず海外の反捕鯨熱は高いし、はるばる南極海へ出かけて日本の捕鯨船団に抗議するキャンペーンも続いている。かたや日本政府は、捕鯨反対の国やNGO（非政府組織）に対する激しい敵意を隠さない。その知られざるヒートアップぶりは、さながら「海の靖国論争」である。日本が世界を相手に、これほど強気に出るのは珍しい。傷ついたプライドの手ごろなはけ口を、靖国の場合は韓国や中国に、捕鯨の場合はグリーンピースをはじめとする反捕鯨国際世論に見つけたかのようだ」&lt;/font&gt;（p.5）という傍観者的な立ち位置から書かれたとしか思えない記述を読むとき、私はこのの著者は一体どこの国の人だろうかという素朴な疑問を抱いてしまう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
支那や韓国からの言い掛かりに端を発したことが自明な陸の「靖国問題」を「傷ついたプライドの手ごろなはけ口を、靖国の場合は韓国や中国に見つけた」と断言する著者の政治的な立ち位置は捕鯨問題とは無関係としたとして、また、捕鯨が日本の伝統文化であるかどうかの認識の差は置いておくとしても、捕鯨問題が間違いなく食糧安保と国家主権の問題にダイレクトに連なっていることは捕鯨賛成派も反対派も否定できないだろうからです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
畢竟、捕鯨が文化と主権の問題でもある限り、その立場が捕鯨に反対でも賛成でも日本人としての当事者意識を欠く捕鯨論は捕鯨を巡る問題の解決において日本社会にそう大きな影響を及ぼすことはないだろう。よって、本書を読み終えた今、読まなくともよい本を読んでしまったのかなと、些か後悔しています。これが偽らざる読後感。ただ、反捕鯨論の＜次世代のロジック＞を知る上では本書は便利な一冊であり、その意味では一読をお薦めします。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;
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			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/momonosuke333/28498120.html</link>
			<pubDate>Tue, 18 Dec 2007 14:51:58 +0900</pubDate>
			<category>その他国際情勢</category>
		</item>
		<item>
			<title>[転載]書評☆星川淳『日本人はなぜ世界で一番クジラを殺すのか』（3）</title>
			<description>&lt;center&gt;&lt;img src=&#039;https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/e0/0b/kabu2kaiba/folder/1495550/img_1495550_51071607_0?20071218141530&#039; border=&quot;1&quot;&gt;&lt;/center&gt;&lt;br&gt;&lt;font size=&quot;3&quot;&gt;&lt;br /&gt;
&lt;b&gt;[2] ノールウェー式捕鯨は外来かつ近代の産物であり伝統文化ではない&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
&lt;b&gt;[3] 鯨を食べる文化は一部の地域を除けば終戦後の徒花的現象にすぎない&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
捕鯨反対論者からは、「近海沿岸で行われていた古式捕鯨ならともかく、捕鯨母船とキャッチボート、さらには、母船内で加工冷凍された鯨肉を日本に運搬する輸送船からなる捕鯨船団で遠洋に繰り出すノールウェー式の捕鯨スタイルは日本の伝統文化などではない」といった主張を時々聞きます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このような主張に対しては、では「野球」は日本の文化か？　女子学生のセーラー服姿は？　いや、「仏教」だって紛うことなき外来思想であり、まして、電気炊飯器で炊いたご飯などは極最近の産物にしかすぎないがそれらは日本の伝統文化の構成要素ではないのかと聞き返したくなる。蓋し、伝統文化論議など「玉葱の皮を剥いていくうちに結局なにもなくなる」類の議論でしょう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
流石に、本書の著者はこのような「玉葱伝統文化論」には予防線を張っておられる。本書第2章「捕鯨は日本の伝統文化か」の冒頭。&lt;font color=&quot;green&quot;&gt;「「伝統」とか「文化」というのは、ある意味で空想に近いとことがある。なぜなら、私たちが確実にわかるのは自分が実際に経験したことだけで、それより前のことは聞いたり読んだりする知識にすぎないからだ」&lt;/font&gt;（p.38）、と。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
而して、著者は捕鯨と鯨を食べる習慣についてこう書かれる。&lt;font color=&quot;green&quot;&gt;「給食のクジラは地方によってかなりバラつきがあるようだが、一般に日本人が捕鯨と鯨肉を「文化」や「伝統」と結びつけるのは、どうもこの戦後体験が強いようだ。ただ、それだけで捕鯨が日本の伝統文化と呼べるかどうかはいささか怪しい」&lt;/font&gt;（p.39）、と。その後、「伝統文化」に関するこれらの認識を前提に、捕鯨は伝統文化か否かについてかなり消極的な見解を述べるておられるのですが（pp39-.40, p.49, p.54, p.156ff, p.169, p.170）、その中でも著者の伝統と文化に関する理解として目についたものがあります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それは、&lt;font color=&quot;green&quot;&gt;「ぐるり海に囲まれた日本列島では、縄文時代からクジラやイルカを利用した形跡がある。（中略）こうした素朴な鯨類の利用は、（中略）北はベーリング海域からインドネシアまで現在も続く土着的な捕鯨が示す通り、海に接する世界各地の民族が行っていたはずなので、日本固有の伝統文化と主張するのは無理がある」&lt;/font&gt;（pp.39-40）、&lt;font color=&quot;green&quot;&gt;「IWCでは日本の沿岸捕鯨は近代捕鯨そのものだとして（沿岸小型捕鯨業者に特別許可を与える）議案を否決してきた」&lt;/font&gt;（pp.157-158）、&lt;font color=&quot;green&quot;&gt;「戦後、多くの日本人がクジラの肉に親しんだのと同じころ、やはり学校給食に出た脱脂粉乳を、日本固有の食文化だと主張する人はいないだろう」&lt;/font&gt;（p.170）の三箇所。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私はこれらの著者の理解には疑問を感じます。なぜならば、他の民族と共通点があまりないその民族特有のものでなければ伝統文化ではないのか（もし、そうであれば、音楽や楽器なども伝統文化の構成要素にはならないでしょう）、また、何が民族固有の伝統であり文化であるかは外国や国際機関が決めるものなのか、そして、文化や伝統はある民族が今に至るまで恒常的に選び続けてきたものの集積ではないのかという疑問が拭い去れないから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
簡単な話です。伝統や文化は現在生きてある人間にとっての「価値」であり「規範」として作用するものだろうということ。畢竟、伝統や文化のすべてのアイテムは、極言すれば現在の存在でしかなく、そして、何が伝統で何が文化であるかを決めるものは現在生きてある個々人が形成する民族意識以外にはありえない。そう私は思うのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ならば、（自分が「日本人」なるものの源流の一つになることなど想像だにしなかっただろう）縄文の人々が鯨を食べていた習慣は、縄文人をも我々の祖先と考える現在の日本人の意識からみれば間違いなく「日本の伝統文化」の一部であり、他方、現在それを飲もうと思えば誰もが飲めるはずなのに、トライする日本人が少ない脱脂粉乳は学校給食を思い出すツールではありえても「日本文化」とは呼べない。そして、捕鯨が日本文化の一部かどうかなどはIWC（国際捕鯨委員会）に決められる筋合いなど全くないことは言うまでもありません。而して、この観点からは歌舞伎や文楽が伝統文化であるのと同様、野球もセーラー服も伝統文化である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ことほど作用に、米食が日本の文化であることは、それを炊く器具や米の品種が変わろうとも不変であるのと同様、鯨を食べる文化が日本文化であることは、その鯨が近代的な捕鯨船団によって捕れたことによってはなんら影響を受けることはない。まして、&lt;font color=&quot;green&quot;&gt;「この年（1947年）に日本人が口にした肉類の40％が南極海産の鯨肉だった」「他の肉類が持ち直すににつれ、1950年代には20％台に落ち着いていく」&lt;/font&gt;（p.53）という本書が紹介する事実を反芻するとき、鯨を食べる習慣は十分に日本の伝統文化と言えると思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;b&gt;[4] 日本の南極水域での（調査）捕鯨は国際的なマナー違反&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
本書の特徴は、日本側が提示している科学的データや主張は歯牙にもかけず、他方、IWCや外国の反捕鯨派の主張は無条件に肯定する姿勢です。例えば、&lt;font color=&quot;green&quot;&gt;「もっともらしく科学的な体裁をつけた調査計画や報告を見ても、いかに捕獲頭数を上げ、商業捕鯨再開を正当化するかという意図が透けていて、国際的な科学界からはほとんど相手にされないのがうなずける。国策で商業捕鯨をめざす政府の御用研究が、客観性をもちうると考えるほうがおかしい」&lt;/font&gt;（p.79）などはその代表的なものでしょう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
けれども、「国際社会」なるものはそれほど客観的なものでしょうか。鯨の個体数にかかわらず商業捕鯨の再開は認められないという立場を公言している欧米の研究など（逆に、鯨資源が増えていなければ商業捕鯨を再開したとして捕鯨産業の将来性は暗いのですから、ある意味、日本の研究以上に）怪しいと考えるのが合理的でしょう。&lt;font color=&quot;green&quot;&gt;「水産庁は捕れる、捕れないの観点からのみ（商業捕鯨再開を認めようとしない議論に）異議を唱えているけれど、世界の大勢はクジラを水産資源とみなさなくなったのだから、捕れるかどうかなどじつはあまり関心がない」&lt;/font&gt;（p.20）とまで著者に言われればなおさら国際社会やIWC科学委員会なるものは信用できないと感じるのが自然ででしょう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
