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さわりの部分のみ 掲載します 短編ですので 興味をもたれた方は http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42618_21410.html から 続きをどうぞ ******************************* 桜の森の満開の下 坂口安吾 桜の花が咲くと人々は酒をぶらさげたり団子(だんご)をたべて花の下を歩いて絶景だの春ランマンだのと浮かれて陽気になりますが、これは嘘です。なぜ嘘かと申しますと、桜の花の下へ人がより集って酔っ払ってゲロを吐いて喧嘩(けんか)して、これは江戸時代からの話で、大昔は桜の花の下は怖しいと思っても、絶景だなどとは誰も思いませんでした。近頃は桜の花の下といえば人間がより集って酒をのんで喧嘩していますから陽気でにぎやかだと思いこんでいますが、桜の花の下から人間を取り去ると怖ろしい景色になりますので、能にも、さる母親が愛児を人さらいにさらわれて子供を探して発狂して桜の花の満開の林の下へ来かかり見渡す花びらの陰に子供の幻を描いて狂い死して花びらに埋まってしまう(このところ小生の蛇足(だそく))という話もあり、桜の林の花の下に人の姿がなければ怖しいばかりです。 昔、鈴鹿峠にも旅人が桜の森の花の下を通らなければならないような道になっていました。花の咲かない頃はよろしいのですが、花の季節になると、旅人はみんな森の花の下で気が変になりました。できるだけ早く花の下から逃げようと思って、青い木や枯れ木のある方へ一目散に走りだしたものです。一人だとまだよいので、なぜかというと、花の下を一目散に逃げて、あたりまえの木の下へくるとホッとしてヤレヤレと思って、すむからですが、二人連は都合が悪い。なぜなら人間の足の早さは各人各様で、一人が遅れますから、オイ待ってくれ、後から必死に叫んでも、みんな気違いで、友達をすてて走ります。それで鈴鹿峠の桜の森の花の下を通過したとたんに今迄仲のよかった旅人が仲が悪くなり、相手の友情を信用しなくなります。そんなことから旅人も自然に桜の森の下を通らないで、わざわざ遠まわりの別の山道を歩くようになり、やがて桜の森は街道を外(はず)れて人の子一人通らない山の静寂へとり残されてしまいました。 そうなって何年かあとに、この山に一人の山賊が住みはじめましたが、この山賊はずいぶんむごたらしい男で、街道へでて情容赦なく着物をはぎ人の命も断ちましたが、こんな男でも桜の森の花の下へくるとやっぱり怖しくなって気が変になりました。そこで山賊はそれ以来花がきらいで、花というものは怖しいものだな、なんだか厭なものだ、そういう風に腹の中では呟(つぶや)いていました。花の下では風がないのにゴウゴウ風が鳴っているような気がしました。そのくせ風がちっともなく、一つも物音がありません。自分の姿と跫音(あしおと)ばかりで、それがひっそり冷めたいそして動かない風の中につつまれていました。花びらがぽそぽそ散るように魂が散っていのちがだんだん衰えて行くように思われます。それで目をつぶって何か叫んで逃げたくなりますが、目をつぶると桜の木にぶつかるので目をつぶるわけにも行きませんから、一そう気違いになるのでした。 けれども山賊は落付いた男で、後悔ということを知らない男ですから、これはおかしいと考えたのです。ひとつ、来年、考えてやろう。そう思いました。今年は考える気がしなかったのです。そして、来年、花がさいたら、そのときじっくり考えようと思いました。毎年そう考えて、もう十何年もたち、今年も亦(また)、来年になったら考えてやろうと思って、又、年が暮れてしまいました。 