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一昨年亡くした爺さん(義父)の残した貸家から、Kさんが引っ越して出たのが昨年2月末。
あれから既に1年余、しかし最近は「3.11の東日本大震災から1年・・・」の方に
気持ちが向いてしまい、我家の一大事件をスッカリ忘れてました。
当時の記事 でも紹介しましたが、玄関周りのいたみがあまりに酷かった為、
昨年7月頃に若干ですが、手作業で修繕しました↓ (上がAfter 、 下がBefore)
庇と戸袋はオイルステイン塗装、玄関ドアは薄ベニア合板の張替
本当は、家周り全て・・・と思っていたけど、7月後半からの猛暑には耐えられず
途中でギブアップ、そして今に至るまで放置状態です。
さて、この家!当初は取壊しの予定もあったが、唐突に婆さん(義母)からの厳命?・・・
「私の目の黒いうちは、壊すな!触るな!」ということで・・・当面は現状維持と決定!
とはいえ、使うからには内外の傷みや汚れは最低予算(○万円以内?片手?)で
年内に修復を完了したい。
何に使うか?・・・僕一存ではDIY工房が良いな!
そうだっ! ソラ工房 にしよう!
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家
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先月末の話である。
年賀状を再チェックしていたら、昨年きた喪中はがきが数枚混ざっていた。
その中に大学時代の友人から、父親の喪中の知らせがあった。
昨年夏に、久し振りに飲みに行った時のことを思い出した。
父親は末期がん、そして母親は亭主の病状が理解できない程の重度の認知症。
しかし、その母親は昔馴染みの男友達と時折、ドライブに出かけるという。
友人にしてみれば、この年老いた二人の関係は、察知はしてるものの、
あえて詮索せずに黙認しているそうだ。
一方、我家にも敷地内同居している83歳?のばーさん(義母)がいる。
10年ほど前から独り言が多くなり認知症が徐々にであるが進行している。
しかし、じーさん(義父)を一昨年に亡くしてからは気合が入ったのか、むしろ元気になったように思っていた。
友人の話を他人事のように、うちの華美さんに話してみたら思いもよらない返事が返ってきた。
1ヶ月前に、華美さん行きつけの銀行に行ったら店長に声を掛けられ別室に通された。
聞けば、ばーさんが度々、店内で大声で怒鳴りだすという。 何とかならないかの相談だった。
確かに、独り言の声が大きくなり怒声に聞こえることは認識していた。
結局、華美さん単刀直入に・・・
「外出する時は大声で怒鳴らないように!」とばーさんにたしなめたらしい。
すると、本人「わしは悪いことは何もしとらん!」の一点張りで非を改めようとしない。
僕達二人で延々と話し合って出した結論、まずは銀行回避対策。
「こずかい大作戦!」
時折、金に不足してないか聞いて、こずかいをあげる。
先日、早速トライしてみた。案の定「ない!」との返事に、1万円あげたそうだ。
すると翌日、買物に出かけた。
夕方に帰ってきたばーさん、嬉しそうに戦利品を説明してくれたそうだ!