更に、持続可能な捕鯨が可能とするならば、商業捕鯨の再開について日本が特に国際社会なるものの許可を必要とするかどうかさえ疑問です。畢竟、その設立規約からもIWCは「持続可能な商業捕鯨のための国際的なルール」を形成すべき会議体であり、その目的にそれが沿っている限りにおいてのみ日本はIWCに加盟し続ける意味がある。ところが、IWCが日本の提出するデータなど「相手にすることなく」商業捕鯨の再開に向けて具体的なルール形成ができないのならば、日本がIWCにとどまる意味は全くないからです。而して、IWCを脱退した非加盟国に対してIWCの規範が何の効力も持たないことは言うまでもありません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この点で本書の国際社会への信頼は過剰と言わざるをえない。例えば、&lt;font color=&quot;green&quot;&gt;「国際社会が永久的な保護区と定めた場所では（中略）捕鯨を控えるマナーが必要」&lt;/font&gt;（p.21）、&lt;font color=&quot;green&quot;&gt;「本当に科学と客観性を重視するのなら、いま日本が南極海で行っているような調査は、計画から実施までIWCを主体にしなくてはおかしい。また、国際捕鯨取締条約第8条を見直して、“調査捕鯨”の条件を厳しくするとともに、少なくとも公海での調査に関するかぎり、国家より上位の国際機関が許可と実施を監督できる形を検討すべき」&lt;/font&gt;（pp.142-143）等の記述は国際法に関する無知によるものか、国際法上このようなことは言えないことを承知の上で書かれた詐欺的言辞のいずれかでしょう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
国益の対立と文化間の摩擦が常態の国際社会において、マナーとはすなわち国際法と確立した国際政治の慣習でしかありません。その国際法と国際関係のマナーを徹底的に遵守してきたのは日本の方であり、本来、持続可能な商業捕鯨を図るための機関であるIWCが反捕鯨国による商業捕鯨妨害のツールとなっている現状こそ国際社会のマナー違反以外の何ものでもない。而して、国連憲章を紐解くまでもなく、ある主権国家が自発的に自国の権限を制限するのでない限り、国際機関はいかなる意味でも主権国家の上位に来ることはないのです。ならば、国際社会と国際機関に対する過剰な著者の信頼と期待は、所謂「地球市民」や「世界市民」を夢想する著者の願望の結果なのかもしれませんが、それは実定国際法とは無縁なものであることは確かだと思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;b&gt;[5] 沿岸捕鯨で捕獲される鯨の肉は汚染されている&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
これは徹頭徹尾「事実認識」の問題です。ある鯨種の鯨肉に厚生労働省が定める基準以上の有害物質が含まれているのならば、問題の鯨種や部位を食べるべきではない。それだけのことです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
けれども、遠洋捕鯨で捕獲されたマッコウクジラ、沿岸捕鯨で捕獲されたイルカや鯨のある部位から、グリンピース等が宣伝するように許容値の数十倍のPCBや水銀が検出されたという事実は「再現性」に乏しく極めて例外的な事例と考えるのが自然だと思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
而して、南氷洋や西太平洋で捕獲される毎年1000頭規模の鯨から収集される数値からは許容値の10分の一以下の汚染物質しか検出されていない。これを見るに、鯨はむしろ、他の魚（←鯨は哺乳類ですよ！）よりも安全。ただ、鯨肉が汚染されている危惧は残念ながら沿岸捕鯨の本格再開に関しては無視できないファクターであることは間違いないでしょう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
いずれにせよ、危惧はどこまで行っても危惧にすぎない。かつ、危惧を事実と論理によって完全に払拭することは神ならぬ身の人間にとって、これまた論理的に不可能。近代民法の原則の一つに過失責任主義が掲げられるのはこの事情によりますし、個別、鯨肉の生産者に（歩行者に比して利益を一方的に享受する）自動車運行者、（一般の市民との間に圧倒的な情報の非対称性を持つ巨大な）原子力事業者のように無過失責任を課すことは衡平の原則に反するでしょう。実際、市民はその鯨肉の汚染が心配なら検査機関に検査を依頼することはそう簡単ではないが不可能ではないのですから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
畢竟、 許容値を超える事例が続出するのでもない限り、この項の冒頭にも書きましたが、沿岸捕鯨再開と鯨肉の汚染度合いの関係は事実認定によって決っせられるべきことだと思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
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			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/momonosuke333/28498108.html</link>
			<pubDate>Tue, 18 Dec 2007 14:51:35 +0900</pubDate>
			<category>その他国際情勢</category>
		</item>
		<item>
			<title>[転載]書評☆星川淳『日本人はなぜ世界で一番クジラを殺すのか』（2）</title>
			<description>&lt;center&gt;&lt;a rel=&quot;nofollow&quot;&gt;&lt;img src=&#039;https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/e0/0b/kabu2kaiba/folder/1495550/img_1495550_51067549_0?20071218141504&#039; width=&quot;560&quot; border=&quot;1&quot; id=&quot;at_img0&quot;&gt;&lt;/a&gt;&lt;/center&gt;&lt;br&gt;&lt;font size=&quot;3&quot;&gt;&lt;br /&gt;
&lt;b&gt;◆『日本人はなぜ世界で一番クジラを殺すのか』の新味&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
本書&lt;font color=&quot;red&quot;&gt;『日本人はなぜ世界で一番クジラを殺すのか』&lt;/font&gt;はセンセーショナルな一書です。なぜならば、捕鯨反対運動の主要なプレーヤーであるテロリスト集団グリーンピース（以下、「TGGP」）の日本支部事務局長が&lt;font color=&quot;green&quot;&gt;「捕鯨問題は国内ではほぼ決着ずみ」&lt;/font&gt;（p.3）、&lt;font color=&quot;green&quot;&gt;「グリーンピースも、そろそろ捕鯨問題を卒業したほうがよさそうだ」&lt;/font&gt;（p.7）、反捕鯨の活動のやり方として、TGGPが得意とする相手の生命身体に対する攻撃を行わない違法行為、所謂「非暴力直接行動」について&lt;font color=&quot;green&quot;&gt;「グリーンピース側にも配慮の余地はある。「非暴力」に対する欧米社会と非欧米社会の認識が微妙にずれることを、もっと真剣に見つめたい」&lt;/font&gt;（p.136）等々、捕鯨反対運動からの「離脱」ともとれる認識を記しておられるから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ただ、本書が読者に新鮮な印象を与えるとすれば、その理由はこの「離脱宣言」だけではないでしょう。蓋し、「離脱宣言」を含む次の3点において本書は捕鯨反対論から書かれた他の「捕鯨論」を超えていると私は思います。&lt;br /&gt;
&lt;font color=&quot;purple&quot;&gt;&lt;br /&gt;
・『日本人はなぜ世界で一番クジラを殺すのか』のセールスポイント&lt;br /&gt;
（A）TGGPによる捕鯨卒業宣言&lt;br /&gt;
（B）商業捕鯨は（技術的にも）不可能という認識の提示&lt;br /&gt;
（C）沿岸捕鯨を中心に据えた次世代の日本の捕鯨のスタイルの提案&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
繰り返しになりますが、その日本支部事務局長の「離脱宣言」にかかわらず世界的には反捕鯨の直接行動を常套する団体として現在も認識されているTGGPが、たかだか一つの支部の事務局長の見解にすぎないとはいえ、TGGPが現在進行形で敢行している非暴力ではあるが違法な直接行動を反省して捕鯨問題からの卒業を宣言したことは注目に値する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、TGGP日本支部の言動を継続的にウォッチしている人にとっては、特に、目新しいことではないのですが、本書ではTGGP日本支部が鯨を食べることに必ずしも反対しているわけではないことも改めて示唆されており（pp.205-206, 212-213）、このことも読者には新鮮な印象を与えるかもしれません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;b&gt;◆『日本人はなぜ世界で一番クジラを殺すのか』は便利なパンフレット&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