そう考えているうちに、始めは一人だった女房がもう七人にもなり、八人目の女房を又街道から女の亭主の着物と一緒にさらってきました。女の亭主は殺してきました。 山賊は女の亭主を殺す時から、どうも変だと思っていました。いつもと勝手が違うのです。どこということは分らぬけれども、変てこで、けれども彼の心は物にこだわることに慣れませんので、そのときも格別深く心にとめませんでした。 山賊は始めは男を殺す気はなかったので、身ぐるみ脱がせて、いつもするようにとっとと失せろと蹴とばしてやるつもりでしたが、女が美しすぎたので、ふと、男を斬りすてていました。彼自身に思いがけない出来事であったばかりでなく、女にとっても思いがけない出来事だったしるしに、山賊がふりむくと女は腰をぬかして彼の顔をぼんやり見つめました。今日からお前は俺の女房だと言うと、女はうなずきました。手をとって女を引き起すと、女は歩けないからオブっておくれと言います。山賊は承知承知と女を軽々と背負って歩きましたが、険(けわ)しい登り坂へきて、ここは危いから降りて歩いて貰おうと言っても、女はしがみついて厭々、厭ヨ、と言って降りません。 「お前のような山男が苦しがるほどの坂道をどうして私が歩けるものか、考えてごらんよ」 「そうか、そうか、よしよし」と男は疲れて苦しくても好機嫌でした。「でも、一度だけ降りておくれ。私は強いのだから、苦しくて、一休みしたいというわけじゃないぜ。眼の玉が頭の後側にあるというわけのものじゃないから、さっきからお前さんをオブっていてもなんとなくもどかしくて仕方がないのだよ。一度だけ下へ降りてかわいい顔を拝ましてもらいたいものだ」 「厭よ、厭よ」と、又、女はやけに首っ玉にしがみつきました。「私はこんな淋しいところに一っときもジッとしていられないヨ。お前のうちのあるところまで一っときも休まず急いでおくれ。さもないと、私はお前の女房になってやらないよ。私にこんな淋しい思いをさせるなら、私は舌を噛んで死んでしまうから」 「よしよし。分った。お前のたのみはなんでもきいてやろう」 山賊はこの美しい女房を相手に未来のたのしみを考えて、とけるような幸福を感じました。彼は威張りかえって肩を張って、前の山、後の山、右の山、左の山、ぐるりと一廻転して女に見せて、 「これだけの山という山がみんな俺のものなんだぜ」 と言いましたが、女はそんなことにはてんで取りあいません。彼は意外に又残念で、 「いいかい。お前の目に見える山という山、木という木、谷という谷、その谷からわく雲まで、みんな俺のものなんだぜ」 「早く歩いておくれ。私はこんな岩コブだらけの崖の下にいたくないのだから」 「よし、よし。今にうちにつくと飛びきりの御馳走をこしらえてやるよ」 「お前はもっと急げないのかえ。走っておくれ」 「なかなかこの坂道は俺が一人でもそうは駈けられない難所だよ」 「お前も見かけによらない意気地なしだねえ。私としたことが、とんだ甲斐性(かいしょ)なしの女房になってしまった。ああ、ああ。これから何をたよりに暮したらいいのだろう」 「なにを馬鹿な。これぐらいの坂道が」 「アア、もどかしいねえ。お前はもう疲れたのかえ」 「馬鹿なことを。この坂道をつきぬけると、鹿もかなわぬように走ってみせるから」 「でもお前の息は苦しそうだよ。顔色が青いじゃないか」 「なんでも物事の始めのうちはそういうものさ。今に勢いのはずみがつけば、お前が背中で目を廻すぐらい速く走るよ」 けれども山賊は身体が節々からバラバラに分かれてしまったように疲れていました。そしてわが家の前へ辿(たど)りついたときには目もくらみ耳もなり嗄(しわが)れ声のひときれをふりしぼる力もありません。家の中から七人の女房が迎えに出てきましたが、山賊は石のようにこわばった身体をほぐして背中の女を下すだけで勢一杯でした。 