モモタロウ島

新モモタロウ島(F2ブログ)、モモタロウ島(アメブロ)も立ち上げました。しばらくは本ブログ「モモタロウ島」と3刀流です。

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第一部…『沖縄のアメリカ軍を撃滅せよ』…
「戦艦大和ノ最期」で、昭和27(1952)年8月、〈GHQ占領下7年を経て全文発禁解除〉と帯に付されて発行された吉田満の『戦艦大和の最期』から引いたものです。
なぜ今回、大和が登場することになったか。
それは、大日本帝国海軍の象徴であり世界最大かつ最強と言われた戦艦大和が、最後の水上部隊を率いて沖縄を救うため"沖縄特攻"に出撃し、鹿児島県坊ノ岬沖で米軍艦載機延べ 機との壮烈な戦闘の末に潰えた日が、昭20(1945)年4月7日だったことによります。
イメージ 1吉田満氏はこのとき戦艦大和に少尉(副電測士)として乗組み、九死に一生を得て、終戦後、一気に『戦艦大和の最期』を書き上げました。
大日本帝国海軍の燦然たる栄光の日が「5月27日」(明治38年、日本海海戦においてロシアのバルチック艦隊を撃滅した日)であるならば、
その事実上の終幕の日が「4月7日」と言っていいでしょう。
明治に開国した我が国が、息急き切って"坂の上の雲"をめざして駆け上がり、列強に伍する近代国家となった、その歩みの帰結として大東亜戦争がありました。
どの民族、どの国家にもその歴史の中で記憶されるべき日が必ずありますが、その先人たちの壮絶な生きざまの上に今の幸せな日本があることを忘れてしまっているのが戦後日本人ではないでしょうか。
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「日本が沖縄を見捨てた」「日本兵は沖縄の人々を盾にして戦った」などという輩( や  のスパイ)の口車に乗せられ、日本軍は悪だったと決めつけたのは戦勝国による歴史の歪曲だったことが分かっています。
沖縄県の人々の殆どは、沖縄の日本軍守備隊が玉砕した後に亡くなっていることも分かっています。
これは、アメリカ兵による沖縄県民の大規模虐殺であっとことも分かっているのです。
それ故、アメリカは「人種差別の真実」を必死で隠すため歴史を捻じ曲げたのです。
沖縄戦で戦死した日本兵の殆どが北海道をはじめ全国から沖縄県を守るために派遣されました。
彼らが命をかけて沖縄県の人々を守って玉砕していったことが分かります。
イメージ 3さらに、沖縄県を米軍の手から守るため、
7,800機もの航空機と多くのパイロットの命が失われました。当時この数は本土にあった航空機の大部分でした。
そのうち神風(じんぷう)特別攻撃隊が 2,000機 出撃しました。
もちろん、その殆が未帰還でした。
陸海軍戦力の大部分を沖縄防衛のために投入したんです。
『沖縄を見捨てた』なんてとんでもない嘘をつく愚か者が居ることに憤りを感じます。
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また、戦後いかにアメリカが嘘八百を教えたのかが分かります。やりたい放題でした
あの大噓のハリウッド映画…滑稽で涙がでます。悪と正義があべこべです 
そのために、私達の祖父母の名誉が著しく傷つけられ貶められたのす
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【戦艦大和の性能】
建造期間 1937年 - 1944年 就役期間 1941年 - 1945年 
排水量 72,809t(満載)、69,100t(公試)、 全長263m 全幅 38.9m 
最高速度 27.0kt(50km/h) 航続距離 16ノット (29km/h) で 7,200浬 (13370km)  動力装置 ボイラー12基、艦本式オールギヤードタービン8基4軸、150,000馬力 
装甲  舷側 410mm 甲鈑 230mm 主砲防盾 650mm(数値はいずれも最大) 
武装(最終時) 46cm三連装 3基  15.5cm三連装砲 2基  12.7cm連装高角砲 12基 25mm三連装機銃 52基 25mm単装機銃 6基 13mm連装機銃 2基  水密区画数1,147  航空艤装 カタパルト2基、水上偵察機7機搭載  乗員 2,750名  同型艦 大和、武蔵( 3番艦信濃は空母に改修)
主砲弾には、 九一式徹甲弾(水中弾効果…目標の手前に落下した砲弾が、水中である程度の距離を水平に直進し、艦船の水中防御部に命中する) 三式通常弾(対空砲弾…榴散弾の一種で、46cm砲用では全長160cm、重量1,360kg。996個の弾子が空中で飛散) 文字通り世界最強の最強の戦艦でした。