ある種の新鮮さに加えて本書は「捕鯨」に関心のある読者には便利な一冊です。具体的には、鯨の種類と生態の紹介（第1章）、日本の捕鯨の歴史の紹介（第2章）、乱獲により鯨が絶滅に瀕した経緯の素描（第3章）、現在日本側で捕鯨を推進している陣容の紹介（水産庁捕鯨班・日本鯨類研究所・共同船舶・日本捕鯨協会・捕鯨推進の国会議員連盟の紹介：第4章）、鯨肉消費の現状分析（第6章）、および捕鯨を巡る世論の動向分析（第7章）は、捕鯨反対派のバイアスを意識して読むなら、一刻も早い商業捕鯨の再開を期す大多数の日本国民と日本市民にとっても有益な情報だろうと思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ただ、便利ではあるが、そして、所詮、反商業捕鯨の立場に立つTGGP側の著書のことでもあり無理な注文かもしれませんが、商業捕鯨の再開の是非を分かつ「鯨はまだ絶滅の危機にあるのか」それとも「鯨は持続可能な食糧資源として回復しつつあるのか」、あるいは、どのような商業捕鯨なら持続可能な捕鯨を具現しうるのかを規定する「RMP（商業捕鯨再開時に捕獲枠を割り出す改訂管理方式）」の妥当性等々に関して、数理統計学や生物統計学を踏まえた説明は本書には皆無であり、結局、反捕鯨陣営のパンフレットの域を本書は出ていないことは残念です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この点、同じ鯨問題の入門書であり、捕鯨賛成派の重鎮にして現在日本鯨類研究所理事長である大隅清治氏の&lt;font color=&quot;red&quot;&gt;『クジラと日本人』&lt;/font&gt;（岩波新書・2003年4月）と比べて本書はかなり見劣りがする。星川氏と大隅氏の両著に関するこの評価は必ずしも私が捕鯨賛成派だからというだけではないと思う。捕鯨に賛成反対にかかわらず「捕鯨と日本」というテーマに関心のある向きにはこの両書の併読をお薦めします。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;b&gt;◆『日本人はなぜ世界で一番クジラを殺すのか』はアジビラである&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
本書は新鮮な印象を与える一書であり便利なパンフレットです。けれども、それは商業捕鯨再開に反対する立場から書かれた「捕鯨反対のプロパガンダ」、就中、現在日本で捕鯨を推進している「政治家－水産官僚－日本鯨類研究所や共同船舶等の調査捕鯨の実働部隊」を攻撃する「調査捕鯨反対のアジビラ」にすぎない。蓋し、本書は、日本国内での「反・反捕鯨」（p.170ff, p.190ff）の意識が広がる中で「文化帝国主義」的な捕鯨反対論が全面的に敗北しつつある状況を見据えた上で繰り出された＜次世代の反捕鯨論＞である。本書は私にはそうとしか読み取れませんでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
而して、＜次世代の反捕鯨論＞はどのような論理によって編み上げられているのか。私はそれを次のようなものと理解しています。&lt;br /&gt;
&lt;font color=&quot;red&quot;&gt;&lt;br /&gt;
＜次世代の反捕鯨論＞&lt;br /&gt;
（甲）南極水域・西太平洋水域での遠洋捕鯨&lt;br /&gt;
対応：全面反対&lt;br /&gt;
根拠：野生動物保護（鯨は水産資源ではなく保護すべき野生動物）&lt;br /&gt;
　　　鯨は絶滅が危惧されている&lt;br /&gt;
　　　ノールウェー式捕鯨は外来かつ近代の産物であり日本の伝統ではない&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（乙）日本近海の日帰り沿岸捕鯨&lt;br /&gt;
対応：総頭数を決めて容認する一方、消費者には鯨肉の危険性を告知&lt;br /&gt;
根拠：海の食物連鎖の最上位ある鯨は水銀やPCB等で汚染されている&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（丙）総合戦略&lt;br /&gt;
対応：遠洋捕鯨を全面的禁止に追い込み、捕獲頭数と捕鯨拠点数の双方で沿岸捕鯨をミニマムに封じ込める。而して、鯨肉の需要を先細りさせ、古式捕鯨以来の伝統芸能としての捕鯨、郷土料理的な鯨食を残し、日本全体における「捕鯨と鯨を食べる食文化の自然死」を待つ！　&lt;br /&gt;
根拠：鯨食の文化は極一部の地域を除けば終戦後の徒花的現象にすぎない&lt;br /&gt;
　　　商業捕鯨再開などビジネス環境的に不可能&lt;br /&gt;
&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本書ではこの反捕鯨戦略をサポートするためにもう一つ巧妙なロジックを通底低音として流している。それは、日本の調査捕鯨、まして、商業捕鯨の再開は「国際社会が永久的な保護区と定めた場所では捕鯨を控えるマナー」（p.21）に反する「国際社会の一般的モラルも踏みにじる」（p.194）ものという主張です。而して、私は、自身が＜次世代の反捕鯨論＞と名づけたこの反捕鯨の論理は破綻しており、よって、本書は反捕鯨論からする新手のアジビアにすぎないと考えます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
尚、上でも述べたように、本書では上記（甲）の根拠の一つとして、鯨の数は持続可能な捕鯨を再開するに充分なほど回復しているかどうかは不明であると主張していながら（p.75ff, pp.81-82）、数理統計学（特に、少標本を対象とした多変数の統計推理理論を生物の個体数変化予測に応用した生物統計学）からの説明は皆無です。要は、「鯨はいまだに絶滅に瀕している」あるいは「鯨の個体数（鯨種または個体群毎の個体数）は不明」という本書の基盤となる認識はまったく科学的・論理的な根拠を欠いている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このことは、著者が根拠もなく水産庁－日本鯨類研究所のデータを信用ならないとばかりに斬り捨てる一方（p.75, p.79, pp.80-81, p.141）、同じく無根拠に「世界の専門家」やIWC科学委員会（pp.80-81, p.141）、あるいは、その科学的根拠を開示しないことで悪名高いCITES（Convention on International Trade in Endangered Species of wild Fauna and Flora：所謂ワシントン条約）の付属議定書（pp.70-71）の主張を採用していることと相まって本書の説得力を著しく下げている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
例えば、IWC科学委員会は&lt;font color=&quot;green&quot;&gt;「繰り返し「改訂管理方式（RMP）にとって日本の調査データは不要」と明言している」&lt;/font&gt;（p.141）と著者は記しているけれど、同委員会の報告書原文には「RMPによる管理には必要ではないが、以下の点でRMPを改善する可能性を秘めていることが指摘された・・・」と日本の調査捕鯨がもたらしたデータがRMPに影響を与える内容であることを認めているのですから。これらの点を鑑み、以下、本書で展開されている＜次世代の反捕鯨論＞の諸根拠につき検討してみます。&lt;br /&gt;
&lt;font color=&quot;navy&quot;&gt;&lt;br /&gt;
[1] 鯨は水産資源ではなく保護すべき野生動物&lt;br /&gt;
[2] ノールウェー式捕鯨は外来かつ近代の産物であり日本の伝統ではない&lt;br /&gt;
[3] 鯨食の文化は極一部の地域を除けば終戦後の徒花的現象にすぎない&lt;br /&gt;
[4] 日本の南極水域での（調査）捕鯨は国際的なマナー違反&lt;br /&gt;
[5] 沿岸捕鯨で捕獲される鯨の肉は汚染されている&lt;br /&gt;
[6] 商業捕鯨再開などビジネス環境的に不可能&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;b&gt;◆『日本人はなぜ世界で一番クジラを殺すのか』は反捕鯨論からの詐術である&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
&lt;b&gt;[1] 鯨は水産資源ではなく保護すべき野生動物&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
本書の第1章「クジラは魚か」にはこう書かれています。&lt;font color=&quot;green&quot;&gt;「くじらを水産資源としてのみ扱い続けるか、地球に残された野生動物のシンボルとしてとらえるかが、捕鯨論争の分かれ目になり、決定的な議論のすれちがいを生んでいる」&lt;/font&gt;（p.17）、と。この認識は正しいと思います。逆に言えば、欧米の反捕鯨論の多くは、鯨の個体数が増えているかどうかにかかわりなく、日本人が鯨を食べていること、食べるために殺していること自体に憤慨しているということでしょう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もちろん、輪廻転生に親しい日本人の世界観からは、「魚類」なら水産資源で「哺乳類」は野生動物とする欧米流の二元論は全く根拠のないものでしょうが、いずれにせよ、本稿の冒頭近くで述べましたように、その国民や民族がどの動物を（水産）食糧資源と認識するかは、その民族が歴史的に形成してきた文化に規定される事柄であって、それと異なる文化を呼吸して生きている外国人に「何をたべてよいか」、つまり、「何が野生動物であり、なにが（水産）食糧資源であるか」の線引きを指図される筋合いは毫もないことは自明だと思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
重要なことは「野生動物」と「水産資源」の二項対立は一個の文化圏においても時代と共に変化する、更に、TPOによってさえ変わりうる、つまり、固定したものではないということです。畢竟、「認識が対象を決定する」という新カント派の認識論を持ち出すまでもなく、例えば、食糧安保政策の中では鯨は水産資源であり、観光事業計画の中では鯨は野生動物として認識される。すなわち、鯨を水産資源であると同時に野生動物と認識することはなんら矛盾ではない。而して、鯨が野生動物でもあることを根拠に、日本が水産資源としての鯨に対して調査捕鯨を継続し、商業捕鯨を再開しようとしていることを批判される筋合いは全くないのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;
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			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/momonosuke333/28498101.html</link>
			<pubDate>Tue, 18 Dec 2007 14:51:10 +0900</pubDate>
			<category>その他国際情勢</category>
		</item>
		<item>
			<title>[転載]書評☆星川淳『日本人はなぜ世界で一番クジラを殺すのか』（1）</title>
			<description>&lt;center&gt;&lt;img src=&#039;https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/e0/0b/kabu2kaiba/folder/1495550/img_1495550_51056253_0?20071218141401&#039; border=&quot;1&quot;&gt;&lt;/center&gt;&lt;br&gt;&lt;font size=&quot;3&quot;&gt;&lt;br /&gt;