七人の女房は今迄に見かけたこともない女の美しさに打たれましたが、女は七人の女房の汚さに驚きました。七人の女房の中には昔はかなり綺麗な女もいたのですが今は見る影もありません。女は薄気味悪がって男の背へしりぞいて、 「この山女は何なのよ」 「これは俺の昔の女房なんだよ」 と男は困って「昔の」という文句を考えついて加えたのはとっさの返事にしては良く出来ていましたが、女は容赦がありません。 「まア、これがお前の女房かえ」 「それは、お前、俺はお前のような可愛いい女がいようとは知らなかったのだからね」 「あの女を斬り殺しておくれ」 女はいちばん顔形のととのった一人を指して叫びました。 「だって、お前、殺さなくっとも、女中だと思えばいいじゃないか」 「お前は私の亭主を殺したくせに、自分の女房が殺せないのかえ。お前はそれでも私を女房にするつもりなのかえ」 男の結ばれた口から呻(うめ)きがもれました。男はとびあがるように一躍りして指された女を斬り倒していました。然し、息つくひまもありません。 「この女よ。今度は、それ、この女よ」 男はためらいましたが、すぐズカズカ歩いて行って、女の頸(くび)へザクリとダンビラを斬りこみました。首がまだコロコロととまらぬうちに、女のふっくらツヤのある透きとおる声は次の女を指して美しく響いていました。 「この女よ。今度は」 指さされた女は両手に顔をかくしてキャーという叫び声をはりあげました。その叫びにふりかぶって、ダンビラは宙を閃いて走りました。残る女たちは俄(にわか)に一時に立上って四方に散りました。 「一人でも逃したら承知しないよ。藪(やぶ)の陰にも一人いるよ。上手へ一人逃げて行くよ」 男は血刀をふりあげて山の林を駈け狂いました。たった一人逃げおくれて腰をぬかした女がいました。それはいちばん醜くて、ビッコの女でしたが、男が逃げた女を一人あまさず斬りすてて戻ってきて、無造作にダンビラをふりあげますと、 「いいのよ。この女だけは。これは私が女中に使うから」 「ついでだから、やってしまうよ」 「バカだね。私が殺さないでおくれと言うのだよ」 「アア、そうか。ほんとだ」 男は血刀を投げすてて尻もちをつきました。疲れがどッとこみあげて目がくらみ、土から生えた尻のように重みが分ってきました。ふと静寂に気がつきました。とびたつような怖ろしさがこみあげ、ぎょッとして振向くと、女はそこにいくらかやる瀬ない風情でたたずんでいます。男は悪夢からさめたような気がしました。そして、目も魂も自然に女の美しさに吸いよせられて動かなくなってしまいました。けれども男は不安でした。どういう不安だか、なぜ、不安だか、何が、不安だか、彼には分らぬのです。女が美しすぎて、彼の魂がそれに吸いよせられていたので、胸の不安の波立ちをさして気にせずにいられただけです。 なんだか、似ているようだな、と彼は思いました。似たことが、いつか、あった、それは、と彼は考えました。アア、そうだ、あれだ。気がつくと彼はびっくりしました。 桜の森の満開の下です。あの下を通る時に似ていました。どこが、何が、どんな風に似ているのだか分りません。けれども、何か、似ていることは、たしかでした。彼にはいつもそれぐらいのことしか分らず、それから先は分らなくても気にならぬたちの男でした。 *********************** |
文学鑑賞
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紀昌はすぐに西に向って旅立つ。その人の前に出ては我々の技のごとき児戯にひとしいと言った師の言葉が、彼の自尊心にこたえた。もしそれが本当だとすれば、天下第一を目指す彼の望も、まだまだ前途(ぜんと)程遠(ほどとお)い訳である。己が業(わざ)が児戯に類するかどうか、とにもかくにも早くその人に会って腕を比べたいとあせりつつ、彼はひたすらに道を急ぐ。足裏を破り脛(すね)を傷つけ、危巌(きがん)を攀じ桟道(さんどう)を渡って、一月の後に彼はようやく目指す山顛(さんてん)に辿(たど)りつく。
