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宗教なんて弱い人間が求めるもので、健康で元気な人間はそんなものに頼ったりしないといわれる方がよく居られますが、はたしてそうなのでしょうか。神様に聴き従って生きるとは自らの努力を放棄し、自立心を喪失した生き方では無いと思います。
人が他者に頼るという行動はどんなときになされるかを考えてみましょう。まず、この世に生を受け生まれ落ちた時点で、赤子は人(主として母親)の援助なしに生きることは出来ません。この時点での人の自活力は他の動物と比べて極めて低いと言われます。母親に見捨てられた赤子は死ぬ運命にあるといえ、例外なく、全面的に他者への依存によって生かされています。では、成人した人間が困難に遭遇したときはといえば、他者に頼る前に経験から学んだ手法で自らその困難を克服もしくは回避しようとする行動を起こします。多くの場合、それで対応が取れるのですが、自分一人の手に余る場合もあり、そんなときに他者の援助を求める行為が採られます。他者の助けを借りることで困難を克服できることもありますが、人が生きていくという過程では、人智の及ばぬ事柄にもまま遭遇します。人が協力しあってもどうにも解決できない問題があり、そんなとき人は神様に助けを求めます。この態度はよく「困ったときの神頼み」といわれ、揶揄されますが、人として至って自然な行動であると私には思われます。揶揄する人の心には自ら努力しようともせず神様に頼る「怠け者」という思いと、「助けてもくれない神様に頼る愚か者」という気持ちが潜在しているように思われます。
さて、皆さんはマザーテレサという方をご存知でしょう。どんな働きをされた方かよくは知らないという方もおられるかもしれませんが、インドで臨終が近い身寄りのない路上生活者を、せめて人生の最後は人間らしく旅立たせたいと世話をして看取る働きをされ、ノーベル平和賞を受けた人と言うことはご存知の方が多いでしょう。この方はローマカトリックの修道会の修女さんでした。「神の声」を聞き、伝統ある修道会を出て、貧しい人、困っている人たちを助けることを決意し、カルカッタにあるスラム街に移り住んで、孤児やハンセン病の人々の為に救済活動をはじめました。極貧の人に奉仕する「神の愛の宣教者会」を開設し、新設の修道会の責任者(マザー:霊母)となり、インド国籍を取得し、1952年に行き倒れの人々や重症の人々を収容する「死を待つ人々の家」を設立したのです。そして、マザーテレサはケアする相手に決してキリスト教を押しつけることはなく、本人の宗教を尊重し、その者の宗教のやり方で看取っていました。バチカンや修道会といった教会組織からの資金援助を期待することもなく、一人貧民街に飛び込んで地道に奉仕活動に励まれました。
皆さん、このマザーテレサを弱い人間だと思われる方はありますか?確固たる信念と、実行力を備えた強い人であったと思われるでしょう。確かに、我々の目にはそのように映ります。しかし、マザーテレサはいわれます。「人からソーシャルワーカーと呼ばれることには耐えられません。そして社会奉仕をしていたのだとしたら、わたしはとっくにやめていたでしょう。」と、「自分達は弱い人間で力などありません。自分の努力・精神力では仕事は成し遂げられません。私達はイエス・キリストに従っているだけです。臨終が近い身寄りのない路上生活者の世話をしておられるのは主イエスご自身であり、傍にいる私達は自分に出来ることでその手伝いをしているだけです。弱い人間を強い神様が使って下さるのです。」無理を背負うのではなく自分に出来ることをする、足りないところは主イエスが担って下さるという意識で働いておられた。現場にいる自分の傍にはいつも主イエスがいて下さるという確信(信仰)があり、自分の持っているものは弱さをも含めてみんな主イエスにお預けし、自らを無にして祈りつつ安心して主イエスについて行くキリスト者の姿が見てとれます。
人は問題意識を持ち、自らの努力でそれに立ち向かおうとしても無理が溜まり疲れ果て、挫折してしまうのが関の山です。私のような信仰が薄い軟弱者は「私に出来るのはここまでです。もう無理ですこれ以上何も出来ません。」とすぐ弱音を吐いて現場から逃げだそうとしてしまいます。しかし、しっかりした信仰を持った人はたとえ自分が躓いてもそれは自分の弱さ故のこと、主イエスが躓かれることはないと信じて現場から離れることをしません。疲れて倒れても又起きあがって主イエスの手伝いを始めます。このような生き方は決して自ら努力しようともせず神様に頼る「怠け者」には見えませんし、「助けてもくれない神様に頼る愚か者」ともいえないでしょう。
聖パウロはコリントの信徒への手紙2の12:10で言っています「なぜなら私は弱いときにこそ、強いからです。」と。弱いときこそ強いということは矛盾した言葉のように聞えますが、これは真理と思われます。自分の弱さを自覚しそれをも主イエスに預けてしまった人の中に神様の強さが宿るということだと思います。この様な人は弱さに中に留まることはなく結局は神様によって強くされるのです。マザーテレサに限らず多くの聖人と呼ばれる人達の生涯がこのことを実証しています。