星川淳&lt;font color=&quot;red&quot;&gt;『日本人はなぜ世界で一番クジラを殺すのか』&lt;/font&gt;（幻冬舎・2007年3月）を紹介します。著者はテロリスト集団グリーンピースの日本支部の現在の事務局長であり、本書は、その日本支部とはいえテロリスト集団グリーンピース側の著者が文化帝国主義的な捕鯨反対論からは決別して、反捕鯨の立場から平明に「日本と鯨」を巡る論点を整理したもの。畢竟、「商業捕鯨の再開」に向けて「調査捕鯨」を更に推進して行こうと考えている多くの日本人にとって本書は＜次世代の反捕鯨ロジック＞を知り、それに備える上で参考になるものです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本書が上梓された2007年―2008年現在。毎年11月には南氷洋に日本の調査捕鯨船団が出航している。そして、この日本の「調査捕鯨」に対する批判が世界中でヒートアップする。しかもそれは言論的の批判だけではありません。オーストラリア政府が将来の国際裁判所への提訴に向けて証拠収集すべく、その軍を派遣して日本の調査捕鯨船団を監視することを検討すると発表したように、他方、カルト的環境テロリスト集団にして環境利権集団として有名な、シーシェパードとグリーンピースは今回も調査捕鯨を暴力によって妨害すべくその手持ちの艦船の出港準備は万端であると報じられているのですから（★）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;font color=&quot;navy&quot;&gt;★註：テロリスト集団グリーンピース&lt;br /&gt;
グリーンピースがテロリスト集団であることについては下記拙稿を参照ください。以下、本稿ではテロリスト集団グリーンピースはTerrorist Group Greenpeaceとして「TGGP」と表記します。&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・グリーンピースの人権侵害救済申立書は「グリーンピース＝テロリスト集団」の＜自白証拠＞&lt;br /&gt;
　&lt;a HREF=&quot;http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-314.html&quot; TARGET=&quot;_blank&quot;&gt;http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-314.html&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・このグリーンピースによる姑息な暴挙を「テロ行為」と言わずして何を「テロ」と言うのか&lt;br /&gt;
　&lt;a HREF=&quot;http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-316.html&quot; TARGET=&quot;_blank&quot;&gt;http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-316.html&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・このシーシェパードによる暴挙を「テロ行為」と言わずして何を「テロ」と言うのか&lt;br /&gt;
　&lt;a HREF=&quot;http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-315.html&quot; TARGET=&quot;_blank&quot;&gt;http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-315.html&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、ここで紹介する本書。テロリスト集団TGGPの日本支部であるグリーンピース・ジャパーンの現在の事務局長、星川淳氏の著作『日本人はなぜ世界で一番クジラを殺すのか』がいみじくも記している通り、日本では捕鯨の是非を巡る議論は&lt;font color=&quot;green&quot;&gt;「捕鯨問題は国内ではほぼ決着ずみ」&lt;/font&gt;（p.3）の様相を呈していると言ってよいと思います。メディアの報道を見てもブログやネット掲示板を覗いても捕鯨の是非を巡る議論が盛り上がっているとは到底言えないし、実際、「調査捕鯨」の推進支持の姿勢と「鯨は日本の食文化の重要な一部」との認識は自民党から共産党まで全政党が共有していると言っても間違いではないからです（★）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;font color=&quot;navy&quot;&gt;★註：「鯨は日本の食文化」という認識の共有&lt;br /&gt;
星川『日本人はなぜ世界で一番クジラを殺すのか』（p.106ff）で触れられているように、自民党と民主党に捕鯨を推進する議員連盟や協議会があるだけでなく、公明党・社民党・共産党にも多くの捕鯨推進派の議員がおられ、共に「補鯨の伝統と食文化を守る会」等の活動に超党派で取り組んでおられる。詳細は以下のURLを参照。&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・第20回（2007年）補鯨の伝統と食文化を守る会&lt;br /&gt;
　&lt;a HREF=&quot;http://www.e-kujira.or.jp/topic/coo/07/0509/index.html&quot; TARGET=&quot;_blank&quot;&gt;http://www.e-kujira.or.jp/topic/coo/07/0509/index.html&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本では「捕鯨問題はほぼ決着ずみ」となったについては、本書（pp.190-191）の用語を借りれば「反・反捕鯨」論的なメンタリティーによる所が大きいかもしれません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
要は、「鯨を殺すのは可哀想」「鯨は知能が高いから殺すべきではない」「鯨を殺して食べるなんて恥を知れ」等々の欧米における反捕鯨の主張は、「鯨は駄目で、牛や羊は殺してもいいのか」や「知能を基準に殺していい動物とよくない動物を区分けするなどはオーストラリアの白豪主義やナチス・ドイツばりの差別主義以外の何ものでもない」という子供でも思いつく反論に応えることができないばかりか、縄文時代からこの平成の御世に至るまで鯨を食糧として認識し続けてきた日本人にとっては何の説得力もないということです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして、これらの赤裸々な「文化帝国主義」的な主張をソフィステイケートした「野生動物としての鯨の保護」「絶滅危惧種としての鯨の保護」「海洋生態系全体の維持」「食の安全の観点から汚染された鯨肉を食卓に上げない」「動物愛護」等々の理由もそれが科学的や倫理学的な根拠を欠いている限り同様でしょう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
蓋し、文化には差異はあっても優劣はない。このことを理解しないでされる「鯨を殺すのは可哀想」の如き反捕鯨論は（日本人である限り、たとえ、その方が食物としての鯨肉が嫌いであったり、捕鯨にあまり関心がないとしても）日本人としては到底容認できないsomethingを感じるのであり、畢竟、そのsomethingとは「文化帝国主義」（Cultural Imperialism）や「ヨーロッパ中心主義」（Eurocentrism）と呼ばれるべきものだと私は考えています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
まして、「日本人は確かに鯨を殺しているが、それは食べるためであり、貴方達の先祖が多くの種をそうして絶滅させたように、鯨油や毛皮を取るためだけに、あるいは、ハンティングを楽しむためだけに、つまり、殺すために殺しているのではない。よって、今後は「日本人は鯨を殺している」と言うのは止めて、（食べるために殺しているのだから）「日本人は捕鯨している」と言ってくれないかね」と反論できる。蓋し、上で再現したような素朴で朝日新聞の論調のように独善的な反捕鯨論に対して日本人の捕鯨賛成論は論理的に優っているだけでなく、道徳的－歴史的にも優位に立っていることは間違いないのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
畢竟、日本国内で（私は動物愛護の観点から捕鯨には反対だが／私は鯨の肉は堅くて野趣が強く嫌いだけれど、水産庁や日本鯨類研究所が商業捕鯨を期して「調査捕鯨」を行うことに反対はしないという、消極的賛成論を超えて）捕鯨に積極的に反対する議論がほぼ消滅したのも頷けるというものです（★）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;font color=&quot;navy&quot;&gt;★註：「鯨と日本人」および文化帝国主義&lt;br /&gt;
この論点に関しては次の拙稿を参照していただければ嬉しいです。&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・鯨と日本の再生&lt;br /&gt;
　&lt;a HREF=&quot;http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-306.html&quot; TARGET=&quot;_blank&quot;&gt;http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-306.html&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・海外報道紹介☆日本はなぜ捕鯨を継続しなければならないのか？&lt;br /&gt;
　&lt;a HREF=&quot;http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-308.html&quot; TARGET=&quot;_blank&quot;&gt;http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-308.html&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・菜食主義と反捕鯨論と戦後民主主義は優雅で傲慢な欺瞞である&lt;br /&gt;