気負い立つ紀昌を迎(むか)えたのは、羊のような柔和(にゅうわ)な目をした、しかし酷(ひど)くよぼよぼの爺(じい)さんである。年齢は百歳をも超(こ)えていよう。腰(こし)の曲っているせいもあって、白髯(はくぜん)は歩く時も地に曳(ひ)きずっている。 相手が聾(ろう)かも知れぬと、大声に遽だしく紀昌は来意を告げる。己が技の程を見てもらいたいむねを述べると、あせり立った彼は相手の返辞をも待たず、いきなり背に負うた楊幹麻筋(ようかんまきん)の弓を外して手に執(と)った。そうして、石碣(せきけつ)の矢をつがえると、折から空の高くを飛び過ぎて行く渡り鳥の群に向って狙いを定める。弦に応じて、一箭(いっせん)たちまち五羽(わ)の大鳥が鮮(あざ)やかに碧空(へきくう)を切って落ちて来た。 一通り出来るようじゃな、と老人が穏(おだや)かな微笑を含(ふく)んで言う。だが、それは所詮(しょせん)射之射(しゃのしゃ)というもの、好漢いまだ不射之射(ふしゃのしゃ)を知らぬと見える。 ムッとした紀昌を導いて、老隠者(ろういんじゃ)は、そこから二百歩ばかり離(はな)れた絶壁(ぜっぺき)の上まで連れて来る。脚下(きゃっか)は文字通りの屏風(びょうぶ)のごとき壁立千仭(へきりつせんじん)、遥か真下に糸のような細さに見える渓流(けいりゅう)をちょっと覗いただけでたちまち眩暈(めまい)を感ずるほどの高さである。その断崖(だんがい)から半(なか)ば宙に乗出した危石の上につかつかと老人は駈上り、振返(ふりかえ)って紀昌に言う。どうじゃ。この石の上で先刻の業を今一度見せてくれぬか。今更引込(ひっこみ)もならぬ。老人と入代りに紀昌がその石を履(ふ)んだ時、石は微(かす)かにグラリと揺(ゆ)らいだ。強(し)いて気を励(はげ)まして矢をつがえようとすると、ちょうど崖(がけ)の端(はし)から小石が一つ転がり落ちた。その行方(ゆくえ)を目で追うた時、覚えず紀昌は石上に伏(ふ)した。脚(あし)はワナワナと顫(ふる)え、汗(あせ)は流れて踵(かかと)にまで至った。老人が笑いながら手を差し伸(の)べて彼を石から下し、自ら代ってこれに乗ると、では射というものをお目にかけようかな、と言った。まだ動悸(どうき)がおさまらず蒼(あお)ざめた顔をしてはいたが、紀昌はすぐに気が付いて言った。しかし、弓はどうなさる? 弓は? 老人は素手(すで)だったのである。弓? と老人は笑う。弓矢の要(い)る中はまだ射之射じゃ。不射之射には、烏漆(うしつ)の弓も粛慎(しゅくしん)の矢もいらぬ。 ちょうど彼等(ら)の真上、空の極めて高い所を一羽の鳶(とび)が悠々(ゆうゆう)と輪を画(えが)いていた。その胡麻粒(ごまつぶ)ほどに小さく見える姿をしばらく見上げていた甘蠅が、やがて、見えざる矢を無形の弓につがえ、満月のごとくに引絞ってひょうと放てば、見よ、鳶は羽ばたきもせず中空から石のごとくに落ちて来るではないか。 紀昌は慄然(りつぜん)とした。今にして始めて芸道の深淵(しんえん)を覗き得た心地であった。 九年の間、紀昌はこの老名人の許に留(とど)まった。その間いかなる修業を積んだものやらそれは誰(だれ)にも判(わか)らぬ。 九年たって山を降りて来た時、人々は紀昌の顔付の変ったのに驚いた。以前の負けず嫌(ぎら)いな精悍(せいかん)な面魂(つらだましい)はどこかに影(かげ)をひそめ、なんの表情も無い、木偶(でく)のごとく愚者(ぐしゃ)のごとき容貌(ようぼう)に変っている。久しぶりに旧師の飛衛を訪ねた時、しかし、飛衛はこの顔付を一見すると感嘆(かんたん)して叫(さけ)んだ。