BLOG さぬき路

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二股上池

ダム名:
ダム湖名:二股上池(ふたまたうわいけ)
河川名:新川水系高岡川
所在地:香川県木田郡三木町鹿庭・さぬき市前山
堰堤長:217m
堰堤高:16m
湛水面積:190.0ha
目 的:治水・利水用
形 式:アース式
ダム事業者:木田郡二股土地改良区
発 電:なし
着手/竣工:/改良2002年竣工
四国堰堤ダム88箇所:番外堰堤札所第11番
解説等:木田郡三木町(旧三木郡鹿庭村)とさぬき市長尾町(旧寒川郡前山村)の境界をまたぐ『二股上池』と三木町の『二股下池』とはまったく同じ地域の農地を潤す親子池である。二つの池はアース式ダムである上池の堰堤を挟んで100mも離れておらず、ぱっと見でも珍しい隣りあわせで湖面の高さが異なる二段式ため池である。特に上池はこの地区でも二番目に大きなため池であり立派で美しいアース式堰堤を持っている。また、いかなため池王国香川県とはいえ、池の真ん中を市町村の境が通ること、ここ以外では見かけない。資料を探してみないとわからないがおそらく何らかの歴史的要因があったものと思われる。
周辺施設:
資 料:ダム便覧などから参照しました。
撮影日:2013年4月13日9日・24日
場所はスポットノート『堰堤・ダム・池map』に投稿します。
 
二股下池堰堤
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二股上池堰堤
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二股下池
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二股下池
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 二股上池
 築造は生駒時代だと伝えられるが、現在の二股池の水掛りのうち、旧井戸村の100ヘクタールほどでは、初めは旧氷上村の山大寺池の水掛りであったというから少なくても山大寺池より後の築造であろう。ただ現在の状況から考えて、下池が上池より先に築かれたと考えられるので、下池はそれ以前に存在したと考えられる。上池の堤上に祀られている「池の神社」は天明六年(1786)九月二八日勧請となっているから、今から二〇〇年前からこの池は存在したことがはっきりする。上池の築造当時の規模については、今日明らかではないが、ほぼ現在四分の一くらいであったと思われる。
 この池は前山川の流水を中津堰で七、三に分水し、七分を長尾町の石神池に入れ、三分はこの池が取水することになっているが、池としては他郡からの取水であるため、いろいろめんどうな話し合いがあったことと想像される。
 安政三年(1856)上池の嵩上げ工事をして、堤防は五メートルぐらいの高さを増し、貯水量を従来の2,5倍、40万トンほどにしたようである。この池掛りのうち旧井戸村の半分以上の区域は、昔は山大寺池の水掛りに属していたが、経費ばかりかかって水が来なかったので、明治十年に山大寺池の水掛りをはなれた。そのためこの地区は、自分たちの持ち池から用水を引かねばならないことになり、再び二股池の嵩上げ増築を計画するに至った。すなわち当時の水利総代であった成瀬岩太郎、真田磯蔵、小竹儀三郎、真嶋才蔵の四人が主としてその推進に当たり、明治十九年県の認可を受けるまでに至った。しかし、こうした計画もその後のいろいろの事情で容易に着工ができず延引していた。
 一方この間まで盛んであったさとうきびの栽培が減少し、これが水田に転換されたため用水の需要はますます増加し、しかも明治二十七年の大日照りをはじめ、用水は極度に不足し農民は大変困った。こうしたありさまを見かねて、さきに増築の計画に当たった真田、小竹の両氏は再びこの実現を決意し、水利総代溝渕国義、村長溝渕恒太郎などと相談しその推進に当たった。時あたかも日露戦争の直後であり、関係者の意気も大いにあがり、明治四十一年計画樹立後二十二年後にようやく着工の運びに至った。
 工事は二万二〇〇〇余円で翌明治四十二年に完成した。しかし、当時は補助金がなく、反当たり一〇円余りを要し、その支払いには大変苦労したということである。当時は米一石の値段が十三円ぐらであったから、かなり重い負担であったことがうなずける。これによった上池は堤の高さ二メートルを増し、貯水量も1,5倍の60万トンと増加し、現在の規模のため池となった。
 昭和七年には掛け井手の一部を改良し、同九年には堰の補強工事を実施し、また同二十六年から翌年にかけ堤防にセメントを注入工事を施して漏水を防いだ。
 さらに昭和三十二年には、前山川取水口から承水溝の改修を行い、これまでも最も苦労してきた池水のため込みを安全確実なものとするなど次々と改善が加えられて今日の至っている。
 以上の文は、三木町史より転載しました。
 
 町名の由来 三木町の「三木」とは古史(全讃史・中山城山 著)に伝えられている井戸地区高木の「榁の大木」、平木地区の「柊の大木」、朝倉地区の「山椒の大木」の「三大樹」に由来する。 また日本霊異記の下巻第26に、「讃岐国美貴郡田中郷の田中真人広虫女が強欲であったため、宝亀7年(776)にこの人の上半身が牛になり額には角が生えた」との記述がある。これは、現在の木田郡三木町田中のことであり、讃岐国(香川県)美貴郡(三木町)は律令時代から知られていた地名である。

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三木の名前がそれほど古い物とは知りませんでした。
我が家の遠い親戚も三木につながっていると聞いた記憶があります。

2013/5/5(日) 午後 3:16 Odyssey大好き♪ 返信する

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私が住んでいる地区も為池の多い場所です。赤城山の裾野ですので火山灰地で水はけが良く、雨が降ればぬかり、乾けば砂塵の状態で、稲作の為に上流地域との争いが絶えず、歴史に残る様な争いを経て、赤城山の中腹を横断する大正用水が引かれ、昭和になって群馬用水が引かれましたが米作減反の為各都市の水道水として供給されています。
二股上池にナイス!

2013/5/5(日) 午後 9:06 まゆ陶工房 返信する

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Odysseyさん、町名には深い意味が隠されているのですね。近年の市町村合併でその由緒ある地名もなくなっているようです。残念です。
三木町には三木茂博士が発見したメタセコイアの森もあります。
ナイス!ありがとうございます。

2013/5/6(月) 午前 10:08 [ ロッキー ] 返信する

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まゆ陶工房さん、香川が一番多い県では無いのですが、密度は一番だそうです。香川でも昭和に隣の県徳島の吉野川からトンネルを掘って香川用水が共用してからは、実用性が少なくなった溜池が耐震性もないまま放置されているのが問題になっています。
ナイス!ありがとうございます。

2013/5/6(月) 午前 10:17 [ ロッキー ] 返信する

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