聖パウロは更に語ります。「わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。」(フィリピの信徒への手紙4:13)
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被災から42日目に受苦日を、その二日後に復活祭の日を迎えました。日本中のキリスト者は被災者の心情と主イエスを奪われた弟子たちの心情、すなわち、希望を完全に奪われ、絶望のどん底に突き落とされた者達の思いを重ねていたことと推察します。聖書は金曜日の午後十字架上で亡くなられた主イエスが日曜日の朝復活されたと記しています。居所に身を寄せドアに鍵をかけて潜んでいた弟子たちの真ん中に主イエスが現れて立ち、「あなた方に平和があるように」と言葉をかけられたと聖書は伝えています。この「平和」という言葉、原語は「シャローム」というヘブライ語ですが、この言葉は単に、争いのない、平和な状態をいうのではなく、平穏、無事、安心、安全あるいは健全、成熟といった人の心の状態を意味していることから、教会では「平安」と訳されることも多いのです。弟子達に発した主イエスのこの言葉は「私はいつも君たちと共にいるのだからまずは安心しなさい。そして、希望を失わず、勇気を出して、福音を述べ伝えなさい。」という励ましの言葉であったと小生は理解します。その場に居合わせなかった弟子のトマスは、亡くなられた主イエスが復活して姿を見せたなんで、あり得ないことだ。私は復活された主イエスの手のひらに空けられた釘の穴にこの指を差し込むまでは絶対に信じないと強い拒否反応を示したと聖書は伝えています。トマスは自らが他の弟子達と共にいる時に再び御姿を現わされた主イエスを見て彼も信じたとのことです。「トマス、私を見たから信じたのか?信じない者ではなく、信じる者となりなさい。」と主イエスはトマスを励まされたのでした。死んだはずの主イエスが御姿を現わされたことにより、弟子達の不安と絶望は吹き飛んでしまいました。権力者による迫害を恐れることなく、主イエスの復活の証人となって、福音を述べ伝えたと伝えられています。
では、被災者の方々にはどのように希望が与えられるのでしょうか。復活日を迎えた頃の被災地では被災された方々自身が気を取り戻し、いくつかの新しい出発の試みが起きていました。その一つに津波によって多くの船を失ってしまった漁師たちが陸に打ち上げられた船の中で使用可能なものを探し、それらを集めて修理し、みんなで漁に出ようと協力している姿がありました。「これは誰の持ち船だとか言っている場合ではない。残って使える船を仲間で共同して使い、漁を再開するのだ。」という言葉を聞きました。この言葉から、海の男たちの心意気がひしひしと伝わってきました。原始共同体を連想されるような労働集団ですが、その形態は厄介な人間社会の仕組みを取っ払った、きわめて自然な姿に感じられました。人は当初、この様に協力しあう仲間が集団で生活をはじめ、共に汗を流して収穫を分け合い、子供たちを育て共に生きる社会(コミュニティ)を形成していったことが思い起こされます。人間社会がこの原点を回復すること、すなわち、物質的な豊かさの中で、また人間が作り出した複雑な仕組みの中で、個人の責任で生きていくことばかりが優先され、隣人の心情が見えなくなっている現代社会の不健全さに気付くことが問題提起されているように思えました。そのことを海の男たちの再出発の姿が教えてくれたように思えます。
バブル崩壊以来、日本経済は総崩れの状況です。「物作りの日本」は人件費の高騰で他国との価格競争に負けて立ち行かなくなりました。国際社会に向けた発信もできず、国としての発言力も低下し、低落傾向は長く続いています。にもかかわらず、過去の蓄積で国民はそれなりに安定し豊かな生活を保つことができていました。しかし、今回我が国は未曾有とも1200年ぶりともいわれる地震、津波、更には原発事故という大災害を被りました。自分は安全と身を潜めている時ではなくなりました。
被災者である彼らが自ら立ち上がり、仕事を開始しても決して状況は明るくはないと思われます。漁はできても市場は破壊され、それを流通させるルートや仕組みが断たれている状況があります。彼らの志を成就させるには被災していない我々が彼らを支えようとする姿勢と協力が重要となるはずです。家族であるから、親戚であるから、同郷の者であるからといった旧来の人のつながりを超え、自らが隣人となって被災した方々心情に目を注ぎ各自が応えられる支援をすることが、この危機を乗り越える我が国の方向性を示しているように思えます。5月の連休には全国から被災地にボランティアとして被災地に馳せ参じたいとボランティアの希望者が大勢名乗りを上げ、現地では受け入れられないほどであったと聞きます。人は悲惨な状況を知れば、自分も何とか手助けをしたという善意、健全な気持ちが起こります。教会はそれを聖霊の導きと呼び、信仰者は神様が我らと共にいましてなすべき業を促してくださると感じるのです。私たちに第一に必要とされることは被災者を隣人として受け止め、関心を持ち続け、その状況を理解することであると思われます。状況が分かれば具体的に何をなすべきかは個々の人に示されるものと思います。
