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来迎山 蜜乗院 極楽寺

小豆島八十八ヵ所第十六番札所
寺院名:来迎山 蜜乗院 極楽寺
宗 派:阿弥陀三尊(阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩)
開 創:
住 所:香川県小豆郡小豆島町片城
電話番号:0879-82-0454
納経所:当寺
由 緒・解 説
 池の畔に伽藍を構える。以前は、山門のそばに喬松があったように思うが、今はその姿が見えない。仏教では、この世の現象は仮象であり、全ては縁によって生じるという。枯死した松も、この世の仮象であったか。諸行無常は世の習いである。
 寺伝によれば、往古は上村妙見社の側にあり、大聖寺と号した。明応六年(1497)赤松文書に「後山の大正寺」とするのがそうであるという。
 さらに、寺伝は、焼失したあと現在地に移転したが、すべてを失い、草庵を結んで僧の住居としていた。その頃、熱心な念仏行者に「庄次郎」と「又右衛門」がいた。ある夜のこと、両人の夢枕に、本尊が四天王寺の西門にある。行って求めよと霊示があった。早々に出向くと、鳥居の側に乞食僧が持っていた仏像がそれであるとわかり、譲り受けて本尊とした。のち聖僧が来て、古像は、信州善光寺の御仏と同作であると話した。本尊の逸話である。
 この物語は、『古今著開集』または、『法然上人伝記』に、明遍夢想のこと、善光寺如来のこと、天王寺鳥居前のことなどを記す。これをもとにした話であろう。
 一方、郡史には、往古は妙見神社の山上にあり、成寿寺と称したが、火難を受けて二度、三度と再建した。
その後、元和年間(1615〜)に念仏孫ヱ門、念仏庄次郎という二人の篤信者が、大師修業の地と伝えられる現在
地に移して再建した。難波国四天王寺境内において修行僧より黄金の一光三尊の阿弥陀如来仏を授かり、当寺御本尊とし、寺号も来迎山 蜜乗院 極楽寺と改称したとある。
 ここに貴重な宝筐印塔がある。鎌倉時代の様式を伝えるもので、町指定文化財。塔身が球形であることから、俗に球心印塔という。
 大正十年に完成した『小豆島郡史』は、もと住職であった森遷氏が委員長となり、各町村の文書を調べ、古老の話に耳を傾けて完成した。
 それには「現在の堂宇は明治四十年に、千住多々羅教禅の代に工を興し、現在に至って落慶した。委細は大正三年、現在の縁起に詳しい」とあった。森遷は、上村の組頭・大橋助市郎の三男に生まれた。幼少に阿弥陀寺の多々羅文雅に師事、明治元年(1868)極楽寺の住職となるが、のちに還俗し、公職に就いて功を成した人である。

 無論、諸説もあるが、霊場の本義は、いか人々を利益したかである。燕雀安(えんじゃくいずく)んぞ鴻鵠の志を知らんや。歴史について騒ぐこともないであろう。
 【寺号は本尊を安置する御堂。院号は僧衆が住む場所。山号は仏菩薩の威光を現す。】
感 想:
資 料:香川県立図書館蔵 「朱鷺書房刊 小豆島八十八所霊場会編 小豆島八十八ヵ所遍路」などより転載しま
した。
撮影日:2015年7月30日
近隣施設:小豆島は島全体が観光地、

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