・・・法事来客用の茶碗セット!・・・ 総額 ¥8500
↑添付画像は先週行った、三重県にあるアウトレット「ジャズドリーム長島」
知らぬ間に店舗大拡張。遊園地気分で楽しんできました。
「いやあ、買物って楽しいね。」
・・・以上、紙袋を両手にぶら下げた女性陣の発言。
何も買わなかった僕は、紙袋を手渡され駐車場まで買った気分だけ
堪能させてもらいました。 |
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息子は就職浪人を避けるように大学院に入って1年数ヶ月、
大学生活と打って変わって厳しい研究室生活が待っていた。 (参照:前編記事)
現在の大学は研究成果、運営状態等・・・国の審査により予算も決まる厳しい時代になっていた。
産学連携もより緊密になり教授陣は多くの企業の要請に真剣に取り組まねばならないそうだ。 息子は実験やプレゼンテーションの資料作りで徹夜&深夜帰りが頻繁で、なかなか家に帰れない。
企業からの派遣員とも一緒に仕事をすることも多いらしいが、 彼らは残業規制があるからと定刻になると帰ってしまうらしい。
一方、学生には残業規制がない?ため、彼らの仕事まで押し付けられてしまうとか。息子の口癖は
「授業料を払って、眠る時間もないほど働いて報酬も無い!」
始めは単なる愚痴と思い「若い時の苦労は買ってでも・・・」と言いながら笑っていたが、 大学受験でも左程、悪化しなかったアトピーが、みるみる酷くなった。
彼のストレスが相当のものだということが分かってきた。
-------------------------------------------------------------------------------- つい安易な方に流されるダメ親の僕は「中退は大歓迎だぞ〜!」と投げかけるが、
息子の立場としては、親の反対を押し切った手前、「それは、ない!」と、キッパリ言い切った。
彼の研究室の教授は外出ばかりで、内部の仕事は准教授や助手に丸投げだという。
携帯電話での連絡網は昼夜関係なく出来るようになってるとかで、新たな指示も頻繁に入るらしい。
お陰で学生が就活を始めるこの時期になっても就活時間がもらえない。
同じ研究室仲間は上級のドクター志向は皆無で、誰も彼もが就活したがっていたらしいが、
公然と就活できる雰囲気はないという。ついには、研究室仲間で助け合いながら
「就職エントリーシート」を書いたり、就活時間を確保出来るようにしたという。
4月になって、ノンビリ屋の息子も焦り始めた。
既に就職砂漠化していた後に今回の東日本大震災の影響は予想以上に酷かった。
大学側に来る推薦枠も大きく減り、推薦を貰えても不採用になってしまうケースも、かなり多いという。
息子も例外じゃなかった。再三の不合格通知。推薦に期待を掛けたが同様に不採用になっってしまった。
ついには大学を介さず、自身単独で申し込みを始めた。地元名古屋に拘らずに選択範囲を広げた。 今月になって前回記事の冒頭に記載した東京での1次面談が始まった。
研究テーマを分かりやすく説明すべきが、相手に理解してもらえず、またもや敗色濃厚。
帰りはアキバに向かいクレーンゲームで気持ちを切り替えたそうだ。
なかば諦めていたところ、1週間後に2次面接の案内がきた。
面接が終わったあと人事担当者から、なんと!わざわざ名刺まで渡された。初めての好感触!
・・・後日「内定」の通知がきた。
研究室での多忙な時間を仲間とやりくりして、やっとつかんだ「内定」。
「もう、就活はコリゴリだ〜!」
息子は、住宅リフォーム関連会社に行くそうだ!
我家も、かなりボロくなってきたので、丁度いいか〜!・・・なんてね、そんなの関係ないか〜??(古!)
