BLOG さぬき路

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八葉山・島田寺

寺 名:八葉山・島田寺
本 尊:阿弥陀如来
宗 派:高野山真言宗
札 所:四國ぼけ封じ観音霊場 第二十九番霊場
住 所:香川県丸亀市飯山町下法軍寺
電 話:0877-98-2629
由 緒
 開基未詳、元を法相宗と旧記に見える。
 八葉山・真言院・浄土寺と称した。のち、所の名をよんで島田寺という。「延暦十三年(794)正月八日、空海(弘法大師)、法勲寺を玉井村讃留霊王塚上にうつし、島田寺を瑜伽場として滞り讃留霊王を追薦す。」とあり。
 のち、法勲寺廃頽の時、本尊、霊宝を当寺に納め、讃留王の神霊を勤修す。故に世人綾氏の氏寺となす。
 「当寺に過去帳存する事久し、当国の及第さし人及び諸士家系の分明ならざるは、この過去帳をもって礼正す。」(この故に今も古き事をよく知りたるを島田寺の過去帳という)
 天正年中の兵乱の堂宇、財宝、並びに一切経、讃州風土記、国中の古記録、過去帳、綾氏系譜等を焼失す。
 慶長八年生駒一正公当寺十五世良純上人に帰依し、当寺寺領五十石を付けて、弘憲寺を建立す。
 時に法勲寺伝来の仏像(不動明王、地蔵菩薩、毘沙門天等)仏具等も遷し、良純を弘憲寺の開基となす。
 以後、当時は弘憲寺の隠居寺となる。
 尚、歴代のうち、十五世良純は「般若八講の大導師」として仰がれ、十九代宥遍は碩学、怪力でその名を世に轟かせた大徳である。

さぬきの昔ばなし【ゆうへん(宥遍)さん】
 ずーっと昔、飯野山(讃岐富士)の近くにある島田寺(丸亀市飯山町)に「ゆうへんさん」という力の強い和尚さんがおったんや。
 ある時、ゆうへんさんが高松の弘憲寺に用があって来とった。用が済んだけん、いのう(帰ろうと)しとったら、弘憲寺の和尚さんが宥遍さんの力を試そうとしたんか、「うちの大門をあげましょう。どうぞおもちくだされ」いうたやと。宥遍さんは、ものすご喜んでその大門を軽げに肩に担いで帰って行った。弘憲寺の和尚さんは、なしなった(無くなった)大門の跡に呆然とつったって、宥遍さんの後ろ姿を見送ったやと。
 宥遍さんは、額坂峠まできて、ちょっと休もうと大門を降し、大きな松の木を折り曲げて腰かけとった。ほんだら馬子が来て、馬の手綱を宥遍さんの腰掛けた松に括り付けようとけん、「これ、この木に繋ぐとわしが折り曲げて座っとるきん、立ったら馬が吊り上るぞ」いうたんやと。馬子は、「和尚さん、てんご(冗談)いうたらいかんわ。そんなほっこげな(馬鹿げた)ことあるかいな」いうて馬をその松に括り付けけた。「そろそろ帰るわ」いうて宥遍さんがひょいと腰をあげたとたん、馬は宙吊りになってしもうた。馬子は手をついて「もう、いらんこといわんけんけに、こらえて(許して)いた」と頼んで、馬をおろしてもろたんやと。
 宥遍さんが担いできた大門は「一荷担ぎの門」いうて、今でも島田寺に残っとるんやて。弘憲寺に行くときについていった鉄の杖や、碁を打って帰った碁石の跡が深こうひっこん(凹ん)だ碁盤や力試しした大きな石も弘憲寺には残っとるんやと。
 みんなの県政 THE かがわより「読みがたり 香川のむかし話」より

文化財:
資 料:現地説明板、県立図書館蔵 直井 武久著「丸亀の歴史散歩」
撮影日:2015年9月29日
近隣施設:飯野山(讃岐富士)、NWEレオマ、

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