地震・津波によってすでに亡くなられた多くの方々に対して、私たちはただ、魂の平安を祈りその霊を神様の御手にゆだねることしかできません。その方々の無念の思い、残された人々への思いを受け止め、我々が被災者への支援を心がけることがこれらの方々の霊に報いることになると存じます。
個々の人にできることは決して大きなことではないでしょう。しかし、大切なことは自らが隣人となって被災した方々心情に目を注ぎ各自が応えられる支援をする心を持ち続けることであり、多くの国民のその思いが集結された時「皆で支え、共に生きてゆく新しい人間社会」を創ることにつながるのだと信じるものです。それを成し遂げ世界に示すことで日本の存在意義を国際社会に示すことができるのではないでしょうか。戦争の悲惨さ・愚かさを骨の髄まで体験した日本、富と豊かさだけでは人は幸福にはなれないことを知った私たち日本人は、いま人間にとって本当に大切なものは何であるのかを学ばされているように思います。
「肩たたき隊」を結成し、被災した人々にひと時の安らぎを届けてくれた子供達、被災というこの厳しい経験を負の遺産とすることなく糧として明るくたくましい生き方をしていただきたい、いつまでも周りを照らす光の子であってほしい、と心から願います。この子たちからあの笑顔を奪ってはならない。将来に希望を持ち続けることができるように大人達は見守り支援したいと思うものです。
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3月11日に日本中を震撼させる東日本大地震が起こった。太平洋プレートが日本列島に沈み込んでいることが要因とされますが、それに乗っかる形でぶつかり合っている日本列島の岩盤が500kmにも及ぶ幅で東方にずれ込むという現象であったとのことで前代未聞の大地震であった。地震の規模はマグニチュード9.0というとてつもない値であり、宮城では震度7を観測した。その地震の破壊力にもまして、その地震によって引き起こされた太平洋沿岸の津波の脅威に人々は打ちのめされた。多くの人を街ごと飲み込み、町々の建造物が次々と流され、破壊されてゆく様は映像に撮られ、現場に居合わせた人だけでなく世界中の人々を震え上がらせた。荒れ狂う自然現象の前に人間の存在のひ弱さ、無力の程を見せつけられた。この度は原子力発電所の事故がこの地震・津波によって誘発され、この人災的色彩の濃い災害までも重畳され、被災者の苦難は倍増している。
この大惨事は奇しくも教会の暦では復活祭(easter)の準備の厳かな季節である大齊節(lent)に起こった。昔の人はこのような惨事が起こると、これは人間の傲慢に対する神の怒りだと受け止めることが多かったようだ。今回、東京都知事のI氏が「これは天罰だ」と発言し、多くの人々の反発をかってしまった。昔の人に近い発想からの発言であったかもしれないが、被災した人たちが神の怒りを受けるような行状をしていたかのように思わせるこの発言は失礼極まりないという人々の反応であったと思われる。当初発言を撤回しないと頑張ったI都知事であったが、結局失言を認め撤回した。
小生も、この大震災が神様の罰であったとは思えません。第12話でお話しいたしましたように、私たちの周りで不条理と思える出来事はまま起こりますが、これは神様が直接手を下されたものではないと思います。神は天地を作りその管理を人にゆだねられた。人の心への働き掛けはなさるが、むやみにこの世の事象に直接手出しなされない方と理解しています。神様は罰を与えたのではなく、この世の出来事に目を注ぎながら、多くの人の命を絶ち、多くの怪我人を出し、家族を失い、家を失い、仕事を失った被災者の痛みを人と共に受け止め、「我が子(人間)よ、私の与えた天地は自然の恵みが豊かだが、時としてこの様に荒れ狂うものでもあるのだ。今回の悲惨な現実をどのように受け止め、この困難をどのように乗り越えたらよいと思うのか。」と人々に問うておられるように思われます。
このような悲惨な状況の中でも、私たちは心に安らぎを覚え、勇気を与えられる出来事に出会うことがあります。この度は避難所で自身も避難民である被災した子供たちが健気にも「肩たたき隊」を結成し、ボランティアとしてお年寄りを訪ね肩をもみ叩いている姿がそうでした。子供たちの笑顔が、飾らない善意が人々の心にひと時の安らぎを与え、生きてゆく希望を呼び起こしました。その様子を映像で見た私たちもが癒された思いでした。日本社会でこのようなボランティア活動が根をおろしたのは阪神淡路大震災のときであったように思えます。家族であるから、親戚であるから、同郷の者であるからといった旧来の人のつながりを超え、自らが隣人となって助けにゆくというボランティアの存在は被災された方々の力強い支えとなっています。この度はかつての恩返しと阪神や新潟地方の方々をはじめ、日本中からのボランティアがかけつけ活動を開始しています。支援物資が全国から、外国からも届けられ義援金も集められています。人間に備えられている美しい一面を垣間見る思いがします。普段、順調に生活が営まれている時には他者を思いやることよりも他者に負けないようにと競う姿ばかりが目に付いてしまいますが、この出来事を通して私たちは忘れかけていた「人は一人では生きてゆけない。助け合って、励ましあって共に生きよう」という人間の本来的な心を呼び覚まされた思いがします。しかし、私たち人間はこれほどの大きな犠牲を払い、それを目にしなければそのことに気づくことができない存在なのでしょうか。今回の出来事は豊かで安定した社会で暮らしていた私たち日本人に突き付けられた厳しい現実ではありますが、失ったものを数えるのではなく、混乱の中で弱者を切り捨てることなく、皆で支え、共に生きてゆく新しい人間社会を創る時ではないでしょうか、否、それを成し遂げ世界に示さなければ日本は国際社会の中での低落傾向をさらに加速し、落ちこぼれの存在となってしまうでしょう。