これでこそ初めて天下の名人だ。我儕(われら)のごとき、足下(あしもと)にも及ぶものでないと。 邯鄲の都は、天下一の名人となって戻って来た紀昌を迎(むか)えて、やがて眼前に示されるに違いないその妙技への期待に湧返った。 ところが紀昌は一向にその要望に応(こた)えようとしない。いや、弓さえ絶えて手に取ろうとしない。山に入る時に携(たずさ)えて行った楊幹麻筋の弓もどこかへ棄(す)てて来た様子である。そのわけを訊(たず)ねた一人に答えて、紀昌は懶(ものう)げに言った。至為(しい)は為(な)す無く、至言は言を去り、至射は射ることなしと。なるほどと、至極(しごく)物分(ものわか)りのいい邯鄲の都人士はすぐに合点(がてん)した。弓を執らざる弓の名人は彼等の誇(ほこり)となった。紀昌が弓に触(ふ)れなければ触れないほど、彼の無敵の評判はいよいよ喧伝(けんでん)された。 様々な噂(うわさ)が人々の口から口へと伝わる。毎夜三更(さんこう)を過ぎる頃(ころ)、紀昌の家の屋上(おくじょう)で何者の立てるとも知れぬ弓弦の音がする。名人の内に宿る射道の神が主人公の睡(ねむ)っている間に体内を脱(ぬ)け出し、妖魔(ようま)を払(はら)うべく徹宵(てっしょう)守護(しゅご)に当っているのだという。彼の家の近くに住む一商人はある夜紀昌の家の上空で、雲に乗った紀昌が珍(めずら)しくも弓を手にして、古(いにしえ)の名人・※(「羽/廾」、第3水準1-90-29)(げい)と養由基の二人を相手に腕比べをしているのを確かに見たと言い出した。その時三名人の放った矢はそれぞれ夜空に青白い光芒(こうぼう)を曳きつつ参宿(さんしゅく)と天狼星(てんろうせい)との間に消去ったと。紀昌の家に忍(しの)び入ろうとしたところ、塀(へい)に足を掛(か)けた途端(とたん)に一道の殺気が森閑(しんかん)とした家の中から奔(はし)り出てまともに額(ひたい)を打ったので、覚えず外に顛落(てんらく)したと白状した盗賊(とうぞく)もある。爾来(じらい)、邪心(じゃしん)を抱く者共は彼の住居の十町四方は避(さ)けて廻(まわ)り道をし、賢(かしこ)い渡り鳥共は彼の家の上空を通らなくなった。 雲と立罩(たちこ)める名声のただ中に、名人紀昌は次第に老いて行く。既に早く射を離れた彼の心は、ますます枯淡虚静(こたんきょせい)の域にはいって行ったようである。木偶のごとき顔は更に表情を失い、語ることも稀(まれ)となり、ついには呼吸の有無さえ疑われるに至った。「既に、我と彼との別、是と非との分を知らぬ。眼は耳のごとく、耳は鼻のごとく、鼻は口のごとく思われる。」というのが、老名人晩年の述懐(じゅっかい)である。 甘蠅師の許を辞してから四十年の後、紀昌は静かに、誠に煙(けむり)のごとく静かに世を去った。その四十年の間、彼は絶えて射を口にすることが無かった。口にさえしなかった位だから、弓矢を執っての活動などあろうはずが無い。もちろん、寓話(ぐうわ)作者としてはここで老名人に掉尾(ちょうび)の大活躍(だいかつやく)をさせて、名人の真に名人たるゆえんを明らかにしたいのは山々ながら、一方、また、何としても古書に記された事実を曲げる訳には行かぬ。実際、老後の彼についてはただ無為にして化したとばかりで、次のような妙な話の外には何一つ伝わっていないのだから。 その話というのは、彼の死ぬ一二年前のことらしい。ある日老いたる紀昌が知人の許に招かれて行ったところ、その家で一つの器具を見た。確かに見憶(みおぼ)えのある道具だが、どうしてもその名前が思出せぬし、その用途(ようと)も思い当らない。老人はその家の主人に尋(たず)ねた。それは何と呼ぶ品物で、また何に用いるのかと。主人は、客が冗談(じょうだん)を言っているとのみ思って、ニヤリととぼけた笑い方をした。