『戦艦「大和」は沖縄を防衛するための捨て石になった』
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天一号作戦の概要は、アメリカ軍に上陸された沖縄防衛の支援、つまりその航程で主にアメリカ海軍の邀撃戦闘機を大和攻撃隊随伴に振り向けさせ、沖縄に向かう特攻機への邀撃を緩和させることでした。

さらに立案者の神重徳参謀の構想では、イメージ 7
もし沖縄にたどり着ければ、
自力座礁し浮き砲台として陸上戦を支援し、乗員は陸戦隊として戦闘させることも描いていたとされました。

沖縄の日本陸軍第三十二軍は、連合艦隊の要請に応じて4月7日を予定して攻勢をかけることになっていました。
イメージ 8なお、大和を座礁させて陸上砲台にするには、(1)座礁時の船位がほぼ水平であること、(2)主砲を発射するためには、機関および水圧系と電路が生きており、射撃管制機能が全滅していないこと、の2点が必要でしたが、誰もが、既に実行不可能と知っていました。

大和は菊水作戦で沖縄までの片道分のイメージ 9
燃料しか積まずに出撃したといわれていましたが、記録、証言から約4,000(満載6,500)トンの重油を積んでいたことが判明しています。

戦闘詳報でも大和の出撃時の燃料搭載量は4000tと表記されており、生存者の三笠逸男は出撃前にイメージ 10燃料担当の同僚と会い、周囲のタンクなどからかき集めて合わせて4000t程大和に搭載したと述べています。

現実を見ればアメリカ軍の制海権・制空権下を突破して沖縄に到達するのは不可能に近く、作戦の主意は、攻撃の主役である菊水作戦による航空機による特攻を支援するための陽動作戦(囮作戦)だったのです。

軍令部の中には二案がありました。イメージ 11
陽動作戦なら大和を沖縄に出撃すると見せかけ、アメリカの機動部隊(空母群)が「大和」というエサに喰いついた時点で大和は反転して全速力で日本海に逃走する。
九州の航空基地に精鋭の戦闘機隊を集めておき、大和を狙って襲ってくる攻撃隊を迎撃すれば、「大和」を失わず、米空母軍を北につり上げることが出来て特攻機の攻撃が容易になるというものでした。

実際には、この二つ目の案は採用されませんでした。
それは、「大和」が例え撃沈されようと、大日本帝国海軍最後の艦隊の全勢力をもって沖縄を救いに行きたいという強い思いがあったからです。
イメージ 12当初、第5艦隊司令長官レイモンド・スプルーアンス大将は戦艦による迎撃を考えていました。
スプルーアンス大将はアメリカ留学中の伊藤中将と親交を結んだ仲であり、帝国海軍の象徴であった「大和」は戦艦同士の砲撃戦で葬るのが、せめてもの手向け(武士道)と考えていたのでしょう。

しかし実際には、スプルーアンス大将が戦艦による砲撃戦を挑もうとしていたところをミッチャー中将が先に攻撃部隊を送り込んでしまいました。イメージ 13
ミッチャー中将は何としても「大和」を航空攻撃で撃沈して手柄をものにしたかったのだといわれています。
またミッチャー中将は、各部隊の報告から大和が沖縄へ突入すると確信し、スプルーアンスに知らせないまま攻撃部隊の編成を始めたと言われています。

そして…4月7日早朝、「大和」を発見したアメリカ軍は、機動部隊(空母)に攻撃命令を出しました。
イメージ 14その兵力は空母(正規)12隻、艦載機はおよそ800機でした。
そのうちの航空隊386機による波状攻撃を受けました。
艦隊の上空で攻撃に参加したのは、309機、大和に襲いかかったのは117機だったと言われています。
「大和」には護衛機はありませんでした。
正午過ぎ「大和の対空レーダー」が敵機の大編隊を補足… 12時32分に敵機の大編隊100機余が雲の合間から出現、急降下爆撃が開始されました。 
12時45分に魚雷1本が「大和」の左舷に命中。
射撃を目測に頼る対空砲火は暑い雲に阻まれ…主砲を使うことが出来ませんでした。イメージ 15
13時34分…雷撃機隊が左から6本の魚雷を投下、うち3本が左舷に命中。13時44分…さらに魚雷2本が左舷に命中、「大和」は左に傾いたが、ここで注排水システムが作動、平衡を取り戻しました。
魚雷6本を受けてもなお、バランスを保ち戦い続けられる「大和」は文字通り不沈戦艦と呼ばれた所以でもありました。