　&lt;a HREF=&quot;http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-310.html&quot; TARGET=&quot;_blank&quot;&gt;http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-310.html&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・海外報道紹介☆捕鯨反対論は文化帝国主義である&lt;br /&gt;
　&lt;a HREF=&quot;http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-311.html&quot; TARGET=&quot;_blank&quot;&gt;http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-311.html&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・海外報道紹介☆文化帝国主義としての捕鯨反対論&lt;br /&gt;
　&lt;a HREF=&quot;http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-312.html&quot; TARGET=&quot;_blank&quot;&gt;http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-312.html&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本では「捕鯨問題はほぼ決着ずみ」。しかし、それがいかに「文化帝国主義」的あろうとも欧米では日本の調査捕鯨に対して強い批判が渦巻いていることは事実なのです。この事実は日本として無視できるものではない。更に、本書（pp.191-194, 205-206）が述べているように、安くて美味しい鯨を日本人がいつでも食べられるようになるためには、すなわち、商業捕鯨を再開するためには課題山積というのが偽らざる所でしょう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
更に、鯨は鯨だけの問題に非ず、たかが鯨されど鯨です。鯨問題は、食糧安保・国家主権・日本の文化の確保を日本人が自分で守れるかどうかの問題。いみじくも、本書の著者が、鯨問題は最早「海の靖国論争」（p.5）になってきていると述べているように、アメリカ政府もフランス政府もEUも公式に日本の「調査捕鯨」を批判しその中止を要請しており、上述の如くオーストラリア政府に至っては日本の「調査捕鯨」を監視するために軍の派遣さえ検討している。これらのことが象徴しているように、鯨の問題は単なる文化人類学的な異文化の接触という高尚かつトリヴィアルな事柄では最早なくなってきている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
畢竟、鯨は鯨だけの問題に非ず、たかが鯨されど鯨なのです。而して、それがこの国の食糧安保、他方、すべての日本人の日々の食生活に直接かかわっている分、捕鯨を巡る問題は「陸の（本当の）靖国問題」や「空（中楼閣）の靖国問題たる南京や所謂「従軍慰安婦」および沖縄集団自決の問題」に優るとも劣らぬ重要性を持つと私は考えています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ならば、日本と日本人は今後、鯨の問題をどう捉えどう捕鯨を進めていけばよいのでしょうか。これを考える上で、本書、星川淳&lt;font color=&quot;red&quot;&gt;『日本人はなぜ世界で一番クジラを殺すのか』&lt;/font&gt;は参考になる一書だと思いました。尚、「捕鯨－反捕鯨論議」を巡る私の基本的な考えについては下記拙稿を参照していただければ嬉しいと思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・反捕鯨論の文化帝国主義的で傲慢な謬論を逐条撃破する&lt;br /&gt;
　&lt;a HREF=&quot;http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-313.html&quot; TARGET=&quot;_blank&quot;&gt;http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-313.html&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;b&gt;◆資料&lt;/b&gt;&lt;font color=&quot;navy&quot;&gt;&lt;br /&gt;
本書、もしくは、この記事を読んで「よし、日本人なら鯨を食べよう！」と思われた方は、是非、行動に移しましょう。そして、もっと安い鯨を安定供給するように各自の地元選出国会議員（なんと、政党は問いません！）、水産庁捕鯨班、日本捕鯨協会に働きかけましょう。以下、オンライン通販もできるクジラポータルサイト、および、捕鯨に関する情報を発信しているサイトのURLを記しておきます。とにかく、鯨のステーキは格別です♪　&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・日本捕鯨協会&lt;br /&gt;
　&lt;a HREF=&quot;http://www.whaling.jp/&quot; TARGET=&quot;_blank&quot;&gt;http://www.whaling.jp/&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・クジラポータルサイト　←鯨の通販ならこちら♪&lt;br /&gt;
　&lt;a HREF=&quot;http://www.e-kujira.or.jp/&quot; TARGET=&quot;_blank&quot;&gt;http://www.e-kujira.or.jp/&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・日本鯨類研究所&lt;br /&gt;
　&lt;a HREF=&quot;http://www.icrwhale.org/&quot; TARGET=&quot;_blank&quot;&gt;http://www.icrwhale.org/&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・水産庁捕鯨班&lt;br /&gt;
　&lt;a HREF=&quot;http://www.jfa.maff.go.jp/whale/indexjp.htm&quot; TARGET=&quot;_blank&quot;&gt;http://www.jfa.maff.go.jp/whale/indexjp.htm&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・テロリスト集団グリーンピース・ジャパーンの主張&lt;br /&gt;
　&lt;a HREF=&quot;http://www.greenpeace.or.jp/campaign/oceans/factsheet/index_html&quot; TARGET=&quot;_blank&quot;&gt;http://www.greenpeace.or.jp/campaign/oceans/factsheet/index_html&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
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			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/momonosuke333/28498100.html</link>
			<pubDate>Tue, 18 Dec 2007 14:50:49 +0900</pubDate>
			<category>その他国際情勢</category>
		</item>
		<item>
			<title>[転載]浅野史郎氏に都知事の資格なし!!!</title>
			<description>&lt;font size=&quot;4&quot;&gt;国を売るものは政治家になってはなりません。&lt;br /&gt;
ここに一人、国を売るような言動を行いながら、政治家になって日本を操ろうとしている、許せない人間がいます。&lt;br /&gt;
東京都知事選に立候補している浅野史朗氏です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;font color=&quot;blue&quot;&gt;浅野氏、特派員協会で講演　慰安婦問題にも言及 　産経新聞　2007/3/19&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
東京都知事選出馬を表明している前宮城県知事の浅野史郎氏（５９）は１９日、東京都千代田区の日本外国特派員協会で講演。米国勤務経験がある浅野氏は、出馬の理由やマニフェストについて、英語でジョークも交えながら説明した。&lt;br /&gt;
その後の質疑で、浅野氏は慰安婦問題について、「日本が外国人を少なくとも一部は強制的に引っ張ってきて、従軍慰安婦という形で使ったのは歴史的事実。平成５年の河野談話であるように、政府として遺憾の意を表すのは当たり前のこと」との認識を示した。(2007/03/19 19:02)　&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;font color=&quot;red&quot;&gt;浅野史郎氏&lt;/font&gt;は、何と&lt;font color=&quot;red&quot;&gt;従軍慰安婦の強制性を認める発言&lt;/font&gt;をしたのです。何という無知、無見識、国民への裏切りでしょうか。強制性を示す証拠は何一つないというのに、この男は強制性を認めたのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
東京都知事は並みの国会議員よりもはるかに影響力が大きいと言われます。このような影響力の大きいポストに、浅野氏のような反日的な人物が座ったらどうなるでしょうか。ありもしない従軍慰安婦の強制性を国際的に吹聴してまわり、ようやく始まった&lt;font color=&quot;red&quot;&gt;歴史認識の正常化の努力が無に帰する恐れ&lt;/font&gt;があります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私たち良識ある日本人ができることはただ一つ、投票に行って石原氏に投票し、&lt;font color=&quot;red&quot;&gt;浅野氏を落選させること&lt;/font&gt;です。&lt;/font&gt;&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;https://rdsig.yahoo.co.jp/rss/l/blog/myblog/rss2/scrap_item/RV=1/RU=aHR0cHM6Ly9ibG9ncy55YWhvby5jby5qcC9hdWRyZXloeXUvNDc4MzEzMTIuaHRtbA--&quot;&gt;転載元: ＯＬと一緒に「韓国」を勉強するブログ！&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/momonosuke333/16282924.html</link>