この大惨事は教会の暦では復活祭の準備の厳かな季節である大齊節に起こったと申し上げました。復活祭前の日曜日を除く40日間が大齊節であり、最後の一週間は聖週と呼ばれ、最も厳かな期間となります。聖木曜日は主イエスが弟子たちと最後の晩餐を取られた後にユダの訴えにより祭司長達に捕えられた日、翌日の聖金曜日は総督ピラトに引き渡され、無理やり十字架刑に処せられた受苦日を記念する日となっています。2000年前、弟子たちは仕事も、家も、家族も放置してイエス様に従って、三年もの間ユダヤのあちこちを旅してきました。彼らは貧しい者、弱い者であっても決して蔑ろにされることのない、皆が共に生きる新しい価値観の「神の国」の実現は近いと夢見て主イエスに従ってきたのでした。すべてをこの方にかけていたにもかかわらず、この頼みとする先生がユダヤ教の指導者たちに捕えられ、あっけなく死刑にされてしまったのでした。弟子たちの先頭に立ち、愛の革命を指導してこられた主イエスが、結局はこの世の権力者にねじ伏せられ、抹殺されてしまったという現実の前に、弟子たちは挫折し絶望のどん底に突き落とされてしまったのです。しかも、関係者であることが分かれば自らの身にも累が及ぶという恐怖にさいなまれながら、居所に身を寄せドアには鍵をかけて人目を忍んで潜んでいました。
命からがら高台に避難した今回の被災者は、高台まで辿りつけなかった人々が津波に巻き込まれ、家や車と共にさらわれてゆく様を目の当たりにし、さながら地獄絵巻を見せつけられる苦しみを味あわれたことでしょう。自らの命は繋ぎ止めたものの、配偶者、親子兄弟、友人、知人、多くの仲間を奪われ、更には家を、持てる物のすべてを失い、気が付いてみれば仕事さえもなくしていたという現実の中で、将来への希望を根こそぎ奪われ、絶望のどん底に突き落とされた被災者の心境は察するに余りあるものがあります。
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沖縄愛楽園内には日本聖公会に属する「祈りの家教会」がある。園の創立者である青木恵哉師は宣教師ハンナ・リデル女史によって派遣された伝道師であったため、師のもとに集まった病者にはキリスト教信仰に導かれた者が多かった。愛楽園の中でも私達と親交が深かった祈りの家教会信徒の方々は聖書を真剣に読み、一心に祈ることが生活の一部に浸透していた。若い私達のようにキリスト教を観念的に捉え、聖書を頭で理解しようとするのではなく、きちんと心で読み、信仰的に捉えておられた。自ら取捨選択したわけではないにせよ、この世(朽ちる世界)での可能性を否応なしに剥奪されてしまった入園者の方々は、希望と自らの存在の軸足を朽ちない世界である天国にしっかりと置いておられることが私達の目にも感じられた。決して高い教育を受けられた方々ではなかったが、ぽつりと語られる言葉が時として哲学者の言葉のようでハッとさせられることがあり、まだ若く、この世での可能性や望みにしがみついていた私達青年の目からは眩しいような先輩達でありました。
木曜会という木曜日に定例の集会がもたれるグループがあり、ある時小生もゲストということで例会に参加させて頂きました。お祈りの後、その日のテキストとなっている聖書の箇所(マタイ:25章「タラントン」のたとえ)が読まれ、朗読が済んだとき「山田さん今日の朗読箇所について話をしてください。」と司会の方から突然振られてしまいました。見学者のつもりが急遽話をする立場に立たされて冷や汗をかきました。「人は神様からそれぞれに才能が与えられている。その才能を見出し、磨きをかけしっかり社会に役立たせなさいと言う勧めであろうと思います。しかし、最後の『誰でも持っている人は更に与えられて豊になるが、持っていない者は持っているものまで取り上げられる。』との言葉は誤解されやすいように思え、一寸気になりました。強欲な資本家が労働者から絞れるだけ絞って更に豊になり、貧しい人は更に貧しくなるみたいに聞えてしまいますが、これは与えられた才能を真面目に使えば更に磨きが掛かって豊にされるが、使いもせずにおけばさび付いて与えられた才能まで失ってしまうという戒めと私は理解しました。」という趣旨のコメントを汗をかきかきしたように記憶しています。普段あまり真面目に聖書を読んでいなかった小生が日頃からよく読み込んでおられた祈りの家教会の方々を前にしての拙いお話しでしたが、それ以来お陰様で、この聖書の箇所は小生にとって思い出深いものとなっています。
そのような先輩方も多くはすでに天に召されてしまった。1972年当時園内には八百数十人の入園者が生活していたと記憶しているが、現在は260名余となっており、祈りの家教会の日曜日の礼拝出席もかつては百数十名であったが現在では30名足らずの状態となっている。存命でおられても自室から教会までの歩行が困難となっている方が多いためです。
