モモタロウ島

新モモタロウ島(F2ブログ)、モモタロウ島(アメブロ)も立ち上げました。しばらくは本ブログ「モモタロウ島」と3刀流です。

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第7章 アメリカが日本を恨んだ理由2

日露戦争後のポーツマス条約(1904年)により、イメージ 1日本は満州の長春から旅順までの鉄道などの権益を得ました。
日本は南満洲鉄道株式会社(満鉄)を設立。満鉄は鉄鉱、製鉄、電力、港湾、倉庫など、さまざまな関連事業を行い、軍事、経済の両面で日本の満洲経営の柱になっていきました。

アメリカの鉄道王・ハリマンは、進展の可能性のある南満州鉄道に目をつけ、日本に満州の鉄道の共同経営を持ちかけてきました。
ハリマンの提案は日露戦争で獲得した満州における日本の権益の分け前を得ようとするものでしたが、井上馨、伊藤博文らはハリマンの提案に賛成しました。
日露戦争で金を使い果たし、戦争に勝ったとはいえまだロシアの大軍は満州の北におり、ロシアの復讐も警戒しなければならないので、満州の鉄道経営をアメリカと一緒にやったほうがいいと考えたのです。
こうして桂首相はハリマンと仮条約を交わしました。
イメージ 2しかし、外相の小村寿太郎がこの仮契約に猛烈に反対しました。
日露戦争で10万人の同胞の尊い命と20億円の国費を犠牲にして得た満州の権益をアメリカと共有するなど許されないというものです。
当然といえば当然のことでした。結局、日本政府は仮約束を取り消すことにしたのです。
取り消しの電報をサンフランシスコで受け取ったハリマンは、日本が支那大陸にアメリカを入れないつもりだと議会に訴えましが、さすがにこの時点では強引なことができませんでした。


アメリカは支那大陸に進出したいと考えていましたが、日本がこれを独占してしまうのではないかと恐れ、次第に日本が邪魔な存在になっていったという訳です
また、ただでさえアメリカは黄色人種の日本がイメージ 4
白人の大国であるロシアに勝ったことに脅威・恐怖を感じ始めていましたが、そこへ仮条約を一方的に破棄され敵対心が生まれたのです。
そして日本が太平洋を渡ってアメリカに攻め込んでくるのではないかというあり得ない嘘を吹聴したという訳です。イメージ 5
日本はアメリカを攻撃するなどまったく考えてもいなかったのにアメリカは急遽軍艦を作り始めました。

その後もアメリカは1909年には満州鉄道の中立化(1909年)を提案してきましたが、すでに日本はロシアと共同で事業をすすめており、割り込む余地はありませんでした。
の後、日本とロシアは良好な関係を維持するようになり、満州は安定した状況でした。これが崩れるのはロシア革命以後(1917年)ソヴィエト共産党が誕生してからの話です。

永久に残る「アメリカ合衆国の蛮行」
「広島・長崎の虐殺」 アメリカは、
戦争の早期終結と嘯いて、終戦(1945年イメージ 3
8月15日)の数日前に、広島と長崎の何の罪もない民間人(お年寄り・女性・子供ばかり)の頭上に原子爆弾を落とし、広島で140,000人。
長崎で80,000人が焼き殺されました。
アメリカは「原子爆弾は戦争を早く終結させるために止むを得ず使用した。
それによって戦争が早期終結し、20万のアメリカ将兵が死なずに済んだ」と子供でも分かるウソをつきました
しかし、「極東軍事裁判」(東京裁判)は勝者が敗者を断罪する裁判ですから、アメリカが白と言ったら、黒いものでも白いと言わざるを得なかったのです。

       【原子爆弾投下の真実を伝える映画・動画です】
その本当の目的はせっかく作った原子爆弾で人体実験をしてみたかっただけなんです
降伏されると使用できないから、わざと降伏の受理を遅らせました。
事実、原爆投下から終戦までは10日間もなかったのです。
アメリカが慌てて原爆を使用したことがわかります。
また、トルーマン大統領は、 原爆投下によって大勢の一般市民の命が奪われることは初めからわかっていたのです。
もう一つは、ソヴィエトのスターリンに、アメリカに逆らうとこの原爆がモスクワに落ちるぞと警告をしたかった。
共産主義に対する見せしめでもあった訳です。
日本人は黄色人種(サル)だから焼き殺しても何ら問題ない…本当にそう考えていたんですよ。フイリピンでも、ハワイでも、そしてアメリカ本土でもアメリカ合衆国に抵抗した先住民をおおぜい虐殺しているんですよ。