			<pubDate>Tue, 20 Mar 2007 22:31:56 +0900</pubDate>
			<category>アジア情勢</category>
		</item>
		<item>
			<title>[転載]＜君が代伴奏命令拒否処分＞合憲判決☆読売の一記者に負けた朝日</title>
			<description>&lt;font size=&quot;3&quot;&gt;表題の最高裁判決に関して、この超マイナーブログにも「判例批評の記事書いてくれ」「憲法的には下級審と最高裁判決とどちらを貴殿は評価するのかね？」という問いあわせが殺到（笑）しています。といっても、メールと内緒のゲストブック書き込みで合計4件。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ありがたいことです。しかし、現在、公私多難＆多忙と体調不良のためまとまった記事エントリーすることができません。けれども、ブログ運営といえども「客商売」：まして、このマイナーブログにとっては4件のご依頼というのは、昨年の「富田朝彦元宮内庁長官メモ」に関するコメント依頼以来のこと。よって、皆様のご要望にお応えして、憲法論に絞って記事をまとめることにしました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
尚、法律論を離れた私のこの最高裁判決に対する感想は、大体、ブログ仲間のPONKOさんや、さくらんぼさん、stellarさんがすでに書いておられるコメントと同じです（判決文とともにURLを記しておきます。是非、ご一読ください）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　&lt;a HREF=&quot;http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?action_id=dspDetail&amp;hanreiSrchKbn=02&amp;hanreiNo=34185&amp;hanreiKbn=01&quot; TARGET=&quot;_blank&quot;&gt;http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?action_id=dspDetail&amp;hanreiSrchKbn=02&amp;hanreiNo=34185&amp;hanreiKbn=01&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　&lt;a HREF=&quot;http://blogs.yahoo.co.jp/blogger2005jp/46561612.html&quot; TARGET=&quot;_blank&quot;&gt;http://blogs.yahoo.co.jp/blogger2005jp/46561612.html&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
　&lt;a HREF=&quot;http://blogs.yahoo.co.jp/sakurannbo1002/46507346.html&quot; TARGET=&quot;_blank&quot;&gt;http://blogs.yahoo.co.jp/sakurannbo1002/46507346.html&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
　&lt;a HREF=&quot;http://blogs.yahoo.co.jp/stellar_mimiru/46533715.html&quot; TARGET=&quot;_blank&quot;&gt;http://blogs.yahoo.co.jp/stellar_mimiru/46533715.html&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
法律論を弄ぶまでもなく「常識」から見て、＜君が代伴奏拒否→処分→合憲＞は明らかでしょう。ただ、朝日新聞の社説等を見ると、「この判決は人権制約の基準を示さない抽象論に終始した」という見方がされている。しかも、この見方は「常識にかなった妥当な判決」としてこの判決を歓迎する側のブログの記事やコメントにも散見しているようです。本来は、1、2審の判決のようにすっきりと「公務員が上司の命令に従うのは当然」「日の丸と君が代の尊重は学習指導要領にも書かれており、この上司の命令は合法かつ妥当」と言って欲しかったよな、と。まあ、勝ったからいいかっ、と。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
結論から先に言えば、しかし、私の評価は下級審判決に比べても最高裁判決が優れているというものです。ところが、これと同じ主旨の解説を読売新聞で目にした。小林篤子記者の署名記事：&lt;font color=&quot;red&quot;&gt;2007年2月28日「解説スペシャル　君が代伴奏命令合憲」&lt;/font&gt;（下記URL参照）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;a HREF=&quot;http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20070228ur03.htm&quot; TARGET=&quot;_blank&quot;&gt;http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20070228ur03.htm&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
小林さんはこう書いておられます。&lt;font color=&quot;purple&quot;&gt;「最高裁判決は、結論こそ同じだったが、判断の枠組みは1、2審と根本的に異なる」「あるベテラン裁判官は「公務員だから（人権を）制限しても良いという1、2審の論理は、やや乱暴な切り捨て方。最高裁判決の方が現実的で理解しやすい」と話した」&lt;/font&gt;、と。この小林記者の分析には唸りました。ということで、小林氏の分析から一歩踏み込んで私なりに要約すれば、&lt;br /&gt;
&lt;font color=&quot;blue&quot;&gt;&lt;br /&gt;
●1、2審の論理&lt;br /&gt;
・君が代伴奏拒否は思想良心の自由にあたるか：Yes&lt;br /&gt;
・伴奏命令は思想良心の自由の侵害（や制約）か：Yes&lt;br /&gt;
・職務命令による思想良心の自由の侵害は許されるか：Yes　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
●最高裁判決の論理&lt;br /&gt;
・君が代伴奏拒否は思想良心の自由にあたるか：Yes/No&lt;br /&gt;
・伴奏命令は思想良心の自由の侵害（や制約）か：No　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　→　ここでゲームオーバー&lt;br /&gt;
・職務命令による思想良心の自由の侵害は許されるか：N/A&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　→　ゲームオーバーにつき判断せず&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
敷衍すれば、1、2審の下級審判決が、（1）君が代伴奏拒否は憲法が認める思想良心の自由であり、(2)普通の人に対する伴奏命令（？　普通の人に「命令は出せんよ！」とかは言わないこと♪）は憲法違反になりうるが、(3)このケースでは原告（上告人）は、公務員であり、かつ、ピアノ伴奏をする任にこの学校組織の中で最も相応しい「音楽教師」であるのだから、この件に関して人権が制約されるのは当然。ピアノ伴奏命令は合理的な人権の制約である。よって、＜君が代伴奏拒否→処分→合憲＞と考えるのに対して、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最高裁判決は、(1)君が代伴奏の拒否は（一般的には）思想良心の自由にあたるが、その制約がどの程度憲法的に許容されるかどうか（逆に言えば、思想良心の自由の具体的規範内容）はケース・バイ・ケースでしか定まらない。つまり、君が代伴奏の拒否が思想良心の自由にあたるかどうかは個々の場合で異なる。ところが、(2)伴奏命令は思想良心の自由の侵害（や制約）ではない：なぜならば、思想良心の自由の制約とは、‘団蠅了彖曚龍制、個人の思想の表明・告白の強要という二つの場合に類型化され、本件の伴奏命令は「君が代を好きになれ！」とか「君が、君が代を好きなことを態度で示してみろ！」というものではないことは明らかであるから、よって、＜君が代伴奏拒否→処分→合憲＞であり、(3)「職務命令による思想良心の自由の侵害は許されるか」は判断するに及ばないと考えたのだと思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
再度言いますが、憲法理論的には、はっきり言って最高裁判決が下級審よりも優れている。私はそう思います。なぜか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
例えば、20年近く前までの憲法の教科書には、人権制約のカテゴリーとして、「特別権力関係論」や「部分社会の法理」（要は、公務員やある宗教団体の職員のように、自ら進んで憲法上の権利の一部が制約されることを承知でそのポジションについた者については、普通の人に比べて人権が制約される度合いが大きくなったとしても違憲とはいえないし、そのような雇用契約等は民法の公序良俗に反するものとも言えないというロジック）が堂々と書かれていました。また、刑法のテクストには「憲法31条は実体的デュープロセスをも規定する」という主張も（要は、憲法31条は刑事訴訟法的な手続きの完備を要求するだけでなく、犯罪の成立要件の規定の明確性、犯罪と犯罪に対する法的効果たる刑罰の重さの均衡をも要求しているという主張も）堂々と書かれていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
けれど、どのような行為を犯罪とするか（＝どのような利益が刑法を通じて国家が守るべき「法的利益＝権利」とされるか）、而して、犯罪類型と刑罰の重さの合理的均衡などは、憲法31条という本来「手続きの法定」を要求する抽象的な条規からではなく、表現の自由や財産権、労働基本権や思想良心の自由等々の各種人権条項から導かれるべきものであり、まして、「特別権力関係」や「部分社会の法理」などの＜水戸黄門の印籠＞を持ち出すだけで、公務員や特殊な団体のスタッフの人権を一般的に制約できるとする考えはあまりに乱暴でしょう。蓋し、小林記者が取材されたある裁判官が「公務員だから（人権を）制限しても良いという1、2審の論理は、やや乱暴な切り捨て方」であるとコメントされたのは極めて妥当だと私は思うのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