ライ予防法が廃止されたのは1996年でした。条文は実質的に死文化されていたとはいえ、強制収容・逃亡者の強制連行などの非人道的な条文が現行法として存在していたのです。元患者の方々が声を上げるまで、長い親交をいただいておりながら、その事実の重大さに気付くことなく廃止運動をしてこなかった自分を大いに恥じました。その後、ライ予防法の下で永年非人道的な扱いをしてきた国がせめてもの罪滅ぼしということでしょうか、園内施設もすっかり立派なものになり、ホテルのような老人施設となっています。せめて長生きをされている方々には偏見から解放されて快適な環境の中で余生を過ごして頂きたいと願うものです。
入園者であり、晩年は祈りの家教会の牧師を務められた 司祭徳田祐弼先生の遺された和歌をご紹介します。
「この病、われよりすべて奪いけり 永遠 (とこしえ )の生命 (いのち )一つ残して」
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私が長屋形態の夫婦舎に住んでいるある夫婦を訪ねた時のことです。タンスの上から巻かれた茣蓙をもってきて縁側に敷き、どうぞここに座ってくださいこれはあなた方社会の人しか使っていませんからというのです。「社会の人」という言葉がとっさに理解できず「ええ私は学生ではなく社会人です。」と頓珍漢な返事をしたことを覚えています。しばらくの間をおいて「私たちは社会から隔絶された入園者で、あなた方は一般社会で生活している人」という意味であることを理解しました。病気がうつらないことはよく承知していますからそんな気遣いは無用ですよといって茣蓙を巻いて返しました。すると、今度は封を切っていない袋詰めのお菓子を出して勧めてくれます。自分たちは触っていませんから安心して食べてくださいということです。入園者の方が健常者に如何に気を遣い自分を小さくして生きてこられたのか、想像するだけでも痛ましいことでした。
入園者の方の部屋を訪問しますと、よくおいでくださいました、冷蔵庫にビールを冷やしておきましたからそれを取ってここに座って飲みながら話でもしていってくださいといわれます。手先が不自由なため自分で冷蔵庫を開けて運ぶことが困難な方が多いため、自分でお取り下さいというのです。しかし、ビールをご馳走になって無駄話をしてきたのでは面目が立たない、聖ミカエル教会の信徒としてこのボランティア活動に参加した以上、何か入園者の役に立つことをして帰らなければと思うものですから、目の不自由な方のところでは何か読んでほしいものはありませんかとか、手の不自由な人のところでは手紙を代筆しましょうとか、やたらと親切の押し売りをしたものでした。今にして思えば、当時はまだ外の社会との行き来が少なく、園内に閉じ込められた状況の入園者の方々にとっては、何かしてもらうというよりはどんなことであれ一般社会の様子を少しでも知りたいとの思いがあり、我々とは向かい合ってじっくりと話がしたかったのだと思います。私達は何か役に立ちたいと思う気持ちがはやって、園の方々が実際に望んでいたことに十分応えていなかったように思えます。
この病気は末梢神経の麻痺から起こります。痛い熱いという感覚が麻痺していますので、火傷をしても怪我をしてもとっさに危険から手を守る行動がとれません。ですから指先を失っている人が多いのです。また、視神経を侵される人も多く盲人の比率が高いのです。不自由者センターに入居しておられたU氏は盲人であるだけでなく耳もほとんど聞こえませんでした。私たちが部屋を訪ねて声をかけますが、いつも返事をしないで後ろを向いたまま座っています。気むずかしい人なのだと思い私たちは敬遠して訪問を控えておりましたが、この方は耳も聞こえない、コミュニケーションの取り方は背中に大きく字を書くとよいと教えてくれる人がおり、仲間のT君がU氏を訪問し会話を交わしてきました。どんな会話をしてきたのか聞いて驚きました。「今の天皇は誰か?」(昭和48年当時)という質問で、「裕仁天皇」と背中に字を書いて答えると、「あの方はまだ天皇をしているのか」とつぶやいたというのです。目が見えず耳もほとんど聞こえない中で生活されていたU氏には新聞やテレビは勿論、ラジオも役に立ちません。外界からの情報入手の術が限られ、背中に字を書いてもらうことでわずかに他者とのコミュニケーションはとれるのですが、その厄介な作業を人に強いることを遠慮され、生活上必要最小限の事柄以外ヘルパーの方に問うこともしなかったのでしょう。本病のため家族知人から隔絶され、仲間の入園者や職員との対話さえ困難であった中で生きてこられたこのU氏、隣に入居され盲人でありながらなにかとU氏の世話をされていたK姉、すでに亡くなられたこの心優しいお二人のことが思い出されます。
30数年前聖ミカエル教会の青年たちが参加し、ボランティア活動と称しながら、楽しく遊び、沢山のことを学ばせていただいた愛楽園は、我々にとって人の生き方、生きる姿勢を教えられたまさに人生塾と呼ぶに相応しいところでありました。
