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軍隊には、いわゆる兵隊ソングという歌があって、軍歌以上に歌われていた。それは替え歌であったり、独自に作られた歌で、兵隊の真情をあらわしたものが多い。なかには、本当にふざけたものや、くだらないもの、猥雑なものもあるが、総じて言えば、軍隊生活での喜怒哀楽をうたっている。 その中に、「お国の為とは言いながら 人の嫌がる軍隊に 志願で出てくる馬鹿もある 可愛いスーちゃんと泣きわかれ」という、『可愛いスーチャン』というのがある。その志願で出てきたのが、小生であり、小生の身内には何人か同様の者がいる。そもそも、海軍は一部応召のものもいることはいるが、基本的に志願兵ばかりである。 なぜ予科練を志願したかといえば、親父が日露戦争直後に陸軍に応召されたとき、模範兵と言われたにも関わらず、上等兵になれなかったことから、お前が志願したら上等兵などすぐになれるぞと言ったことや、学校に配属されていた陸軍大尉が軍隊(直接には陸軍幼年学校)にはいることをすすめてくれたことがあり、当時人気があった海軍予科練に憧れる、子供なりの判断があって海軍の予科練を志願したのである。 既に戦局には暗雲が立ち込めていた1943年、勇躍甲種飛行予科練を志願し、所定の手続きをして受けてみると、激しい倍率にも関わらず受かってしまった。参著先は、三重海軍航空隊奈良分遣隊。 しかし、喜んだあまり、山道を歩いているときに、手をバラに引っ掛け、とげで指を怪我してしまった。 もし、この指の怪我が分ると、合格を取り消しになるかもしれないなどと心配した。 そんなころ、家に帰ると母が泣いている。それは小生が予科練に入り、死んでしまうかもしれない運命にあることからであった。その時はショックであった。 予科練に入る前、小生は親父にもし自分が死んだら、山の上に墓を建ててくれと言った。親父は、わかった、あそこはうちの地所ではないが、何とかすると言った。 いつの間にか、バラのとげでつくった指の傷は治っていた。 予科練に入ってからは、どこかで書いた通りである。 奈良空にいる間にも、戦局はいよいよ厳しくなり、日本の敗色は濃厚になった。私も実施部隊に配属された。折りしも東京、名古屋、大阪などで大空襲があり、多くの無辜の市民がなくなった。三重から近い名古屋には1945年(昭和20年)5月、6月と主に熱田地区を狙った大きな空襲があり、名古屋の市街が燃える火が三重空からも見えたという。 1945年(昭和20年)8月15日、日本は連合国に対して無条件降伏した。私のいた航空隊でも、正午に重大放送があるとのことで、隊で整列させられ、「玉音放送」を聞いた。しかし、陸軍のなかの反乱軍が妨害電波を発していたために、途切れ途切れでよく聞こえなかった。敗戦、日本は負けたと知ると、言い知れぬ脱力感に襲われ、これからどうなるか考えようにも、まったく予想ができなかった。やがて海軍省などから慰撫書が届き、海軍軍人は悉く武装解除、日本海軍は解体することとなった。軍艦旗は降下奉焼され、連日書類は焼却された。終戦の翌日、三重空では香良洲浜で予備学生(森崎湊少尉候補生)が割腹自殺したという。ただ、東京で終戦直前に近衛師団、横浜警備隊などの反乱軍が、森近衛師団長を殺害し、首相官邸などを襲撃したようなことは首都圏以外では起こらなかったし、終戦直後もさほど大きな混乱はなかったと思う。ただ、山にこもるなどといって、息巻いていた若い士官たちがいた。 ある人は、白子浜でのんびり海水浴をしたというが、本当だろうか。そこまでのんびりした状況ではなかったと思う。 終戦と同時くらいのころに多摩川鉄橋で列車同士が正面衝突する事故があった。小生のいた航空隊も武装解除をうけ、一部要員は残務整理、その他は解員することとなったが、当時まだ部隊にいるにはいた。 解員帰郷、それはつらいものであった。両親は暖かく迎えてくれたが、戦死した身内や先輩、友たちに、どの面さげてという気はあった。 今にして思えば、予科練にはいる直前に指の怪我をしたのは、小生を軍隊に入れまいとした不思議な力のせいかもしれない。両親をはじめ、殆どの身内が鬼籍にはいり、小生ももうそろそろお迎えがくるころである。 最近、入っているMLに訳の分らん投稿が多く、辟易しているが、戦争体験者の体験は部分的、断片的とはいえ、戦争の一面を語っていることを若い人にも理解してほしい。
