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歴史的に重要な転換点
コロンビア大学で歴史学を専攻した私は、学部の卒業論文で1945年第二次世界大戦終戦から1950年の朝鮮戦争勃発までの朝鮮半島の状況について研究を行った。日本の敗北は朝鮮半島における殖民統治の終結という形で、朝鮮民族に独立国家建設への希望を与えたが、金日成はソ連と中国の支援を受け、1950年、武力による朝鮮半島の掌握を目論んだ。その結果、世界史におけるあらゆる分断がそうであるように、政治、イデオロギー、軍事、経済における過酷で凄絶な悲劇がもたらされた。私は1945年、解放の喜びと独立国家建設に対する希望が、左右のイデオロギー対立によって分断、そして戦争へと移り変わる一連の事件の展開経過を理解しようとした。
私は大学入学以前の数年間、乗馬に専念し1988年のソウルオリンピックと、1992年のバルセロナオリンピックで、混合障害物種目の韓国代表として出場した。特にソウルオリンピックは、単なるスポーツ競技ということ以上に重要な意味を持つ大会だった。それは1976年以来、12年の歳月を経て、アメリカとソ連が共に出場したオリンピックだったからだ。それ以前、1980年のモスクワオリンピックではアメリカが出場を拒否した。すると1984年、ソ連とその同盟国もロサンゼルスオリンピックへの不参加を宣言した。こうして、スポーツを通して国家や理念の壁を越えて人類兄弟愛を具現化すべきオリンピックはその意味を失い、冷戦時代の衝突の場と化していた。
父はオリンピックを歴史的に重要な転換点と位置付けていた。12年越しに再び民主世界と共産世界を代表する国々が、共にスポーツ競技を行うようになったからだ。これは韓国の歴史、さらに世界史においても重要な歴史の1ページとなった。父は、オウルオリンピックが戦争の終息を告げる歴史的イベントとなり、向かうべき朝鮮半島の統一も、現実的に可能であると確信した。私は当時、太極旗(韓国の国旗)が描かれたユニフォームを着用しながら、その自負心と共に、歴史が変わり始めたという意識を持つようになった。
驚くべきことに、ソウルオリンピックの後にミハイル・ゴルバチョフソ連共産党書記長による改革(ペレストロイカ)、開放(グラスノスチ)政策は加速化し、その結果予想以上のスピードでソ連の解体と冷戦の終結が訪れた。
前述したように、父は共産主義者を憎んだのではなく、数百万の人の苦難と死を導いた、神の存在を否定する思想を憎んでいた。それゆえにソ連に変化が起こった時、無神論にとって代わることのできる、神を中心とした世界観が根付くことを強く熱望した。父は1990年4月、モスクワで国際会議を開き、その期間にゴルバチョフ大統領と会見する中で、唯物論を放棄し信仰の自由を保障するよう求めた。
ソ連のメディアはこの出会いを重要なイシューとして取り上げた。モスクワニュースは「世界で最も影響力のある反共主義者であり、ソ連の一番の敵」であるという父に関する内容を詳細に報道し、今こそが和解のときであると論評した。その出会いの成果として、数十名のソ連の国家議員や官僚たちが交換訪問でアメリカを訪れ、民主社会の運営原理を学び、数千名のソ連の学生らもアメリカの文化、特にアメリカ式自由の基底となる原則について学習するようになった。
*コリアン・ドリームの中から抜粋
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