BLOG さぬき路

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瑠璃山・常光寺

小豆島八十八ヵ所第八番札所
寺院名:瑠璃山・医王院・常光寺
宗 派:真言宗御室派
本 尊:薬師瑠璃光如来
開 基:伝行基菩薩
住 所:香川県小豆郡小豆島町苗羽
電話番号:0879-82-2180
納経所:当寺
由 緒:
解 説
 興国年間(1340〜)佐々木信胤が当島所領のさい、祈願所にせしと伝う。
 往古、星ヶ城主佐々木信胤の祈願所であったことは疑う余地はない。島郡史はともかく、寛文五年の棟札が如実に物語る。本尊は薬師如来、江戸中期の明細帳では大日如来とするが、山号・院号からみて、この呼称がつけられたときには、おそらく薬師が本尊であったろう。
 佐々木信胤について、寺伝はさらにこう綴る。
 小豆島の戦国を語るロマンの主人公。元備前飽浦の領主・細川定禅に仕えて戦功をたてたが、突如として南朝に走る。歴応二年(1339)、当時京洛三美人の随一といわれた「お才の局」を伴って来島、海抜800mの山頂に星ヶ城を築いて全島を手中におさめて、九年あまり支配した。
 貞和三年(1347)北朝の細川師氏が来攻、約1ヶ月にわたって星ヶ城を中心に合戦を展開したが、遂に降参した。信胤すなわち飽浦三郎左衛門とお才の局の情話など『太平記』に記す。
 不運は、弘化元年(1844)の出来事である。檀家にキリシタン信者がいて、大庄屋と共に島代官より厳しいお咎めがあり、寺領の免税を廃された。
極楽橋縁起
 伏して惟みれば、仏法外護の檀越、当院護持隆盛のため幾多の事業を企画し、無魔成就を遂げ、積善の功徳を成し来たり。ここに重ねて極楽橋修復を発願せり。
 旧極楽橋は、本堂改築の折りその古材を転用し、浄土へ導く懸け橋たるべく造立せられしものなり。しかるに風雪耐え難く、腐朽甚だしきによりて荘厳消磨するところとなる。依って檀信徒より募りたる庫裡修築の余財を以てその経費に充て、小豆島の景観を慮り、石造による極楽橋建立を企画す。
 往昔より当院に伝わりし縁起には、南朝の武将佐々木信胤、当島所領の際、祈願所とせし記載あり。正面遥かに信胤の故地たる小豆島の最高峰星ヶ城を望み、東方に当院奥の院碁石山を仰ぐこの霊地に感応したる景観を関佩し、ここに極楽橋造立を完遂せり。
 仰ぎ願わくば、本尊薬師瑠璃光如来を始め奉って、堅牢地神天龍八部諸大眷属、赫赫の照観により悉く災妖を四囲の境外に祓い、遍く魍魎を千里の遠きに退け、水天欽若にして災禍を永劫に調伏し、伽藍安穏当山繁栄の素願を成就せし給わんことを
現地説明銅板より転載しました。

 無論、諸説もあるが、霊場の本義は、いか人々を利益したかである。燕雀安(えんじゃくいずく)んぞ鴻鵠の志を知らんや。歴史について騒ぐこともないであろう。
 【寺号は本尊を安置する御堂。院号は僧衆が住む場所。山号は仏菩薩の威光を現す。】
感 想:
資 料:香川県立図書館蔵 「朱鷺書房刊 小豆島八十八所霊場会編 小豆島八十八ヵ所遍路」などより転載しました。
撮影日:2015年7月30日
近隣施設:小豆島は島全体が観光地、

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