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「南?北?どちらのコリアンですか?」
私はアメリカの学校に通い、コロンビア大学で歴史を学んだ。私は歴史から多くの教訓を学び、近代世界に対する観点を理解するようになった。特にアメリカの建国を学び、新しい国をつくる基盤として、根本的原則と価値に、アメリカ建国の父たちが訴えたことの重要さを学んだ。私は、これらの原則がアメリカだけに当てはまるのではなく、普遍的なものだと悟った。それはすべての人類に当てはまることができ、どこにおいても人権と自由の保障の基盤になるものだ。これが、父が夢見ていた世界をつくる鍵だった。
こうした研究は私の観点を大いに豊かなものにした。私が今もコリアの後孫であるというのは否定できない事実なのだ。民族の歴史と運命に、自分の家族の歴史を通して結び付いている。アメリカに住むアジア人として、「どこの国の人ですか?」とアメリカ市民であるのに尋ねられる。躊躇なく「コリアン」と答える。自然に私は朝鮮人の、世界における業績に誇りを感じ、朝鮮人か金メダルや新記録をとれば喜びの声を上げる。
しかしアメリカに住む者として、故郷の痛ましい状況を頻繁に想起させられる。「コリアン」と答える私に対し、さらに「南?北?どちらのコリアンですか?」という質問が続く。彼らの立場から見れば、私の祖国はひとつではない。このような時、私はどのように答えればいいのか悩んでしまう。私は韓国で生まれたが、両親はいずれも北朝鮮出身である。では私の家族は異なったふたつの祖国を持っているというのだろうか。その度に私と同様に多くの韓国人は、自分が分断祖国の後裔であることを、骨身に沁みて痛感する。すべての韓国人は例外なくその事実から逃れることができない。
*コリアン・ドリームの中から抜粋
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