老紀昌は真剣(しんけん)になって再び尋ねる。それでも相手は曖昧(あいまい)な笑を浮(うか)べて、客の心をはかりかねた様子である。三度紀昌が真面目(まじめ)な顔をして同じ問を繰返(くりかえ)した時、始めて主人の顔に驚愕(きょうがく)の色が現れた。彼は客の眼を凝乎(じっ)と見詰める。相手が冗談を言っているのでもなく、気が狂っているのでもなく、また自分が聞き違えをしているのでもないことを確かめると、彼はほとんど恐怖(きょうふ)に近い狼狽(ろうばい)を示して、吃(ども)りながら叫んだ。 「ああ、夫子(ふうし)が、――古今無双(ここんむそう)の射の名人たる夫子が、弓を忘れ果てられたとや? ああ、弓という名も、その使い途(みち)も!」 その後当分の間、邯鄲の都では、画家は絵筆を隠(かく)し、楽人は瑟(しつ)の絃(げん)を断ち、工匠(こうしょう)は規矩(きく)を手にするのを恥(は)じたということである。 (昭和十七年十二月) |
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もはや師から学び取るべき何ものも無くなった紀昌は、ある日、ふと良からぬ考えを起した。 彼がその時独りつくづくと考えるには、今や弓をもって己に敵すべき者は、師の飛衛をおいて外(ほか)に無い。天下第一の名人となるためには、どうあっても飛衛を除かねばならぬと。秘(ひそ)かにその機会を窺(うかが)っている中に、一日たまたま郊野(こうや)において、向うからただ一人歩み来る飛衛に出遇(であ)った。とっさに意を決した紀昌が矢を取って狙いをつければ、その気配を察して飛衛もまた弓を執(と)って相応ずる。二人互(たが)いに射れば、矢はその度に中道にして相当り、共に地に墜ちた。地に落ちた矢が軽塵(けいじん)をも揚(あ)げなかったのは、両人の技がいずれも神(しん)に入っていたからであろう。さて、飛衛の矢が尽(つ)きた時、紀昌の方はなお一矢を余していた。得たりと勢込んで紀昌がその矢を放てば、飛衛はとっさに、傍なる野茨(のいばら)の枝(えだ)を折り取り、その棘(とげ)の先端(せんたん)をもってハッシと鏃を叩(たた)き落した。ついに非望の遂(と)げられないことを悟(さと)った紀昌の心に、成功したならば決して生じなかったに違(ちが)いない道義的慚愧(ざんき)の念が、この時忽焉(こつえん)として湧起(わきおこ)った。飛衛の方では、また、危機を脱(だっ)し得た安堵(あんど)と己が伎倆(ぎりょう)についての満足とが、敵に対する憎(にく)しみをすっかり忘れさせた。二人は互いに駈寄(かけよ)ると、野原の真中(まんなか)に相抱(あいいだ)いて、しばし美しい師弟愛の涙(なみだ)にかきくれた。(こうした事を今日の道義観をもって見るのは当らない。美食家の斉(せい)の桓公(かんこう)が己のいまだ味わったことのない珍味(ちんみ)を求めた時、厨宰(ちゅうさい)の易牙(えきが)は己が息子(むすこ)を蒸焼(むしやき)にしてこれをすすめた。十六歳(さい)の少年、秦(しん)の始皇帝は父が死んだその晩に、父の愛妾(あいしょう)を三度襲(おそ)うた。すべてそのような時代の話である。) 涙にくれて相擁(あいよう)しながらも、再び弟子(でし)がかかる企(たくら)みを抱くようなことがあっては甚(はなは)だ危いと思った飛衛は、紀昌に新たな目標を与(あた)えてその気を転ずるにしくはないと考えた。彼はこの危険な弟子に向って言った。もはや、伝うべきほどのことはことごとく伝えた。※(「にんべん+爾」、第3水準1-14-45)(なんじ)がもしこれ以上この道の蘊奥(うんのう)を極めたいと望むならば、ゆいて西の方(かた)大行(たいこう)の嶮(けん)に攀(よ)じ、霍山(かくざん)の頂を極めよ。そこには甘蠅(かんよう)老師とて古今(ここん)を曠(むな)しゅうする斯道(しどう)の大家がおられるはず。老師の技に比べれば、我々の射のごときはほとんど児戯(じぎ)に類する。※(「にんべん+爾」、第3水準1-14-45)の師と頼むべきは、今は甘蠅師の外にあるまいと。 つづく