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私が初めて沖縄を訪問したのは沖縄の本土復帰の年(1972年)であったと記憶している。当時教会の学生達がO氏を中心に沖縄のハンセン病療養所「愛楽園」訪問活動を続けていたが、沖縄は復帰までは外国扱いであり、渡航手続を必要とし、国家公務員であった小生は手続が厄介であったため、沖縄訪問を敬遠していた。復帰が成って小生の訪問も実現できたのである。愛楽園は自身が病者でもあった青木恵哉師が中心となって設立された療養所である。師は16歳でハンセン病を発病、香川県の大島療養所に入所、ここで洗礼を受けた。その後熊本の回春病院に転院し、英国国教会宣教師ハンナ・リデル女史の感化を受け1927年沖縄の病友への伝道に派遣される。焼き討ち事件など地元の強い抵抗に遭いながら、1938年病友と守り続けた土地(屋我地島大堂原 (うふどうばる ))に「国頭 (くにがみ )愛楽園」を設立する。これが現在の国立療養所沖縄愛楽園の前身である。
1972年当時、この病気については「らい病」という呼び方が一般的であった。本病はらい菌によって起こる慢性の細菌感染症で、末梢神経や皮膚が犯されるという症状がでる。重傷となると皮膚に変形を生じ、顔かたちまで変わってしまうため人々からひどく恐れられた。家族で発症する例が多いため遺伝病と誤解された上に、天刑病等とまで言われ、病者やその家族には非人道的な仕打ちが繰り返され、多大の苦労・心労を強いてきた歴史がある。
ハンセン氏によって「ライ菌」が発見されてからは、研究が進んで特効薬も開発され、完治する病気となった。菌自体の感染力は弱く通常生活で感染することはまず無いのであるが、以前は発症した母親が幼児を長時間抱っこするなど、体力の弱い者が発症者との濃厚な接触によって感染してきたようである。現在は既病者も治療によって本病自体は完治しているが、体の変形などの後遺症が残ってしまうため、偏見を受け社会復帰ができずに療養所内で生活を続ける人が多いという事情がある。
30数年前、小生が初めて愛楽園を訪問したときの様子を紹介致しましょう。到着した愛楽園の正門の両側は黒っぽいコンクリートの塀が続き、一見刑務所とも見える情景でした。そのコンクリートの塀には機銃掃射の弾痕が多数ついておりましたが、それは戦時中米軍にこの施設が兵舎と誤認され攻撃を受けたときのものとのこと。門の中に入りますと右手に交番のような建物がありましたが、これは面会所で以前は外来者が園内に立入ることはなくここで入園者と面会をしたとのことでした。郵便配達もここまででここから先は入園者自身が配達をしていたとのこと。園内が一般社会から隔絶された刑務所のごとき領域であったことを偲ばせるこれらの遺構は、沖縄海洋博が催された年、皇太子であった現天皇が愛楽園を訪問される前にきれいに撤去されたのでした。誰がどのような発想でそうしたのか想像するのはいささか興味深いところであります。
日本ではらい予防法の下で、病者の強制収容と、子供を作らせないように堕胎や避妊手術の強制政策によって、また特効薬ができて容易に治療が可能となったことにより、新しい患者がでる可能性はなくなり、近い将来日本からハンセン病は消滅し、過去に繰り広げられた本病にまつわる不幸な出来事が二度と繰り返されることはないと思われますが、エイズ等人に怖れられる病気の患者に対しては将来においても、本病におけるのと同じような非人道的な扱いが私たちの社会で繰り返されることを否定できません。そのことを思うとき、後遺症を抱え今なおひどい偏見の中に生きておられる元ハンセン病患者の方々の逝去と共に、この方々が体験した過去の不幸な出来事を決して風化させてはいけないと思うものです。
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この古老のように決して赦せないという強い思い、憎しみが凝り固まって植え付けられた人の心を溶かしたこの出来事は、23話でお話ししました「赦す」という人間の行為、和解への道について深い示唆を与えているものと小生には思えます。
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これはたしか200万人とも言われた大量の餓死者を出した1960年末期のビアフラでの大惨事の際の話であったと記憶している。ビアフラという国はすでにない。ナイジェリア軍事政権に反発するイボ族を中心に東部州に一時期建国された小さな共和国であった。この出来事は「ビアフラの悲劇」と呼ばれて世界的に注目された。日本でも新聞・テレビ・週刊誌などに報道され、多くの人がその惨状に心を痛めたのでした。
一家団らんでテレビを見ていたとき、ドキュメンタリー番組でビアフラの子供達の映像が流されたのです。まだ、言葉が十分に話せない幼児も一緒に映像を見ていたとのこと。画面をじっと見ていた幼児が、突然立ち上がり台所に走っていって、餅を手に握りしめて戻ってきてテレビの画面にその餅を差し出し、ガリガリに痩せお腹だけが膨らんで気力も失い立ちつくしている子供に懸命にわたそうとしていたとのこと。それを見たその子の祖父でありその家の主人であった人が大変な衝撃を受けたのでした。こんな年端もいかない幼児が目の前に映し出される悲惨な状況に心を痛め、なんとかこの子供達を助けたいと自分に出来ることを必死にしようとしている。大人である自分は一体何をしているのだとの思いに駆られたそうである。