逆に言えば、朝日新聞がよくするように「人権」の二文字を持ち出せば、（朝日新聞や反日勢力が守りたいと考えるあるタイプの）利益を制約する国家や地方自治体の命令や制度は「違憲」と断じうるかの如き論調もまた、＜水戸黄門の印籠＞レヴェルの議論に過ぎない。そう言えるのではないでしょうか。例えば、2月27日朝日新聞社説&lt;font color=&quot;red&quot;&gt;「人権メタボ　文科相のひどい誤診だ」&lt;/font&gt;の中の記述、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;font color=&quot;green&quot;&gt;「伊吹文科相は「権利と自由だけを振り回している社会はいずれ駄目になる。権利には義務が伴う」とも語っている。人権を振りかざして義務を果たさずに権利ばかりを主張するのはおかしい。そう言いたかったのかもしれない。しかし、「権利」と「人権」は重なり合うが、同じではない。「人権メタボリック症候群」という言葉から伝わってくるのは、人権に対する文科相の感性の乏しさだろう」&lt;/font&gt;というのは朝日新聞の憲法理解の乏しさの現われだと私は思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
畢竟、人権は憲法総論においては国家権力の正当化根拠であり（＝人権の価値を認めその価値の具現を図ることが権力の支配に正当性を与えるというロジックであり）、国家権力行使の制約根拠（＝権力の行為規範たる、権力行使の制限規範としての人権というロジック）であることは間違いないでしょうが、憲法の各論たる人権論においては、人権は具体的な諸権利の束や体系としてしか存在しないのです（百歩譲ったとしても、「人権は具体的な諸権利の束や体系としてしか認識できない」のです）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
蓋し、個々の人権は具体的な場面では「どの程度の行為まで憲法秩序の中で許されるのか」という切り口から、言わば消去法的かつ帰納法的に理解されるしかない類の規範の内容であり、而して、人権とは「ある範囲に限定された権利」の束であり体系以外の何ものでもない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして、伊吹文科相の「人権メタボリック症候群」というのが（朝日新聞自身が認めているように）人権と権利を同一視していることから見て、伊吹文科相の議論が憲法各論における「具体的な人権」について論じたものであることは明らかなのです。ならば、朝日新聞の「「権利」と「人権」は重なり合うが、同じではない」という主張は、故意か過失か知りませんが、明らかに伊吹文科相を（ひいては、安倍－中川酒豪－麻生外相の「ANA」連合政権を）批判する為にする「憲法の総論と各論を混同」した狡猾または粗忽な議論と言えるのではないか。私はそう考えます。閑話休題。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
結論としてもう一度整理すれば、君が代伴奏命令に合憲判断を下した、今次の最高裁判決は、「人権を制限する／人権を擁護する」という憲法の各論の具体的な人権論において、ドイツ憲法学流の「特別権力関係論」も朝日新聞流の「人権メタボリック症候群」も否定する中庸を得た穏当なものでしょう。それは、＜水戸黄門の印籠＞的な概念実在論ばりの「人権論」を退ける構想の健全さの現われである点でも、かつ、思想信条の自由の制限パターンとして、‘団蠅了彖曚龍制、個人の思想の表明・告白の強要という具体的な基準を打ち出したプロの法律家らしい知的努力の点から見ても、（もちろん、判決の結論が、「世間の常識」に沿って、非常識な音楽教師とその支援者に鉄槌を加えるものであっただけでなく）極めて妥当な判決であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ならば、朝日新聞がその記事で&lt;font color=&quot;green&quot;&gt;「今回は、ピアノの伴奏に絞っての判断で、不起立や不斉唱を巡る訴訟では別の結論が導かれる可能性も残されている」&lt;/font&gt;（2007年2月28日、東京本社版13版第一面）という意味不明な負け惜しみを書いていますが（もちろん、本件は音楽教師のピアノ伴奏拒否を巡る訴訟であったことは事実ですが）、‘団蠅了彖曚龍制、個人の思想の表明・告白の強要という、思想信条の自由の具体的内容の確定のガイドラインを示した今回の判決は、不起立や不斉唱を巡る訴訟にも少なからず影響を与えるものと私は確信しています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、それにしてもある判例の理解について、朝日新聞が束になっても読売新聞の一記者に勝てないというのは実に痛快ではないか。今後とも、「小林篤子記者の署名記事」が楽しみだ。そう私は思いました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;b&gt;[転載歓迎]&lt;/b&gt;&lt;/font&gt;&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;https://rdsig.yahoo.co.jp/rss/l/blog/myblog/rss2/scrap_item/RV=1/RU=aHR0cHM6Ly9ibG9ncy55YWhvby5jby5qcC9rYWJ1MmthaWJhLzQ1MjE2MDc3Lmh0bWw-&quot;&gt;転載元: 松尾光太郎 de 海馬之玄関ＢＬＯＧ&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/momonosuke333/15061493.html</link>
			<pubDate>Sat, 03 Mar 2007 15:14:46 +0900</pubDate>
			<category>法学</category>
		</item>
		<item>
			<title>本棚バトン</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-9d-9c/momonosuke333/folder/430494/47/11376247/img_0?1168580147&quot; width=&quot;320&quot;&gt;&lt;br /&gt;
&lt;font size=&quot;3&quot;&gt;&lt;br /&gt;
KABU先生からのお薦めで「バトン」に参加することになりました。バトンというのは、興味もない方に（断るにしても）心理的負担を押し付けるもののように見えて、あまり感心しておらんのでしたが、これはなかなか良いなと思ったからです。小生はブログ初心者でもあり、勝手が今ひとつわからない所もありますが、なんとかなるでしょうw&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Ｑ１．部屋にある本棚数（無回答可）&lt;br /&gt;
180cm×120cmの本棚が4セット。180cm×90cmのカラーボックスが8本。その他、スライド書棚が2台ありますがこれはほぼ応接セットまたは調度品と化しておりますな。経営学関連の書籍は工場の自室においております。数年前、引っ越しと入院したときに思う所があって本はかなり処分しましたので、ぎりぎり上記の書棚にすべて収納できておりますが、やはり、本は知らない間に増えるもので、あまり奇麗ではなくなりました。画像は手許に取り込んでいたものですが１年程前の状況だったとおもいます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Ｑ２．今読んでいる本&lt;br /&gt;
・&lt;b&gt;塩野七生『ローマ世界の終焉?ローマ人の物語XV?』&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
　　とうとう完結しました。そういう感慨のもとに読んでおります。&lt;br /&gt;
　　第一巻はアメリカ駐在から帰国後すぐに出た記憶がありますから、&lt;br /&gt;
　　日本復帰丸15年足掛け16年がたったということでもありますな。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・&lt;b&gt;司馬遼太郎『功名が辻』&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
　　「昨年の今頃読んでいた本」の誤りではなかです。&lt;br /&gt;
　　昨年のNKH大河ドラマの影響もありますが、戦後史の変革期の&lt;br /&gt;
　　いま、戦後を考えるために戦前の時代を知りたい、戦前を知る&lt;br /&gt;
　　ために江戸時代を知りたい。江戸時代を知るためにその成立期を&lt;br /&gt;
　　知りたいと素朴に感じちょうどNHKでドラマもやって馴染みも&lt;br /&gt;
　　あったので読み始めました。ただ、あんまり面白くはないですなw&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・&lt;b&gt;中村澄子『１日1分レッスン！　TOEIC Test』&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
　　数年後には若い方に英語を教えたいと計画しているので、そろそろ&lt;br /&gt;
　　準備を始めたとですな。さすがに、話すのや聞くのは大丈夫ですが、&lt;br /&gt;
　　白黒はっきりした知識が確認される「文法」や「語法」「類義語」は&lt;br /&gt;
　　全然駄目です。日ごろいかにいい加減に「大雑把な理解」でビジネス&lt;br /&gt;
　　を英語で処理しているかが思い知らされています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Ｑ３．最後に買った本&lt;br /&gt;
&lt;b&gt;中村澄子『１日1分レッスン！　TOEIC Test Part 2』と『Will』&lt;br /&gt;
『諸君！』『思想』『月刊企業と知的財産』&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
Ｑ４．よく読む、または思い入れのある5冊～15冊&lt;br /&gt;
・&lt;b&gt;司馬遼太郎『竜馬がいく』『坂の上の雲』&lt;br /&gt;
　子母澤寛『勝海舟』&lt;br /&gt;
　大佛次郎『天皇の世紀』&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
　　幕末維新の話は肥前人としてはやはり思い入れがありますな。&lt;br /&gt;
