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アメリカン・ドリーム誕生の瞬間
13ヵ州の植民地における住民が、イギリスから独立を勝ち取るために糾合したことは、アメリカと世界史におけるひとつの分水嶺となった。アメリカ住民たちは「イギリス生まれ」には与えられる臣民としての権利が、植民としての自分たちには許されていないと抗議した。植民地も厳然とした大英帝国の領土であり、その住民のほとんどがイギリス系の子孫である限りにおいて彼らは自分たちも会議に代表者を送る資格があると信じたのである。しかし一切の代議権や請求権すらなく、政府の恣意的な命令に一方的に従わなければならないという事実に憤慨したのである。
アメリカの独立戦争以前にも世界各地で数多くの反乱や蜂起がありはいたものの、いずれも神から賦与された普遍的原則に訴えるものではなかった。そして1776年7月4日、新しい国家の理念を提示しながら、建国の父たちが独立宣言書を作成、署名し宣布することとなった。これがアメリカン・ドリーム誕生の瞬間だった。
独立宣言書は、君主の恣意的であり絶対的な権力行使と、それを正当化する王権神授説に対する直接的な挑戦であった。イギリスでは既に国王チャールズ一世との流血内紛が起こり、王権神授説への挑戦が起こったことに加え、1688年の名誉革命を通して追うの権限を大幅に縮小する立憲君主制が採択されていた。アメリカ建国の父たちは、このようなイギリス的な伝統に基づいて、自分たちの原則を構想することができたのである。
*コリアン・ドリーム「アメリカン・ドリームと近代の胎動」中から抜粋 |

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