この方は広い田畑を持つ農家の方であったようで、このとき安定した日本社会で暮らしている子供達に美田を残すより、それを手放して飢餓で命の危機に貧しているビアフラの人たちに救援物資を贈る方が重要なことだと心に強く感じたということである。この方は早速田畑を処分して当時のお金で2000万円ほどの義援金を贈ったのでした。そして、それには「孫に教えられ」という手記が添えられていたとのことです。当時の2000万円といえば、今の2億円ほどになるでしょうか。
この出来事を聞いた小生は大変感動し、40年を経た今に至るまで忘れることができません。この事例は、子供の純粋な心が大人の心を揺り動かし行動を促す力を持っていることを証しているといえるでしょう。
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宗教は山登りと同様、目指す目的地(頂上)は皆同じで、そこへたどり着く道が違うだけだと言われる方がよく居られますが、その意見に小生は俄には賛成致しかねます。確かに、真面目な宗教の信仰者は神(仏)様の前に跪き、己を無にして祈ることによって神(仏)様に聴き真理を学ぶという共通した姿勢がよくとられますから、同じような宗教体験を通して同じ方向に導かれることも多いのですが、それぞれの宗教には教義というものがあって、究極の目標としていること、考え方はそれぞれ異なっており、これをプロセスが違うだけということは正しくないように思えます。それぞれの宗教を信仰する者は、当然ながら自分の信じるものが確かな真理であるという確信を持っています。ですから、その点を認めなければ各宗教が成り立たないことになってしまいます。
しかし、真面目な宗教は人間の魂(心)を救済することを自らの課題とし、人が幸せになることを願うものであるという点で一致したものでありますから、人間社会で起こる出来事への対応ではそれぞれの信仰者がお互いに協力し合える近い関係にあります。一昔前までは、各宗教は他宗教を共存できない敵対関係と思い込み、邪教などと罵り合うことすらありましたが、今日の日本では、各種社会問題(イシュー)に対し、宗教者として宗教・宗派の壁を越え一致して協力する運動が広くなされるようになってきたことは喜ばしいことです。
宗教者は神(仏)様の前に跪き、己を無にして祈りつつ神(仏)様に聴き従って歩むものであるはずですから、信じるものが違うなどといって争い殺し合う宗教戦争など本来起すはずはないと考えます。今日の世界では、異なる宗教を信じる集団同士が争いを続けており、マスコミはこれをよく宗教戦争と称しますが、争いの原因が宗教間の教理の差にあることはまずありません。実際のところ、パレスチナ地方で繰り広げられているイスラエル人とパレスチナ人の争いは決してユダヤ教とイスラム教の争いではありません。これは、第二次世界大戦後世界中に散らされていたユダヤ人を集め、2000年前の故郷であるパレスチナに、現住民との間の共存を可能にする準備を整えることもなく、新たなイスラエル国家を樹立し入植させたという英米諸国の無茶苦茶な政策が原因であります。パレスチナ人の宗教は少数のキリスト教を含みますが大多数がイスラム教であり、イスラエル人の宗教がユダヤ教であるというだけのことで、これは、宗教戦争などではなく、双方の利害が反する住民間、民族間の対立構造に他なりません。
また、アイルランド紛争についてもマスコミはカトリックとプロテスタントの宗教戦争と解説しますが、北アイルランドはかつて英国によって武力によりアイルランドから分離されて英国領とされた歴史があり、北アイルランドでは元々の住民であった人々の宗教はローマカトリックであり、占領後に入植してきた英国人の宗教は英国国教会であるという関係があります。これもカトリック教会と英国国教会間での神学論争が原因となった宗教戦争ではなく、旧アイルランド系住民とイングランド系住民との利害・感情が絡んだ対立に他なりません。
ただ、これらの紛争の原因は宗教上の対立ではないにせよ、それぞれの住民(民族)には主たる宗教があって、宗教の務めは人間の魂(心)を救済することにあり、人々が幸せになるように導くものであることを鑑みれば、それぞれの宗教の指導者には双方が共に共存していく道筋を模索し、是非、よいリーダーシップをとって欲しいものと願うものであります。
神学者や聖職者あるいは他宗教の方々から危ない解説だとおしかりを受けるかもしれませんが、門前の小僧としましては、信仰者が己を無にして天なる絶対者(神)に心の窓を通して問いかける(祈る)ときに、人間側が「父なる神様」、「アラーの神様」と呼ぼうが、「阿弥陀様」「お釈迦様」「大日如来様」と呼ぼうが、「学問の神様」「平和の神様」「山の神様」と呼びかけようが、お応え下さる天なる絶対者は祈る人の心にちゃんとメッセージを届けてくださるはずと理解しています。自らの心に根ざした真面目な信仰をお持ちの方は神に聴くすべをお持ちの方でありますから、小生は宗教が違ってもこれらの方々に基本的な信頼がもてるのです。