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中国モノを題材にした 日本の文学・美術作品は多いけど 中島敦なども、その代表格 高校の国語の教科書に載っている「山月記」などは 唐の時代に書かれた「人虎」として知られる中国の変身譚(清朝の説話集『唐人説薈』中の「人虎伝」などに収められている)を元にしているとのことだが、芥川のとししゅん同様、単なる奇聞の伝承を道徳的な作品に仕上げている。 「名人伝」は、彼の完全な創作かと思いきや、一応原典はあるようです。 『列子』湯問篇にある射術の師弟関係をもとに、さらに黄帝篇、仲尼篇で補強をしたものとのこと。 中島敦の家は祖父の代から、バリバリの漢学者。父親のプレッシャーは大きかったようで、作品の中に、それを指摘する評論家は多い。 ****************************** 名人伝 中島敦 趙(ちょう)の邯鄲(かんたん)の都に住む紀昌(きしょう)という男が、天下第一の弓の名人になろうと志を立てた。己(おのれ)の師と頼(たの)むべき人物を物色するに、当今弓矢をとっては、名手・飛衛(ひえい)に及(およ)ぶ者があろうとは思われぬ。百歩を隔(へだ)てて柳葉(りゅうよう)を射るに百発百中するという達人だそうである。紀昌は遥々(はるばる)飛衛をたずねてその門に入った。 飛衛は新入の門人に、まず瞬(またた)きせざることを学べと命じた。紀昌は家に帰り、妻の機織台(はたおりだい)の下に潜(もぐ)り込(こ)んで、そこに仰向(あおむ)けにひっくり返った。眼(め)とすれすれに機躡(まねき)が忙しく上下往来するのをじっと瞬かずに見詰(みつ)めていようという工夫(くふう)である。理由を知らない妻は大いに驚(おどろ)いた。第一、妙(みょう)な姿勢を妙な角度から良人(おっと)に覗(のぞ)かれては困るという。厭(いや)がる妻を紀昌は叱(しか)りつけて、無理に機を織り続けさせた。来る日も来る日も彼(かれ)はこの可笑(おか)しな恰好(かっこう)で、瞬きせざる修練を重ねる。二年の後(のち)には、遽(あわた)だしく往返する牽挺(まねき)が睫毛(まつげ)を掠(かす)めても、絶えて瞬くことがなくなった。彼はようやく機の下から匍出(はいだ)す。もはや、鋭利(えいり)な錐(きり)の先をもって瞼(まぶた)を突(つ)かれても、まばたきをせぬまでになっていた。不意に火(ひ)の粉(こ)が目に飛入ろうとも、目の前に突然(とつぜん)灰神楽(はいかぐら)が立とうとも、彼は決して目をパチつかせない。彼の瞼はもはやそれを閉じるべき筋肉の使用法を忘れ果て、夜、熟睡(じゅくすい)している時でも、紀昌の目はカッと大きく見開かれたままである。ついに、彼の目の睫毛と睫毛との間に小さな一匹(ぴき)の蜘蛛(くも)が巣(す)をかけるに及んで、彼はようやく自信を得て、師の飛衛にこれを告げた。 それを聞いて飛衛がいう。瞬かざるのみではまだ射(しゃ)を授けるに足りぬ。次には、視(み)ることを学べ。視ることに熟して、さて、小を視ること大のごとく、微(び)を見ること著(ちょ)のごとくなったならば、来(きた)って我に告げるがよいと。 紀昌は再び家に戻(もど)り、肌着(はだぎ)の縫目(ぬいめ)から虱(しらみ)を一匹探し出して、これを己(おの)が髪(かみ)の毛をもって繋(つな)いだ。そうして、それを南向きの窓に懸(か)け、終日睨(にら)み暮(く)らすことにした。毎日毎日彼は窓にぶら下った虱を見詰める。初め、もちろんそれは一匹の虱に過ぎない。