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軍歌で「皇軍大捷の歌」というのがある。あきれたぼういずが、その軍歌をネタにして歌ったりした。その中の一節に「思えば遠く来たものぞ」というのがある。 「皇軍大捷の歌」の歌詞は、以下の通り。 皇軍大捷の歌 作詞 福田米三郎 作曲 堀内敬三 一番 国を発つ日の万歳に しびれるほどの感激を こめてふったもこの腕ぞ 今その腕に長城を こえてはためく日章旗 二番 焦りつく雲に弾丸の音 敵せん滅の野にむすぶ 露営の夢は短夜に ああぬかるみの追撃の 汗を洗えと大黄河 三番 地平か空か内蒙の 砂塵に勝利の眼が痛む 思えば遠く来たものぞ 朔風すでに吹き巻いて 北支の山野敵もなし (以下、省略) この「思えば遠く来たものぞ」のオリジナルフレーズは、中原中也の詩にあるらしいということがわかった。 その中原中也の詩とは、以下である。 頑是ない歌 (中原中也) 思えば遠く来たもんだ 十二の冬のあの夕べ 港の空に鳴り響いた 汽笛の湯気は今いずこ 雲の間に月はいて それな汽笛を耳にすると 竦然として身をすくめ 月はその時空にいた それから何年経ったことか 汽笛の湯気を茫然と 眼で追いかなしくなっていた あの頃の俺はいまいずこ 今では女房子供持ち 思えば遠く来たもんだ 此の先まだまだ何時までか 生きてゆくのであろうけど 生きてゆくのであろうけど 遠く経て来た日や夜の あんまりこんなにこいしゅうては なんだか自信が持てないよ さりとて生きてゆく限り 結局我ン張る僕の性質 と思えばなんだか我ながら いたわしいよなものですよ (以下、略) 「皇軍大捷の歌」は1938年(昭和13年)の作、作詞者は福田米三郎である。その同名映画は同年5月12日に松竹から封切上映されている。中原中也は、その前年1937年(昭和12年)になくなっており、「頑是ない歌」を含めて編まれた「在りし日の歌」という詩集は、1938年(昭和13年)4月に創元社から出版されている。ということは、微妙であるが「皇軍大捷の歌」の作詞者福田米三郎は、その詩を知っていた可能性もある。しかし、「皇軍大捷の歌」では「地平か空か内蒙の 砂塵に勝利の眼が痛む 思えば遠く来たものぞ 朔風すでに吹き巻いて 北支の山野敵もなし」と歌っており、「思えば遠く来たものぞ」というフレーズが似ているだけで、詞の内容は中原中也のとは似ても似つかない。だから、この「皇軍大捷の歌」が中原中也の詩の盗作かといえば、曲調もあわせて全体の印象が違うため盗作とはいえないだろう。一部フレーズの流用があったかどうか程度のことである。 ところが、この中原中也の詩とそっくりな歌がある。ずっと後に作られた、海援隊の「思えば遠くへ来たもんだ」である。 一方の海援隊の武田鉄矢作詞の「思えば遠くへ来たもんだ」では、以下のような歌詞になっている。 踏切りの側に咲く コスモスの花ゆらして 貨物列車が走り過ぎる そして夕陽に消えてゆく 十四の頃の僕はいつも 冷たいレールに耳をあて レールの響き聞きながら 遥かな旅路を夢見てた 思えば遠くへ来たもんだ 故郷離れて六年目 思えば遠くへ来たもんだ この先どこまでゆくのやら 筑後の流れに 小ぶな釣りする人の影 川面にひとつ浮かんでた 風が吹くたび揺れていた 二十歳になったばかりの僕は 別れた女を責めながら いっそ死のうと泣いていた 恋は一度と信じてた 思えば遠くへ来たもんだ 今では女房子供持ち <b>思えば遠くへ来たもんだ</b> あの頃恋しく思い出す (以下略) うーん、歌詞もよく似ている。汽車の汽笛というのも共通しているし、大体、「今では女房子供持ち」というフレーズもそっくりである。中原中也のオリジナルでは十二(才)というのが、海援隊のほうでは十四(才)と微妙に変えられてはいるが。 しかし、なぜこういう盗作行為がおこなわれるのだろうか。それは、本人達も恐らく軽い気分でしたのだろうが、自分達もそれほどメジャーになると思っていなかったのか、中原中也の詩など知らない人間ばかりだと思ったのか、苦し紛れについというのが本音だろう。 このことを知って、好人物と思っていた武田鉄矢氏に対し、失望感を抱かざるを得なかった。盗作したなら、その旨を男らしく言ってくれれば良いのに。 なお、この一文は友人の城宅也氏の文章を本人の許可を得て、一部を変えて転載したものである。
