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最近、柏にちょっと縁があるというか、イベントに協力したり、何やかやで何度か柏に行った。 柏にある戦争遺跡といえば、根戸の高野台(こうやだい)に残る高射砲部隊の跡、大室と花野井にわたるロケット戦闘機「秋水」の地下燃料格納庫群、それに柏の葉から十余二、高田台一帯にある柏陸軍飛行場、陸軍航空教育隊の跡が主なものである。 その柏飛行場、東部百五部隊関連の遺構であるが、豊四季に南下する道路の起点になっている営門跡(それは金具までそのまま残っている)、境界の土塁以外は、ほとんど何ものこっていないように見える。 なにしろ、柏の葉公園や周辺の瀟洒な住宅地ばかりが目立って、すっかり様変わりした感じである。 実は、柏飛行場に付随する陸軍航空廠立川支廠柏分廠については、建物がいくつか現存している。ただし、今の行政の区分けでは流山市になる。その一つが柏分廠本部。 <分廠本部(表から)> <分廠本部(裏から)> 分廠本部といいながら、普通の平屋の民家と同じ位の規模しかない。その裏には炊事場があり、かつては分廠本部の近くには酒保があった。むしろ、酒保のほうが大きく、「歴史アルバム かしわ」という柏市史編纂委員会が以前出した本では、どうも酒保を分廠本部庁舎と取り違えたようだ。 まあ、酒保は大勢の兵隊や軍属も出入りするから、それなりにスペースがないといかんが、本部庁舎は一部の事務をとるものだけがおればいいので、小さくてよかったのだろう。 <炊事場> その分廠本部までまっすぐに道があったのだが、その道はなくなってしまった。 分廠本部からさほど離れていない場所に資材倉庫とガス庫がある。これは、いわれなければ分からないような倉庫である。意外にそういう建物は残っているもので、航空教育隊のほうも給水塔のある場所の奥にレンガ造りの小さな倉庫のようなものがあるが、それも旧軍の建物だそうだ。その写真を撮ろうかと思ったが、今の所有者はその倉庫を含めた場所にある会社であろうが、あいにく小生が行ったときには断る相手もおらず、そちらは撮らなかった。 分廠本部の南側の十余二に近い場所には、医務室の跡がある。これは土塁に囲まれた野原のなかで、コンクリートの残骸となっている。その場所のすぐ北側は焼却炉とか便所があったそうだ。 <ガス庫> <土塁> なお、分廠本部などのある土地建物の所有者は、少しはなれた場所に住んでいるが、その所有者の了解を得て写真を撮ったので、掲示するものである。 その地主の話では、戦後軍用地が解放されて、その辺りにも入植の人たちが住み着き、軍の建物に住む人も出てきたそうだ。飛行場の格納庫はその北側にあって、一番西側の格納庫がずっと残り、のちに米軍の使用するところとなった。格納庫へ出入りするための門も作られていたそうである(なお、その格納庫は米軍が使用したのちは、とり壊され現存しない。しかし、一部基礎部分は残っているようだ)。 また、飛行機の機銃の試射場があって、それは大きな土手(高さ7mほどもあったという)を伴なっていたが、よく子供のころその山で遊んだという。いまはその土砂が埋め立てのために運ばれて、すっかり平坦となった。 <陸軍境界標石> また、その試射場の近くにトロッコがあったでしょうと聞いたところ、それは記憶にないとのことであった。トロッコは戦後早い段階で跡形もなくなったようだ。トロッコは流山の江戸川台とかまで続いていたなら、物資の輸送をやったということであろう。ちょっと、どこまで続いていたか興味がある。 このように、戦争遺跡が民間の所有となり、しかも現存しているのは稀有な例である。それは地主さんが開発しようとか妙な気をおこさなかったということであるが、代替わりとかしてどうなるか不安でもある。こういうものは世間にはなかなか「文化遺産」として認められないのが実態だが、何とかしたい。 |
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失礼いたします。・・・私のblogもご覧になってみてください。人生いろいろです。
2008/5/23(金) 午後 0:29 [ 健康と同時に・・・ ]
お久しぶり〜にコメントです。(ずっと以前にコメさせてもらいました)
ブログには毎日訪問してましたが、コメは、書くのも、読むのも、stopでしたが、・・・・・・・・
お久しぶりに、コメント書き込みさせて頂きます。
まずは、足跡を残しておきますね。ペチッ♪
2008/5/29(木) 午前 9:30 [ あや ]