しかし、アメリカ軍の作戦は巧妙でした。
魚雷の殆どを左舷に集中させたのです。
イメージ 16圧倒的な数で襲いかかる敵機に「大和」自慢の注排水システムもやがて限界に達しました。 
その後さらに3本が左舷に命中…
再び傾いた「大和」は、もうバランスを取り戻すことが出来くなっていました。
14時17分…またも魚雷が左舷に命中、「大和」の傾斜が大きくなりました。
伊藤長官は、作戦中止命令を下し、長官室に入って内側から鍵をかけた。昭和20年4月7日14時22分…イメージ 17
ついに「大和」は横転、大爆発を起こし沈没しました。自爆したという説もあります。
命を落とした乗組員は、3,056名を数えました。

そして、それはかつて、無敵を誇った日本帝国海軍の最期でもあったのです。



イメージ 18昭和19年10月24日に、シブヤン海(フィリピン)で同型艦の戦艦「武蔵」が撃沈された時は魚雷20本、爆弾20発を受けながら9時間耐えて戦い続けました。
米軍にとっては苦い経験があり。
この教訓から「大和」攻撃の際には「左舷のみを集中的に攻撃」する作戦をたてていました。
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まず、戦闘機に搭載したロケット弾で「大和」の左側面の対空機銃などの対空兵装を破壊し、その後、爆弾5発、魚雷13〜14本の殆どが左に命中しました。
最初は傾斜を復元していましたが、力尽き船体が横倒し状態になり大爆発を起こして沈没。
攻撃を受けてから2時間足らずの戦闘でした。
米軍機の損害は11機、47機が被弾するという極めて軽微な被害でした。その要因は色々挙げられますが、イメージ 20
当時は天候が悪く、低い雲が垂れこめ「大和の対空火器の視界を遮った」ため、もてる威力を殆ど発揮できなかったと言われています。
どちらにせよ、多勢に無勢ですからどうにもならない状況でした。
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 【参考資料集‥動画】
            大和の中を覗いてみた(CG) 
           戦艦大和 主砲のメカニズム(CG
         世界最強を誇った戦艦大和!最高技術テンコ盛り

第二部(後編)は、 『沖縄戦の報道や歴史教科書はウソ!』を次週にアップ致します。 

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悲しいですね。
なぜ大和の乗務員に大量の戦死者が出たのか。通常は救護船に乗ったり救命胴衣を着けていたりする乗務員は戦闘中ではありませんから、保護すべきなのがルールです。それを上から機銃掃射した。そう、東京などの空襲や原爆投下でお得意の米国により戦争犯罪です。

2019/4/7(日) 午後 0:36 [ uchida ]

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海行かば 水漬く屍 山行かば 草生す屍
大君の 辺にこそ死なめ かへり見はせじ


今日が大和の出撃した日でしたね。日本人に誇りを残してくれましたし,沖縄県民への思いも幾分かは伝えることができたと思います。しかし,出撃者の生還を考えない馬鹿な戦いではありました。特攻もそうです。無理ない草でしたが,将兵は立派ですし,日本人として誇りに思います。 合掌

2019/4/7(日) 午後 6:54 [ toudou455 ]

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toudou455さん、コメント有難うございます。
おっしゃる通りです
戦争というものは、一部の人たちの欲から起こり、何の罪もない者同士が憎み合い、殺し合います。大昔から止むことのない愚かな人間の悲しい性でしょうか。
如何なる犠牲も敢えて戦果…死にに行った人たちの勇気は勿論ですが、大きな愛があればこそ成し遂げられたのだと思います。 そして、その人達を犬死などと言う輩が再び戦争を起こすのでしょう

2019/4/7(日) 午後 11:03 モモタロウ島

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uchidaさん、コメント有難うございます。
私もまったく同意見です。 戦勝国は、いつも真摯で英雄、負けたは、いつも悪者に仕立て上げましたね。本当は真逆です。真珠湾攻撃以前から中国大陸で日本軍を攻撃したり、東京大空襲ではお年寄りと婦女子しか居ない下町を周りから焼いて、逃げられないようにしてから皆殺しにしたり、沖縄では日本軍が玉砕してから島民の大虐殺を行ったり、国際法に違反する原子爆弾を終戦になる前に慌てて落とし…終戦を早めるために使ったなどと、恥ずかしいことの知らない輩です。そして大ウソの歴史を敗戦国に強要する、そんな野蛮人の国なんです。だから日本兵は命を捨てる覚悟で闘ったんですね。

2019/4/7(日) 午後 11:24 モモタロウ島

モモタロウ島さんへ〉ナイスでごぜーます。
現在地、茨城県日立市に潜伏して居ます👍

2019/4/12(金) 午前 8:25 [ やくにてるの冒険 ]

やくにてるの冒険さん、有難うございます。

2019/4/12(金) 午後 9:57 モモタロウ島


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