城氏のブログ:「中年ジェット」(http://blogs.yahoo.co.jp/jyo_takuya/folder/946233.html) |

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頑是ない歌は過去の自分と今の自分という時間の移ろいに伴うアイデンティティの遍歴に戸惑う心を描いています。
思えば遠くへ来たもんだ、は故郷への想いとか空間的な変化の方に目を向けた懐郷の歌という側面が強い。
もう少し、詩の内容に目を向けてあげないと二人とも可哀想です。
「思えば遠くへ来たもんだ」というフレーズの一致とシチュエーションの類似性からして偶然の一致ではないにしても、かと言ってパクりは言い過ぎな気がします。
誰かが言った言葉が世代を越えて伝えられていくという素晴らしい出来事を演出しようとする際に、「※このフレーズは中原中也の詩から引用したものです」といちいち弁解を入れる野暮ったさがそんなに必要でしょうか。
同じ国で育った人が同じ情景に思いを馳せそれをそれぞれの形で表現することに、逐一ヤジが入り、せっかくの鉄道風景も汽笛の音も台無しになる。
あなたが間違っているとは言わない。
きっと間違っていない。
むしろ正しいのかもしれない。
ただその正しさが野暮なのですよ。
2013/7/7(日) 午後 6:07 [ mam*ruy**ota ]
一年ほど前のテレビで、武田鉄矢さんや南こうせつさんが思い出話をする雑談番組で、普通に触れていましたよ。
南こうせつ「鉄矢の『思えば遠くへ来たもんだ』は中也だったっけ?」
武田鉄矢「そうそう。その前にチューリップ(かどうかは失念。別のフォークグループだったかも)がやっぱり『思えば遠く来たもんだ』っていう曲を出したんだけど、それに対する対抗心もあって『思えば遠くへ来たもんだ』を作ったの」
みたいな感じです。不正確な記憶ですが。
内容を見れば「パクリ」ではなく「インスパイア」や「オマージュ」の域にあることは論を俟ちません。
逆にこれを「パクリ」と言ってしまえるんだったら、世の「桜ポップス」はパクリだらけということになってしまいますよ。
2014/4/29(火) 午後 2:17 [ - ]
私は中原中也のファンだったので初めて海援隊の「思えば遠くへ来たもんだ」を聞いた時は素直に盗作だと思いました。せめて詩:武田鉄矢の横に中原中也「頑是ない歌」よりとか入れて欲しかった。また私はチューリップのファンでもあるので、いつもチューリップに対抗意識を持った発言をする武田鉄矢を快く思ってません。チューリップの「思えば遠くへ来たもんだ」は安部俊幸の全くのオリジナルであり、海援隊のそれとは別物です。というわけで、私は金八先生も武田鉄矢も手放しで好きにはなれないでいます。
2016/11/12(土) 午後 10:08 [ isg*n*4 ]
続けて言えば、チューリップの「思えば遠くへ来たもんだ」に対抗してそのテイストに「頑是ない歌」のフレーズを当てはめた作品と言えます。オリジナリティのかけらもない作品がある程度のヒットを飛ばし、その真実が曲程公になっていない事が残念です。
2016/11/13(日) 午前 10:03 [ isg*n*4 ]
古くは「本歌とり」とか、「換骨奪胎」などは、手法であり、元ネタを知っている上での味わい方があった。今は、悪意は無くとも著作権は意識する時代。他の人も指摘の様に、作詞の横に記載すればいいと思う。ああ、そんな元歌があるんだと、聞き手は興味をもつし、メロディとあっているなと感心する。
2018/8/1(水) 午前 11:57 [ a_s*ig*20*2 ]
劇中にも中原中也と言うワードが出ています。
オマージュと言うか、インスパイアされてと言うか、それはちゃんと認めた上で、敬意を持って劇中にも中原中也と言うワードを盛り込んだものと思われます。
音楽に限らず、絵画や映画、その他の芸術に大昔から世界中に伝統的にあることで、だからこそ発展してきたと言っても過言ではありません。
盗作と思う感性や考えは否定しません。
しかし、私には素直に心に響く素晴らしい唄のひとつであります。
2018/11/4(日) 午後 7:25 [ イトーさん ]