　　特に、『勝海舟』は大学卒業後務めていた商社を辞めて、連れ合いの&lt;br /&gt;
　　家業を継ぐかどうかの岐路にあったころちょうどNHKの大河ドラマで&lt;br /&gt;
　　やっていていまでも鮮明に覚えております。&lt;br /&gt;
　　ただし、上の２冊以外の司馬作品を小生は全体としてあまり高くは&lt;br /&gt;
　　評価しません。歴史物語にしてはあまりにも脇があまいから。&lt;br /&gt;
　　例えば、『花神』などは取材ノートを作品にしたてたようなものだと&lt;br /&gt;
　　思うとります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・&lt;b&gt;我妻栄『民法大意』&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
　　民法は好きだったのですが『民法講義』を読んで理解したつもりに&lt;br /&gt;
　　なっていたことを、同じ我妻先生のこの小著を読んで、何も理解して&lt;br /&gt;
　　いなかったことを思いしらされました。よい薬になりました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・&lt;b&gt;ロック『市民政府論』&lt;br /&gt;
　J・S・ミル『自由論』&lt;br /&gt;
　アダムスミス『国富論』&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
　　言うまでもなく古典ですな。「古典はいつも引用されるけれど、古典を&lt;br /&gt;
　　本当に読んでいる人は少ない」というのは真実だと思います。小生は&lt;br /&gt;
　　幸いというか、高校の英語の先生に『自由論』の簡易対訳本を薦められ&lt;br /&gt;
　　上京する前の高校最後の春休みに読了しました。その後、英書購読の&lt;br /&gt;
　　テキストが『市民政府論』。これが機縁となって、リベラル保守の&lt;br /&gt;
　　政治思想の古典をサラリーマン時代に読みあさりましたが、その中で&lt;br /&gt;
　　最も影響を受けたのがこれら三冊ですな。しかし、&lt;br /&gt;
　　この経験は三十路後半にアメリカの大学院で学んだときに大変ものを&lt;br /&gt;
　　言いました。アメリカ人のロスクールの学生も書名は知っていても&lt;br /&gt;
　　読んだことのある者は極めて少なく、通読したことのある者に至っては&lt;br /&gt;
　　ほとんど皆無と言ってよくw  　クラス討議でも適宜引用すると大変&lt;br /&gt;
　　尊敬されました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・&lt;b&gt;夏目漱石『坊ちゃん』『我が輩は猫である』&lt;br /&gt;
　森鴎外『舞姫』『阿部一族』『高瀬舟』&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
　　文学といいますか小説にはあまり縁がないのですが、子供心に教養として&lt;br /&gt;
　　無理に読んだ記憶があります。ところが、現在でもこれらは不思議と&lt;br /&gt;
　　人生の節目で読み返しておる。不思議ですな。&lt;br /&gt;
　　&lt;br /&gt;
・&lt;b&gt;梶原一騎『巨人の星』&lt;br /&gt;
　　松本零士『銀河鉄道999』&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
　　いま現在はソフトバンク・ホークスですが、九州人はなんといわれようが、&lt;br /&gt;
　　巨人ひいき。これは何度読んだかわからなんですw&lt;br /&gt;
　　銀河鉄道のメーテルは男おいどん世代の憧れですなww&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Ｑ５．次の本棚指名（5人）&lt;br /&gt;
バトンを落とされるのも自由ですし止めるのも自由にしましょう。&lt;br /&gt;
ブログ界も日が浅いので先輩方には失礼とは思いますが、是非一度、&lt;br /&gt;
本棚を覗いてみたいと思っていた次の方に振らせていただきます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・stellarさん&lt;br /&gt;
・sakurannboさん&lt;br /&gt;
・kongoさん&lt;br /&gt;
・ライクさん&lt;br /&gt;
・Keiのハートさん&lt;/font&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/momonosuke333/11376247.html</link>
			<pubDate>Fri, 12 Jan 2007 14:35:47 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>参議院でも教育基本法改正案粛々と審議入り</title>
			<description>教育基本法改正案、参院で審議入り…野党は欠席&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　政府・与党が今国会の最重要法案と位置づける教育基本法改正案は１７日午前の参院本会議で、安倍首相、伊吹文部科学相が出席して趣旨説明と質疑が行われ、審議入りした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　民主党など野党４党は本会議を欠席したほか、他の衆参両院の委員会でも全面的な審議拒否を続行した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　本会議では、保坂三蔵（自民）、山下栄一（公明）の両氏が質問。安倍首相は答弁で、「政府案は志ある国民を育てることを目的とし、新たな国づくりの基礎をなす。広く深い議論をし、速やかな成立をお願いしたい」と強調した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　また、本会議では、改正案を審議する特別委員会の設置を議決した。委員数は３５人で、委員長には自民党の中曽根弘文・元文相が内定している。野党側は委員名簿の提出を拒否している。与党側は、扇参院議長が職権で野党委員を指名したうえ、首相が２０日にアジア太平洋経済協力会議（ＡＰＥＣ）首脳会議から帰国した後、２１日から特別委で実質審議に入りたい考えだ。&lt;br /&gt;
（読売新聞） - 11月17日14時46分更新</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/momonosuke333/6538420.html</link>
			<pubDate>Fri, 17 Nov 2006 15:21:14 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>教育基本法改正案が衆院通過、もう一息。頑張れ安倍政権</title>
			<description>とうとう衆議院は通過しました。参議院でもしっかりやって日本の子ども達のために一刻も早く、新教育基本法を制定されるよう安倍政権にはもとめたいです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
教育基本法改正案が衆院通過、野党は欠席&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　政府・与党が今国会の最重要法案と位置づける教育基本法改正案は、１６日午後の衆院本会議で、自民、公明両党などの賛成で可決され、参院に送付された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　野党は採決に反対し、本会議を欠席。野党は同日午前の各委員会の審議や理事会を欠席しており、与党内では今国会成立のため、１２月１５日までの会期を延長すべきだとする声も出ている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　改正案は前文と１８条で構成されている。公共の精神を尊ぶことなどを前文に盛り込んだほか、生涯学習などの条項を新設した。教育目標として、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」態度を養うことなどを掲げた。１９４７年の同法制定以来、初の改正となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　与党は同改正案の衆院通過を受け、１７日の参院本会議で特別委員会の設置を議決し、改正案の審議に入りたい考えだ。自民党は１６日午前の正副国会対策委員長会議で、野党の各委員会での欠席を受け、同改正案以外の法案も与党だけで審議を進める方針を決めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　これに対し、民主党は１６日午前の国対委員会役員会で、衆参両院で委員会などの審議を拒否することを改めて確認した。野党は同日午前に予定されていた各委員会を欠席したが、衆院青少年問題特別委員会と憲法調査特別委員会小委員会では、参考人を招いた質疑だったため出席した。&lt;br /&gt;
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　民主党の高木義明国対委員長は１６日午前の記者会見で、１５日に衆院教育基本法特別委員会の採決が与党だけで行われたことについて、「まさに巨大与党、数の暴挙ここにありだ。他の委員会審議も与党に自制を求める」と改めて批判した。&lt;br /&gt;
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　この後、与野党の国対委員長が国会内で会談した。野党側は、必修科目の未履修、いじめ、タウンミーティングでの「やらせ質問」問題などの徹底審議を求め、改正案は衆院教育基本法特別委員会に差し戻すよう求めた。与党側は「審議は尽くしている」と拒否した。&lt;br /&gt;
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　河野衆院議長は１６日昼、野党４党の国対委員長を議長応接室に呼び、「１５日の委員会採決に瑕疵（かし）はない」としたうえで本会議出席を呼び掛けたが、野党側は拒否した。&lt;br /&gt;
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（2006年11月16日13時50分  読売新聞）</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/momonosuke333/6449112.html</link>
			<pubDate>Thu, 16 Nov 2006 15:35:45 +0900</pubDate>
			<category>国会</category>
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