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民主化への転換を果たしたモンゴルの教訓
ソ連時代、ゴルバチョフが実施した、グラスノスチとペレストロイカに代表される改革と開放政策は、単に東ヨーロッパ共産政権の崩壊を導くにとどまらなかった。1924年、アジアで唯一、ソ連の衛星国になったモンゴルは、ソ連崩壊以後、共産主義から民主主義体制への平和的移行に成功した模範的事例である。
共産主義体制時代 モンゴルは、強硬な一党独裁体制による徹底した中央方面経済を実施しマルクス主義が教育やマスコミを完全に掌握していた。1930年代、ソ連のスターリンによる粛清と相まって、モンゴルでも過酷な圧倒が敷かれていた。ソビエトの抑圧的な体制下で、多くのモンゴル貴族層や知識人、軍将校、僧侶たちが銃殺され、300余りの寺院が破壊された。1963年から1952年まで、モンゴル人民共和国の首相を歴任したホルローギン・チョイバルサンは「モンゴルのスターリン」として知られる人物である。統計によると、多くて約10万人、モンゴルの全人口の10~15パーセントに至る人々が、彼の在任期間に殺害された。これは、比率としてはロシアのスターリンによる粛清よりも高い数値である。
ホルローギン・チョイバルサン
1980年代半ば、モンゴル政府はゴルバチョフの改革路線に従い、いくつかの経済政革を断行したが、民主化運動を率いた青年たちは、これに満足できなかった。その中に私と親交のある現モンゴル大統領、ツァヒアギーン・エルベグドルジがいた。彼は、モスクワ留学時代、ダラスノスチの開放がより大きな表現の自由を許容していることに深く感銘を受ける。
1989~1990年の共産主義国モンゴルの状況は、傍から見ると平和な体制移行には見えなかったのかもしれない。議会制民主主義の伝統もなく、年間1人当たり国民所得が170ドルにも満たない社会主義国家の中でも、最貧国に属していたからである。東ヨーロッパで起こった劇的な変化を目の当たりにしたエルベグドルジと12名の仲間は、モンゴル民主連合の結成を発表し、一党独裁体制に対抗する最初のデモを起こした。そして政府と党に多党制代議制システムの導入と、世界人権宣言の実行を要求したのである。これらのデモは平和的な方法で行われた。なぜなら彼らは、この方法が、独裁権力を振りかざす政府の変革を成功させる唯一の道であることを知っていたからである1990年1月、首都ウランバートルのデモに参加したのは数千人程だったが、同年4月、その数は4万人にまで増えた。そして政府がデモ隊に武力を用いるという噂がより多くのモンゴル人を刺激し、彼らへの支持はさらに高まった。
大衆による圧迫が強まると、政治局に所属する者すべてが辞任し、部署は解体され、モンゴル民主連合は、当時の与党であるモンゴル人民革命党との交渉に入り、 ついに共産党一党独裁体制の終息に同意した。そして1990年6月8日、モンゴル初の自由な総選挙が開かれ、モンゴル人民革命党が勝利を、収める。勝利した革命党は民主的原則を遵守し、1992年には新しい憲法を可決させた。そして1996年の総選挙に敗れ、野党となった。共産主義終息以来、モンゴルは7回の総選挙と6回の大統領選挙を行ったが、都度、政権の移譲は平和的に行われ、革命党と他党との連立政権が構成されたりもした。
モンゴルの成功事例は、全体主義統治下の貧困国から、円滑に機能する民主主義体制へと、首尾よく移行した印象的なケースである。現在、モンゴルの市場経済は成長軌道にあり、豊富な天然資源によって大きく成長する可能性を秘めている。しかし、今日まで辿った道のりは、決して容易いものではなかつた。 ソ連の援助が中断されてからは経済的に厳しい時期を迎え、1990年初頭には軍人に対する食糧配給すら行えなくなり、自隊で調達せよとの命令が下るほど状況は切迫していた。しかしモンゴル人は困難な時期を耐え抜き、苦労の末手に入れた民主主義実現のため、人権と自由に基づく社会の構築に力を注いだのである。
エルベグドルジ大統領は、2013年に平壌の金日成大学で行った演説で、モンゴルの礎を形づくる原則について語った。彼は自由に対する熱望を「永遠の力」と呼び、「モンゴルは人権と自由を尊重し、法による統治を支持して開かれた政策を追求し、表現の自由、集会・結社の自由、自己の選択によって生きる権利等、基本的な人権を大切にしている」ということを堂本と述べた。
2013年10月、エルベグドルジ元モンゴル大統領(中央右)が平壌に到着し金永南北朝鮮最高人民会議常任委員長(中央左)の出迎えを受けた。 エルベグドルジ元モンゴル大統領が金日成大学で演説している。 我々と同じ地域に属するアジア国家、モンゴルの例は、北朝鮮の状況に多くの示唆を投げ掛けている。全体主義的共産独体制下の貧しい中から、民主主義への移行に成功し、経済成長を遂げた歴史を持っているからである。またモンゴルは、ロシアと中国という核で武装した超大国と地理的に接しているにもかかわらず、核兵器に依存せず自国の安全保障を行っている。エルベグドルジ大統領が 、平壌訪問の際に強調したのも、まさにこのような教訓であった。
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