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前回、「世の光となりなさい」という主イエスのみ言葉について考えました。今回は一寸横道にそれるかもしれませんが、光るという「発光現象」に着目し、光はどのようにして放出されるのかを考えてみたいと思います。小生は学生時代あまり真面目に勉強したとはいえませんが、物理学を専攻しました。社会人となってからはその基礎知識をベースに自然法則を利用した技術的思想の創作、つまり発明を扱う特許の世界に身を置いて歩んで参りました。自然法則、自然現象を対象とした研究結果を扱う仕事に携わる中で、自然現象に神の業を垣間見たと感じて深く感動した経験がありました。それは物質が光る「蛍光」という物理現象でした。その現象に着目しているうちに「あれー、これは人が輝いて見えるという現象と同じメカニズムだ」と思えたからです。このような自然現象、あるいは動物たちの姿・形や行動などを観察しますと私達が生活しているこの世界は実に見事に創られていると感心してしまいます。後者については動物の進化や自然淘汰の結果だとして簡単に片付けてしまう方も居られますが、小生はとてもそれだけとは思えず、うーん見事に創られていると感じ入ってしまいます。
さて、物質が光るという「蛍光」現象ですが、まず蛍光体の発光メカニズムを簡単にご説明しておきますと、蛍光は母体結晶の中に散らされた発光元素の働きによって起こります。発光元素の中心部には原子核があって、その原子核の周りを電子が、ちょうど太陽の周りを惑星が公転するように軌道を描いて廻っていますが、その軌道は1つではなく、水星の外側を金星が、更にその外側を地球がというようにエネルギーレベルを異にした軌道が複数あります。元素の種類によって周りを巡る電子の数と、軌道毎に存在できる電子の数は決まっています。電子が低いレベルの軌道から順に詰められた形態で収まっている状態を基底状態と呼び、その元素の最も安定した状態であります。ところが、この元素に外部からエネルギー(蛍光現象の場合は主として紫外線域の光)が与えられますと電子は元の場所にじっとしていられなくなって、自分の居た軌道より上のレベルの軌道に飛び出していきます。このような元素の状態は活性化された態様であり励起状態と呼ばれます。上位のレベルの軌道に飛び出していった電子は暫くすると元の低いレベルの軌道に帰ってきますが、この際に eV=hν という関係で光を放出します。位置エネルギーを光のエネルギーに変換して放出するのです。上式においてeVとはエレクトロンボルトすなわち、エネルギー量を表します。hというのはプランクの定数と呼ばれ、一定の値です。νは放出される光の波長を表します。光の波長とは色に対応するものと理解してください。因みに可視光の領域で長い波長の光は赤、短い波長の光は紫となります。高いレベルの軌道と低いレベルの軌道との位置エネルギーの差がeVとなるのですが、各軌道の位置エネルギーは、それぞれの元素の種類毎に決まっているため、元素は自分特有の波長νの光を蛍光として放出します。ですから放出された光の波長(色)の分布を解析すればその元素が何であるのかが分かるのです。
少々理屈っぽくなってしまって済みません。ここで、着目して頂きたい現象は、基底状態にある元素は極めて安定していますが、決して光を放つことがないのに対して、励起状態の元素は活性化された状態にあり、電子が飛び出し/戻る過程でその元素特有の色の光(蛍光)を発することになることです。
人間について考察しますと、周りの環境で起こる出来事に関心を示すことなく、自分の居場所にじっとしている人は危険に遭遇することもなく、本人は極めて安全でありますが、決して人々を喜ばせたり励ましたりすることはありません。これに対して周りの環境で起こる出来事に関心を持ち、出かけていって一働きした後に本来の自分の居場所に帰ってくる人は、その経験した出来事を周囲の人に伝えることとなり、社会に味をつけ、光を放つことになります。小生は蛍光という物理現象に着目する中で、人間も生きている以上基底状態ではなく、活性化された励起状態でいないとならないと感じると共に、この物理現象はそのことを見事にモデル化し教示していると感動したのでした。この現象において、光を放つための1つの重要なポイントは電子が元の低いレベルの軌道にちゃんと帰ってくることです。鉄砲玉のように飛び出していったものの、すぐに他に目移りがして余所にいってしまい自分の本拠地の定まらない人の働きは、そこで経験した出来事を周囲の人に伝えることに繋がりません。そして、自分の居場所に戻った電子は軌道のレベル差に対応した特有の色の光を放つことになりますが、人間においてはまさにその人の個性が反映された味となり光となって周囲に影響を及ぼします。そして、光を周りに放出する現象を起させるエネルギー源は元素の中から出てくるのではなく、外から与えられる励起光であることは、人間において外に働きに出かけるためのエネルギー源は自分の中から湧いてくるのではなく聖霊の導き(神様の呼びかけ)であることに対応していると私には思えます。このように人が世の光とされるメカニズムは物質が光を放つ現象の中に見事に対応しモデル化されているように小生は感じましたが、皆様はどう思われますか?
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