八甲田山 劇場公開日 1977年6月18日
午前十時の映画祭で鑑賞
公開になったころに観たんだけれど・・・。
観ていてとてもしんどいが、何度でも見返したくなる。
日本映画史に残る名シーンが多い。
日露戦争迫る明治35年、ロシア軍との極寒の地での戦いに備え、冬の八甲田山で演習を行う弘前・青森の両連隊。しかし、冬の八甲田山は想像を絶するものだった…。
両連隊は命運を分けた。 弘前の小連隊は案内人に協力を頼み、自然との折り合いをつけた。 青森の大連隊は案内人を拒み、自然を甘く見ていた。 実際にあった“八甲田雪中行軍遭難事件”を映画化した、1977年の超大作。 210名の内、199名が犠牲に。 中には、立ったまま凍死した者もいたという。 夏のねぷた、ねぶた祭り、リンゴ農園、高山植物が咲き誇る十和田湖周辺等、青森の風景も素晴らしい。
木村大作撮影による冬の八甲田のシーンは息を呑む大迫力。
容赦無い猛吹雪、行けども行けども雪、雪、雪…、自然界における人間の無力さを改めて痛感する。
想像を絶する雪山の恐怖を実際の八甲田山で撮影、生地獄のような過酷さがヒシヒシと伝わってくる。
役者陣の演技も素晴らしいけど、八甲田山の天国と地獄を切り取って見せた手腕は見事です。
後年の監督作『剱岳 点の記』につながるんですね。
「天は我々を見放した」この名言誕生。 高倉健さん、若い北大路欣也さん、加山雄三さん、三國連太郎さん、若い大滝秀治さん、緒形拳さん、加賀まりこさん、若い秋吉久美子さん等々、キャストもすごいです。 緒方拳が脇役、重厚なキャスト。
高倉健が軍服着て、雪の中に立っているだけで絵になる。
☆☆☆☆☆/5
解説明治34年(1901年)末、日露戦争を目前にした陸軍では寒冷地訓練が必要とされていた。そして青森と弘前の2か所から出発する雪中行軍演習が実施されることに。その目的地に選ばれたのは、一つ間違えば生きては帰れぬ冬の八甲田だった―。原作は1902年の八甲田雪中行軍遭難事件という実話を基にした新田次郎著「八甲田山死の彷徨」(1971)。
物語青森歩兵第五連隊神田大尉(北大路欣也)と弘前歩兵第三十一連隊徳島大尉(高倉健)は、“雪の八甲田を歩いてみたいと思わないか”という上官からの提案を受けた。弘前歩兵第三十一連隊長児島大佐(丹波哲郎)と青森歩兵第五連隊長津村中佐(小林桂樹)は、どうせなら八甲田ですれ違う行軍計画にしようと気軽に口約束をする。そして出発前、弘前の徳島大尉の私邸で勉強会を終えた神田と徳島は、雪の八甲田での再会を誓い合ったのだが―。
こぼれ話森谷司郎監督(1931〜84)は、助監督として東宝入社。1955年から10年以上助監督を務め、『悪い奴ほどよく眠る』(60)から『赤ひげ』(66)まで黒澤明監督5作品でチーフ助監督を担当。『ゼロ・ファイター 大空戦』(66)で監督デビュー。青春映画を数多く手がけた後、『日本沈没』(73)と本作『八甲田山』という二本の超大作で記録的ヒットを飛ばす。代表作に『首』(68)、『弾痕』(69)、『赤頭巾ちゃん気をつけて』(70)、『動乱』(80)、『小説吉田学校』(83/遺作)など。
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