-------------------------------------------------------------------------------- 先々週の週末、研究室仲間で「内定」祝いの徹夜のマージャン大会があったそうだ! 翌日帰宅するなり、でっかい包み紙を僕の前に差し出し、満面の笑みを浮かべて・・・
「父の日プレゼントだよ〜!」 嬉しさに、若干涙ぐみながら包みを開いたら・・・
「ナンじゃ〜、こりゃ〜〜!」
・・・・なんと、萌え萌えのタオルケット2枚とシーツ1枚(掲載画像、参照)
聞けば前回のアキバ土産の返礼(むしろ、報復)に
「内定」祝としてくれたものらしい。
「親父、有難う〜〜!」
逃げるようにして自室に入ってしまった。
華美さんも娘も 「お父さん、良かったね〜!」と言って、我関知せずの素振り。
「困った〜〜!」
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ソラ家には長女と長男がいる。
長女は内向的で休日は僕らと行動を共にすることがあり、このブログでもチラチラと出演?するが、
長男は正反対で外向的。殆ど家にいないため、このブログには久々の登場です。
先月末、息子が就職面談で行った東京から帰宅して大袋から中身を取り出した。
萌え萌えグッズばかりだった。 「アキバの戦利品だ!」といって得意そうに笑った。
クレーンゲームの戦利品らしい。全て友達への土産だという。
(画像は「抱き枕」でかい!1m位はある)
この土産が、意外な展開に・・・(ハハッ!以下、次号へ)
さて、話は戻って、、、、
このブログ開設した頃、彼は大学受験の真っ最中だった。
子供の頃重症だったアトピー(既に完治)が、受験そして浪人生活のストレスから再発してしまった。
しかし目出度く目標の大学に合格すると同時にアトピーも治った。
関連リンク:「アトピー:前編 」 「ユニットバス事件簿。・・・あわや大惨事!」
そんな大学時代は我家から左程離れていない、大学の近くに下宿(2年間のみ)し
下宿仲間とマージャンしたりクラブのクラシックオケの練習・合宿で殆ど家に戻らずの生活を送った。
しかし大学生活の4年間は、何とか留年もせず卒業も出来た。
しかし問題は就職だった。不景気のあおりをモロに受けた。
息子は理工系、彼の下宿仲間は、みんな就活を止め大学院行きを決めてしまったとか。
「僕も行きたい!」 突然、勉強嫌いの息子から言われて正直驚いた。
「それは困る!俺の人生設計が狂う!」 即反対した。 (本音は経済的理由、汗。。。)
しかし、会社の同僚に話したら、理工系は技術の進歩と専門化が進み大学のみでは
十分な習得が出来ないため、更に上を目指すことが多くなったという。
昨今では就職難もあり、むしろ親の方が薦めるらしい。
「子供からの申し出なら、無理をしてでも行かせるべきだ!」
しぶしぶ了解して既に1年数ヶ月が経ってしまった。
大学生活と打って変わって厳しい研究室生活が待っていた。
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東日本大震災の後、人生とか家族とか近頃、僕自身の物の見方が大きく変わってしまったようです。
昨日、友人Ozのお母さんが亡くなった。 昨夜が通夜、今日が葬儀。
このお母さんはOzの実父(故人)の後妻さん。 お子さんは若くして亡くなってしまったが出産時に彼女も厳しい状態で、輸血に助けられた。
だが、それが元で肝炎に感染し、肝硬変から肝臓がんで亡くなった。
彼女は10日程前に入院し、医者からは「今年の冬まで」と診断されたそうだが ご本人は昨年の猛暑で倒れたこともあり、「夏は厭だから今月でおさらばよ!」と宣言。 そして医者には「余分な検査や延命治療は不要」 「痛み、苦しみは、薬で消して!」と注文。 更に医者の了解の元、家族には
「食べたいものを、どんどん食べさせてね〜!」と宣言し、注文しまくったそうだ。
Ozの手打ちのカレーうどんから始まり、カニ料理、殆ど食べなかった丼物各種、 そして、孫には「カップヌードルを一度食べてみたい!」といろいろと、リクエスト。
どれもこれも美味しそうに見事に食べまくったらしい。
「肝臓は沈黙の臓器」。痛み止めが良く効いた為、長く苦しんでた神経痛までもが消えていた。
入院後は常時、笑顔で応え、どんな話にも興味を持って聞いていたそうだ。 本人の依頼で今日の葬儀は密葬。 家族に負担にならぬよう気を配り、いつも、明るく振舞い、
医者には自分の要望をきちんと伝え、入院期間までも最短にしてしまった。 自らの宣言どおり6月しかも前半に、見事に自分の人生に幕を引きました。
全てを、ご自身で脚本し演じられたような最後でした。 血のつながらない家族。 でも最後のお別れには彼女の棺は花で一杯に・・・
Ozとその家族は更に、とても入らない程に花の束を挿し込み続け・・・ いつのまにか棺の蓋が閉まらないほどに、花の山が出来ていました。 Oz! 無断で記事にさせてもらって、ごめん! でも今日の葬儀は、とても良かった!
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俺もそんな時期合ったな〜…

