海鷲よ甦れ

東海の浜に残りし飛行基地 「接敵できず」の文字に涙す *筆者並びに親族は、防衛省・自衛隊関係者ではありません

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ある神社の本殿をみていたとき、ふとこれは古代の高床式建物の名残ではないかと思った。

そういう説はあるらしい。高床式建物は東南アジアで住居として使われていたものが、稲作などと一緒に中国を経て日本に伝えられたようだ。高床式建物は、日本では、弥生時代に穀物を蓄えるための倉庫として用いられたというが、奈良の正倉院などもまさにその形である。

出雲大社や伊勢神宮なども、古代のそういう建築を色濃く今に伝えている。高床式の発展形が、神社建築様式のひとつである神明造とも言われる。神明造に限らず、どの神社もそんな感じである。

<伊勢神宮>
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しかし、一般庶民は平安時代くらいまで、縄文時代からの延長で竪穴式住居に住んでいたらしい。特に東国においては。

一方、西国は百済などの使節が来たりするため、じべたに直に座って生活しているのを見られるのは具合が悪いとおもったのか、はやくから住居も高床にシフトしていったとか。

神社は、近世においては柱や梁、欄間などに彫刻を彫ったり、豪華に装飾されたが、基本の姿は変わらない。鳥居を立てるのも、多少形が神社によってちがうだけで、基本は一緒である。
そのルーツは、東南アジアであろうことは、まず間違いないだろう。

<柏市塚崎の神明社>
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昔の国粋主義者などは、そういう説には当然反対で、日本古来と主張するだろうが、もともと日本にあったとか、日本でつくられたものはわずかである。
およそ独自と思っていた日本語からして、ウラル・アルタイ語系のなかのアルタイ諸語の一つで、満州人のしゃべる満州語や韓国語と近い言葉なのである。原始時代は、国の境もなかったから、今のロシア方面からどんどん日本列島に人が入ってきたので、言葉ではそういう痕跡があり、稲作などは中国の長江流域から入って来て、中国大陸からは朝鮮半島を経て、あるいは東シナ海を渡って直接、いろんな文化や生活の手段がもたらされたため、神社の建築になるような建物の様式もはいってきたのだろう。

閉じる コメント(3)

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こんにちは。
稲作の起源については、陸稲にしても水稲にしてもどうやら長江流域というのが、考古学的に有力なようです。
それで、高床式の建物もそこから各地へ広まっていったとした方がいいようです。
ですので、東南アジアのものは日本の神社などの祖先というよりは、兄弟のようなつながりといえるのかもしれません。

2009/9/25(金) 午後 11:27 [ 伊 謄 ]

Solomonさん、コメントありがとうございます。

稲作は昔は東南アジア起源と言われていましたね。今は研究が進み、長江流域が有力なんですね。そのあたりから、既に縄文時代に稲作が入ってきたと聞きました。長江流域は古い文明もあったとかで、殷よりも古い国があったとか。

東南アジアの高床式建物も、中国を媒介しているので、日本とは兄弟のようなつながりですか、なるほど。

2009/9/28(月) 午前 6:57 mor*_ta*eo*s*u

そもそも日本国がアルタイ語族なのかはまだ諸説あるようですが

2018/4/26(木) 午後 5:21 [ 偽者 ]


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