日本中に展開された絨毯爆撃ですが、何故か広島、長崎にはおこなわれませんでした。 理由は簡単、事前に建物が破壊され、死傷者が多く出ていては原爆の効果が測定できなくなるからです。
ですから、広島・長崎の原爆投下は最初から決まっていたのです。
当日、たまたま天気が良かったから選んだなんて…ウソですよ
また、広島に投下された濃縮ウラン型の原爆は、闇の支配者(ディープステート)ロックフェラ−とメロン財団が開発したもので、長崎に投下されたプルトニウム型の原爆も、闇の支配者(ディープステート)モルガンとデュポンが開発したロスチャイルド系のものでした。
つまりユダヤ人企業間の競争原理によって、広島・長崎で大量殺戮実験が行われたということです。

イメージ 61945年7月30日 アメリカの重巡洋艦インディアナポリス(9800t)は広島に投下された原爆を運び終えた後、帰路フイリピン海を航行していました。
途中、日本海軍の潜水艦「伊58」(1600t)は
これを発見! 雷撃(魚雷攻撃)を行い、イメージ 7
6本の魚雷を発射、うち3本が命中してこれを撃沈しました。潜水艦「伊58」は大戦中、「橋本以行艦長」の指揮下 大活躍した潜水艦で終戦まで生き延び戦い続けました

また、インディアナポリスは日本に落とされる筈だった3発目の原子爆弾を輸送中だったという説もあり、もしこれを阻止していたとしたら大殊勲艦です。アメリカは、3発目の原爆があったとしても…絶対に言いませんね。ましてや撃沈されたのですから…勝った国が歴史を決めます。 


「東京大空襲」
イメージ 8風の強い日を狙って…まずは人々が逃げられないように周りから火の海にしておいて、その後内側に焼夷弾をまき散らしたのです。
日本人を「サル」くらいにしか思っていないのです。 この残虐行為を行った中心人物が「カーチス・ルメイ少将」(後に大将)でした。
着任早々、ルメイは「軍事施設への精密爆撃では手緩い                                                                                                                                                                                                                       無差別爆撃だ」と言い出します
そして、日本の都市部へ低高度からの無差別絨毯(じゅうたん)爆撃を立案しました。 低高度からの絨毯爆撃によって確実に日本人を虐殺、滅亡させるのがもっとも合理的と考えたのです。
ルメイは更に、日本本土爆撃のために「焼夷弾」を新たに開発させました。
関東大震災の際の日本家屋の燃え方を検証し、ガソリンとゴムを混ぜて作った最も燃える爆弾を作りました。 
B29爆撃機の防御用銃座を外し、その分「焼夷弾」は最大積載、その分焼夷弾を余分に積み、より多くの市民を殺せるように夜間爆撃に絞りました。
イメージ 91945年3月10日…首都・東京に低空で侵入した B-29 約300機は、まず、集中爆撃箇所の周囲四方6キロを爆撃、人々の退路を断った後、その中に焼夷弾をひたすら投下しました。
かくして、非人道的な爆撃により、民間人10万人を殺戮し、東京の4割が焼失、26万戸が焼け、百万人が家を失いました
その後4月と5月に2度の空襲が行われたが、これによって完全に焦土と化した東京は、もはや魅力のある目標ではなくなり戦略目標から外されました。イメージ 10
 この死の絨毯爆撃は、日本のすべての都市に向けられていき、名古屋、大阪、神戸などが次々に壊滅しました。
一方、B29爆撃機の被害も甚大で、作戦の変更が提案されましたが、ルメイは「何と言われようが、低高度爆撃は有効だ。昨晩は何万人も殺せただろう。作戦は成功だ。日本の都市を全て燃やし尽くす」 そして、その後も、日本の主要都市に対する無差別爆撃は続きました。
やっとそれが落ち着いたのは、基地にある爆弾の在庫が底をついた時でした。しかしルメイは「まだ日本は灰になっていない。もっと爆弾をくれ」と要請し続けたそうです。
イメージ 11「非戦闘員の虐殺は立派な国際法違反」ですが、ルメイは「日本人はみんな戦闘員だからいいんだよ!」という狂人の論理で、それを捻じ伏せています。
第二次世界大戦での日本における無差別空襲の犠牲者の数は、 30万人(+原爆の22万人)、ちなみに日本との同盟国であり、ヒトラー率いるドイツは、イギリス軍とアメリカ軍の空襲を受けましたが、日本よりはるかに少ない、1万8000人の犠牲者でした。
何故、日本だけ…その答えは簡単、ドイツ人は白人、日本人は有色人種だからです。アメリカ人はインディアンと同じ有色人種である日本人を心から憎んで、差別していたのです。家畜と同じに見ているのです