二三日たっても、依然(いぜん)として虱である。ところが、十日余り過ぎると、気のせいか、どうやらそれがほんの少しながら大きく見えて来たように思われる。三月目(みつきめ)の終りには、明らかに蚕(かいこ)ほどの大きさに見えて来た。虱を吊(つ)るした窓の外の風物は、次第に移り変る。煕々(きき)として照っていた春の陽(ひ)はいつか烈(はげ)しい夏の光に変り、澄(す)んだ秋空を高く雁(がん)が渡(わた)って行ったかと思うと、はや、寒々とした灰色の空から霙(みぞれ)が落ちかかる。紀昌は根気よく、毛髪(もうはつ)の先にぶら下った有吻類(ゆうふんるい)・催痒性(さいようせい)の小節足動物を見続けた。その虱も何十匹となく取換(とりか)えられて行く中(うち)に、早くも三年の月日が流れた。ある日ふと気が付くと、窓の虱が馬のような大きさに見えていた。占(し)めたと、紀昌は膝(ひざ)を打ち、表へ出る。彼は我が目を疑った。人は高塔(こうとう)であった。馬は山であった。豚(ぶた)は丘(おか)のごとく、※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)は城楼(じょうろう)と見える。雀躍(じゃくやく)して家にとって返した紀昌は、再び窓際の虱に立向い、燕角(えんかく)の弧(ゆみ)に朔蓬(さくほう)の※(「竹かんむり/幹」、第3水準1-89-75)(やがら)をつがえてこれを射れば、矢は見事に虱の心の臓を貫(つらぬ)いて、しかも虱を繋いだ毛さえ断(き)れぬ。 紀昌は早速(さっそく)師の許(もと)に赴(おもむ)いてこれを報ずる。飛衛は高蹈(こうとう)して胸を打ち、初めて「出かしたぞ」と褒(ほ)めた。そうして、直ちに射術の奥儀秘伝(おうぎひでん)を剰(あま)すところなく紀昌に授け始めた。 目の基礎訓練に五年もかけた甲斐(かい)があって紀昌の腕前(うでまえ)の上達は、驚くほど速い。 奥儀伝授が始まってから十日の後、試みに紀昌が百歩を隔てて柳葉を射るに、既(すで)に百発百中である。二十日の後、いっぱいに水を湛(たた)えた盃(さかずき)を右肱(ひじ)の上に載(の)せて剛弓(ごうきゅう)を引くに、狙(ねら)いに狂(くる)いの無いのはもとより、杯中の水も微動だにしない。一月(ひとつき)の後、百本の矢をもって速射を試みたところ、第一矢が的(まと)に中(あた)れば、続いて飛来った第二矢は誤たず第一矢の括(やはず)に中って突き刺(さ)さり、更(さら)に間髪を入れず第三矢の鏃(やじり)が第二矢の括にガッシと喰(く)い込む。矢矢(しし)相属し、発発(はつはつ)相及んで、後矢の鏃は必ず前矢の括に喰入るが故に、絶えて地に墜(お)ちることがない。瞬く中に、百本の矢は一本のごとくに相連なり、的から一直線に続いたその最後の括はなお弦(げん)を銜(ふく)むがごとくに見える。傍で見ていた師の飛衛も思わず「善し!」と言った。 二月(ふたつき)の後、たまたま家に帰って妻といさかいをした紀昌がこれを威(おど)そうとて烏号(うごう)の弓に※(「棊」の「木」に代えて「糸」、第3水準1-90-9)衛(きえい)の矢をつがえきりりと引絞(ひきしぼ)って妻の目を射た。矢は妻の睫毛三本を射切ってかなたへ飛び去ったが、射られた本人は一向に気づかず、まばたきもしないで亭主(ていしゅ)を罵(ののし)り続けた。けだし、彼の至芸による矢の速度と狙いの精妙さとは、実にこの域にまで達していたのである。 つづく しかしながら、先日、オリンピックに出場した、射撃の日本選手(自衛隊員だったと思う)が、やはり、線香の火を、見続ける、なんて言ってました。彼は、銃の弾道が、かすかにカーブするのも、見えるんだそうな。
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