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最も大切なことは空想や憶測ではなく事実です。
過去の評価は人それぞれですが、偏見ではなく事実によってなされるべきです。
その事実は体験した者のみが語ることのできるものです。
貴重な記事だと思います。
2010/10/11(月) 午前 9:13
面白狩りさん、コメントありがとうございます。
入っているMLで、最近物分かりの悪い、固定観念にとらわれた若い人の投稿が多く、いささか辟易し、はて自分が予科練を志願したときの状況は、と思い、拙文を書きました。
お恥ずかしい限りです。
2010/10/12(火) 午前 8:54
お久しぅございます。
お元気のことと存じます。
おそれ入ります、以下へつづきます。
2010/11/24(水) 午後 2:51
紫音さん、そちらこそお元気そうで、何よりです。
世の中には裏もありますが、やがて表にあらわれるものです。
2010/11/26(金) 午後 9:41
原爆・原発産業のメンバー:ラジェンドラ・パチャウリ氏
_____________________その経歴は
・2002年 IPCC第3代議長
・2007年 アル・ゴアと共にIPCCが地球温暖化に関する知見の評価 などによる
・功績でノーベル平和賞を受賞
・世界財閥は、そもそも【王室国家(後には天皇皇室国家へも)巣食ぅ】商人。
・【原爆産業の英国SOE長官】が【ノーベル賞選考委員歴任】。
・1960年代から【核持ち込みの佐藤栄作が世界ノーベル賞受賞】
*スェーデン王室国家から授与されるノーベル平和賞ほど
*【アテにならないものはございません】、苦笑〜。
・
2010/12/13(月) 午前 1:11
沖縄米軍基地で、
長年通訳を勤められた、現在ご高齢の日本人男性でさえも
*『クールビズは造語にもならない』と、怒り心頭に発せられておられましたが
よもや、ラジェンドラ・パチャウリ氏が英語をご存じなぃ!?とはあり得ません故、
・日本のクールビズを素晴らしい手本だとし、
・ライフスタイルの転換の必要性を訴えていたラジェンドラ・パチャウリ氏の
・そのこころとは、はて___。
▼則ち、小泉内閣小池百合子氏が、原爆・原発産業のメンバー=CIAエージェントで
▼あると、実証されてしまったよぅなものです。【小泉親子を含めて】
・
2010/12/13(月) 午前 1:17
テロ対策ゼロ!無防備!愛地博へ、一歩足を入れた瞬間、私は、
▼【小池百合子氏の居る処にテロは起きない】と、当時極く自然に思われました。
_____________________________
ユーチューブで、原爆産業:世界財閥トップが【911テロを実践】した事実が
公表されていましたが、ここへ、
原爆・原発産業メンバー:ラジェンドラ・パチャウリ氏の発言と合せて
▼【国内テロ対策厳戒態勢】の中、2005年3〜9月【愛地博】だけは
▼【フタ無し口開き巨大ゴミ箱】が、そこいら中に配置されていた理由を
▼私は納得しました。
世界財閥=原爆・原発・軍需産業=CIA=CIA自民党・CIA検察庁=CIA小池・小泉親子!
(民主党にもおります)__と。
・
2010/12/13(月) 午前 1:44
原爆・原発産業メンバー:ラジェンドラ・パチャウリ氏の
*【前任】の【IPCCワトソン議長】は、2001年に国内日経ホールにおいて、
*【誤訳:温暖化=正規:輻射熱による大気中水蒸気の温室化】は【止らない】、
*【アメリカは氷河期に照準を合わせている】と、公明正大に説明しました。
*則ち、現実には限りなく【氷河期へ接近している】と謂ぅことですね。
(まもなく、太陽光電気パネルも効果無し/苦笑)
*【温暖期→間氷期→氷河期】が、自然の流れですが、
*【氷が全溶解】した時から【氷河期】突入、また、
*【氷が解け始めた】時から【温暖期】突入、と相成りましょぅね。
▼今般【温暖期と温暖化が混濁】されましたね。
▼【原爆と原発と戦争が無くならなければ】いくら【植林しても無駄!】
▼そもそも【地球が危機とした地球温暖化】が、
▼その【基礎知識から間違ってぃる】のですから【京都議定書も出鱈目商売】
▼クールビズどころのお笑いではございません!!
▼【自民党、小池小泉親子】の【クレージービズ】でござぃます。
・
2010/12/13(月) 午前 1:56