その後、ルメイはベトナム戦争の際の北爆を指揮します。
 「ベトナムを石器時代に戻してやる」と高笑いしていたといいます。
ベトナム人も白人ではないからですね。
その後、日本はルメイに対し 「航空自衛隊の創設に貢献した」という理由で勲一等を授けています
敗戦国(属国)の定めとはいえ、狂人に叙勲しなければならない天皇陛下のご心中、いかばかりかと察します

「卑劣な大量破壊・虐殺兵器を使用したアメリカ合衆国に対して日本政府が送った抗議文が残っています」【米機の広島への原爆投下)による攻撃に対する日本政府の抗議文】1945年8月9日⇒内容は省略

終わりに…日本軍はB29にやられっ放しで、アメリカには全く歯が立たず一方的に叩きのめされたと学校で教えられました。
イメージ 12これは、マッカサーのGHQは、「日本は強大なアメリカに対して無謀な戦争を仕掛けた…だから酷い目に遭わされても仕方がない…」と洗脳したのです。
ですから、戦後のNHKの放送などは番組で…アメリカの技術力には到底及ばない日本軍は体当たり攻撃・特攻など、非人道的な(竹槍論)手段で闘った…などと元日本兵などに嘘の証言をさせて自虐番組を作って放送していました。NHKのやらせ番組が大問題に発展した「ジャパン・デビュー」と同じ手法です。
アメリカが日本人に対して行ったイメージ 13
「大虐殺真実のすり替え」に協力していた訳です。
これでは、祖国を守るために必死で闘い死んでいった先人達に顔向けができません。
アメリカの戦死者は英雄で、日本の戦死者は犬死ですか…。
そんなことは、ありません。
日本の軍人も米軍の殺戮をただ見過ごしていた訳ではないのです。少ない戦力を数倍に活用して最後の一兵まで戦いました。
愛する人達を、そして日本を守るために
イメージ 14米軍は日本軍を本当に恐れていました。B29戦略爆撃機の被害機数はあまり知られていない。
何と陸海軍の本土防空部隊によって714機(485機説もある)が撃墜され、2707機が撃破されているのです。
カミカゼ特攻隊も沖縄などの海を埋め尽くした多数の米軍艦船に対し壮絶な体当たり攻撃を敢行し大打撃を与えました。イメージ 15
そして、米軍は二度とこのような恐ろしい国とは戦争をしたくないと思いました。
終戦後、8年間も日本を占領して日本人の「武士道精神」「日本の教育」を破壊したのです。現在もなお、事実上アメリカの占領状態が続いています。 情けない…
第8章(次回)につづく

 【動画…着陸事故と表現しているが実際には日本防空体の攻撃により撃破され着陸出来ずに失われた機体も多かった。米空軍爆撃機B29の損害】

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仰るとおりです。天皇陛下のご心中を考えると言葉がありません。陛下がいたからこそ,今の繁栄があるのにと思うと,涙が出ます。今の日本のメディアにしても偏った報道が多すぎます。彼らは,天皇制や憂国の士を批判するのが正義だと勘違いしています。戦後の偏った教育,日教組の毒がまだ生き続つけいるのが,私にとって大きな恐怖です。ブログ主様の活躍を心から期待し,応援しております。

2019/2/13(水) 午後 10:14 [ toudou455 ]

toudou455さん、貴重なコメント有難うございます。
例えば、メディアにしても、幹部やアナウンサーの多くが朝鮮系で…反日偏向報道をしたり、日本国民の税金や受信料で運営している筈のNHKまでもが反日の捏造報道で国民を騙しています。日教組などは沖縄に引越しして沖教祖となり、沖縄を中国の領土にしようと画策していまね。困ったものです

2019/2/14(木) 午後 9:57 モモタロウ島


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